第302話 ゲンサイの出世

 ゲンサイが桾国の宮殿で働いていると、ホクトから命令が届いた。上様からの命令は、桾国政府の中でできるだけ重要な地位に着くように、というものだ。


「上様は何を狙っておられるのだろう。しかし、困った事になった。重要な地位とは、どのようなものなのだ」

 ゲンサイが溜息を漏らす。


 ゲンサイが悩んでいる間に、兵部で起きた横領事件の波紋が広がっていた。晨紀帝が刑部に徹底的に調査するように命じたのである。


 刑部の役人たちは皇帝からの命令なので厳しく調べ始めた。その結果、次々に横領犯があぶり出され、兵部は混乱した。二人の将軍と六人の高級将校が逮捕され、その自宅から溜め込んだ金が押収される。


 晨紀帝は激怒した。横領犯である将校を処刑したのは当然として、その家族までも全員処刑するように命じたのだ。その事で兵部は恐慌状態に陥った。


 業務が止まり各地の戦線に支障が出るようになる。これを知った晨紀帝が、さらに不機嫌になった。その晨紀帝がゲンサイを呼び出した。


「周よ。中書省の仕事はどうだ?」

「やり甲斐のある仕事だと感じております」

「ふん、天順から聞いておる。今度の件は、そちが見付け出したそうだな?」


 横領事件の事を言っているんだと分かった。天順殿下は意外と口が軽いようだ。

「偶然でございます」

「謙遜する事はない。そちは想像以上に優秀なようだ。だが、今回の件で兵部が混乱した。どうしたらいいと思う?」


「優秀な将校の登用が肝要かと思われます」

「古い者を飛び越して、新しい者を昇進させろと言うのか?」

「できれば、そうした方がよろしいのでしょうが、それでは益々兵部を混乱させるでしょう。そこで優秀な将校を将軍などの要職にある者の副官に任命し、有益な助言を行うようにするのは如何でしょう?」


「将軍たちが、副官の言う事を聞くとは思えんが」

 その事はゲンサイも承知している。

「そこで月に一度、その副官たちと食事をするというのはどうでしょう?」


 晨紀帝がニヤッと笑う。

「なるほど、その将校たちに月に一度、朕に直接意見を言う機会を与えるのだな」

「ご明察でございます。そうすれば、将軍たちも副官の意見を無視できぬようになるでしょう」


「分かった。だが、優秀な将校を選ぶには、どうしたら良い?」

 全部、私に決めさせる気だろうか? ゲンサイは溜息を吐きそうになって、意志力を総動員して止めた。


「試験を致しましょう」

「それはどういう意味かな?」

「若い将校に軍事に関する意見書を書かせて、その出来を審査するというのは如何でしょう?」


 晨紀帝は納得したように頷いた。

「面白い、兵部のそう尚書しょうしょを呼べ」

 尚書というのは兵部の中の最高責任者である長官を意味している。


 曹尚書が来ると、若い将校に意見書を書かせて優秀な将校を選別すると伝えた。本当は抜き打ちでやりたかったのだが、曹尚書にだけは伝えておかないと話が進まない。


 話を聞き終わった曹尚書は、ゲンサイを睨んだ。余計な事を皇帝に言ったのは、お前だろうという目だ。


 その通りなのだが、兵部を混乱させたまま抑えきれない曹尚書も悪いのだ。皇帝が最後にゲンサイと話し合って進めるように命じると、鋭い目でゲンサイを見た。


 部屋から出たゲンサイと曹尚書は黙って一緒に歩き始める。その沈黙に耐えられなくなったのか、曹尚書が話し始める。


「周殿、そなたは陛下に何と言ったのだ?」

「陛下から、兵部の混乱を鎮めるためには、どうしたら良いかという御下問が有りましたので、優秀な若い将校を登用すべきだろうとお答えしました」


 間違った事は言っていないので、曹尚書も渋々頷いた。

「だが、なぜ若い将校なのだ?」

「将軍や指揮官に相応しい者を探すのは難しい事ですので、それは曹様のような専門家に任せるしかないと考えました。そこで、今回は将軍たちの副官を選ぶ事にしたのでございます」


「ほう、副官か。副官も重要な役職だからな」

 曹尚書は副官と聞いて安心したようだ。将軍や指揮官だったら、自分の権限が侵されると考えただろうが、副官程度なら問題ないと考えたようだ。


「このまま混乱が続くと陛下の御機嫌が悪くなり、曹様の責任にもなりかねません。ここは兵部内の引き締めを行った方が良いのではありませんか」


 曹尚書が深刻な顔になる。兵部が混乱している事は分かっているのだ。

「引き締めと言うと?」

「本来なら、兵部の役人を集めて、曹様が直々に警告を発するのがよろしいのですが、今回は陛下がお怒りになられている事と、仕事が手に付かないような者は処罰する、と書いた警告文を兵部の掲示板に張り出すべきでしょう」


「なるほど、さすが陛下の懐刀と呼ばれているだけの事はある」

 『陛下の懐刀』と聞いて驚いた。誰がそんな事を言っているのだろう。このままでは身に危険が及ぶかもしれない。護衛を用意すべきだろうかとゲンサイは考えた。


 高位の役人の中には、私費で護衛を雇い宮殿に入る許可をもらっている者も居るのだ。どこで間違ったのかと後悔する。ただゲンサイを敵対視する者も多くなったが、ゲンサイの機嫌を取ろうと贈り物をする者も多くなった。


 妻と子供の居ない屋敷に贈り物が溜まっていき、ゲンサイはどうなるのだろうと不安になった。屋敷で留守番をしているヒョウゴに相談すると、ホクトから護衛を送るように手配するという。


「しかし、私のような下っ端が、護衛など……」

「いや、上様からゲンサイ殿の役目は重要なので、特別の便宜を図れと指示が出ているのだ」

 それを聞いて嬉しくもあったが、重い責任が肩に伸し掛かってきたようにも感じた。


「そればかりではない。ゲンサイ殿の奥方と子供たちは、ホクトで屋敷をもらって暮らし始めたそうだ。毎月の給金は奥方に渡されている」


 家族が無事だと聞いて、ゲンサイは安心した。


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