第156話 キクチ家の気概

 チガラ湾の海軍基地近くに、大きな製鉄所を建設する事になった。カイドウ家では小規模製鉄所をいくつも建て鉄を生産していたが、鉄の需要が旺盛になり追い付かなくなったのだ。


 カイドウ家が建設する大規模製鉄所は、焼結設備・高炉・転炉・コークス炉などを備えた本格的なものだった。これだけ大規模な製鉄所を建設した後には、大量の鉄鉱石や石炭が必要になる。


 ミケニ島には多くの炭鉱が存在するので、石炭は問題ない。ただ石炭は植物起源の資源である事を考えると、ミケニ島に存在するのが不思議に思える。


 ミケニ島は新しく海底が隆起して出来た島だからだ。もしかすると、大昔に海に沈んだ陸が、もう一度隆起して島になったのかもしれない。


 石炭の供給は大丈夫だとなると、問題は鉄鉱石である。ミザフ郡のキザエ郷には良質の鉄鉱石を産出する鉱山があるが、それだけでは足りない。


 近くで良質の鉄鉱石が産出する土地となると、ハジリ島の西の端にあるヤタテ郡しかなかった。桾国でも産出するのだが、今桾国に手を出したくない。


「ホシカゲを呼んできてくれ」

 俺は小姓のサコンに命じた。サコンがホシカゲを伴って仕事部屋に入ってくる。


「御屋形様、御用でございましょうか?」

「うむ、ハジリ島のヤタテ郡について調べているか?」

「ヤタテ郡……キクチ家の領地でございますな。十万石の大名家でございます。メムロ府のミヤモト家と仲が悪く、頻繁に小競り合いを繰り返しているようでございます」


「面白い。キクチ家との交易を拡大したいが、何がいいと思う?」

「ヤタテ郡は、山と海に囲まれた平地が少ない地形をしております。米や小麦などの穀物が喜ばれるでしょう」


「なるほど、穀物か。ヤタテ郡には鉄鉱石以外の産物が有るのか?」

「蕎麦と木材、それに石灰でございます」

「それはいい。石灰は製鉄にも使うからな」


 俺はキクチ家と友好関係を結ぼうと思い、コニシ・カズモリをハジリ島のヤタテ郡へ使いに出す事にした。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 キクチ家にカイドウ家の先触れが訪れた。使者であるコニシが訪れるという連絡を受けたキクチ家では、騒ぎになる。


 キクチ家の当主であるキクチ・難波督なんばのかみ・ウジタダは、家臣を集め知恵を借りようとした。カイドウ家の意向が分からなかったからだ。


「カイドウ家から使者が来る。どのような用件なのか、推測できる者は居るか?」

 広間に集まった家臣たちが、静かになった。その中に武将クサカ・トモチカが居た。

「クサカ、そちはどう思う?」


 名前を呼ばれたクサカは、渋い顔をする。

「カイドウ家は、ミケニ島で急速に大きくなった家でございます。そのやり方は容赦ないという評判です。そこから考えますと、ハジリ島に手を伸ばしてきたという事でございましょう」


 ウジタダが顔をしかめた。

「やはり、そうか。どうする? 戦うか?」

「カイドウ家は五百万石、その兵力は十五万と言われております。とても勝てぬでしょう」


「では、どうする。恭順の意を示し、カイドウ家の下につくのか? ……儂は大名としての誇りを捨てる事はできぬ。勝てぬと分かっていても、一矢いっしむくいたい」


 ウジタダは青褪めた顔で、自分の覚悟を述べた。それを聞いた家臣たちが顔を強張らせた。主が誇りのために死ぬ事を選んだのだ。家臣としては付いていくしかない。


 内政家のタカオカ・ノブタカが、悲壮な顔をしている主と同僚たちを見て異論を差し挟んだ。

「殿、まだ使者の口上も聞いておらぬのですぞ。死ぬ覚悟をするのは早すぎます。それに領民を戦に巻き込むのですか?」


 ウジタダが不満そうな顔をする。

「タカオカ、そちは武人の心意気というのが、分からぬのか?」

「心意気ですと、そのようなものは、猫の餌にでもしてくだされ。まずは家を存続させてこそ、大名家ですぞ」


 タカオカは当主であるウジタダが夢見がちな性格であり、偶に綺麗事を言い出す癖がある事を知っていた。その結果、失敗すると後悔するのだ。


「各方も殿の口車に乗せられてどうするのです。這いつくばってでも生きるのだ、と諌めるのが忠臣というものですぞ」


 クサカがタカオカを睨んだ。

「タカオカ殿、言い過ぎですぞ。殿は武人として、誇り高い姿勢を示されただけでござる」

「何が誇り高いのでござるか。旨いものを食べすぎて、張り出た腹は何なのです」


 タカオカが主の個人攻撃を始めたので、クサカが目を吊り上げた。

「無礼ですぞ。殿は少し食欲が旺盛なだけでござる。あの腹に詰まっておるのは、贅肉ではなく気概というものでござる」


 家臣の全員が、ウジタダの腹を見た。これにはウジタダが怒った。

「やめぬか。儂の腹は関係ない」


 クサカとタカオカは冷静になり、深く頭を下げた。

「まあよい。タカオカの言う事にも一理ある。まずは使者の口上を聞こう」


 カイドウ家から使者コニシが訪れた時、多くの家臣が広間に集まり口上が始まるのを待った。

 まずは挨拶を交わしたウジタダとコニシ。それからウジタダが咳払いをしてから話し始めた。


「カイドウ家の月城守殿は、どのような御用件でコニシ殿を遣わされたのかな?」

 コニシが話そうとした時、クサカが口を挟んだ。

「まさか、物騒な話では?」


 そう言われたコニシは首を傾げた。

「物騒な話とは、何の事でござろう?」

 タカオカがクサカを睨んでから説明した。


「キクチ家は、カイドウ家が臣従を迫るのではないかと、心配しているのでございます」

 コニシは苦笑する。

「そういう事ではございません。我が主は、ヤタテ郡との交易をもっと盛んにしたいと考えております」


 キクチ家の家臣が拍子抜けしたような顔をしたのに、コニシは気付いた。かなりの危機感を持っていたらしい。


「交易でございますか。ですが、ヤタテ郡には大した産物がございませんが?」

「カイドウ家が欲しいのは、鉄鉱石でございます」


 ヤタテ郡には鉄鉱石の鉱山がいくつかあるが、その採掘は盛んではない。鉄の製造には砂鉄を使っており、鉄鉱石をあまり使っていないからだ。


「カイドウ家では、どれほどの鉄鉱石を必要とされているのでしょう?」

 タカオカが尋ねた。

「できるだけ大量に欲しいので、難波督様には協力をお願いいたします」


 ウジタダは納得できないという顔をする。

「鉄を造るのであれば、砂鉄が良いのでは? ヤタテ郡では砂鉄も大量に採れますぞ」

「いや、鉄鉱石が良いのです。砂鉄では必要な量が集まりませぬ」


 タカオカがコニシの顔に目を向ける。

「交易というのであれば、カイドウ家は何を売ってくれるのでござろう?」

「カイドウ家では、穀物を中心に用意するつもりでございます」


「お待ちくだされ。カイドウ家では優れた鉄砲が作られていると聞きました。それを売って頂けませんか?」

「最新式の鉄砲は売れませんが、火縄銃であれば、可能かと思います。ただ戻って許可をもらうまでは、はっきりした事は断言できませんぞ」


 コニシは鉄鉱石の値段などを交渉し、帰路に就いた。それを見送ったキクチ家の家臣は、カイドウ家が臣従しろと迫るかもしれないという意見を言ったクサカに視線を向けた。


「某は、そういう可能性があると言ったまでの事。必ずそうだとは、言っておりませんぞ」

 タカオカが白い目をクサカに向けてから、

「まあ、そうですな。殿の腹には、気概が詰まっているのでござった」


 それを耳にしたウジタダは、『気概』という言葉を禁句とした。それを聞いた領民も『気概』という言葉を使わなくなったので、この地域から『気概』という言葉が消えるという不思議な現象が残った。


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