第143話 エナムの戦い

 桾国の耀紀帝は、孝賢大将から三万の兵がチュリ国に向け出陣したと報告を受けた。

「朕の軍隊は、必ずイングー人どもをチュリ国から追い払うだろう」


「陛下の仰られる通りでございます。ミケニ島で活躍した黄少将ならば、確実にイングー人をチュリ国から駆逐するでしょう」


「だが、三万という数は少ないのではないか?」

「もちろん、その十倍ほど派兵する事も考えたのでございますが、敵のイングド国兵は一万にも満たないと聞きましたので、三万で十分かと愚考いたしました」


 孝賢大将も送れるものなら、三十万ほどの兵を送り出したかったが、桾国の財政状況は芳しくない。桾国の財政を管理する者たちから、三十万などという兵の遠征は無理だと釘を刺されていたのである。


「ほう、敵は一万にも満たないのか。なるほど……だが、精鋭を送ったのであろうな?」

「はい。精鋭部隊を送りました。勝利は間違いないでしょう」

 耀紀帝が満足そうに頷いた。


 カイドウ家懲罰部隊を率いた黄都尉は、耀紀帝の一門を救助した功績により少将となっていた。その黄少将は三万のチュリ国遠征軍を率いて首都のハイシャンから、チュリ国の正当なる王であるハン王が開いた臨時政府があるポプチェに向かった。


 ポプチェに到着した黄少将は、ハン王に会いに行った。ハン王は王宮の代わりにポプチェの大商人であるミンホの屋敷を住まいとしていた。


 ハン王が黄少将を出迎えると深々と頭を下げた。

「黄少将、チュリ国のために、遠路はるばる感謝いたす」

「ふん、我々はチュリ国のために来たのではない。陛下の命令があったから、来たのだ」


 ハン王が頭を下げたまま、口をへの字に曲げる。

「もちろん、耀紀帝陛下の御意向だという事は承知しております。私どもは只々陛下の御心に感謝するだけでございます」


「分かっていればいい。それでイングー人どもの兵は、エナムから動いておらんのか?」

「はい、あやつらはエナムの海沿いに町を築いているようです」

 顔を上げたハン王が丁寧に答えた。


 ハン王としては、他国の少将に媚びへつらうような様子は誰にも見せたくはなかった。なので、ハン王は一人で出迎えたのだが、黄少将はそれが不満だったようだ。


「出迎えは、ハン王一人なのか?」

「他の者は、黄少将を歓待する用意をしております。お許しください」

「そうか、いいだろう。部屋に案内せよ」


 黄少将が案内された部屋は、豪華な部屋だった。十人の美女が待ち構えており、黄少将を接待した。これには黄少将も満足したようだ。


 翌日、軍議を開いた黄少将は、ハン王が援軍として出せる兵の数を聞いて怒鳴った。

「馬鹿を言うな! たったの五千しか出せないだと……誰のための戦だと思っておるのだ」


 ハン王の顔にチラリと反抗的な表情が浮かんでから消える。『我々はチュリ国のために来たのではない』と言ったではないか、と文句を言いたくなるハン王だったが、そこは堪えた。


「チュリ国の領土のほとんどが、イングー人に制圧されている状況ですので、これだけを集めるのが精一杯だったのです」


 黄少将は不機嫌な顔になった。だが、言い分には納得したようだ。

「ならば、士気を上げるために、国王自らが率いるしかないな」

 ハン王は苦い顔になったが、承知した。


 こうして、桾国軍三万とハン王軍五千がエナムへ向かった。桾国軍と一緒に進軍したハン王は、桾国兵の多くが、火縄銃を持っているのに気付いた。


「桾国では、火縄銃を製造しているのでございますか?」

「もうすぐ造れるようになるが、今は他国から購入している」

「えっ、どこから購入しているのでしょう?」


「フラニス国やアムス王国、それにミケニ島からだ」

「列強諸国は分かるのでございますが、ミケニ島というのは、南東にあるミケニ島でございますか?」


 カイドウ家の事を思い出した黄少将は不機嫌な声で返答する。

「そうだ。小さな島だが、あそこの原住民は手先が器用らしい」


 黄少将が突然不機嫌となったので、ハン王はそれ以上聞かなかった。だが、ミケニ島に何か有るらしいという事は感じた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 俺は評議衆と重臣を集め、影舞から桾国軍とイングド国軍の戦の様子を聞いた。戦場はエナム地方の平野だったようだ。

「それで、どのような戦いだったのだ?」


 戦を直に見たハ組のハヤテは、懐から地図を取り出した。戦場の地図である。

「桾国軍とハン王軍は、西側から進み出ると、イングド国軍が陣を構えた高台より、二キロほど離れた地点で隊列を整え、突撃したのでございます」


 俺は聞き間違えたのかと思い、もう一度ハヤテに言わせた。ハヤテが同じ事を言うと、家臣たちがざわめく。

「なぜ隊列を整えて突撃させた? それでは鉄砲隊の餌食になるだけであろう」


「数の力で圧倒しようという作戦だったのでございます」

 桾国らしいと言えば、それまでである。だが、兵の命を軽視している事に嫌悪した。それは家臣たちも同じだったらしく、顔を歪めている者が多い。小姓として初めて参加したドウセツも口をへの字に曲げている。


「それで、イングー人たちはどうした?」

「火縄銃で撃退しようとしました。最初は近付く桾国兵とハン王の兵を、バタバタと倒していたのですが、最終的には数に圧倒され撤退しました」


「イングー人が負けたのか?」

「形式的には、そうでございます」

「形式的? どういう事だ?」


「死傷者の数でございます。桾国側の死傷者は一万を超えているでしょう。それに対して、イングド国側は二千ほどです」


 死傷者の数だけを比較すれば、桾国側の負けである。だが、実際に撤退したのがイングー人だとなると、イングド国の負けだ。


「一つ分からない事が有る。桾国軍は火縄銃を使わなかったのか?」

 ハヤテが渋い顔になる。

「使いました。桾国軍は逃げようとする味方を、背後から撃つために、火縄銃を使ったのです」


 それを聞いた家臣たちが騒ぎ始めた。

「トウゴウ、どう思う?」

「我々には承服できないやり方ですが、それも大陸の戦い方の一つなのでしょう。こういう事を考慮しておく必要がありますな」


 俺は頷いた。そして、宣言する。

「『一将功成りて万骨枯る』という言葉がある。一人の将軍が手柄を立てた陰に、おびただしい数の犠牲となった兵士の命がある、という意味だ。しかし、そのような勝利を、カイドウ家は望んではいない。カイドウ家が発展するのは、一人でも多くの領民が必要なのだ」


 俺はハヤテに目を向けた。

「その後、桾国軍はどう動いた?」

「生き残った兵を纏めると、エナムへ進軍しファソン湾の周囲からイングー人を叩き出したのです。イングド国軍は南へと撤退しました」


 イングー人は占領地を放棄しながら南下し、桾国軍はチュリ国の三分の二を取り返したという。そこで桾国軍の勢いが止まった。


 死傷者が多くなり過ぎて、同じ手を使えなくなったのだ。

「桾国軍の兵が、哀れでございます」

 新しく重臣の一人となったナイトウが声を上げた。


 そう言えば、何か忘れているような気がする。ホシカゲが俺の表情に気付いて声を上げた。

「ハヤテ、ハン王についても報告するのだ」

 そうだ、戦でハン王とその軍がどうなったか、聞いていない。


「ハッ、ハン王軍は最初の戦で半分以上が討ち死にし、ハン王は負傷したと言って、ポプチェに戻ってしまいました」


 ハン王は予想以上に役立たずだったようだ。

「御屋形様、チュリ国はどうなるのでしょう?」

 イサカ城代が尋ねた。


「そうだな。この先も桾国軍とイングド国軍の戦場になるかもしれんな。カイドウ家はチュリ国に手を出さない方がいいようだ。……だが、惜しいな」


「御屋形様、チュリ国には何かあるのでございますか?」

 ホシカゲが確認した。

「チュリ国の近海で、パダパと呼ばれるかにが獲れる。世界で一番美味しいと言われているものだ」


 家臣たちが呆れたという顔をする。

「それを食べたかったのでござるか?」

「桾国の耀紀帝にも献上される蟹だそうだ。一度は食べてみたいだろう」


 頷いたのはクガヌマとマサシゲだけだった。蟹の本当の旨さを知らない者が多すぎる。まあ、冗談はこれくらいにして。


「蟹はともかく、チュリ国には、良質の銀鉱山がある。できれば、その銀も輸入したかったが、この状況では無理だろう」


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