第106話 キリュウ郡のシキナ家

 キリュウ郡のユウキ家からカイドウ家に割譲された三つの郷の一つであるヤサカ郷にシキナ・コレアキという武人が居た。


 シキナ家はユウキ家で重用されていた家だったのだが、コレアキが何度もオキタ家と戦う主君を諌めた事から、当主サダヨリから疎まれヤサカ郷の代官に飛ばされた。


 コレアキがサダヨリを諌めたのは、オキタ家に戦いを挑むより台頭してきたスザク家を警戒するべきだと考えたからだったのだが、サダヨリは聞く耳を持たなかった。


 ヤサカ郷がカイドウ家へ割譲される事になった時、サダヨリから当主の居城があるミドウに戻るようにという命令は出なかった。シキナ家は見捨てられたのだ。


 多少の蓄えがあるのですぐに生活に困るという事はなかったが、シキナはこの先どうするか悩んだ。そんな時、カイドウ家の評議衆の一人であるクガヌマから呼び出しを受けた。


 クガヌマはヤサカ郷の中央にあったマイサカ城跡に陣屋を建てて仕事場にしている。シキナは陣屋に行ってクガヌマと面談した。


「シキナ殿、突然呼び出して済まなかった」

「いえ、暇にしておりましたので、何の問題もございません」


 クガヌマが頷いた。

「シキナ殿は、ミドウに戻らぬのでござるか?」

「どうやら、日限督様に嫌われたようでございます」

「勿体ない。シキナ殿は見識もあり、戦においても数々の武功を上げたと聞いておりますぞ」


 シキナは暗い表情となって首を振った。

「その武功も小さすぎたのでしょう。日限督様の記憶には、残らなかったようでございます」

「シキナ家は、ユウキ家と主従関係が切れたと考えて良いのでござるか?」


 シキナはサダヨリに対して指示を請う手紙を出している。だが、サダヨリからは返事がなく、同僚だった者に確認してくれと頼んだら、『好きにしろ』という言葉が返ったらしい。


 サダヨリとしては領地を半分に減らされて、それどころではなかったのかもしれないが、シキナはユウキ家との主従関係は切れたと感じた。


「そう考えております」

「俸給ももらっていないのでござるな?」

「もらっておりません」

「ならば、カイドウ家に仕官せぬか?」


「私がでございますか?」

「そうだ。カイドウ家では人材不足で困っておるのだ。シキナ殿は武将としての力量も、内政家としての実力も有ると聞いた。まずは内政家として、カイドウ家に仕えて欲しい」


 シキナは承知した。ユウキ家から見捨てられたのだから、生きていくためには仕方ないと判断したのだ。その日からシキナはカイドウ家の家臣となった。


 陣屋で働き始めたシキナは、ユウキ家に仕えていた武人がかなり居る事に気付いた。どうやらユウキ家は家臣の整理をしたようだ。領地が半分に減り、大勢の家臣を抱えていられなくなったのだ。


「シキナ殿もカイドウ家に来られたのですな。良かった」

 顔見知りのトザワ・トシマサが話し掛けてきた。トザワ家は普請奉行も務めた事もある家なのだが、ユウキ家から放り出されたらしい。


「ユウキ家から、どれほどの人数がカイドウ家に移ったのでござる?」

「そうですな。百は超えていると思いますぞ。カイドウ軍に組み入れられた雑兵ぞうひょうも含めますと、千を超えているかもしれません」


 驚くべき早さでカイドウ軍は拡大しているようだ。

「ヤサカ郷の民は、カイドウ家の支配地になった事を、どう思っているのでござろう?」

「初めは反発する者も居たようですが、今では歓迎しているようです」


 シキナは最近まで屋敷に引き籠もっていたので、民の評判はあまり聞いていなかった。トザワの話によると、カイドウ家は防御陣地の構築と道普請に信じられないほどの巨額を投資したらしい。御蔭でヤサカ郷は潤い、商売も盛んになってきたという。


 シキナはトザワが筆ではなく見たこともない筆記具で、紙に細かい字を書いているのに気付いた。

「その筆記具は何です?」

「ああ、付けペンと呼ばれているものです。細かな字を書くのに便利なので使っています。シキナ殿も付けペン二本とインク瓶を買われる事ですな」


 カイドウ家が開発した筆記具のようだ。筆では細かい字を書くのは難しいので、必要なものらしい。仕事で使う分は支給されるという。


「シキナ殿には、支度金が出るだろうから、それで買う事をお勧めしますぞ。家でも使って慣れる必要があるのです。ちなみに、支度金は新しい貨幣で出されますぞ」

「ああ、カイドウ家が発行している貨幣ですな。噂は聞いています。ヤサカ郷でも使えるのですか?」


「商人たちは、新しい貨幣を歓迎しております。冥華銭や究宝銀でないとダメだというところは、少ないと思いますぞ」


 トザワが言った通り、支度金が支給された。紙袋に入ったものを渡されたシキナは取り出した。作られたばかりの貨幣は眩しく感じるほど輝いている。


「これが新しい貨幣か。銅貨と銀貨だな」

 新しい貨幣は少し凝った図柄になっており、立派なものだった。それと冥華銭や究宝銀を比べると、商人たちが新しい貨幣を歓迎する気持ちが分かる。


 陣屋には購買所というのが有り、そこに付けペンとインク壺が売っているというので、買いに行った。

 二十畳ほどの小さな店だ。売っているものは日用雑貨と食料が多い。全部の商品に値札が付いているので、値段を見てみる。


「安いな」

 店主らしい中年の女性が頷いてから話し掛けてきた。

「そうでございましょう。ここはできるだけ安く定価で売っているところなのですよ」


「定価という事は、値引きの交渉はしないという事かな?」

「そうでございます。その代わり、見て分かる通り安くしています」

「これだと、あまり儲からぬのではないか?」


 店主が笑う。

「ここは儲けるためにあるのではなく。ここで働く人たちのためにあるのです。街まで買いに行くのは大変でごいますから」


 店主に付けペンとインク壺が欲しいと言うと並べられている場所を教えてくれた。購入して仕事場に戻ると、トザワが声を掛けた。


「シキナ殿、少し手伝ってくれぬか?」

「何をですか?」

「新しい銃が搬入されたので、数えて確認せねばならんのだ」


 シキナはトザワと一緒に、倉庫へ行った。頑丈そうな倉庫の前に何人か集まっている。新しい銃というのは、単発銃と呼ばれるものだった。


 カラサワ軍との戦いで活躍したと聞いている。火皿や火縄がなく、大きな銃床が有るのが特徴のようだ。クガヌマが帳面を持って確認している。


「クガヌマ様、これが単発銃でございますか?」

「そうだ。雨でも撃てる優れものでござるぞ」

 クガヌマが自慢そうに言う。

「どうやって火薬に火を点けるのか、分かりませんな」


 クガヌマが笑って、単発銃を手に持ち銃弾を装填して見せた。

「ほほう、銃が折り曲がるのでございますか」

「そうだ。この銃弾の底には強く叩くと火が点く特殊な火薬が入っているのでござる」


「なるほど、その特殊な火薬を作れるのは、カイドウ家だけなのですな」

「よく分かっている。だから、列強国であろうと簡単には真似できぬのだ」

「素晴らしい発明でございますな。カイドウ家の鉄砲鍛冶が創り上げたのですか?」


 クガヌマが返事するのを少しためらった。

「まあ、カイドウ家で鉄砲に一番詳しい者が創ったのだ」

 シキナは単発銃さえ有れば、スザク家など鎧袖一触で蹴散らせるだろうと考えた。


「これさえ有れば、カイドウ家は安泰でございますな?」

「いや、そうとばかりは言っておれん。イングー人が、海の向こうのチュリ国を狙っている。その国を従えた後に、チュリ人を使って周辺国に戦いを挑もうと考えているようなのだ」


「しかし、海の向うなら……」

「いや、イングド国とカイドウ家は戦っている。因縁のある国だからな。安心してはおれんのでござる」


 シキナにとって、チュリ国など海の向こうの遠い国なのだが、カイドウ家にとっては違うらしい。どうやら、カイドウ家の者は、見ている視点が違うのだと気付いた。


 ユウキ家の家臣だった頃はナヨロ地方とホタカ郡だけを考えていれば良かったが、カイドウ家はミケニ島全体と遠い異国の事も考えて働かなければならないようだ。


 太守家は違うと感じた。カイドウ家で働くのなら、もっと勉強せねばならない。

「それらの大きな動きを学ぶには、どうしたらいいのでしょう?」

「御屋形様が、世相誌というものを出すと言っておられた。それを読むといい」


 世相誌は、十日に一度出されるかわら版のようなものとして発売される事になっていた。世の中の動きや新しい事を記事にして印刷するのだという。

 印刷方法は謄写版とかガリ版と呼ばれていて、それ自体が新しいものだという。


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