第107話 チュリ国のイングー人

 大陸の東には大国である桾国がある。その桾国の西隣に半島国家であるチュリ国があった。ハン王と貴族が支配する人口三百万人ほどの国だ。


 チュリ国の首都は領土の中央にあるチョンサン平野にある。その首都クニャンにサリタン王宮があり、ハン王が住んでいる。


 その日、不機嫌な声でハン王が臣下のパク・イソクを呼んだ。パク・イソクは軍を取り仕切る軍長官である。

「イングー人どもの動きはどうなっておる?」

「ファソン湾に上陸したイングー人は、周辺の地域を占領しながら、北上しております」


 それを聞いたハン王が額に青筋を立てた。

「軍は何をしておる。イングー人を追い払え!」

 パク軍長官は深々と頭を下げた。


「軍においては、ミン将軍率いる一万の兵を出して、駆逐しようとしたのでございますが……イングー人どもの火縄銃により、残念ながら敗退いたしました」


「なぜ負けた? ファソン湾に上陸したイングー人は四千程度と聞いたぞ。それに対してミン将軍は一万の兵を率いていたのであろう」


 パク軍長官は一瞬言葉に詰まった。

「……それは、火縄銃の数です。イングー人の全員が火縄銃を装備していたからでございます」


 チュリ国軍は、圧倒的多数の火縄銃により打ち負かされたのである。但し、これにはチュリ国軍側にも問題があった。チュリ国の兵は、ほとんど訓練をしていなかったのだ。


 軍幹部が視察に来た時だけ、面倒だなという態度で訓練を始めるのだ。これはチュリ国人が置かれている国際環境にも原因があった。チュリ国は長い間桾国の属国として存在したので、桾国に警戒される事を嫌った。


 桾国はチュリ国人が強い軍隊を持つ事を嫌うので、軍事面に力を入れなかったのだ。こうして形だけの軍隊が出来上がったのである。


 パク軍長官としては、『なぜ負けたのか?』と尋ねられても困るというのが本心だった。歴代の王が、桾国に警戒されぬように、強い兵を育てる事を拒否していたのだから。


「どうすればいい?」

 ハン王の顔には恐怖が浮かんでいた。

「桾国に支援を求めるしかありません」

 王の顔が歪んだ。桾国に支援を頼むという事は、自分が桾国皇帝に頭を下げなければならない。


「余に桾国へ行けと言うのか?」

「桾国へ支援を請う時は、王自らが桾国の首都ハイシャンへ行き、嘆願するというのが決まりになっております」


「誰か代わりで良いのではないか?」

「それは先例に反します。耀紀帝が支援を渋るかもしれません、何卒お願いいたします」


 ハン王は、どうしても行きたくないと愚図ぐずり、外務長官であるカン・ヨングに向かって、代わりに桾国へ行けと命じた。カン外務長官は馬を乗り継いで桾国の首都へ行き、宮廷に居る耀紀帝に拝謁する。


 耀紀帝はハン王の代わりにカン外務長官が来た事をいぶかしく思い尋ねた。

「なぜ、ハン王自らが来ない?」

「ハン王殿下は、チュリ国軍が敗退した事で体調を崩され、ここへ来れなかったのでございます」


 ハン王は『陛下』とは呼ばれず『殿下』と呼ばれる。その呼び方でも分かるように、桾国にとってチュリ国は属国であり、ハン王は皇帝より一段下の存在なのである。


「体調を崩したと言うが、どれほど悪いのだ。死にそうなのか?」

「い、いえ、死ぬ事はないと思われますが、今は起き上がれないのでございます」


 それを聞いた耀紀帝は、不機嫌な顔をする。体調が悪いと言って顔を見せない臣下は、後ろ暗い行いをしている者が多かったからだ。


「孝賢、どう思う?」

 孝賢大将は耀紀帝の顔を見て、不機嫌なのが分かった。

「やはり、王自らが拝謁して嘆願しない限り、支援軍を出すべきではない、と思います」


 耀紀帝がゆっくりと頷いた。

「そうだな。皇帝自らが先例を破ってはまずかろう」

 桾国は、チュリ国に冷たい態度を取った。だが、チュリ国を見捨てると考えた訳ではない。こう言えば、ハン王が慌てて桾国へ来て嘆願するだろうと思ったのである。


 カン外務長官は肩を落として帰路に就いた。だが、不運な事にカン外務長官一行が、チュリ国に入ってすぐに野盗に襲われたのだ。


 カン外務長官はちょっとした怪我を負った程度で無事だったが、その怪我から何か悪い菌が入ったらしく五日ほど高熱を出して寝込んでしまった。ハン王ではなく、桾国へ行ったカン外務長官が本当に起きられなくなったのは、悲劇というか喜劇というか。


 遅れて耀紀帝の言葉がハン王へ伝えられた時、イングド国軍は首都クニャンの隣りにある郡に迫っていた。その報告を受けたハン王は、もう一度チュリ国軍を派兵する事にした。


 今度も一万の兵で、残りは首都を防衛するために残された。第二の派兵部隊も時間稼ぎにしかならなかった。

 イングド国軍が首都クニャンへ入ると、ハン王は家族と臣下を連れて首都を脱出。残された軍は、逃げた王を恨みながら戦い破れた。総指揮官である王が逃げたのだから、高い士気を保てるはずがなかったのだ。


 首都クニャンは少数のイングー人により占拠される事となった。

 チュリ国が二つに割れた。首都を逃げ出したハン王が南端の町カンゲに建てた臨時政府とイングー人が首都クニャンに建てたチュリ植民府である。


 臨時政府はチュリ国の二割、チュリ植民府は八割を支配する事になる。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 俺はホクト城で、チュリ国の顛末を聞いた。サコンとマサシゲも隣で聞いている。

「信じられんな。僅か四千足らずの兵が一国を征服してしまったのか」

「これは事実でございます」


 ホシカゲも納得できないという顔をしながら、配下から上がってきた報告を伝えた。征服と言っても大きな都市を制圧しただけなので、ほとんどのチュリ国人は今まで通りの生活を続けている。


 サコンが首を傾げた。

「イングー人は、どうやって領地を掌握するつもりなのでしょう?」

「チュリ国人の実力者を手懐けて、その連中にチュリ国人を支配させるのだろう」

「裏切り者ではないですか」


「外国に制圧された土地には、必ず裏切り者が出てくる。どこにでも自分の利益ばかりを考える人物は出てくるものだ」

「アマト州にも居るのでしょうか?」

「当然、居るだろう」


 マサシゲは目をキラキラさせている。ホシカゲの報告に興奮しているのだ。

「チュリ国人の兵は、あまりにも軟弱なのではないですか?」

「そうだな。だが、それだけ四千丁の火縄銃は脅威だという事でもある」


 ホクトでも単発銃を増産している。それでも総数は三千を少し超えたくらいだろう。

「イングー人は、兵の全てに火縄銃を装備させているようでございます」


「カイドウ家の兵も全員に銃を装備させるか」

 俺が言うと、サコンが驚いたような顔をした。カイドウ家には、三万九千人の兵が居るからだ。

「しかし、槍兵や弓兵をなくすのは……」


 俺はサコンに視線を向けた。

「戦において、槍兵や弓兵の働き場がなくなっている。そう感じぬか?」

 それは事実だった。追撃戦でしか槍兵の出番がなくなっている。弓兵は役目を鉄砲兵に奪われているので、元々数が少ない。


「そう言えば、御屋形様が騎馬兵を重視していないのは、なぜなのでございますか?」

「俺は騎馬兵より、鉄砲兵を選んだのだ。騎馬兵を育成するより、鉄砲兵を拡充する方が、効率的に戦力を高められると判断した」


 騎馬兵を運用するためには、兵站の事も考えねばならない。大量の飼葉などを敵地に運び込む必要が有るからだ。


「ですが、鉄砲兵には弱点があります。撃った直後に攻撃手段をなくすという点です」

 俺は頷いた。それは連発銃を開発すれば、解決しそうだ。だが、連発銃を開発するには時間が掛かる。今導入できる解決策は、銃剣だろう。


 銃剣を装着できる単発銃を開発するのは、それほど時間は掛からないはずだ。鉄砲鍛冶のトウキチと相談してみよう。


 相談したトウキチは、奇妙な依頼に面食らったようだ。

「そんな物を付ける必要が有るのでございますか?」

「弾が切れた時に、これが有れば最後まで戦える」


 トウキチが厳しい顔になって頷いた。

「武人とは厳しいものなのですね。弾が切れた後も、戦わねばならないのですか」

「当然だ。弾が切れたからといって、敵が見逃してくれる訳ではないからな」


 俺とトウキチは、どのような形にするか話し合う。元折式だと構造的に脆いので、ボルトアクションの装填方式に変更する事にした。


 トウキチは試行錯誤して銃剣付き単発銃を開発した。だが、トウキチから残念な報告を聞いた。ボルトアクション式だと構造が複雑になるので製作に手間が掛かるというのだ。


 今は数が欲しい時だ。俺は銃剣付き単発銃は、元折式単発銃の数が揃ってから、本格的に生産しようと考えた。

 イングド国の派遣軍には四千丁の火縄銃が有ると聞いた。できれば、五千丁の単発銃を配備しておきたい。

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