第4章 大国編

第105話 良貨は悪貨を駆逐する

 ミケニ島の北側で大きな勢力だったカラサワ家が消滅して、カイドウ家はクジョウ家と隣接する事になった。

 季節は秋から冬に移り寒くなった。ホクト城にある俺の仕事部屋で、小姓たちが鉄火鉢に薪を入れて火を点けようとしている。


 その横で、俺は地図を広げてクジョウ家とカイドウ家の支配地を比べていた。その姿を見て、小姓の一人が声を上げる。


「地図を広げて、何をしているのでございますか?」

 トウゴウの息子であり、新しい小姓であるマサシゲが質問した。もう一人の小姓であるサコンが、マサシゲを叱責しようとする。俺が考え事をしているのを、邪魔したからだ。


「よい。クジョウ家とカイドウ家の支配地を比べておったのだ。見てみろ、カイドウ家の方が広いだろう」

「はい、そうでございますね。あれっ、でも、石高はクジョウ家が上だと聞きましたが?」


「そうだ。石高はクジョウ家が上だ。石高はどれだけの穀物が収穫できるかを現した数字だ。カイドウ家の支配地には、穀物があまり収穫できない土地が多いのだ」


 カイドウ家の故郷であるミザフ郡もそうだが、山地に囲まれている土地が多い。これらの土地は農業には向かない。なので、何とか活用する方法を探さなければならない。


 薪に火が点いて部屋が暖まり始めた。サコンは鉄製の薬缶に水を汲んで来て、鉄火鉢の上に載せる。空気が乾燥しないようにするためだ。もちろん、お茶も淹れられるように用意されている。


「穀物は取れなくとも、ミザフ郡は茶畑にして、茶の加工と販売をしています。石高だけでは比較できないと思います」

 サコンが意見を言った。


「そうだな。そういう工夫を広げていかねばならん」

 マサシゲが首を傾げた。

「茶畑の他に何が有るのです?」

「山地酪農というものがある。山で牛を育てるのだ」


 マサシゲは牛を山で育てられるという事に驚いたようだ。牛の飼育には手間が掛かると聞いていたからだろう。人間が飼料を用意しなくても、山に自生している野シバや木の葉を食べて育つと聞いて感心している。


「まあ、冬は厳しいから、人間が飼料を用意しなければならないだろうが、十分に山で育てられるのだ」

 ミザフ郡では牛の飼育が盛んになっていて、牛乳の生産も増えている。御蔭でチーズの生産量も増えていた。チーズは列強諸国の交易船が高値で購入するのでカイドウ家でも奨励していた。


「御屋形様、クジョウ家との戦いが始まるのでございますか?」

 サコンが尋ねた。俺が地図を見ていたので、心配になったようだ。

「いや、ミザフ河で領地を分けたという状態が確定したので、何か切っ掛けがないと戦いは起こらないだろう。だが、一旦始まれば、ミケニ島の覇権を賭けた戦いとなる」


 クジョウ家とカイドウ家が戦い相手を呑み込めば、ミケニ島の北半分を所有する巨大な太守家が誕生する。南側には対抗できるだけの太守家がないので、ミケニ島を統一できるだろう。


「御屋形様」

 外でホシカゲの声がした。中に入るように言う。

「どうした?」


「商人の由良屋チョウベエがカムロカ州のクマニ湊に店を移しました」

 俺は渋い顔をした。チョウベエはミザフ郡から銀を購入して究宝銀を偽造していた。これまでは銀の含有率も同じにしたので、儲けはそれほどでもなかったようだ。


 そこでチョウベエは、銀の含有率を下げた究宝銀を作りたいと言い出した。俺は反対した。そんな事になったら、列強国人は究宝銀での取引をやめるか、究宝銀の価値を下げるだろうからだ。


「如何いたしますか?」

 ホシカゲの目が暗殺も可能だと言っている。だが、チョウベエを消すつもりはなかった。究宝銀の偽造はチョウベエでなくてもできる。


 クマニ湊で銀の含有率を下げた究宝銀を作るというなら、勝手にさせようと思っている。その代わり、カイドウ家では新しい貨幣を作ろうと考えていた。


 銅貨・銀貨・金貨の三種類である。銅貨と銀貨は現在使われている冥華銭と究宝銀と同じ銅や銀の含有率にしようと考えている。それなら列強国人も取引で使ってくれるのではないかと考えたのだ。


 銅貨は『淡寛銭たんかんせん』、銀貨は『姫佳銀ひかぎん』、金貨『王偉金おういきん』と名付けた。この中の王偉金は、列強諸国で広く使われているソバン金貨と同じ金の含有率にする予定である。


 アマト州では、淡寛銭と姫佳銀、王偉金の三種類を民が使うようにする事で経済活動を活発化させようと思っている。


 そして、一番大事な事は、偽造が難しい貨幣を作る事だ。冥華銭と究宝銀は、職人がハンマーで叩いて鍛造し製造していたようだ。なので、細かい細工をしようと思うと費用が掛かる。それで簡単な図柄になっている。


 俺は人力のプレス機を作って、複雑な図柄の貨幣を作ろうと思っていた。そのためには費用が掛かるだろうが、それは必要経費である。


 図柄は桜・椿・菊の花に決めた。表側が花で、裏が金額になっており『壱』『百』『千』の数字と模様を組み合わせた図柄にしようと考えている。


 取り敢えず、三種類を製造する予定である。将来的には、『十』『五十』『五百』の貨幣も造らないと使い辛いと思っている。


 問題は年間にどれほどの貨幣を造るかである。当座は冥華銭と究宝銀を交換するという形で、淡寛銭と姫佳銀は製造し、王偉金は姫佳銀の百分の一だけ製造する事にした。


 そして、アマト州の両替商に両替の対象に淡寛銭・姫佳銀・王偉金を加えるように命じる事にした。

 新しい三種の貨幣が発行され世の中に出回るようになると、最初は冥華銭や究宝銀に両替しようと考える者が多かった。


 だが、発行量が増え日常で使われるようになると、人々は新しい貨幣に慣れて、そのまま使うようになる。アムス人や桾国人との取引にも新しい貨幣が使われるようになった。

 最初は断られたが、銀や金の含有率が故郷の銀貨や金貨と同じだと分かると使う事が多くなったのだ。


 その後、チョウベエが銀の含有率が低い究宝銀を流通させたので究宝銀の信用が落ち、列強諸国は姫佳銀や王偉金で取引するのを望むようになった。


 カイドウ家はミケニ島で流通する貨幣の製造権を手に入れたのである。この事は天下統一の原動力ともなった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 クマニ湊の由良屋チョウベエは、深い溜息を吐いた。

「失敗でした」

 その呟きを聞いた番頭のショウキチが、

「究宝銀の件ですか?」


「そうだ。列強国の奴らが、あんなに早く銀の含有率が下がった、と気付くとは思ってもみませんでした」

「御蔭で、他の商人たちに避けられているような気がするのですが?」

「クジョウ家の大海守様がとがめるのではないか、と警戒しているのだ」


 チョウベエは製造した究宝銀を出入りの商人たちに提供した。だが、それが粗悪な究宝銀だと分かると、賠償金を支払う羽目になった。


「ああ、月城守様の言う事を聞いて、やめておけば良かった」

「今更言っても、遅うございます」

「ショウキチ、最近冷たくないか?」


「あの時、ホクトに残って、月城守様が発行された新貨幣の手伝いをしていれば、儲けられたのではないかと考えると悔しいです」


 一時期、新貨幣から冥華銭や究宝銀に両替する商売が儲かったらしい。ショウキチはその事を言っているのだ。


「仕方ない事を言うな。月城守様は一言も新貨幣を発行するなどと、言っておられなかったのだぞ」

「当たり前ですよ。粗悪な究宝銀を作りたいと持ち掛けた後じゃないですか」

「やはり、冷たくなったようだぞ。ショウキチ」


 この新しい貨幣は、カムロカ州でも流通するようになった。クジョウ家当主のツネオキは苦い顔をしたが、クジョウ家には、新しい貨幣を製造する技術がない。


 黙って新しい貨幣が広がるのを見ているしかなかった。

 ちなみにクジョウ家内部では、冥華銭や究宝銀しか使わないと通達を出したのだが、商人や庶民が使い始めており、クジョウ家だけが使わないと言えない状況になった。


 新しい貨幣はナヨロ地方にも広がる。スザク家もクジョウ家と同様に抵抗したのだが、現在使っている冥華銭と究宝銀がボロボロになってきており、商人が古い貨幣の扱いを嫌がるようになったのだ。


 『悪貨は良貨を駆逐する』という言葉があるが、今回の場合は良貨が悪貨を駆逐するという結果になったのである。


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