第103話 カラサワ家の崩壊

 俺はホクト城に戻っていた。目の前には地図が広げられており、カイドウ家の支配地となった郡に印が付けられていた。


「御屋形様、アラサワ郡・ユドノ郡・ヒメカミ郡には兵を出さないのですか?」

 小姓のサコンが地図を見て質問した。


「シオガマ郡の掌握が遅れている。それが終わった後だな」

 三虎将の一人ネズ・ナガツナの息子フジナオが守っていた城を落とすために、かなりの激戦が行われた。そのために住民が逃げ出し、シオガマ郡は混乱している。


「フジナオが、早く降伏してくれれば、召し抱える事ができたのに、残念だ」

 ネズ・フジナオは、最後まで城を守って討ち死にした。その報せを聞いたコウリキは、やり切れないという顔をしていた。フジナオが子供の頃から知っていたらしい。


 この戦いで本格的に使い始めた単発銃は大きな戦力となった。今までは鉄砲隊を二列や三列に分けて、交互に撃つという方法を取っていたのだが、それが必要なくなったからだ。


 単発銃の銃弾装填は数秒で終わる。その新しい銃の前で敵兵たちが次々に倒れた。カイドウ軍の鉄砲隊が以前とは違うと敵が悟った時には、勝負が決まった。


 ただ単発銃も良い事だけではなかった。その銃弾を製作するのに、手間が掛かり費用も増大した。戦は益々金の掛かるものとなったのである。


 部屋の外でハンゾウの声がした。サコンがドアを開け迎え入れる。

「御屋形様、ナヨロ地方でスザク家が動き始めました」

「やはり、動いたのか?」


 ナヨロ地方のキリュウ郡を支配下に置いた事で、カイドウ家はスザク家と対立するようになっていた。スザク家の当主モリツナは、カイドウ家とカラサワ家が戦を始めたと同時に、キリュウ郡を攻めると決めたようだ。


 この機会を逃せば、大きくなったカイドウ家により呑み込まれると思ったのだろう。予想していた事だったが、溜息が漏れそうだ。


 俺はクガヌマを呼んだ。

「キリュウ郡へ行って、スザク軍の攻撃から領地を守るのだ」

「守るだけなのでございますか?」


 不満そうに言うクガヌマに苦笑いする。

「増援兵は用意できない。現地に配備されている六千で戦ってもらう。このような状況なので、増援は難しい。守るだけでも大変なはずだ」


 スザク家の総兵力は一万を少し超えたほどである。自由に動かせる兵は八千ほどと推測されるので、スザク軍が優勢となる。しかも、西隣のトウノ郡にはクジョウ軍が常駐しているので、そちらの警戒にも兵を割かなければならない。


「必ずや、守り抜いてみせます」

「頼んだぞ。三ヶ月、守り通してくれれば、増援を送る」

 俺は三ヶ月で東アダタラ州を掌握し、ミザフ河に沿った防衛陣地の構築を始めるつもりだった。俺はクガヌマを送り出した。


 そして、シオガマ郡の混乱が収まりカイドウ軍が掌握した後、カイドウ軍をアラサワ郡に進ませた。この郡には桾国との交易を行っているミカト湊がある。


 ミカト湊を手に入れ、桾国との交易を拡大すれば莫大な利益がカイドウ家に入る。

 今でも桾国とは交易しているが、キャラベル型帆船を建造して桾国との交易に使っているので規模が小さい。カイドウ家の持ち船だけで運べる商品には限りが有るので、桾国船が入れる湊が欲しかったのだ。


 死んだタカツナも桾国との交易で儲けた利益で軍備を整えたほどなので、桾国との交易から上がる利益は大変な額になるだろうと期待している。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 そのミカト湊を守っているのは、カラサワ家の武将カケイ・ナガチカである。

 カケイ率いるカラサワ軍は、野戦に打って出た。それには理由があった。秋となった時期のアラサワ郡は雨の日が多いのだ。


 その日も雨がしとしとと降っており、火縄銃が使えない状況だった。

「カケイ様、ミカト湊で迎え討った方が良かったのではござらぬか?」

 配下のミウラ・ジュウロウが進言した。


「馬鹿を言うな。ミカト湊は決して守りやすい場所ではないのだぞ。そんなところに籠もって守るのは不利だ。それより打って出た方がいい」


「ですが、兵の士気が落ちております。ミカト湊なら逃げ出さない兵も野戦となると逃げ出すかもしれません」


「ふん、そんな兵は最初から当てにできぬ。それにカイドウ家を待つという事は、カイドウ家に戦を始める日を決めさせるという事だ。そうなれば、晴れた日を選び火縄銃を存分に使って攻めて来るぞ」


 カケイはカイドウ軍が新しい銃を使い始めたという噂を聞いていたが、それがどんな銃なのかは知らなかった。知っていたら、ミカト湊で迎え討とうとしたはずだ。


 カケイが率いるカラサワ軍は四千、トウゴウが率いるカイドウ軍も同じ四千だった。但し、カイドウ軍の鉄砲兵は五百ほどで、カラサワ軍より二倍ほど多い。


 雑草が生い茂る野原で両軍は遭遇した。その時も小雨が降っており、カラサワ軍の火縄銃は使えなかった。

「カイドウ軍の中に、使えない火縄銃を抱えている兵が、大勢居るではないか。これは勝てるぞ」


 鼻を膨らませたカケイが、鉄砲兵に代わって連れてきた弓兵に準備させた。雨の日の弓も使いづらいのだが、火縄銃ほどの障害はなかった。


 両軍が近付き弓の射程に入ろうとした時、カイドウ軍の鉄砲兵が一斉に銃を構えた。それを見たカケイが慌てる。

「馬鹿な。この雨で火縄銃が使えるのか?」


 その声を聞いたミウラは、ある事に気付いた。

「カケイ様、あの銃には火縄が付いていませんぞ」

「そんなはずはない」

 カケイが目を凝らして、カイドウ軍が構えている銃を見た。雨の中なので確認し辛いが、確かに火縄がない。


「どういう……」

 カケイが何か言おうとした時、鉄砲の射撃音が響いた。弾丸が弓兵に命中してバタバタと倒れる。その一撃で弓隊が崩壊した。


 だが、それは始まりに過ぎなかった。カイドウ軍の鉄砲兵は、素早く銃弾を装填して二撃目を放ったのだ。火縄銃ではあり得ない早さだった。


「い、いかん、突撃だ。突撃しろ!」

 カケイが命令すると、槍兵たちが突撃を開始する。ただ槍兵たちの顔が恐怖で歪んでいた。

 その槍兵に向かって単発銃の攻撃が襲う。恐ろしい勢いでカラサワ軍の兵が倒れていく。距離を半分ほど縮めた場所で、一人の槍兵が立ち止まり回れ右して逃げ出す。


 それを見た同じ槍兵も逃げ始めた。

「馬鹿者、何をしている。逃げるんじゃない!」

 戦場にカケイの怒声が響いた。だが、それに耳を貸す兵は居ない。


 トウゴウは槍兵に攻撃を命じた。逃げる敵兵を追うカイドウ軍は、ミカト湊へ到着した。カラサワ軍のカケイが言ったように、ミカト湊は守り難い場所だ。


 カイドウ軍が侵攻を開始すると、簡単に侵入を許してしまう。それは町への出入り口が多く、その全てを守る事は難しかったからだ。


 ミカト湊はカイドウ軍によって占拠され、アラサワ郡はカイドウ家が掌握した。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 アダタラ州のハシマでは、カラサワ家の当主ヨシモトが怒りと怯えが入り混じった表情を浮かべて部屋の中を歩き回っていた。


「御屋形様、クジョウ軍がノジリ川を越えました」

「何だと! ミノダはどうしたのだ?」

「まだ、ノジリ川まで到着されていないと思われます」


 三虎将のネズが討ち死にしたという報せが入った直後、ヨシモトは混乱し激怒した。攻めてきたクジョウ家への怒りと死んだネズへの怒りである。


 そして、ネズの死によって開いた穴をどうするか指示を出さないまま時間が過ぎ、ミノダに兵を率いて向かわせた時には、クジョウ軍はノジリ川近くまで迫っていた。


 カラサワ家が崩壊する秒読み段階に入ったのだ。そして、ミカト湊をカイドウ家に奪われたと報告を聞いた時、ヨシモトは頭を抱えた。


「そうだ。ホソカワが残っている」

 ヨシモトは三虎将の一人ホソカワを呼び出した。

「御屋形様、お呼びと聞きましたが?」


「そうだ。そちにカラサワ軍の全権を与える。クジョウ軍とカイドウ軍を退けよ」

 ホソカワが小さく溜息を吐いた。

「もはや、無理でございます」


「無理だと、なぜだ? 三虎将のお前が居るのだ。不可能ではあるまい」

「不可能です。ハシマに残っている兵がどれほどなのか、お忘れでございますか?」

「ミノダが、三千ほどを率いて行ったが、まだまだ残っているはずだ」


 ホソカワが静かに首を振った。

「残念ながら、残っている兵は四千ほどでございます」

「嘘を吐くな。カラサワ軍がそんなに少ないはずがない」

「逃げたのです。兵がカラサワ家を見捨てて逃げたのでございます」


 その言葉にヨシモトが絶望した。


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