第79話 交易区の商館長
「殿、アムス王国というのは、どのような国なのです?」
ソウリンが尋ねた。
「大陸の西の端にあるイングド国とフラニス国に挟まれた小さな国だ。だが、アムス王国は昔から海洋国家として、栄えており国力も大きい」
アムス王国は人口三百五十万人とミケニ島の全人口より少ないが、
俺が説明すると、ソウリンとサコンは目を輝かせていた。
「一度、行ってみたいです」
「それは俺も同じだ。だが、難しいだろう。風任せの帆船で一年以上も掛かると言われているからな」
それを聞いてソウリンは、顔をしかめた。
「一年は長過ぎます。もう少し短くならないのですか?」
「できなくもないが、それは何十年も先になるだろうな」
動力船を開発しようとすると、それくらいの開発期間が必要だ。動力船より高速帆船の開発をした方がいいかもしれない。
古代人はティークリッパーという高速帆船を建造したという。この船は紅茶を積んで遠距離を航海したという記録が残っている。風にもよるが、ミケニ島からアムス王国なら百日ほどで到達できる性能があるだろう。
「アムス人というのは、どんなものを食べるのでございますか?」
「そうだな……小麦粉と水、それに塩などを練ったものを焼いたパンや豚肉・鶏肉などの料理が多いと聞いた事がある」
パンにはイースト菌なども必要なのだが、イースト菌と言ってもソウリンたちには分からないだろうから省いた。
ちなみに貴族や商人はパンと肉類が多かったが、農民は雑穀のお
「アムス人は、米を食べないのですか?」
サコンが不思議そうな顔をして尋ねた。
「ああ、アムス王国には水田がない。農民は小麦やジャガイモ、ライ麦などを栽培している」
「へえ、不思議な人たちですね」
サコンには米を食べないという点が、一番変わっていると思えたようだ。
ホクト城はまだ完成していないが、ホクトには陣屋が建てられ俺たちの宿泊施設となっていた。視察から陣屋に戻ると、セブミ郡の郡奉行または郡代と呼ばれるソフエ・マゴロクが待っていた。
「殿、交易区の商館長であるエルヴィン・ファルハーレン殿が、殿にお会いしたいと言われているのですが、如何いたしますか?」
「いいだろう。俺が交易区へ行けば良いのか?」
「いいえ、警備の問題もありますので、ファルハーレン殿をここに呼ぼうと思っています」
「ならば、それなりにもてなす必要があるな」
マゴロクが渋い顔をする。
「どうした?」
「ファルハーレン殿は、我らの食事が気に入らないようなのです」
御飯と焼き魚、味噌汁、煮物、鶏肉の照り焼きを出したが、食べたのは鶏肉と焼き魚を少しだけだったらしい。
「やはり、アムス人は米よりパンがいいのかな」
「パンでございますか?」
マゴロクはパンを知っているようだ。交易区で作られているからだろう。
「それでは交易区から、パンを買ってきて出せばよろしいでしょうか?」
「ここで作ったパンが欲しいな。交易区からイースト菌を持ち出せないか?」
「イースト菌というのは?」
「アムス人たちが、パン種と呼んでいるものだ。そうだ、重曹でもいいな」
「重曹ならば、商人たちが売っておりました」
俺は材料を用意させて、陣屋の料理人たちを使って丸いパンを作らせてみた。中身が少し黄色になったパンが焼き上がる。料理人が味見をしてから、俺は一口食べた。
不味くはないが、白米より美味しいとは感じなかった。ソウリンとサコンがジッとパンを見ているので、試食させた。マゴロクにも食べさせてみる。
「交易区で食べたパンと同じです。作り方は簡単なのでございますね」
「そうだな。後は肉料理とスープか……よし、スープは鶏ガラ出汁に卵と細かく刻んだ野菜を入れたものにしよう。肉は豚肉の生姜焼きにする」
豚肉の生姜焼きは、俺が肉料理を増やそうと思い作らせたものだ。
「それだけでは、少し質素な感じではありませんか?」
マゴロクの意見を聞いて、エビの天ぷらと酢の物などの小鉢も追加する。
この一年で、俺が新しく作らせた料理の数は多い。個人的に食べたかったのが主な理由だが、それらの料理は世間に広まり庶民の食生活を豊かにした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
アムス人の商人であるエルヴィン・ファルハーレンは、二年だけ東の端にある島のカイドウ家が支配する土地で商館長をする事になった。
ファルハーレンは部下である通訳のマルセルに目を向けた。
「なぜ食事時に訪問する事になったのだ?」
「月城督様が、一緒に食事をしようと仰られたようです」
「ふん、この島の食事は、私の舌に合わないのだがな」
「そこは我慢してください」
ファルハーレンは多くの野菜を使ったものが多いミケニ島の料理が嫌いらしい。アムス人の貴族や商人は、あまり野菜を食べない。野菜は貧乏人の食べ物だと、考えられているからだ。
二人は陣屋に到着し、大陸風の部屋に案内された。テーブルと椅子がある。そこに座り待っていると若い武人とマゴロクが現れた。
ファルハーレンが挨拶をして、会食の準備が始まった。カイドウ家の使用人が料理を持ってきた。まず綺麗な皿にパンが載せられてきたので、マルセルが首を傾げた。
「このパンは、交易区で作られたものですか?」
マゴロクが首を振った。
「いえ、これはここで作られたパンです」
次にスープが運ばれてきたので、マルセルは驚いた。明らかにミケニ島の料理とは違ったからだ。
「どうぞ、召し上がってください」
マゴロクの言葉で食事が始まった。
肉料理やエビの天ぷらなどが運ばれると、ファルハーレンも料理が気に入った。
「今日の料理は変わっていますね。美味しかったです」
ファルハーレンは料理の感想を述べてから、この料理が若い当主の指示だとすると、交渉相手として侮れないと感じた。
「さて、ファルハーレン殿が、某に会いたいと言っていたそうだが、何か用件が有るのかな?」
ファルハーレンは若い当主に視線を向け切り出す。
「隣のアシタカ府では、イングド国が居留地を得て活動しています。我国も居留地が欲しいです」
「……居留地ですと、交易区では不十分という事ですか?」
「そうです」
「何のために、そのような広い土地が必要なのです?」
ファルハーレンは、その質問に言葉が詰まった。居留地が欲しいと言ったのは、イングド国が居留地を持っているのに、アムス王国が持っていないというのはイングド国に負けていると思ったからだ。
「……大大的に商売を始めるために、大きな土地が欲しいのです」
若い当主は考えるような仕草をした。
「ならば、アムス王国に同じ広さの居留地をカイドウ家にいただけますか。そうしたら考えましょう」
その言葉を聞いたファルハーレンは、唖然とした。そんな厚顔無恥な要求を聞こうとは思ってもみなかったからだ。
「な、何を言っておられるのです。カイドウ家の人々が、どうやってアムス王国まで行くのです?」
若い当主がニヤッと笑った。
「もうすぐキャラベル型帆船が完成する。行こうと思えば、行けるようになるでしょう」
ファルハーレンの額に汗が滲み出た。この若者は何か違う。島蛮と蔑んでいる原住民とは、違う考えを持っているようだ。
アシタカ府の居留地について、この若い支配者がどう思っているか気になる。それを尋ねた。
「モウリ家は馬鹿な決断をした。そんな決断をする家にアシタカ府を任せる事はできない。カイドウ家はモウリ家からアシタカ府を取り上げるだろう」
「そうなった場合、居留地はどうなるのです?」
「イングー人は居留地から出ていってもらう。それを拒否した場合、力尽くで追い出す事になるだろう」
「そんな事をすれば、カイドウ家と取引をしようと考える列強の商人は、居なくなりますぞ。硝石を手に入れられなくなる」
その若者がまたニヤリと笑う。
「そうなれば、別の方法で硝石を手に入れるだけだ」
「そんな事ができるのですか?」
「できる。我々は硝石を作り出す事に成功した」
マゴロクが若い当主に厳しい視線を向けた。
「殿、それは秘密事項ではなかったのですか?」
「カイドウ家が、列強から硝石を買わなくなれば、すぐに分かる事だ」
その情報にファルハーレンは戦慄した。
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