第76話 コスゲ部隊
コスゲが立てた作戦は簡単なものだ。夜間に居留地に忍び込み、イングー人の軍人が眠っている建物に火を点けて焼き討ちし、捕らえられている住民たちを助け出すというものだ。
夜中、コスゲ部隊がイングー人の居留地に忍び込み、兵舎の周りを取り囲んだ。
兵舎の周りには
コスゲは狩人の中で弓の上手い者十人に見張り兵を狙わせた。見張り兵一人に二人の狩人が狙いを付け矢を放った。
見張り兵の全員が矢を受け倒れた。コスゲ部隊の数人が走り出し、倒れている見張り兵にトドメを刺す。
「イングー人の兵が寝ている兵舎に火を」
コスゲが十数名の部下たちに命じた。
残りの兵はクロイシ郷の住民が閉じ込められている建物に向かう。
その建物には別の見張り兵が二人居た。但し、この二人は篝火の下で博打をしている。その二人に影が忍び寄り、忍刀が煌めいた。
カイドウ家の忍びが一撃で見張り兵を倒すのを、コスゲは見ていた。こちらの見張り兵は制服を着ていない。後で分かったが、商人の私兵だった。
「凄腕の忍びのようだな。カイドウ家は人材が豊富らしい」
ミナヅキが聞いたら、溜息を吐いて否定しただろう言葉を、コスゲが口にした。
コスゲは建物の中に入って、ハヤテからもらったカンテラに火を点けた。その光が奴隷として捕らえられた人々の姿を照らし出す。
二十代以下の若者が多い。その中には十歳にもなっていない子供も居て、コスゲは怒りを覚えた。
「起きろ、お前たち」
その声で起き上がったクロイシ郷の住民が、コスゲを見る。怯えている者も居るようだ。
「儂はクロイシ郷の元代官である。お前たちを助けに来た。逃げる用意をしろ」
用意と言っても、荷物が有る訳ではないので、そのまま逃げるだけだ。住民たちはコスゲの指示に従い、外に出ると西へと向かった。
その背後には、赤々と燃え上る兵舎がある。その兵舎の壁が内部から破壊された。そして、次々とイングー人の兵が飛び出してくる。
そこにギャレット少将とゴルボーン中尉が駆けつけて来た。
「これは、どういう事だ?」
「火事でございますな。誰か水を持って来い。火を消せ」
大騒ぎとなった。そして、見張り兵が死んでいるのが発見され、奴隷が逃げた事も発覚する。
「クソッ、島蛮の奴らの仕業だな」
「モウリ家の者でしょうか?」
「そうかもしれん。だが、領民を狩り集めて奴隷として売ろうとしていたのだ。表沙汰にはできん」
「しかし、このままでは、サムウェルから苦情が来ますぞ」
「仕方ない。兵士どもに奴隷たちを追わせろ」
月明かりの中、コスゲ部隊に先導された住民たちは、バサン郡のワキサカ郷に向かっていた。ワキサカ郷に逃げ込めば、助かると聞いた住民たちは必死で移動する。
「コスゲ殿、イングー人が追ってきたようです」
ハヤテがコスゲに知らせた。
「時間稼ぎに、足止めするしかないな」
コスゲは待ち伏せに適した場所を探し、そこに部下たちを潜ませた。その部下たちが持っている武器は、十字弓である。
カイドウ家から支給された武器を、コスゲの部下たちは使いこなせるようになっていた。背の高い雑草の陰に隠れていると、向こうから大勢の人間が走ってくる気配がしてきた。
十字弓がその気配に向かって構えられた。そして、イングー人の兵が近付いた時、コスゲが合図する。多数の矢が飛翔し、イングー人の身体に突き刺さる。
「ぎゃあああ」「ぐはっ」
大勢の悲鳴と呻き声が響き、背の高いイングー人たちが倒れた。居留地の兵は混乱し慌てて身を隠そうとする。そして、持ってきた火縄銃に弾を込め発射する者も現れる。
その流れ弾のような一発が、コスゲ部隊の一人に命中する。コスゲは十字弓に矢を番える命令を出し、もう一度一斉射撃を加えてから撤退した。
待ち伏せと撤退が何度か繰り返され、夜が明けた。その頃になって、捕まえられていた住民がワキサカ郷に逃げ込んだ。それに続いてコスゲたちがワキサカ郷に入る。
イングー人の兵が追ってきたが、カイドウ家の兵が府の境を守っているのを見て引き返した。
「コスゲ殿、お見事でございました」
ハヤテがコスゲの指揮を褒めると、コスゲが笑いカイドウ家から支給された武器が有ったからだと謙遜する。
「いえいえ、武器が有っても適切に使いこなさねば、結果は得られないものです」
「貴殿は、これからカイドウ郷へ戻られるのか?」
「いえ、我々には最後の仕上げが残っているのです」
それを聞いたコスゲは、最後の仕上げとは何か分からなかった。
ハヤテは数人の部下を連れて居留地に引き返した。ハヤテたちが狙っているのは、商人のサムウェルである。ミナヅキから奴隷狩りの元凶であるサムウェルだけは始末しろと命ぜられているのだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
奴隷が逃げたと連絡を受けたサムウェルは、ギャレット少将の部屋を訪ねた。
「少将様、どうなっておるのです?」
「原住民が助け出したようだ」
「何とかしてもらえませんか?」
「どうしろというのだ? 隣のフラネイ府に攻め込んで奴隷を取り返せとでも言うのか?」
「そ、そんな事は言っておりません。ただ……渡した金の価値に見合うだけの働きをして欲しい、と言っているのです」
少将は不機嫌な顔をする。奴隷狩りを許す代わりに金を受け取ったのだ。奴隷の管理を請け負ったつもりはないと言いたかったのである。
その事を言うと、今度はサムウェルがムッとした顔をする。
「ここは安全だからと思い、奴隷たちを預けたのですぞ」
「イングド国海軍は、奴隷を管理する組織ではない。間違うな」
そう言われて、サムウェルは反論できなかった。
「それで、奴隷たちがカイドウ家の支配地に逃げたのは確かなのですな?」
「バサン郡のワキサカ郷だ。直接はワキサカという豪族が支配しているが、実際はカイドウ家の支配地になる」
「カイドウ家に文句を言い、奴隷を返してもらう事はできぬのですか?」
「無理だろう。奴隷を領地に入れたという事は、事情を聞いて同情したのだ。我々に対して、いい印象を持っているとは思えん」
サムウェルが悔しそうな顔をする。そして、また狩り集めるしかないのか、と思った。少将の部屋を辞去したサムウェルは、自分の船に戻った。
小さな港に停泊しているサムウェルの船は、三本マストのキャラック型帆船という貨物船である。その船室に戻ったサムウェルは、非常に不機嫌な様子で袋の中の銀貨を数えていた。
その銀貨は究宝銀と呼ばれているもので、ミケニ島の住民が使っている銀貨だった。イングド国で使われているトルル銀貨やフラニス国のサン銀貨と同じ価値があると評価されている。
「チッ、硝石の密売で儲けは確保しているが、奴隷をどうするかが問題だ。また集めても逃げられれば、損になるだけだからな」
サムウェルは少将から聞き出した情報を基に考え、カイドウ家が関与しているのではないか、と推測した。
「後々、カイドウ家は邪魔になりそうだ。今のうちに始末すべきか?」
そんな事を考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「誰だ?」
サムウェルはドアまで行き、ノブを掴んで開ける。
ドアの外には、現地人らしい男が立っていた。
「お前は誰だ?」
「ミケニ島に奴隷商人は不要だ」
サムウェルの腕が捉えられ関節技を決められた。首に腕が絡み付き絞め落とされる。気を失ったサムウェルを横たえたハヤテは、耳の後ろを小さな針で刺した。
針で刺されたサムウェルは苦しそうに藻掻き始め死んだ。ハヤテが使ったのは、毒針だったのだ。
商人の死を確認したハヤテは、帳簿を探し出し回収して船から抜け出した。
帳簿はカイドウ家の当主から頼まれたものだ。
サムウェルの死は、ギャレット少将にも知らされた。
「何だと、サムウェルが死んだというのか?」
サムウェルの部下だった男が頷いた。
「旦那様は、自分の部屋で倒れていたのです」
「殺されたのか?」
「いえ、目立った傷はなく、部屋を荒らされた形跡もなかったので、病気だったのではないかと……」
少将はそんなはずはないと思った。あれだけ元気だった男が、急に死ぬなど考えられない。モウリ家を疑ったが、それだけの気概があれば居留地など与えるはずもない。
「カイドウ家が動いたのか? もしかすると、カイドウ家とは、想像以上に怖い存在なのかもしれん」
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