第77話 カイドウ家の跡継ぎ
ワキサカ郷に逃げ込んだクロイシ郷の住民は、ワキサカ郷からムサシ郷へと移動する事になった。
「コスゲ様、おらたちはクロイシ郷へ戻れないんですか?」
「クロイシ郷には、イングー人が、また来るかもしれん。そんなところへ戻りたいのか?」
それを聞いたトウベエが暗い顔になって顔を伏せた。トウベエばかりでなく、その言葉が聞こえた住民の全員が暗い顔をしている。
「お前たちが故郷に戻りたいと思うのは、当然だ。だが、今は我慢しろ」
「ですが、父ちゃんや母ちゃんが……」
「家族には無事なことを知らせてある。落ち着いたら、クロイシ郷へ戻る事もできるし、これから向かうムサシ郷に家族を呼び寄せる事もできるだろう」
「そのムサシ郷というのは、どんなところなのです?」
「それは……ハヤテ殿」
ムサシ郷について、よく知らないコスゲはハヤテを呼んだ。ハヤテはサムウェルを始末してから、コスゲたちと合流したのだ。
「ムサシ郷でございますか。そうですな。ムサシ郷は小山が多い土地です。ですが、その前面に広がる海は、遠浅であり、その遠浅の海を山を削って埋めれば、広大な土地が生まれると、殿は考えておられます」
「はあ、山を削って海を埋め立てるのでございますか?」
「そうです。そのためには大勢の人間が必要であり、皆さんが行けば、歓迎されるでしょう」
トウベエは恐る恐るハヤテに尋ねた。
「その仕事はキツイのでしょうね?」
「キツイ仕事だと聞いている。だが、畑仕事と大して変わらぬそうだ。食事も毎日三度も出るし、温かい家と衣服も支給される」
「畑仕事と変わらないのか……それなら大丈夫だな。でも、給金が出ないのでは、家族を呼び寄せる事はできないのですが」
「心配ない。最初の一ヶ月だけは給金なしだが、次の月からはちゃんと給金が出る」
トウベエは給金の金額を聞いて安心した。
「でも、何で一ヶ月分は出ないのですか?」
「ムサシ郷で働く者が増えると、生活に必要なものを揃えねばならん。一ヶ月分はそれらの代金として差し引かれるのだ」
トウベエは納得したようだ。アシタカ府では、賦役として無給で働かせる事がある。それに比べれば、良心的だと思ったのだろう。
コスゲが住民の中に子供が居るのを思い出し、子供はどうするのか尋ねた。
「子供は、午前中に習い事をさせて、午後から簡単な仕事をさせます」
「習い事というのは?」
「読み書きと簡単な計算、それに一般常識ですな。農民の中には自分が住んでいる領地がどれほどの大きさなのかも知らない者が居りますから」
「それは素晴らしい。カイドウ家は領民を大切にしておるのですな」
「カイドウ家は人手不足なのです。ですから、人を育てるという事に熱心なのですよ」
コスゲは、カイドウ家が急に大きくなった家だという事を思い出し頷いた。
「なるほど、午後からの仕事というのは、どんなものなのでござる?」
「水汲みや台所の手伝い、魚の加工などです」
「魚の加工というのは?」
「漁師が獲った魚を、干物にしたり、塩漬けにする作業です。寒い時期には辛い仕事ですが、これくらいは我慢してもらわねば……その代わりに美味しいものが、たらふく食べられます」
コスゲたちがムサシ郷へ到着した。
そこで行われている埋め立て作業は、想像以上に大きなものだった。
「もう埋め立てが、終わっている区画も有るのでござるな」
「ええ、家臣たちが屋敷を建てる区画になります。カイドウ家は本拠地を、ここに移すつもりなのです」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
冬が始まった頃、フタバが出産した。可愛い男の子である。その知らせがフラネイ府全域に広まると、お祭りのような騒ぎとなった。
そして、ホタカ郡からはフタバの母親であるキキョウが、カイドウ郷へ駆け付けた。
キキョウはミモリ城の奥御殿に入ると、フタバの下へ行く。
「フタバ、おめでとう」
「母上、ありがとうございます」
キキョウはフタバの横で眠っている赤ん坊を見た。
「可愛い男の子ですね。この子がカイドウ家の跡取りとなるのですか。名前は決まったの?」
「はい、フミヅキです」
「そうだったわね。カイドウ家は男子に月の名前を付けるのでした」
キキョウはフミヅキに顔を近付け見詰める。
「鼻や口は、あなたに似たようですね」
「はい。でも、目はミナヅキ様に似たようです」
「月城督様は、喜んでおられましたか?」
「ええ、大変喜ばれて、生まれた日には家臣たちを集めて、祝い酒を振る舞われていました」
キキョウが笑顔になって頷いた。
「ホホホ……フタバが生まれた時、殿も同じ事をされていました」
「そうなのですか。知りませんでした。へえ、父上が……」
「殿も孫の顔を見たいと、言っておられたのですが、忙しくて来られませんでした」
フタバが不安な顔をする。
「また、戦でも起きそうなのですか?」
キキョウが笑った。
「違いますよ。カイドウ家のせいで忙しいのです」
フタバが首を傾げた。
「カイドウ家の? 何の事でしょう?」
「カイドウ家は、関所を廃止しています。そのため商人たちが集まるようになりました。ホタカ郡でも真似する事にしたのです。御蔭で、殿は忙しい日々が続いています」
「ですが、台所が苦しいと言っておられたのに……そんな事をして、大丈夫なのでございますか?」
「ランプと蚊取り線香が、大きな収入になったようです。そして、フラネイ府経由で入ってくる大陸の商品が、評判になっているのです」
「それは、ミナヅキ様から聞きました。セブミ郡の湊で取引しているアムス人の船が増えているそうです。そこで買った商品をアガ郡・コベラ郡・ミザフ郡・ヒルガ郡へと運び、そこからタビール湖を使って、湖の周辺地方で販売する販売網を構築していると言っておられました」
カイドウ家は、紅茶や芋焼酎、ワイン、ハム、絹糸などを、アムス人の商人に売っている。その中で紅茶が非常に人気なようだ。
カイドウ家では紅茶の生産を増やそうとしていた。茶畑を増やし茶の加工工場を増やしているのだ。紅茶の取引から上がる利益は膨大なもので、利益の半分が紅茶の取引から得られるようになっていた。
だが、カイドウ家では紅茶だけに全力を注ぎ込もうとはしていなかった。芋焼酎やワイン、それにガラス工芸品にも力を注いでいた。
紅茶のライバルが増えて、値崩れを起こす場合を考えているのだ。
「カイドウ家は変わったわね。カイドウ家がオキタ家より、小さかった時があったなんて、嘘のようだわ」
母親の言葉を聞いたフタバは、クスクスと笑った。
「カイドウ家は、そんなに変わってはいませんよ。ミナヅキ様と評議衆が居て、チカゲやソウリン、サコンが居て、皆でワイワイと騒ぎながら、過ごしているのです」
「フタバは、ミモリ城で暮らしているから、分からないのですよ。カイドウ家は大きくなりました。もしかすると、クジョウ家と同じくらい、大きくなるかもしれませんよ」
「まさか、クジョウ家といえば、百万石の太守ですよ」
「でも、少し前のカイドウ家は、十万石でした。それが今では、三十八万石です。カイドウ家は、他の大名から恐れられる存在になったのですよ」
フタバは納得できないという顔をする。
「恐れられるなんて、ミナヅキ様はお優しい方です」
キキョウは笑みを浮かべた。
「フタバには、優しい主人なのでしょうね。でも、忘れないようにしなさい。カイドウ家は大きくなり、オキタ家も逆らえない存在になったのです」
フタバは神妙な顔になり頷いた。そして、寝ている我が子の顔を見る。
「その大きくなったカイドウ家を継ぐのが、この子なのですね」
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