第36話 カラサワ家のマサナガ

 コベラ郡のキラ軍と天駆教徒の信者兵の戦いが始まった。

 兵力としては天駆教徒が多かったが、寄せ集めの兵である事が弱点となってずるずると後退する。だが、信者兵の中にも元兵士だったという者も居て、それらの戦慣れした信者兵の活躍で互角の状態まで戦況が戻った。


 それからは兵力の差がじわじわと影響していく。

 キラ家はカラサワ家に援軍を頼んだようであるが、カラサワ家は冷徹だった。天駆教徒とキラ軍が戦った後、天駆教徒の信者兵が数を減らした時に戦いを挑もうと考えたようだ。


 分散配置した兵を移動せずに天駆教徒を撃滅する事にしたのである。キラ軍は後退し、キラ家の居城であるイワキ城に籠城した。


 天駆教徒は、コベラ郡の各地に侵入し荒らし回った。領民の食糧や金品を奪い、改宗を拒んだ人々を殺したのだ。


 その様子を探り出した影舞が、俺に報告した。

「同じ人間同士なのに、なぜこんなに残虐な事ができるんだ?」

 それを聞いたトウゴウが、

「宗教は人を救う事もあれば、人を狂わせる事もあるのでございます」


「トウゴウ、鉄砲隊四百・槍兵五百を率いてコベラ郡との郡境に向かってくれ。天駆教徒たちがミザフ郡に入ろうとしたならば、撃退するのだ」

「畏まりました」


 俺は天駆教を否定している訳ではない。だが、異教徒を無理やり改宗させ、それを拒んだ者を惨殺する天駆教徒たちのやり方を、許容できなかった。


 トウゴウは九百の兵を率いて郡境に向かった。郡境に到着したカイドウ軍は、街道沿いなどに展開し侵入しようとした天駆教徒たちを、火縄銃の銃撃で撃退する。


 侵入しようとした信者兵の数は数十名にすぎなかった。だが、天駆教徒たちはカイドウ家が、自分たちを否定する者だと認識したようだ。


 イワキ城に籠城したキラ家のカネオキから援軍を出してくれという要請があった。だが、郡境は天駆教徒たちが占拠しており、援軍に行くには信者兵を排除しなければならない。


 俺は自分で郡境へ出向いて状況を確認した。コベラ郡の関所がある場所から向こうに、大勢の信者兵が集まっていた。それも半端な数ではない。


「トウゴウ、あの軍勢を破って、イワキ城へ助けに行けると思うか?」

「できなくはないと思いますが、その時は千五百ほどの兵が必要になるでしょう」


 俺がためらっている間に、イワキ城が落城した。即座にカイドウ軍が動いても間に合わないタイミングだったので、最後の最後になるまでカイドウ家を頼ろうとはしなかったようだ。


 イワキ城のキラ家は皆殺しになったらしい。キラ家のカネオキは、死にぎわに『キラ家が滅んでも、コベラ郡はお前たちのものにはならん。必ずや月城督殿がお前たちを滅ぼし、私の跡を継ぐだろう』と呪いのような言葉を残したらしい。


 俺は盛大に溜息を吐いた。

「余計な事を……天駆教への呪いではなく、カイドウ家に対する呪いじゃないだろうな」

 その言葉を聞いたトウゴウが苦笑いする。


「殿、それだけ信頼されていたという事ではないですか」

「いや、信頼するならカラサワ家だろう。わざわざ俺の名前を出したのは、腑に落ちない。これだと天駆教徒の敵意がカイドウ家に向いてしまう」


「そう言われれば……もしかして、ねたまれていたのでしょうか?」

「妬まれる? こんなに苦労している俺をか」

「世間は、殿を『戦の申し子』『内政の麒麟児』と呼んでおるのです。妬む方が居ても不思議では、ありません」


「だが、ハシマ城で少し話をしたが、気さくな感じの方だった」

「本心を隠しておられたのでしょう」

「ふーん、まあいい。折角コベラ郡を継いで欲しいと言い残してくれたんだ。ありがたくもらう事にしよう」


「天駆教徒はどういたしましょう?」

「好機を待って、信者兵は殲滅する。残しておいて良い事はない」

「コベラ郡に居る信者兵以外の者はどういたしますか?」


「改宗して、カイドウ家の下で大人しく暮らすなら、コベラ郡の片隅で暮らすのを許そう。だが、改宗を拒むなら、カイドウ家の支配地から追放だ」


 トウゴウがニヤリと笑う。

「殿、段々と大名らしくなっておりますな。大名はそれくらいの覇気がなければなりません」


「ああ、天駆教徒はやりすぎた。カラサワ家の一門であるワカミヤ殿が天駆教徒狩りをしていたというのは、気の毒だと思う。だが、ワカミヤ殿は捕虜にして、その領民だけを殺すというのは納得できん」


 ワカミヤは人質として生かしているのだろう。

「殿、カラサワ家が動きました」

 不意に現れたホシカゲが、報告をした。

「何、キラ家が滅んでから動いたと言うのか?」


「たぶんキラ家が籠城していたイワキ城を攻めるために、信者兵のほとんどがコベラ郡に移動している時を狙って、兵力を動かしたのでしょう」


「初めからキラ家を助ける気がなかったという事か。毎年年賀の挨拶を受けていたはずなのに、無情な太守様だ」

 一緒に報告を聞いていたトウゴウが口を挟んだ。

「太守様とは、そんなものです」


 俺の頭に疑問が浮かんだ。

「大名と太守の違いは、支配下に一つの郡しかないか、複数の郡があるかの違いなのだろ。カイドウ家がコベラ郡を支配下に置いたら、太守と呼ばれるようになるのか?」


 トウゴウとホシカゲが顔を見合わせた。ホシカゲが首を振る。

「いえ、太守とは呼ばれません」

「何が違う?」


「太守と呼ばれるには、五〇万石以上の領地と、三人以上の大名か郡監を従える必要があります」

 郡監というのは、郡全体を管理する代官のような責任者である。


「そうすると、俺が太守と呼ばれるようになるのは無理かな」

「それは分かりませんぞ。今回の天駆教徒ように、何が起きるか分からないのが、世の中でございます」


 トウゴウの言う通りだな。ワカミヤの馬鹿な行動が、今回の騒ぎの発端となったのだ。この先、何が起きるか、予想がつかない。


「ホシカゲ、カラサワ軍の兵力は?」

「兵力は五千、大将は一門のカラサワ・マサナガ様でございます」


 マサナガは太守ヨシモトの従兄弟であり、実績のある武将だった。

「実力のある武将だと評価されているのですが、実は配下のソフエ・マゴロクが補佐しているから、そう評価されているだけなのです」


「ほう、そのソフエというのは、どんな人物なのだ?」

「二十代後半の武将で、カラサワ家に攻め滅ぼされたナセ郡の大名ソフエ・チカマサの孫になります」


「ほう、滅ぼされた家の子孫が、滅ぼしたカラサワ家に仕えているのか。乱世では珍しい事ではないが、ソフエ殿は複雑な気持ちで仕えているのだろうな」


 俺は意地の悪い笑いを浮かべた。

「マサナガ殿の実力が知りたい。ソフエ殿が戦場へ到着するのを遅らせる事はできるか?」

「ソフエ殿だけを遅らせるのでございますか?」

「そうだ」


 ホシカゲは承知した。カラサワ軍がナセ郡に到着し、翌日にアガ郡へ向けて出陣するという時、マサナガと一緒に居たソフエは急な腹痛にみまわれた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ソフエ・マゴロクはナセ郡のガサフ城で床に伏していた。そこにマサナガが現れた。

「肝心な時に……マゴロク、気合が足らんのだ。薬でも飲んで一刻でも早く追い付いて来い。儂は先に出陣するからな」


 見舞いの言葉など一言も言わずに、マサナガはソフエの病床から去る。残されたソフエの枕元には、使用人が持ってきた正腹丸という薬が置いてあった。


 ソフエの病気が回復したのは、二日後である。その間にマサナガの指揮するカラサワ軍は、アガ郡との郡境に到着し、天駆教徒と戦い始めた。


 信者兵三千とカラサワ軍五千の戦いは、何の工夫もない正面からのぶつかり合いとなった。ソフエが補佐していたのなら、戦慣れしていない信者兵を引き回して隙を突きバラバラに分断して勝利を勝ち取っていただろう。


 だが、マサナガは戦術を工夫する必要などないと思っていた。正面から潰せると考えたのだ。

 最初の半時間ほどは、マサナガが考えた通りカラサワ軍が優勢に戦っていた。ところが、信者兵の戦意は驚くほど高く一人ひとりの信者兵がカラサワ軍の兵士を圧倒する。


 マサナガは慌てた。

「何をしておる。押せ! 押し戻すのだ!」

 声を張り上げるマサナガの側まで、信者兵が迫っていた。その中に少年兵らしい小さな存在が居た。その少年兵は槍も持っておらずカラサワ軍の兵士から無視され、するするとマサナガの近くまで辿り着いた。


「ん、お前は誰だ?」

 マサナガが少年兵に目を向ける。少年兵が脇差を抜いて、マサナガの腹を刺し貫いた。カラサワ軍の兵士たちは慌てて少年兵を斬り捨てる。


「マサナガ様!」

 腹に脇差を刺したままのマサナガが、真っ赤な血を吐いて倒れた。


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