第37話 コベラ郡奪取

「なんと! カラサワ軍の大将が戦死し、戦いが長引いていると言うのか?」

 郡境のカイドウ軍の陣地で、ホシカゲが主だった武人たちに向かって報告した。


 その報せを聞いたカイドウ軍の主だった武人たちが、一斉に俺へ顔を向ける。

「皆のもの、分かっておるな。これぞ千載一遇の機会、コベラ郡を手に入れるぞ」

 武人たちの間から、大きな声が上がった。


 カイドウ軍は素早く準備を整え、コベラ郡に侵攻した。コベラ郡に残っている信者兵は少なかった。カイドウ軍はアッという間にコベラ郡を掌握する。


 天駆教徒たちは悔しがったが、アガ郡でカラサワ軍と戦っている最中なので、援軍を送る事はできなかった。そして、カラサワ軍との勝敗が決着した時、コベラ郡は完全にカイドウ軍が支配下に置いていた。


 あまりにも簡単に郡一つが手に入ったので、俺は夢かと思った。

「こういう事も有るのだな」

 俺の呟きを聞いたのは、トウゴウだけである。


「殿、これから捕らえた天駆教徒を、どう処分するかという仕事が待っておりますぞ」

 俺は頷いた。そうなのだ。天駆教徒の処分……これが一番厄介な事だった。


 信者兵はほとんど斬り捨てたので問題ないが、天駆教徒の女子供をどうするかが問題として残っている。

「改宗しない者は、支配地から追放しようと考えていたのだが、どこに追放するかが問題だな」


 トウゴウが渋い顔をして頷いた。アガ領へ追放すれば、カラサワ家が敵を増やすつもりかと怒るだろう。他にカイドウ家が隣接する領地となると、ホウショウ家のアビコ郡とオキタ家の領地になる。


 両家が承諾するとは思えなかった。カラサワ軍と天駆教徒の戦が始まる前なら、アガ郡に放り出せば良かったのだが、一度決着が着いたものの郡境で睨み合っている状態の今は、問題になりそうだった。


 しかも、カラサワ軍の大将マサナガを殺したのは少年兵であるという。子供であってもアガ郡に放り出せば、カラサワ家が黙っていないだろう。


「どういたしましょうか?」

「コベラ郡の東部にある山間地域には、人が住んでいない土地が残っているようだ。その土地を開拓させよう」


 元々改宗した天駆教徒たちに開拓させようと考えていた土地だ。改宗した者たちの村と拒んだ者たちの村に分け、改宗した者たちには十分な援助を与え、拒んだ者たちの村には少ない援助で開拓させれば、改宗しようと思う者が増えるだろう。


 俺とトウゴウは、混乱しているコベラ郡を落ち着かせようと様々な手を打った。カイドウ郷からコベラ郡の各郷に代官と郷将を送り、コベラ郡はカイドウ家が治める事を領民に知らせた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 一方、天駆教徒たちはカラサワ軍を撃退したものの、その士気は上がっていなかった。コベラ郡がカイドウ家に奪われたからだ。


 天駆教軍の総大将であるエモト・カンイチは、信者兵の主だった者たちを集め軍議を開いた。

「コベラ郡の教徒たちはどうなった?」

「カイドウ軍により捕縛され、改宗するように脅かされているようです」


 エモトが部屋の壁を叩いた。

「カイドウ家の奴らめ」

「どうする?」

「もっと仲間を集めて、カイドウ家を倒す」


 仲間の一人が首を振った。

「ダメだ。近隣に住んでいる天駆教徒は、すでに集まっている。遠くに住んでいる教徒を集めるのは難しいだろう」


「エモト様、カイドウ家より、カラサワ家を何とかせねば」

「分かっている。だが、カラサワ軍には二度も勝っている。手強いのはカイドウ軍なのだ」

「しかし、今は動けませんぞ」


 ナセ郡との郡境でカラサワ軍と対峙しているので、コベラ郡のカイドウ軍への対応は手薄になっていた。先の戦いでは、カラサワ軍の大将が戦死したので、カラサワ軍は退却した。だが、それは余力を残しての退却であり、完全な決着が着いたとは言えない。


 それに大将であるマサナガを殺されているので、ハシマ城の当主ヨシモトから天駆教徒は殲滅せよ、という命令が出ているようだ。

 ちなみに、戦場に遅れたソフエ・マゴロクはハシマに戻るように命令された。


「カラサワ軍に隙を見せたら、こちらに雪崩込んできます。その点、カイドウ軍はコベラ郡を治めるのに忙しいようです」

「そう装っているという事はないのか?」

 エモトはカイドウ軍に強い疑念を持っているらしい。


 信者兵の一人が、軍議に駆け込んできた。

「エモト様、カイドウ軍が郡境に砦を築き始めました」

「何だと……カイドウ軍め、我らが攻め込めないようにしようというのか」


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 ハシマに戻るように命じられたソフエは、数日後にハシマに戻り登城した。

「ソフエ・マゴロク、戻りました」

 上座に座っているヨシモトが、ソフエを睨んだ。ただ小太りの青年であるヨシモトの睨みは、あまり迫力がない。


「そちは戦場に遅れて到着したそうだな」

「申し訳ございません。激しい腹痛にみまわれ、床に伏しておりました」

「馬鹿者、御蔭でマサナガが死んだのだぞ」


「その事に関しましては、申し訳なく思っております。ですが、マサナガ様を守っていたのは、私だけではございません」


「ふん、口答えするか。良い度胸をしておるな」

「御屋形様、口答えする訳ではございません。戦場に遅れたのは、某の不始末でございますが、マサナガ様がお亡くなりになった原因の全てが、某に有る訳ではないと言いたかっただけなのでございます」


「だが、マサナガの死の責任を誰かが取らねばならん。ソフエ一族を我が領地から追放する」

 ソフエは唇を噛み締めた。マサナガが死んだ責任を誰かが負わなければならないとは考えていた。だが、実際にマサナガの側で護衛していた者たちではなく、その場に居なかった自分が責任を負うとは思ってもみなかった。


 ハシマ城から放り出されたソフエに一人の男が近付いた。

「ソフエ様ではございませんか。暗い顔をして、どうかなさったのでございます?」


 ソフエに声を掛けたのは、イ組のイゾウだった。

「ああ、薬の行商人か。確かイゾウと申したな」

「はい、カムロカ州のあちこちを回って薬を販売しているイゾウでございます。カラサワ家の大将補佐ともあろう方が、どうかなされたのですか?」


 ソフエがふんと笑う。

「某は、もう大将補佐ではない。カラサワ家を追い出された」

「それはいい」

 ソフエが目を怒らせ、イゾウを睨む。イゾウは柔らかく受け流し、カイドウ家に乗り換えないかと誘った。


「某にミザフ郡へ行けと言うのか?」

「ハシマの都から、田舎のミザフ郡へ行くのは、嫌でございますか?」

「そうは言っておらん。だが、ミザフ郡へ行っても、必ず召し抱えられるとは限らぬだろう」


「いえ、それは大丈夫です。カイドウ家の月城督様は、ソフエ殿に負い目が有ると申されていましたから」

「ん、それはどういう事だ?」

 イゾウが笑った。

「それは直接、月城督様からお聞きください」


 ソフエは悩んだ末、家族をハシマに残し一人でカイドウ郷へ向かった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 コベラ郡をトウゴウに任せて、俺はミモリ城に戻っていた。そこにソフエが訪ねてきた。それを知った俺は、ソフエをミモリ城に上げる。


 ソフエはミモリ城の構造が気になったのか、しきりに周りを見回している。

「ようこそ、ミモリ城へ」

 俺とソフエ・マゴロクは挨拶を交わし、話し始めた。


「ハシマで気になる話を聞いたのです。月城督様が某に負い目が有ると聞きました。何の事でありましょう?」

 一緒に話を聞いていたクガヌマが、ニヤッと笑う。


 俺はクガヌマを睨んでから、謝った。

「実は、ソフエ殿が戦場に遅れたのは、某のせいなのです。申し訳ない」

 ソフエが腑に落ちないという顔をする。


 俺は忍びにソフエが戦場に遅れるように仕掛けさせたと告げた。ソフエは怒るより先に驚いた顔をする。

「な、なぜそんな事を?」

「マサナガ殿の実力を知りたかったのだ。彼の実績のほとんどは、ソフエ殿の手柄であり、マサナガ自身は凡庸な武将だという噂を聞いたのでな」


「だからと言って、そのような……カラサワ軍は破れ、マサナガ様は死んだのですぞ」

 語気が荒くなったソフエに、俺は頭を下げた。


「ソフエ殿には、申し訳ない事をした。だが、この先ずっとカラサワ家に仕えたとして、ソフエ殿の働きにカラサワ家はむくいただろうか?」


「どういう意味でござろう?」

「ソフエ殿が、病気になられて床に伏しておられた時、マサナガ殿は一度として見舞いに来られなかった。出陣前に会いに来られたようだが、見舞いではなく叱責されたというではないか」


 ソフエの顔が強張った。カイドウ家の忍びがカラサワ軍に入り込んでいた事を知ったからだろう。

 俺はソフエにカイドウ家で働く気が有るなら、喜んで迎えようと言った。ソフエは考えた末に承知する。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る