第30話 オキタ家の母娘
アダタラ州のハシマから戻るはずの主を待っているカイドウ家の重臣たちは、ミモリ城の二階に集まり酒を飲みながら話をしていた。
「合わせて五万三千石の豪族……いや、もはや大名か。信じられん」
モロスが焼いた燻製川魚に箸を付けながら告げた。イサカ城代とトウゴウ、フナバシが頷いた。
「殿が後を継がれてから二年も経っておらんのだぞ」
フナバシが燻製卵に箸を刺して言う。その言葉を受けて、トウゴウが遠い目をした。
「キザエ郷のムネシゲが侵攻してきてから、十年、二十年は経っているように思えるのだが、僅か一年半前の事なのだな」
イサカ城代が家老のモロスに顔を向けた。
「お主、孫のキサラギ様に後を継いで欲しかったようだが、今はどうなのだ?」
モロスが気まずい顔をする。
「昔の事を思い出させるな。あの時はどうかしておったのだ。神の叡智を授かるという事が、どれほどのものか理解していなかった。恥ずかしい事だ」
「カエデ様とキサラギ様は、どのように考えておられる?」
「当主になるという夢は、きっぱりと諦められた。殿と競争するなど、考えるのも馬鹿馬鹿しい」
トウゴウがフッと笑う。
「殿か、時々歳相応の顔を見せられる。そういう時は、仕事を面倒に思われている時が多い」
イサカ城代も笑った。
「殿は飽きっぽいのだ。書類の仕事が続くと逃げてしまわれる」
「あれは、拙者でも逃げてしまいたい。やはり、今までのようなやり方では、大きくなったカイドウ家に合わぬのです」
トウゴウの意見にイサカ城代も頷いた。
「殿も考えておられるようだ。ハシマから戻られたら、その辺のところを整理されると思う」
酒をグイッと呑んだトウゴウが、燻製干し牛肉を齧った。
「ところで、ヒルガ郡での戦いの功績として頂いた報奨金を何に使うか。良い考えはないか?」
新しい領地を手に入れるたびに報奨金が出され、武将たちは大金を手にしている。それは評議衆全員が同じで、戦っていないイサカ城代たちも、実際に戦った武将ほどではないがもらっていた。
「少し贅沢をしても良いのではないか。例えば、新しい屋敷を建てるとか」
イサカ城代が提案した。新ミモリ城の設計図を見て、そう考え始めた者が多かった。そこに盛り込まれた新しい暖房や窓に関する構造を自分の屋敷に取り入れたいと思ったのだ。
評議衆で飲み明かした次の日、俺たちはミモリ城に戻ってきた。
「はあっ、疲れた。乗馬は歩くよりは楽だけど、眠れないのが欠点だな」
俺は本格的な馬車を造ろうかと考えた。この辺りで馬車が普及しなかったのは、気候と道路事情に原因がある。比較的雨が多いので、道が
それに道路整備も不十分で、重量のある馬車で道を進むと車輪で道が抉れ、益々道の状態が酷くなるからのようだ。しかも、でこぼこした道を乗って進むのは、あまり快適とは言えない。そんな理由で普及しなかったと思われる。
「馬車を造る前に、道路整備のやり方を変えないとダメかな」
俺がぶつぶつと呟きながら馬車について考えているとイサカ城代が来た。
「殿、オキタ家から使者が来るようです」
「何事だろう。ホシカゲを呼んでくれ」
ホシカゲが現れ、頭を下げた。
「お呼びと聞きました」
「ああ、オキタ家から使者が来る。その内容について、心当たりがあるか?」
ホシカゲが心当たりがあるというように頷く。
「オキタ家は、カイドウ家と友好関係を深めたいと考えているようです」
「ほう、それで?」
「オキタ家の姫の中から、どなたかを殿の正室に、という話ではないでしょうか」
イサカ城代がニコリと笑った。
「それが本当なら、目出度い事ではありませんか」
豪族や大名の結婚は、ほぼ政略結婚である。どこそこの家との繋がりを強くしたいと考えた家同士が結婚を決めるのが普通なのだ。
相手は十万石のオキタ家である。かなり条件が良いと言えるだろう。
オキタ家の使者が来た。やはり結婚の話であり、相手は三女フタバ姫だった。美姫との噂があるフタバ姫である。カイドウ家としては反対する理由がない。
トントン拍子に話は進み、春の間に結納し、新ミモリ城が完成する夏に結婚する事になった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
カイドウ家から結納の品が届いたオキタ家では、当主のヨシノブと正室キキョウ、フタバが結納品を確かめていた。
「何と見事な品々でしょう。これほど豪華な結納品は、見た事がありません」
キキョウの目前には、山と積まれた絹の反物や真珠の髪飾り、大陸製の鏡、珊瑚の置物、
「綺麗です」
オキタ家の娘であるフタバは、姉たちの結納品や母親が持つ宝石などで見慣れており、今更高価な物に目を惹き付けられる事はないと思っていた。
だが、カイドウ家から贈られてきた結納品は、一つひとつが確かな審美眼で厳選された物であるというのを感じた。見詰めていたフタバから、溜息が零れる。
「どれほどの
キキョウが頷いた。
「これを受け取ったからには、必ずフタバを出さねばならないのでしょうね」
キキョウは結納品を見詰めている娘に目を向けて、心配そうな顔をする。
「この子は、幸せになるのでしょうか? カイドウ家の月城頭殿は、まだまだ若いと聞きました。どのような方なのです」
婚約の話が出た時、ヨシノブや家臣たちから婚約の相手については聞いていた。だが、二年ほど前まで、商人であったという経歴を聞いて、本当に娘は幸せになれるのだろうかと不安になった。
「月城頭殿は、フタバと同じ歳。その若さで一年半ほどの間に五千石の領地を、五万三千石にまで広げた不世出の武人である」
「理解できません。ただの商人だった者が、そんな短期間に領地を大きくできるものなのでしょうか?」
ヨシノブが静かに頷いた。
「
その言葉を聞いたキキョウとフタバは目を見開いて驚いた。ちなみに、闇風とはオキタ家の忍びである。
「神明珠の事でございますか? あれは迷信だったのでは?」
「儂にも分からぬ。だが、代々カイドウ家には神明珠が伝わっており、月城頭殿は神の叡智を授かったという」
「信じられませぬ」
「儂も最初はそうだった。だが、闇風が神明珠に関する別の情報を持ってきた」
「それは、どのような?」
「カイドウ家には、跡継ぎ候補となる男児が三人居たのだ。先代当主モチヅキ殿の長男ムツキ殿、庶子であるミナヅキ殿、そして、モチヅキ殿の妹の息子キサラギ殿。その三人に神明珠を試させて、当主を決めるという事になったそうだ」
「月城頭殿の上に、兄上が居たのですか。ならば、なぜムツキ殿が当主にならなかったのです?」
ヨシノブが深い溜息を吐いた。
「最初に神明珠を試したのは、ミナヅキ殿であったそうだ。その結果、ミナヅキ殿は気を失い二日ほど目を覚まさなかった」
キキョウとフタバが息を呑んだ。
「それで?」
キキョウが話を促した。
「ミナヅキ殿が目を覚まさぬ間に、ムツキ殿が神明珠を試されたそうだ。そして、血を吐いて心の臓が止まったという」
キキョウとフタバの顔が青くなっていた。
「では、カイドウ家に伝わる神明珠は、本物だったのでございますね」
「そうとしか考えられぬ。神の叡智を得たミナヅキ殿は、月城頭となりカイドウ家の躍進が始まったのだ」
キキョウとフタバは言葉を失った。神明珠という存在が、どれほど危険なものか初めて知った。そして、キキョウは娘の将来を考え怯えた。
もし、フタバが男児を生んで、その子が当主となる時、神明珠を試さなければならないという事だ。息子が死ぬかもしれないという恐怖を胸に抱きながら、それを拒否する事はできないだろう。そうなった時の事を想像して、涙が零れ出し娘を抱き締めた。
「フタバ、あなたは大勢の子供を生みなさい。そして、幸せになるのですよ」
「はい、母上」
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