第19話 イスルギ家の最後
俺は評議衆を集め、イスルギ家がほうじ茶を売り出したことを知らせた。聞いた全員の顔に怒りが見える。イサカ城代が口をへの字に曲げて鼻息を荒くしている。
「そうなると、イスルギ家の馬鹿者が、製茶工房のセイジを殺した事になりますな」
「しかも、我らに戦いを挑もうと準備をしておる。許せぬ事でござる」
トウゴウとクガヌマが、怒りの声を上げた。俺もセイジが殺されたと知った時の怒りが蘇ってきた。
「どういたしますか?」
トウゴウが鋭い目を俺に向けた。
「イスルギ家を潰す。我が領民を殺すような者を許す事はできん」
主の強い意志を感じた全員が畏まった。
「しかし、撃退するだけでも、大変でございます。どのようにしてイスルギ家を?」
「影舞から報せがあった。イスルギ軍とシノノメ軍は、別々の方角からキザエ郷に侵攻するつもりのようだ」
俺は床に地図を広げ、イスルギ軍がキザエ郷の西側、シノノメ軍が北側から侵攻するようだと伝えた。ただ、キザエ郷を攻めるには、ミザフ河を渡河しなければならない。
「イスルギ軍は石貴橋を通り、シノノメ軍は東貴橋を通って、侵攻してくるはずだ」
ミザフ河に架かった二つの橋、両方とも木造の橋であるが、頑丈な橋だった。
「殿、その橋を落とせば、敵の侵攻を止められませぬか?」
モロスが提案した。俺はゆっくりと首を振って否定する。
「橋を落としたとしても、敵は河の浅瀬を選んで渡ってくるだろう。だが、橋を落とすという考えは面白い」
浅瀬を渡る。その姿を想像した時、直感が閃いた。河を渡るなら、盾はどうするのだろう。盾を構えたまま河を渡る事などできないのではないか。ならば、船に乗って河を渡るか。前もって船を用意しておかなければ、無理だろう。
俺はチカゲを呼び、シノノメ軍が船を用意しているか調べるように命じた。
「シノノメ軍だけでよろしいのですか?」
「構わない。イスルギ軍には石貴橋を使わせる」
これには評議衆も驚いたようだ。イサカ城代が理由を尋ねた。
「イスルギ軍は、領地の奥に引き込み、伏兵を使って殲滅する」
二つの軍が同時に攻め込んできたら、こちらも軍を二つに分けて防戦するか、籠城するかである。
敵が合流すれば、兵は八百ほどになる。トダ城を包囲するのに十分な数だ。援軍を送る余裕がない籠城は危険だと俺は判断した。それに戦いが続いたので、兵糧の蓄えが心許ない。
俺は作戦案を説明した。基本はシノノメ軍を最少の兵力で防戦し、イスルギ軍を誘い込んで殲滅するという作戦だ。
評議衆は作戦案に納得し、準備を進めた。
その数日後、シノノメ軍とイスルギ軍の侵攻が始まる。日が昇る前にミザフ河の対岸に集結した両軍は、橋を渡り始めた。
シノノメ軍に対応したのは、兵二百を率いるトウゴウだ。
東貴橋を渡ろうとする敵兵に向かって油が入った陶器の壺が投げられた。壺は橋に落下して割れ中の油が流れ出す。その油目掛けて火矢が飛んだ。
火矢の熱で温まった油に火が付き、橋が燃え上がる。出鼻を挫かれたシノノメ軍は後退した。
シノノメ軍の総大将であるシノノメ・御帯頭・ヤスマサは、火を消すように命じた。だが、次々に油入りの壺が飛んできて油を撒き散らし、火が燃え上がる。
「何をしておる。桶に水を汲んで火を目掛けて撒け」
消火活動は順調にいかない。そのうちに橋本体が燃え始めた。
「むっ、これはいかぬ。川下の浅瀬に移動して、そこを渡るのだ」
兵たちは盾を持って川下に向かって走り始める。だが、そこにトウゴウが待ち構えていた。河を渡り始めた敵兵が、こちら側に近付く。その敵兵が胸ほどまでの水深がある場所を渡ろうとした時、十字弓で狙わせた。
太く短い矢が敵兵に突き刺さり、悲鳴を上げさせる。矢を防ごうと盾を構えた者は、河の流れに盾が流され身体ごと川下へと流れていく。
そのような攻防が一刻ほど続いた。ヤスマサは持っていた采配をへし折り投げ捨てた。采配というのは、兵を指揮する時に用いる棒で、先端にふさが付いている。
「何という事だ。キザエ郷に一歩も踏み込めぬとは……」
ヤスマサは身悶えるほど悔しがったが、準備が足りなかったと諦め兵を引かせた。
一方、イスルギ軍と相対したのは、俺とクガヌマである。槍と十字弓を装備した二百の兵が、敵兵が進んでくるのを待ち構えていた。
イスルギ軍の総大将であるイスルギ・森華頭・トモユキが、待ち構えているカイドウ軍を見て舌打ちした。
「なんたる事だ。我らの動きが敵に漏れておったのか。仕方ない盾を掲げて押し潰すのだ」
総大将の号令でイスルギ軍が動き始めた。盾を構え待ち構えるカイドウ軍へ突き進む。戦いが始まった。俺は戦いの興奮で頭に血が上るのを感じ、『冷静になれ』と呪文のように唱え始めた。
「殿、まずは十字弓を試しましょう」
そう言ったクガヌマが、部下たちに十字弓の矢を射させた。
その矢は盾に当たって防がれる。分かっていた事だが、悔しい。
「いいぞ。そのまま進め!」
敵の総大将だと思われる男が大声を上げる。盾が有効だと実証されたイスルギ軍は、カイドウ軍に近付き剣を抜いた。
剣の造りは過去に日本刀と呼ばれたものと同じである。但し、日本刀という言葉は消失しており、単に刀または剣と呼ばれていた。
カイドウ軍は武器を十字弓から槍に替え戦い始めた。しかも、ゆっくりと後退している。キザエ郷に入ったイスルギ軍は、自分たちが優勢だと感じて、勢いを増した。
ズルズルと後退するカイドウ軍を追って、イスルギ軍はキザエ郷の奥へと踏み込んでゆく。俺はクガヌマに視線を向けた。
「敵が罠に嵌まったようでござるな」
クガヌマが伏兵に合図を送った。その瞬間、イスルギ軍の横合いから
総大将が倒れたのを見たイスルギ軍は混乱した。数人の武将が総大将に代わって指揮しようとしたが、負けたという認識が広がり、勝敗に敏感な者から先に逃げ出す。
俺は追撃の命令を出した。その追撃戦の中で、敵の総大将が討ち死にする。
石貴橋を渡って逃げる敵を追いかけカイドウ軍もイスルギ郷へ足を踏み入れた。敵はネムロ城へと逃げ、カイドウ軍はゆっくりと進軍する。
カイドウ軍がネムロ城へ到着した時、城の守備兵は百ほどしか居ないようだった。城に侵入しようとするカイドウ軍と守ろうとするイスルギ軍の間で攻防が繰り広げられたが、最後は兵力の差でカイドウ軍が勝った。
城に侵入したカイドウ軍の兵士が城門を開け、俺たちはネムロ城へ雪崩込んだ。その頃になって、イスルギ軍は降伏すると決めたようだ。
「終わりましたな」
クガヌマの顔が満足そうに輝いている。一方、俺は戦いの興奮から冷めて、疲れを感じていた。戦いは疲れる。何で次々にちょっかいを出してくるんだ。
俺は捕らえた武将やイスルギ家の者たちをどう処分するか決めなければならない。気の重い仕事だ。溜息を吐いてネムロ城を見上げた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ミザフ郡での戦いが終わった翌日、アビコ郡のタケオ城へ報せが届いた。
「何だと、カイドウ軍が勝ち、イスルギ郷を占拠したというのか」
ホウショウ家の当主であるノリノブが大きな声を上げた。
マエジマが冷静な声で話し掛けた。
「殿、冷静に」
「これが冷静になれるか! キザエ家のムネシゲが討ち死にし、ドウゲン郷を奪われ、さらにはイスルギ郷まで……このままでは、ミザフ郡がカイドウ家のものになってしまう」
ノリノブはカイドウ家が自分と同じ大名になるのではないか、と不安になっているようだ。カイドウ家がシノノメ郷まで下して支配下に収めれば、ミザフ郡全体を手に入れる事になる。そうなれば、豪族ではなく大名と呼ばれるようになるのだ。
「クッ、ミザフ郡の郷を一つずつ手に入れ、ゆくゆくはミザフ郡全体を支配下に置くつもりでおったのに」
ノリノブは棚に飾られていた花瓶を持ち上げ、床に叩きつけた。
その音に驚いて、近習が駆け込んできた。床に散らばっている花瓶の残骸を見て驚きの表情を浮かべる近習たちに、マエジマが鋭い視線を向ける。
「騒ぐな。花瓶を落として割れただけの事。早く片付けろ」
近習たちが花瓶の残骸を片付け、部屋を出ていった。
「マエジマ、どういう事だ。お主はカイドウ家の小倅を、内政家としての才能はあるが、他は凡庸だと言ったのだぞ」
マエジマは深く頭を下げた。
「申し訳ありません。その点に関しましては、私が間違っておりました」
「ふん、これからどうなると思う?」
「カイドウ家は、ミザフ郡を統一するでしょう」
「そうだろうな。今、カイドウ家を叩くべきではないか?」
「これから戦の準備を始めましても、農繁期になります。戦いを仕掛けるのは、梅雨が終わった後になるでしょう」
豪族や大名たちの抱える兵は農民ではない。だが、農家の次男や三男が兵となっている場合が多いので、農繁期には実家を手伝うという兵が多いのだ。
「夏になってしまうではないか。カイドウ家は何石になる?」
「イスルギ郷も含めますと、三万石、兵力は八百から九百となるでしょう」
大名であるホウショウ家にとっても、侮れるものではなかった。
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