第6話 下痢止め薬

 ミモリ城の一室で、イサカ城代とフナバシが帳面を片手に数字の確認をしていた。

「お茶をお持ちしました」

 女中が部屋に入り、ほうじ茶を置いていった。


「少し休もうか」

「そうですな。熱いうちに頂きましょう」

 イサカ城代が湯呑ゆのみを持ち上げ、香りを嗅いでから一口飲みホッと息を吐き出す。


「ほうじ茶というのは、香りがいいな。ハシマで高く売れるというのも分かる」

「このほうじ茶より高く売れているのが、烏龍茶ですぞ」


 フナバシが言った烏龍茶は、ミナヅキが苦労して作ったものだ。試行錯誤して作ったようなのだが、奇跡的に果物のような甘い香りと少し甘みのある後味がする烏龍茶となった。


 この烏龍茶は、ほうじ茶以上に手間が掛かるので数量が少なく、より高価となっていた。作っているカイドウ家でも来客用に少量だけ残しているだけで、残り全部をハシマで売却している。


「しかし、お茶がこれほど儲かるとは、思ってもみませんでした」

「そうじゃのう。これからは茶畑を増やし、製茶工房で働く者も増やさねばならんだろう」


 現在、ミモリ城の敷地内に製茶工房を置いている。元倉庫だった建物を改造し、厳重に警備した状態で製茶工房として使っているのだ。

「製茶工房で働く者は、信頼のおける者に限定する必要がありますが、集まりますか?」


 イサカ城代が頷いた。

「心配はない。城で働く者の親族から募集しておる」

 フナバシは納得して頷いた。


「ところで、殿はまた何か調べられているようですが、今度は何をされているのですか?」

「カイドウ家は、まだまだ貧しいのだなと仰られて、次の特産品を研究されているようだ」


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 二人が話題にしていた俺は、ミモリ城の中にある一室を作業部屋と名付け、そこで薬の調合をしていた。俺が作っている薬は、下痢止めの薬である。


 主成分は、ブナなどの木で木炭を作る際、水蒸気と伴に出てくる木酢液を蒸留して得られる淡黄色透明で燻製のような匂いのある液体である。


 その液体は『木クレオソート』という名前で、それにオウバク末などの生薬をいくつか加えて調合し丸薬にした。

「どうやって効き目を確かめればいいんだ?」


 ちなみに、木クレオソートは殺菌作用が有るので、胃や腸に広まった悪い菌を殺すと昔は考えられていたが、服用すると殺菌効果はほとんどなく、大腸の過剰運動を抑える事、軟便・下痢に対しては腸からの水分分泌を抑える事で腹痛や下痢を抑える効果があるという知識が頭に浮かんだ。


 但し、大量に服用すると毒になるので、気を付けなければならないようだ。神明珠から得た知識によると、昔は『正○丸』という名前で呼ばれていた薬らしい。


 まずは毒でない事を確かめるために、野生動物を捕獲して食べさせてみた。体調に異常がないようなので毒ではない事が証明される。


 次にミモリ城の近くにある牢屋敷に収容している罪人に飲ませて効き目を調査させた。罪人も腹痛を起こすので、その時に新しい薬を飲ませたのだ。


 治験という言葉が浮かんだ。一応、腹痛を起こした罪人に薬を使うかどうかを決めさせているので、非道な人体実験とは違う。


 この世界では罪人に無断で人体実験をしても、文句を言うような者は居ない。薬を与えるだけお優しい領主様だと世間からは思われるほどだ。


 結果から言うと、薬の効き目はあった。そこでカイドウ郷で使い始め、評判を聞いてからアダタラ州のハシマで売り始めた。


 ハシマでもよく効く薬だと評判になり、いくつもの薬屋と取引が始まる。この薬は『正腹丸』と呼ばれ、カイドウ家に莫大な利益をもたらした。


 ハシマで正腹丸を販売した金を持って、クガヌマがミモリ城に戻ってきた。大金なので護衛が必要になり、クガヌマと数人の兵も同道していたのだ。


 クガヌマはミモリ城へ戻ると、一番に俺のところへ来て報告した。

「今月分の売上金を運んで参りました」

「ご苦労」


「こんな苦労なら、何度でも歓迎いたします」

 クガヌマが笑って答えた。


 俺はクガヌマと一緒に銭蔵へ向かった。銭蔵では、フナバシと部下が冥華銭の数を確認していた。中には冥華銭が詰まった銭箱が山積みになっている。


「フナバシ、これで十分だろ。河川敷の開発を始めてもいいな?」

「はい。私も十分だと存じます」


 河川敷というのは、以前に調査したミザフ河の流れが変わった場所だ。二千石の穀物を栽培できる農地に変わるとトウゴウが言っていた。


 米や他の作物の収穫が終わると、農閑期となる。俺は領民を集め、河川敷の開拓を始めた。思った以上に人が集まり計画は前倒しに進みそうだ。


 そんな忙しい日々を過ごしている俺に、トウゴウは剣の修業を続けさせた。ただ槍の修業はやめている。フナバシから領主としての仕事を優先させてくれ、と頼まれたらしい。


「さあ、朝の鍛錬を始めますぞ」

「分かった」

 木刀を持って庭に出ると、古い鎧を着せられた。この鎧を着けたまま庭を何周も走り身体を温める。その後、素振りを行い、切り返し・打ち込み稽古、そして最後にトウゴウと木刀で打ち合う地稽古である。


 稽古が終わると、死にそうなほど疲れる。

「なあ、トウゴウ。当主が自ら戦うような場合だと負けだと思うんだ。本当に鍛錬が必要なのか?」


「長い人生で負け戦など何度も経験します。敵が包囲する中を、突破して脱出するという事もあるでしょう。その時には、武芸が必要です」


「トウゴウの人生は、何勝何敗なのだ?」

 そんな質問をされるとは思ってもみなかったトウゴウの顔が強張った。

「三勝六敗でございます」


 その勝率は、カイドウ家の勝率でもある。隙間風がピューッと吹き込んだような気がした。カイドウ家は弱小豪族なんだな、と思い知ったのだ。


 豪族同士の戦いでは、一回負けるたびに何かを失う。領地が削られたり、穀物を奪われたりするのだ。だが、一番怖いのは、領民からの信頼を失う事だとトウゴウは言う。


 負けるたびに、こんな領主の下では暮らしていけないと領民が少しずつ他の領地に逃げていく。そうなると、何もかもが悪い方へと転がり始める。


 領民が減った事で収入が減り、兵を雇えなくなる。兵力が減り、また負ける。最後には敵に領地を奪われ消えていくのが豪族の末路らしい。


「一回の戦いで勝負が決まる訳ではないんだ」

「小さな豪族同士の戦いは、そんなものです。ですが、五万石以上の豪族は違います」


 俺は意味が分からず、その理由を尋ねた。

「弱小豪族は、籠城した相手を包囲し、降伏させられないからでございます」

 二百や三百の兵しか持たぬ豪族は、相手が籠城すると引き返す事が多いらしい。包囲して降伏するまで粘るという事ができないからだ。


 だが、五万石以上の豪族になると、敵の城を包囲するだけの兵力を養えるようになる。一度の戦いで勝負を着けられるようになるのだ。


「そう言えば、アビコ郡のホウショウ家が、ミザフ郡の豪族を攻めるという事はないのか?」

 俺がホウショウ家の当主なら、ミザフ郡の豪族を一つずつ潰して家を大きくしようと考えるかもしれない。


「その場合、ミザフ郡の豪族が協力して、ホウショウ軍を撃退した歴史があります」

 そういう過去があるので、ホウショウ家はミザフ郡を安易に攻められなくなり、調略でミザフ郡の豪族たちの結束を壊し、弱体化させようとしているらしい。


「ホウショウ家の策に乗ったのが、キザエ家なのでございます」

 トウゴウの言葉を聞いて、俺は唇を噛んだ。


 俺の表情に不審を感じたトウゴウが、

「どうかなさいましたか?」

 そう尋ねた。俺は溜めていた息を吐き出す。


「敵がキザエ家だけなら、失った兵を補充し元の兵力を取り戻すのに、二年掛かると計算していた。だが、後ろにホウショウ家が居るとなると、一年も掛からずに再戦を挑んでくるかもしれない」


「また攻め込んで来たとしても、撃退するだけでございます」

 トウゴウが俺なら勝てると言わんばかりに断言した。しかし、キザエ・富山頭とやまのかみ・ムネシゲは同じ作戦に引っ掛かるような馬鹿ではない。


 そうなると、敵は伏兵や罠を警戒しながら侵攻してくるだろう。何か別な策を考えなければならない。

「何か策を考えておられるのでございますか?」

 トウゴウが尋ねた。


「いや、策ではなく正攻法で勝とうと思う」

「正攻法でございますか。それはどんな?」

「兵を強くする。それが一番確実だ」


 トウゴウが苦笑した。それはそうなのだが、どうやって強くするかが問題なのだ。


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