第10話 英雄の腹心(5)
間に合わない。
直感的にそう思った。これは魔龍の全力を注ぎ込んだ攻撃だ。とても防ぎきれない。
「エレアーネ! 背後に爆風を! 突っ込みます!」
ヨシノはまだ諦めていない。いや、諦める気なんてないのだろう。詠唱なしで発動させた風の魔法に吹き飛ばされて、わたしとヨシノはニトーヘンから離れて一気に魔龍の頭に近づく。
「無駄ァァァァ!」
左手で盃を抱えたヨシノが右手を振ると、魔術の光が一気に魔龍の前の魔法陣に突き刺さる。
「離脱!」
わたしにしがみつき、ヨシノが叫ぶ。反射的に体の前に光の盾を出して、スピードを殺し、さらに飛んでいく先も気にせずに蹴飛ばす。
魔龍の光が一気に膨らんだのはほとんど同時だった。だけどそれはヨシノの魔法の鏡に跳ね返される。
鏡の向こう側で魔龍は吠え猛るが、その攻撃はこちらに届かない。
「ちょっと休ませてください。下りたらエレアーネも少し休むと良いです。」
ヨシノの声は疲れている。あの魔龍の攻撃を防ぎ切ったんだから、疲れもするだろう。ヨシノのニトーヘンのところに戻ると、その上で足を伸ばして座り込む。
魔法陣の破壊。
ヨシノのしたことは、簡単に言うとそれだけのことだ。魔法陣は魔術で描いているものだから、同じ魔術で魔法陣に変なものを描き加えれば壊れてしまう。
すごく簡単なことなんだけど、魔術は射程距離が短い。無理なく使えるのは、自分の手の届く範囲よりちょっと広い程度。頑張れば数歩先くらいまでは届くけど、何十歩も先にある魔法陣の書き換えなんて、普通はやってみようとも思わないんじゃないだろうか。
それに必要な魔力は魔法何発分になるかも分からない。わたしが普通にやっても届かないだろう。魔石の魔力を使っても体力の消耗は避けられない。それに、無理な魔力の使い方をすると怪我をする。
見てみるとヨシノの右手は変な色になっている。わたしは第四級の治療魔法を詠唱した。手の色が戻っていくと、ヨシノは静かに寝息を立てはじめた。
全力の攻撃もヨシノ一人に防がれて、魔龍は呆然と立ち尽くしている。目は潰れているし、耳も聞こえていないようだから、一人に防がれたことは分からないだろうけれど、攻撃が効かなかったことは分かっているのだろう。
わたしは紫の光を打ち上げて、攻撃というかイヤガラセの手を緩めさせる。魔龍が何もしないなら、こっちも回復する時間がほしい。
「あ、あの、なぜ止めるのです? 一斉攻撃の好機かと存じますが……」
「ダメ。今そんなことをしたら負ける。」
まだ、魔龍は何かを残している。逆転のチャンスを狙っている。
「何故? もう、あのようにボロボロになっているのですから、総攻撃すれば勝てるのではありませんか?」
「総攻撃は明るくなってから。傷が、本当にどれくらいなのか分からない。魔物は死んだフリをするし、力を残していると考えなきゃダメ。」
「まだ、余力は、残っているのでしょうか?」
「残っていると思っていて、実際には残っていなくても、それは普通に勝てる。でも、残っていないと思っていて、実際には残っていたら負ける。負けなくても酷い反撃を受ける。」
だから、魔物の動きは注意深く観察しなくてはならない。そうヨシノに言われている。
しばらくして、魔龍が動きはじめた。ドスン、ドスン、と足を踏み鳴らしている。
「魔龍の正面から逃げて! 走るつもり!」
魔龍に今できることはそれしかないはずだ。青の攻撃再開の合図と一緒に「正面から退避!」という叫び声が伝わっていく。
ここまで来て逃すなんてダメだ。目が覚めたらヨシノに怒られてしまう。
「後ろ足の傷を狙って攻撃!」
わたしもヨシノのニトーヘンに乗って前に出る。使う魔法は穴掘り魔法。走りながら、魔龍の正面の足元に深く大きく穴を作っていく。
そして、魔龍は予想通りに足を踏み出し、穴にはまりバランスを崩した。
その隙に、わたしは光の槍を撒き散らす。
真正面から攻撃を浴びて、魔龍は慌てて体の向きを変えようと身をよじる。そして、次にやろうとすることは分かっている。わたしは光の盾を並べて少しずつ上に移動していく。
そして思っていた通り、尻尾が真横に薙ぎ払われる。だけど、わたしは既にそんなところにはいない。遥か下を通り過ぎていくだけだった。わたしは赤の光を放り投げて、背中の上を通り過ぎると魔龍の右前方に下りていく。
何十回も尻尾を地面に叩きつけ、やっと満足したのか、魔龍は天に向かって遠吠をはじめた。あれで勝ったとぬか喜びでもしているのだろうか。
ヨシノは「少なくともゴブリン並みの知能はあるはず」って言っていたけど、あの魔龍はかなり頭が悪いと思う。
橙色の明かりを打ち上げて、二分ほど待つと、緑の明かりが返ってきた。高階級魔法の準備が整ってもまだ魔龍は遠吠を続けている。
青の光を打ち上げて、わたしも光の槍を撒き散らす。
大小の魔法攻撃を受けて、魔龍の遠吠は絶叫に変わる。
「うるっさい魔龍ですね。寝てもいられないじゃないですか。」
あまりのうるささにヨシノも目を覚ました。不機嫌そうに魔龍を睨む。その魔龍は、尻尾を派手に振り回してめちゃくちゃに暴れるが、走って逃げる事はもう忘れてしまったようだ。
「少し攻撃が派手すぎませんか?」
「うーん、走って逃げようとしたのを止めて、大きい魔法を撃ちこんだところなんだけど。」
「なるほど、それで騒いでるんですね。ですが、すこしやり過ぎです。」
ヨシノは紫色の明かりを上げて、攻撃を緩めるよう合図すると、近くの騎士たちに少し距離を取るようにと指示を出す。
「夜明けまではもうちょっと時間があります。それまで戦いを引き延ばさなければなりません。」
日の出とともに総攻撃を開始するつもりのようだ。それまで魔龍を逃さずに足止めをしなければならない。
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