第37話 発展(2)
「紙を作りましょう。」
産業について色々と考えた結果、農業以外にできるのは製紙以外に思いつかなかったのだ。
肉が不足するくらいなのだから、皮革製品を作るなんて絶望的だし、紡績や織物も材料が採れない。
耐熱レンガや耐火レンガを作ることができていないので、土焼物やガラス細工も簡単な物しか作れない。
交易の中心地となれる立地でもないし、無い無い尽くしで、できることは本当に限定的なのだ。
「チート能力で異世界のんびり生活って、無理がありすぎるでしょう……。何もできないですよ……」
裕のそんなぼやきを理解できる者はいない。生産系チートなんて存在しないのだから、ハードモードなのは当たり前だ。
一朝一夕で産業の発展なんてできるものではない。十年や二十年くらいかかって当たり前だ。それを一年や二年でやろうとすること自体が間違っている。
そんな中で、製紙だけは何とかなる見込みが高い。
木はいっぱいあるし、それほど高い技術力が必要なわけでもない。もちろん、高級紙を作るには相応の技術が必要だが、そこまでの品質を求めなければ子どもにでも作れるのは実証済みだ。
だが、何をやっても、ぶつかる問題は同じだ。
つまり、人材の不足である。
製紙用の工房を作っても、働く人間が足りないのは目に見えている。食糧に余裕があるからと、畑を放置して良いものでもないし、森での活動を減らすわけにもいかない。
「孤児や浮浪児でも集めてきましょうかね……」
「子どもですか? 技術を持った職人の方が良いのでは?」
「一番、手を回したいのは城の建築に、食料の加工、そして紙の製造です。城の建築に関しては、弟子を育ててもらった方が良いんじゃないかと最近は考えているのですよ。」
公爵たちにも大工の斡旋・紹介をお願いしているのだが、やっと一人が来てくれたのだ。その大工に、何人か子どもを付けてやった方が長期的には上手くいく可能性が高いのではないかと裕は主張する。
「食品加工ならば子供でも十分でしょう? 大人の方にはもっと高度なお仕事をしてもらいたいのですよ。」
食品の加工と言っても、煮たり蒸したりした野菜を切って干すだけだ。火や刃物の扱いを教えれば五歳時にでもできる。現代の日本では五歳児に包丁を持たせたり、薪で火を熾させたりはしないが、きちんと教えればできるものである。
紙を漉いたり、農作業の手伝いをしたり、子どもでもできることは結構ある。
「エレアーネ、ボッシュハに行って魔石用の薬草を集めてきてください。それと、ボッシュハのハンター組合にも依頼を出しましょう。隊商が王都にきたら、王都邸で買い取るようにしておけば話は通ると思います。」
そう言って裕は急ぎ各方面への手紙を書く。ハンター組合への依頼に際し、金額や支払いなどの詳細を提示しなければ話にならない。何を採れば良いのかは、エレアーネに現物を渡してもらえば良い。
そして、ボッシュハ伯爵宛てには浮浪児を引き取る許可を願うものだ。もしかしたら、浮浪児がまたやってきているかもしれない。
「貴族への面会もありますので、ノルギオスも同行してください。」
ボッシュハだけではなく、ウジニヒ侯爵、ゲフェリ公爵宛てにも手紙をしたためると、ノルギオスに預ける。さすがに貴族宛ての手紙はエレアーネには預けられない。裕はエレアーネを信用も信頼もしているが、対外的な目の問題だ。
翌朝、二人を送り出すと、「今日は書類仕事をしています」と言って裕は机に向かう。
細々と作り続けていた紙を棚から出してきて書くのは数学と物理の教科書だ。騎士たちが地道に生産していたA3サイズの紙は千枚ほどになっている。少々使ってはいるが、売ることはせずにため込んでいるのだ。
重力遮断魔法を教えるには、『場』や『界』といった概念の理解が必要だ。重力という概念を認識しないと、遮断もなにもあったものではない。
そこに辿り着くまでに教えることは大量にある。
小数や分数といった小学生の算数レベルから、負の数や方程式などの中学数学、そして高校で習うベクトルまで積み上げるのが最低限だろう。
聞き取り調査をした結果、面積や体積という概念は文官は知っているが、平民で知っていたのは大工一人だけだった。小数や分数も同様で、負の数となると文官たちも首を傾げるレベルだ。
知識の伝承は基本的に口頭で、紙に書き残して良いことがらは宗教で大きく制限されている。神官を受け入れるつもりの無い裕は、そんな宗教など完全無視で教本を書いていくが、貴族たちもそんなことはしていないのだ。
……それで面積や体積をきちんと理解している方がすごいと思う。日本の小学校で、教科書もノートも無しで授業をして、どれほどの生徒がついてこれるだろうか。
閑話休題。
一日かけて百枚ほどに数学の知識を書き綴り、文官たちに見せると引き攣った顔を向けられた。
「教会に知られたら大変なことになります。」
「この町に教会なんてありませんから大丈夫です。神官を入れるつもりもありませんし。これは私の魔法を覚えるのに必要な知識なのです。」
文官たちは揃って不可思議そうに目を泳がせるが、裕は自信満々に胸を張る。
「重力遮断魔法を使える人を増やしたいのです。もう一人か二人使えるようになるだけで、効率は段違いですよ。」
裕が木材を運搬している間でも、石材の運搬や積み上げができるようになれば、城の建築のスピードを上げることができる。長い目で見れば、できるだけ早めに重力遮断の使い手を増やした方が良いのは明らかだ。
「ヨシノ様の使う魔族の魔法と言われる所以が理解できた気がします。」
「大変申し訳ございませんが、神の教えに背いてまで修めたいとは思えません。」
文官たちは奥歯を噛みしめて俯く。普段は宗教的なことは全くしていないのだが、意外と結構信心深いものである。
「関わりたくないと言うのならば仕方がありません。あなた達に無理強いをするつもりはありませんが、他の人に教えるのは見逃してもらえますか?」
「どうか、我々の見えないところでなさるようお願いいたします。」
それが精いっぱいだ、とばかりに文官は紙の束から目を逸らす。
「分かりました。魔導士たちを教育することにします。」
魔龍退治後についてきたハンターも、元々裕が連れてきた孤児たちも、学が無いということに関しては大した差が無い。教育機関どころか、学術教育をするという概念も無いのだ。二十代半ばの魔導士でも、算数は四則演算しか知らない。
そして、翌日から算数教室が始まる。
昼間はみんな仕事があるため、夕食後に一時間ほどだけだし、最初は数字を覚えるところからだ。木の板に書いた数字を一枚一枚読み上げる。
二週間後にエレアーネが子どもたちを連れて帰ってくるまでは、教育のペースを上げるつもりもない。勉強に慣れるところからスタートである。
そして、出発してから二週間後、エレアーネは二十三人の子どもたちを連れてエナギラ帰ってきた。
「帰ったよー。」
「ただいま戻りました。ヨシノ様はどちらに? 報告事項がいくつかあります。」
昼過ぎに、五騎のニトーヘンを連れてエレアーネが町の門に着いた。町の周囲の畑で農作業をしたいる者たちを見つけているエレアーネはのんびりとした帰還の挨拶だ。
それに対しノルギオスは騎士らしい形式を崩さない。
だが、裕は日中は町を離れていることの方が多い。紫の明かりを打ち上げても、見えるかもわからない。裕が帰ってくるまでにすることは一つだ。
ノルギオスはニトーヘンを駐めると、子どもたちに挨拶の練習をさせる。
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