第26話 巡行(5)
ゼレシノル領都を出発すると、次に向かうのはミデラン領都だ。
端的に言えば、チョーホーケーでは森の上を走れない。全く不可能というわけではないが、スピードは落ちるし揺れは増えるしで、あまり良いことはない。
運転席の文官や、随行する騎士は割とゆったりとした椅子に座っているだけなので、然程の疲れもない。
軽い体操くらいなら、走らせたままでもできるというのは重要なポイントだろう。
裕たちは途中の町で一泊しミデラン領都に着くと公爵との会談を済ませて、翌日には王都へと出発する。
なお、国王との会談予定はない。ゼレシノル公爵にしたのと同じようなことをミデラン公爵にも言ってある。対外的なことは上に任せ、裕は自領のことに注力する。
国王への面会は、さすがに時間がかかるだろうという読みだ。返事を二日も三日も待っている余裕はない。
王都に行く目的は二つ。安い魔石の調達と、領都邸の使用人たちの処遇についてだ。
そろそろ金庫の中身がなくなってくるはずなので、給料の支払いのためのお金を渡しておかねばならないし、使用人たちにももっと頑張って働いてもらわなければならない。
「ということで、ここの皆様にも仕事をしていただきたいと思います。皆様はどんな仕事ができますか?」
突如やってきて、そんなことを言われても、使用人たちも面食らうだけだ。
「もともとコギシュの主要産業であった毛織物を復活させるのでも良いですし、新しい産業を生み、育てても構いません。何もせずにこの家を守るだけ、というのでは困ります。何の生産性もない者をいつまでも遊ばせておけるほど、私には余裕はないのです。」
「我々はきちんとこの邸をお守りしております。遊んでいるわけでは」
執事長の反論を裕は「価値を生み出していない」の一言でバッサリと切り捨てる。彼らは邸の価値を維持してきただけで、高めてはいない。それは裕の中では「価値を生み出した」ことにはならないらしい。
「価値を維持するだけなら、平民の子どもでもできます。この数ヶ月でそれがよく分かりました。」
「それで、ヨシノ様は我々に一体何をさせたいのでしょうか?」
不満を隠しきることができていないまま、執事長は口を開く。
「コギシュとエナギラでは方針が異なることは理解できなことではございません。ですが、我々がどのような方向に向かえば良いのか、できるだけ具体的な指針をいただきたく存じます。」
執事長の意見はもっともである。「何かやれ」とだけ言われても、その意を組むのは難しい。
「できること、やりたいことがあるならそれを尊重したいと思っています。できないことをやれと言っても、できるわけがありませんからね。」
酷い話、竜を退治して来いと言われても、彼らにそれができるとは思えない。というか、無理に決まっている。何ができて、何ができないのか。それを把握できていないというのは部下の管理が
「私としては、皆が平和に、幸せに暮らしていける領であればそれでいいのです。そのためにヤギを育てるのでも、馬を育てるのでも、木を育てるのでも何でも構いません。毛織物の毛はどう調達していたのです? 家畜を育てる畜産業も盛んだったのですよね? どのようにして経済や産業が回っていたのか、深くご存知の方はいますか? 毛織物や畜産業の技術に明るいものはいますか?」
知識や能力、適性といったことについて、片っ端から確認していく。当然、魔法の素養もその中の一つだし、家の図面が引けるかということまで確認している。
もっとも、魔法はともかくとして、図面を描いたことがある者など、誰一人としていない。新規で家を建てる需要は田舎にしかない。都会暮らしの彼らには、全く縁のない話らしい。
擂り潰したり、蒸したり、煎じたりという薬草の加工ならば料理人にもできるだろうということで、庭の一角にて薬草の栽培実験を行い、執事たちにはその記録と管理をしてもらう。
町に出て商人たちの動きについて聞き込み、どこの隊商が何を取り扱ってどう動いているのかを把握するのも大切だ。時機が来たら、どこの隊商にエナギラまで足を伸ばしてもらうよう交渉するのかの見極めはしなければならない。
他領の商人に対して王都で無茶な命令をすれば、商人だって自分のところの領主に助けを求めるのは目に見えている。きちんとメリットを提示してやらねば、動きはしないだろう。
毛織物や畜産に関しては、未練がある者はいても、現場の実務を担ったり指導したりということは誰もできないようで、とりあえずは見送るしかなさそうである。
「洗濯は魔法を使って、効率よく行ってください。」
「魔法、ですか?」
突如現れた伯爵に想像もしていなかったことを告げられて、洗濯夫は怯えた表情を見せる。
この洗濯夫は平民であり、今まで主である伯爵と直接話をしたことはない。しかも、魔法など使えないのに、いきなり魔法を使えと言われても困るだろう。
だが、裕には自信があった。
ミキナリーノ秘伝の洗濯魔法は、教えてできなかった者は今まで一人もいない。詠唱はあれど魔法陣もないことから、原初魔法に近いのではないかと思われる。
水の入った盥に手を翳して詠唱をすると、おもむろに汚れた布を盥に入れる。そして、二度、三度と上げ下げを繰り返すだけで布は驚きの白さとなった。
「いいですか。この魔法は門外不出です。もし、外に漏れたらあなたの首は胴体から離れることになるでしょう。」
そう念を押して脅したうえで、裕は洗濯魔法を教える。
石鹸をつけてゴシゴシと洗うことから較べれば、魔法を使うと格段に洗濯の手間が減り、仕上がりが綺麗になる。手が空くはずなので、掃除や庭の仕事を手伝うよう命じて、裕は下働きの作業部屋を出た。
ほとんどの者が現状にプラスアルファで仕事が追加されるなか、
ということで一行には一人加わって、王都からの帰りは五人でということになった。
ノルギオス用のニトーヘンはエナギラに戻ってからでなければ作れないので、運転席のゴヨヒシャの隣に座ってもらうことになる。それ以外は別段、何の変りもなく、街道を突っ走っていく。
ゴヨヒシャら、エナギラ領都から一緒にまわってきた文官や騎士はもう慣れてしまったのだが、やはり三体ならんで走るゴーレムはどう見ても異様だ。足で走るのは、車輪よりも悪路走破性能が高いのは良いのだが、どう見ても気色が悪い。
追い越したりすれ違う馬車や、徒歩で行く人たちからは、一々「魔物か⁉」と警戒される。
武器を抜いて構える護衛も少なくはないが、それには取り合うなと裕は厳に銘じてある。
本来は伯爵に向けて刃を構えれば、その時点で犯罪者扱いで良いのだが、幾らなんでも怪しすぎるのだ。チョーホーケーの小屋には貴族であると分かるような装飾や紋章もないし、誰も旗を掲げていたりもしていない。
どんなに不満でも、遠目に伯爵の一行だと分からないのだから仕方がないのだとしつこく裕に言われて、騎士たちも渋々引き下がった。
だが、そんなこともゲフェリ領都を過ぎればほとんどなくなる。
今はまだ、エナギラに向かう商人はいないのだ。
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