第7話 我が家へ

 事務的な引継ぎと言っても、今すぐに裕自身が何かすることはない。領都邸の運営は、基本は今までどおりである。節約するポイントを伝え、執事に帳簿を任せる。


 最大限削られるのは燃料系だ。薪は三割カットし、明かり用の油は十割カットだ。


「ま、待ってください。明かりは無くても命にかかわることはないですが、いくらなんでもそれは……」

「心配には及びません。明かりの魔法を全員に教えます。今までよりも明るい冬を過ごせますよ。」


 そして、三グループに分けて、裕の魔法講習が始まる。


 最初は上級の使用人たちだ。


「あの火の光りを強く思い浮かべ、手元に呼ぶのです。」


 裕はいつも何故か詠唱は最初に教えない。だが、それでも何度か繰り返し試していると使えるようになる者はでてくる。


「おお! 光った! 光りました!」


 最初に声を上げたのは、掃除と客の案内が主な仕事の執事だ。今まで魔法など使ったことがない歴四十年の男性である。


「ビノイール、何故使えるんだ!」

「先ほども言いましたが、この魔法は誰でも使えるんです。今まで教えてできなかった人はいません。」


 悔しそうな表情で声を荒らげる執事長に、裕は頭を振りながら窘める。


「仕方がないですねえ。詠唱をしてみましょうか。良いですか、復唱しながらやってみてください。」


『輝き燃える炎の力。光よ此処へ、此処へ、此処へ。明かりを灯せ。』


 裕に続いて六人が同じように復唱する。


「光りました! できました!」

莫迦バカな! そんな莫迦な!」


 詠唱しただけで二人がクリアする。だが、残りの四人は焦るばかりだ。


「できますから、できると信じてやってください。疑ってたらできませんよ。魔法は思い浮かべる力が重要なのです。」


 できるようになった者は、熱をもつ光を呼び出す練習した後でそれぞれ仕事に戻っていく。

 そして入れ替わりに下級の使用人が数名やってきた。


「皆さんに明かりの魔法を覚えていただきます。火の光りを強く思い浮かべ、手元に呼んでみてください。」


 裕は暖炉の火を指し、同じように指導していく。



 できるようになるまでチャレンジさせ続け、夕食の時間が少々遅くなりはしたが、全員が無事に明かりの魔法、つまり炎熱召喚魔法を覚えることができた。


「全員できるようになったでしょう? 熱い光を暖炉に放っておけば薪の節約になりますし、ランプなんて使う必要がありません。」


 食堂は魔法によって明るく照らされている。壁にいくつも並ぶランプは全く仕事をしていないにもかかわらず、陽が差し込んでいる昼間よりも明るいくらいだ。


 部屋の隅に控える執事たちは、納得しながらも賛同しかねると主張するような微妙な表情だ。


 明かりの魔法が便利なのはすごく良く分かるのだが、だから油をケチるというのがとても伯爵らしからぬということなのだが、金に余裕がないものは仕方がない。


「三日前まで私は田舎の商人だったのです。伯爵らしくないのは諦めてください。」


 澄ました顔で言う裕に、使用人たちも溜息しか出てこない。



 翌日、朝早くからドーウェン小男爵なる怪しげな人物がエナギラ伯爵を訪ねてやってきた。


「ドーウェン小男爵ですって? ゲフェリ公爵閣下の騎士です、失礼の無いようにしてください。」


 そう指示を出す裕だが、ドーウェン小男爵が来る予定だったのは昼ごろのはずだ。裕の方は出発の準備ができていない。


 追い返すわけにもいかず、客間へと迎え入れるが、その後どうすべきなのかは裕にも分からない。


「おはようございます、ドーウェン様。お早いお越し、お気遣い痛み入りますが、実は私の準備がまだ整っておりません。暫しお待ちいただけるでしょうか。」

「私のことは気になさらずとも結構でございます。エナギラ伯の準備が整い次第出立できるよう待機しております。」


 畏まった態度だが、甲冑も身に着けていない旅装ではとても貴族には見えない。甲冑は着けるなという注文をつけたのは裕だからそんなことで文句は言えないのだが。


「大至急準備します。」


 裕は部屋を出ると、邸を出て下町へと向かう。裕の旅装は宿屋に預けたままなのだ。回収してこなければ着替えることもできない。

 貴族街は道を走るしかないが、下町へ出ると、重力遮断を使って屋根の上を走って一直線に隊商向け宿屋街へと向かう。


 荷物を返せと怒鳴り込んで宿の女将を呆れさせ、荷物を受け取り中身を確認すると、貴族街へと大急ぎで取って返す。


 王都は、王都と言うだけあって、かなり広い。重力遮断を使っても貴族街と宿屋の往復は一時間以上かかってしまう。


 息を切らせて邸に帰ってくると、貴族服を脱ぎ棄てて着慣れた商人向け旅装に袖を通す。

 執事長が呆れた顔をしているが、そんなことはお構いなしだ。腰に山刀を差し水筒と財布を下げ、背中には革袋を背負う。背中の二本のナイフは今回は無しだ。身軽さをとにかく優先する。

 尚、領主の証であるメダルは革袋の中だ。


「大変お待たせしました。ドーウェン様、数日の間、よろしくお願いいたします。」

「急がせてしまったようで申し訳ない。」

「いえ、問題ありません。そんなことよりも、すぐに出発しましょう。」


 慌ただしく応接室を出る。


「それではみなさん、私が次にここに来るのは暫く先になりますが、よろしくお願いしますよ。」

「畏まりました。行ってらっしゃいませ、ヨシノ様。」


 裕が振り返り声を掛けると、邸内の使用人一同跪いて頭を下げる。

 門衛が明けた扉を出ると、道を急ぎ歩く。貴族街では重力遮断走行は問題がありすぎるのだ。


 貴族門を抜けて下町に出ると軽く小走り程度で東門へ向かう。ボッシュハへ向かうための街道はないが、一番貴族街から近いのだ。


「こちらからですか? 失礼ながらボッシュハへの道は西門かと思いますが。」

「関係ありません。街道なんて通りませんから。」


 ドーウェンは不安そうにしているが、裕は平然と答える。そして、街門を出たところから重力遮断を使う。


「一気に行きますよ!」


 走りだした裕をドーウェンは慌てて追いかけて行く。初めてではないだけあって、ドーウェンの動きは早い。あっと言う間、というほどではないが、すぐに裕に追いついた。


「こっちです!」


 街道を折れて畑道を二人は駆け抜けていく。ドーウェンは裕に遅れることもなく、すぐ後ろを走る。


「もっと速く走れますか? 私の足でははこれが限界なのです。」

「はい、頑張ればもっと速く走れると思います。」

「ではお願いします。」


 裕は高めにジャンプすると、空中で一回転してドーウェンの背中に負ぶさるように下りる。

 何をしたいのか理解したドーウェンは「行きますよ!」と掛け声をかけると一気に加速する。


「息が切れない程度で良いです。長続きしない速さに意味はありません。」

「承知しました。」


 それでも時速二十キロ近くは出ている。慣れればもっと早くなるだろう。その速さで走っていれば、畑を抜けるのに一時間も掛からない。

 畑の南西端に着いたところで小休憩を取る。


 二人は水を飲み、伸びをしたり体を捻ったりしたりと軽く体操をする。


「どうですか? このまま走り続けられますか?」

「私は大丈夫ですが、この先はどうするんですか?」


 ドーウェンは森を見ながら不思議そうな顔をする。

 なにをどう見たって、走っていけそうにはない。目の前に広がる森には街道はもちろん、獣道すら見当たらないのだ。


「森の上を行きます。」

「森の上?」

「ええ、最初は私が手本をお見せします。慣れれば簡単ですよ。」


 怪訝な顔をしながらも、重力遮断八十パーセントを受けてドーウェンは裕に続いて樹上へ跳び上がる。


「な、何だこれは!」


 八十パーセント遮断にもなると、体が軽くなったとか、浮遊感とかいうレベルではない。体感的には落下しているのと何が違うのか分からない。だが、ちょっと地面を蹴っただけで、体は簡単に宙高く舞い上がる。


「最初は力加減が難しいんですよ。」


 そう言いながら枝から枝へと飛び移っていく裕をドーウェンは追いかけていく。

 だが、そんな状態も長くは続かない。二、三分も樹上を走っているとコツを掴んできたようで、ドーウェンのスピードがどんどんと上がっていく。


 数分二人並んで走り、小さなきな川の手前で再び小休憩を取る。


「近くに町とか無いですかね。どこかで食事を摂れると良いのですが……」


 そう言いながらも、裕は山葡萄が生っているのを見つけて口へと運ぶ。


「山葡萄ですか。食べるのは久しぶりですね。」


 裕が捥いだ葡萄の房を受け取り、ドーウェンも口に含んでみる。この季節の魔獣退治では山葡萄を口にすることもあるが、普段の食事だとジュースか酒でしか出てくることはないのだと言う。


 その後、村を発見して町の場所を聞き、無事に昼食を摂ると元気に西を目指していく。

 目指す目標はウジニヒの領都だ。街で聞いた情報をもとに方角を修正し、一気に森を駆け抜けて行く。


 ウジニヒで一泊すると方向を一気に転換して南東へと向かう。

 真っ直ぐ王都から南へ向かった方が早いじゃないかと思うかもしれないが、それはリスクもある。

 裕はその途中に何があるかを知らない。バカみたいに高い山がないことは見れば分かるが、野宿の準備はしていないのだ。町を見つけられなかったら体力の消耗が激しいだろう。余計に時間が掛かる事態になりかねない。


 急がばまわれということで、これでも安全と思われる経路を選んでいるのだ。

 そして、重力遮断走行に慣れたドーウェンのスピードは速く、夕方にはアライへと到着した。


 ドーウェンのために宿をとり、裕は自宅へと向かった。いや、エレアーネ宅へと向かった。

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