第39話 破壊できないウロコ
「大変失礼しました、ゲフェリ公閣下。」
ハンター組合支部長が跪き、裕も慌ててそれに倣う。いくら裕が無神経でも、領主相手に無礼を働くつもりはないようだ。
「よい。時間が惜しい、堅苦しい挨拶は抜きにしてくれ。」
長ったらしい挨拶をしようとした支部長を制止し、領主はテーブルの反対側の椅子に座ると、二人の男がその後ろを固める。
裕と支部長は恐る恐るテーブルに着き、領主と向かい合った。
ブラウンの髪を後ろで束ねる領主は意外と若い。見た目では三十歳前後だろうか、『紅蓮』とそれほど違わなさそうだ。
領主の向かって右後ろには甲冑姿の大男が槍を持ち、左後ろには小ざっぱりした服装の痩身の男が板とペンを持つ。秘書と護衛は一人づつしかつけてこないというのは、彼らのことをよほど信頼しているのだろう。
ワゴンを押した侍従がテーブルに茶を並べると、領主は改まって口を開く。
「して、報告とは? 衛兵に伝えた以上の事柄があるのだろう?」
忙しいなか、わざわざ時間を取ったのだ。何も無いなどと言わせない圧力で裕たちに発言を促す。
「まず、魔物と言いますか、竜についてのご報告を。確認できた数は五、大きさは
「雷だと? 撒き散らす、とは具体的にどういうことだ?」
「頭の角から、前方に広がるように幾つもの稲妻を同時に何本も放っていました。」
領主の突っ込みは激しい。稲妻の届く範囲や、放てる方向、連続して撃てる間隔、同時に発することのできる稲妻の数や威力など、細かい所まで質問してくる。
「数ですか? 私も必死に逃げながらでしたので、悠長に数えている余裕は無かったのですが、そうですね、七、八本は同時に放っていたように思います。」
そして、威力については「食らっていないし分からない」と正直に答える。
「分からない、とな?」
「食らえば無傷で済むことはないと思いますが、一撃で命を落とすほどかと聞かれれば、分からないとしか答えようがありません。」
裕の回答に、後ろの二人は不満そうに鼻を膨らませるが、領主の方は満足そうに頷いた。
「竜の数は、五匹と言ったな。本当にそれだけか? 見落としはないか?」
これはかなり嫌な質問だ。他に隠れている竜がいなかったか、というのは入念に調査しなければ分かることではない。
「広範囲にわたって探したわけではありませんので、もしかしたらさらに山の向こうにまだ何匹かいるかもしれません。竜を挑発して何度か吼えさせましたが、それに呼応するような吠え声は聞こえませんでした。」
「挑発? ほう、どうやってだ?」
「効かなくても、何度もしつこく鼻先に火の玉を投げつけられたら、大抵の竜は苛立ちます。」
実際に裕が竜に対して仕掛けたのは火の玉の攻撃ではない。バレることがないとはいえ、よくもまあ、堂々と嘘を吐くものだ。
もっとも、その手のイヤガラセは裕の得意技だ。
やって見せよと言われれば、いくらでもできるから自信満々に言えるのだろう。
竜に関しての話はそれだけでは終わらない。大きさや、走る速さはもちろん、耐久力にも話が及ぶ。
「竜のウロコは頑強です。私には傷一つ負わせることができませんでした。」
「子どもの力など、たかが知れているだろう。騎士団の力を一緒にされては困る。」
「そりゃそうですよね。」
裕もそんなことで一々反論するつもりはない。笑いながら返し、そのまま表情が凍り付いた。
「申し訳ありません、大変なことを見落としていました。」
「どうした?」
突如、色を失くし俯く裕に、領主は怪訝そうに問いかける。何も言わずに青褪められても、何のことだかサッパリ分からない。
「あの竜たちは、傷一つ負っていませんでした。」
「それは先刻聞いた。」
「いいえ、私が傷をつけられなかったのと、竜が傷を負っていなかったのは全く話が違います。」
支部長も領主も、後ろの者たちも何のことかと一瞬だけ考える。そして、領主は表情を歪めたかと思ったら、テーブルを勢いよく両手で叩く。
「誰も手傷を負わせることができなかったと言うのか!」
「分かりません。ですが、モコリにだって兵士やハンターはいたのでしょう?」
裕は痛恨の表情で天井を睨む。
「我々では歯が立たぬと言うか。そこらの兵士と一緒にしてくれるなよ。」
領主の背後で話を聞いていた甲冑男が不愉快そうに言う。
「そこらの兵士? コギシュ領には騎士はいないのですか?」
ようやく甲冑男にも裕の言いたいことが分かったようだ。
モコリの町に着くまでも、何百というハンターや兵士、騎士たちが竜と戦っているはずなのだ。
だが、それでも五匹の竜は無傷だった。つまりそれは、攻撃が全く効かなかったか、あるいは全く届かなかった。もしくは、全ての傷は治癒魔法の類で全て回復した。そのいずれかだろう。
裕が悔やんでいるのは、一匹でも竜を倒すことのできたのかの確認をしてこなかったことだ。
十匹いたうち五匹までは倒せたが、それが限界だった。という話ならば心配することはない。ゲフェリ領の騎士団と、王都からの騎士団および魔導士隊でどうにかできるだろう。
だが、五匹の竜の一匹も倒せていないなら話は違う。
「コギシュ領の騎士たちは然程の強さではない。」
甲冑男は何とか声を絞り出すが、苦し紛れ以外の何物でもないだろう。
「実力ではあなたの方が上回っているとしても、コギシュの騎士はあなたの足元にも及ばない、と言うほどの差があるのですか?」
無礼ともいえる質問だが、甲冑男は返答に窮する。
それ以上の問答もなさそうだということで、領主は裕に騎士団の演習場で規模感を示せと言う。
「演習場とはどこにあるのでございますか? 申し訳ございませんが、私は王都に急ぎ伝えに行かねばなりません。」
裕は苦しそうに断りを述べるが、領主は「その必要はない」と却下した。
「我々領主は、自分の治める地から直接王宮の陛下と連絡を取れる魔法道具を有している。今日の報告は私から国王陛下にお伝えしよう。」
遠隔の通信手段は人が行き来するしかないと思っていたのだが、違ったようだ。
「そんなものが、あるのですね……」
裕は心底驚いたようで、ポカンと口を開ける。
「通信の魔法道具は基本的に領主と王族しか持っておらぬ。一般の者が使うことはできぬからな。市井の者たちは知らなくても無理はない。」
若い領主は自慢気に語る。
「私が仲間に報せるのが少々遅れるだけなのですね。それで、演習場はどちらに?」
「せっかく淹れたんだ、茶くらい飲んでからで良い。」
急ごうとする裕を宥めながら、「これは個人的な興味なのだが」と前置きした上で、裕にとって一番されたくない質問を投げかける。
「お前は何者だ? 五、六歳の子どもにしては受け答えができすぎる。仲間が王都にいると言ったな? 何故モコリに行ったのだ? 何人で行った?」
ポンポンと投げつけられる質問に裕の表情が強張る。
「答えたくない、と言って許されるのでしょうか?」
質問に質問に返すが、今までの流れるような口調はどこへやら。いきなり歯切れが悪くなる。
「何故、答えたくないのだ?」
「話すと長くなりますし、どうせ信じてくれません。」
裕の返答に、領主は瞑目して二呼吸ほど押し黙る。
「まあ、良い。では、違う質問をしよう。今気づいたのだが、私はお前の名を聞いていない。名乗れ。」
裕が名乗る前に領主に挨拶をかっ飛ばされたから、タイミングを逸してしまっただけだ。
「私は
「ほう、商人か。では、ウルニズリアよ。其方はどうしてこのヨシノの言葉を信用しようと思った?」
領主は突然、話をハンター組合支部長に向ける。
裕は情報源として怪しすぎる。数分話しただけでは信頼度がどれほどなのか計りかねるのは当然だ。
「まず、子どもの作り話にしては、話が具体的すぎます。体をなさない報告ならば、私も聞く耳を持たなかったでしょう。」
「それ以前の問題として、身分を明かしているということ。ボッシュハ領の商業組合の組合員証の提示がございました。まあ、それだけで信用することはありませんが。そして、領主様への報告についてきたこと。最後に……」
少し言いづらそうに眉間に皺を寄せる。
「ここに来るまでに見た彼の魔法は、私も知らないものだったこと、です。」
「知らない魔法? 怪しげな術を使う者が信用できるのか?」
「以前に噂を聞いたことがあります。ボッシュハに魔族の商人がいる、と。子どものような姿でありながら圧倒的な魔法で竜の集団をねじ伏せ、風のような速さで走るという、まあ、眉唾ものなんですがね。」
隣で裕がテーブルに突っ伏す。領主の前で失礼な奴だ。
「それが、このヨシノである、というわけか? 反応を見るに、当たっているようだが……」
「ええ、そして噂にはもう一つあるのです。魔族の商人は、我々と敵対する意思はない、と。」
「私は平和に暮らしたいんです。敵を増やすだなんて御免ですよ。」
裕は身を起こしてふてくされたように言う。どう考えても、領主の前でとる態度ではないが、領主は気を悪くするどころか声を上げて笑いだした。
「平和が望みか。私も同意見だ。ならばこそ、平和を乱す竜退治に協力してくれるな?」
「そ、それは嫌です! 武力として利用されるのは御免です! 他の人を当たってください!」
「それはできない相談だな。」
領主はニヤリと笑い、立ち上がる。
「演習場へ行くぞ。お前の力、見せてもらう。」
なんかもう、領主はやたらとやる気満々だ。ウルニズリアが「私はここらで失礼を」なんて言うがそちらは興味なしだ。裕も一緒に帰ろうとして、領主に首根っこを捕まえられる。
「お前はこっちだ。」
「諦めろ。
領主に背を物理的に押されて歩く裕に、後ろを歩く甲冑男が冷たく言う。
不意打ちで攻撃すれば逃げ切れるだろうが、そんなことをしたら犯罪者となってしまう。領主に対して攻撃を加えたとなれば、打ち首は免れないだろう。
城を出て横手に回ると騎士団の演習場がある。広さとしては四百メートルの陸上トラックがギリギリで入らなさそうな感じだ。
裕たちが演習場に着いたときには、数百人の騎士たちがそこに整列していた。既に使いが走り、呼び集められていたようだ。
「竜の情報が入った。作戦立案に役立ててくれ。おいヨシノ、どこへ行く?」
騎士団の前に立ち、話を始めた領主からこそこそと隠れるように裕は距離を取っていたが、あっさりと見つかった。まあ、遮蔽物もないのだから当たり前だ。
「ま、竜の大きさですよ! 頭から尻尾までこれくらい、領主様からここらまでが竜の大凡の大きさです。」
裕は慌ててなんとか誤魔化す。
「そのうち、半分ほどが尻尾です。そして、皆さんは竜のウロコがどれほど頑丈かご存知でしょうか?」
裕は問いかけるものの、並ぶ騎士たちは特になんの反応もしない。
「大事なことなんですけど……。例えばこれ、竜のウロコと言われているんですけど、これを切れますか?」
革袋から一枚の竜のウロコを取り出し、領主の背後に立つ甲冑男に渡す。
「壊して良いのか?」
「壊せるならどうぞ。私には何をしても無理でした。」
ウロコを演習用の案山子に括りつけさせて、甲冑男は槍を構える。
「はっ!」
気合いを込めて槍を叩き込むが、ウロコはその刃を受け付けない。乾いた音を立てるだけだった。
「そんなバカな……」
相当に自信があったのだろう、甲冑男は驚愕に声を漏らす。さらに何度か攻撃を叩き込むが、ウロコを貫くことも切ることもできはしない。魔法の使い手たちが最大の攻撃力をもつ術を放っても、それは変わらなかった。
呆気にとられていた様子で見ていた領主は厳しい顔で裕に目を向ける。
「これをどこで手に入れた? モコリの町を襲った奴らとどちらが硬い?」
「どちらが硬いのかは分かりません。私にはどちらも傷をつけることができませんでしたから。入手したのはボッシュハ領の南側、人の立ち入ることのできない谷の底です。」
裕の説明はメチャクチャだ。領主も顔を引きつらせて頭を振る。
「そんなところに何故行けるのだ。どうやって行った?」
「私は魔族ですから、特殊な魔法を使えるのです。それを使えば簡単に行けます。」
「どんな魔法だ? 見せてみろ。」
「嫌です。」
「何故だ! 私が見せろと命じているのだ。」
「見せても殺さないとお約束いただけますか?」
裕の言葉に、領主は何を言っているのかと首を傾げる。
「以前住んでいた町では、私の力を知った領主様に処刑されそうになりました。他の方々の力添えで追放で済んだのですけれど。」
「どんな魔法だ? 見せてみよ。」
領主は同じ言葉を繰り返す。さきほどとは違い、有無を言わさぬ強さに裕はたじろくが。領主は言葉を付け足す。
「危険な力を持つというだけで処刑などせぬから案ずるな。私は約束は守る。」
領主の言葉に、裕は短く嘆息し、重力遮断を発動させ、軽くジャンプする。
軽く、といっても三メートルほどだ。そして、そのまま空中に静止する。
「その子供を捕らえよ! 生かしておくことはできぬ!」
「なッ! 何を!」
「冗談だ。」
領主は笑えない冗談を平然とやってのける。そこにちっともシビれないし、憧れない。
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