第37話 戦略的逃亡

 竜の放った稲妻は、裕の周囲を覆い尽くすほどだ。


「なむあみだぶつ! なむあみだぶつ!」


 それでも裕は体を丸め、必死に浮いた竜の背中にしがみつきながら念仏を繰り返す。

 精神的なダメージは大きいが、実際のところ、稲妻による肉体的なダメージはほとんど無い。


 裕に稲妻が直撃しないのは、竜が周囲にだからだ。

 雷が最大の効果を発揮するのは、対象が接地されている場合だ。

 基本的に、空中にいる相手に雷は効きづらい。というか、当たりづらい。

 稲妻の大半は地面に落ち、残りは浮いた竜のウロコを伝って、尻尾から大地アースへと逃げていく。つまり、竜のウロコが避雷針の効果を果たしていて、裕には一つも当たっていない。


 メッチャメチャ怖いけれど、まあ、怖いだけなのだ


 だが、竜たちの攻撃はそれだけに止まらない。

 巨体を起こし、浮き上がった竜の足を尻尾を捕まえて地上に引きずり下ろす。


「のおおおう!」


 裕は慌てて竜の背を駆け上がり、北の空へと逃げ出す。助走をつけての全力のジャンプに加えて、重力遮断百パーセントでさらに上方に加速する。


 間一髪で竜の間合いから逃げ出したが、裕の背後では雷光が迸りまくる。なかなか諦めの悪い奴らだ。

 だが、それも裕が百メートルほどの高さを超えたあたりまでだった。


 しばらく裕の下をウロウロしていたが、町の方へと戻っていく。



 町から離れた森へと着地した裕は、南へと戻っていく。

 このままやり合っても、勝てる見込みなどないだろう。


 竜の足止めくらいはできなくもないだろうが、情報を持ち帰って作戦を練った方がいいという判断だ。


 山を越えて町へと入ると、あたりに人の気配はない。町民全員が避難したのだろうか。

 残っている人がいないかと探していると、武装した一団に遭遇した。ならず者の集団、という雰囲気ではない。共通の紋章が入った装備ということから考えると、この町の兵士だろう。


「この町の人はもうみんな逃げたのですか?」

「ああ、最後の確認中だが、もう我々しかいないはずだ。お前さんも早く逃げろ。すぐにでも化物がやってくるぞ。」


 彼らは逃げ遅れている人たちがいないか見回っていたらしい。だがそれも終わり、彼らも町を離れるところだという。


「言われなくとも、私も王都に戻ります。報告を急がなくてはなりません。」

「王都に報告?」

「そうそう、あなた方にもお伝えしておきますね。モコリを襲った化物の数は五。頭から尻尾の先まで十一ミシス20メートルほどの大きさで、雷の魔法を使います。試しに魔法攻撃してみたんですが、全然通じませんでした。」


 裕の説明に、兵士たちは信じられないとばかりに首を振る。


「十一ミシス? そんな化物が五匹もだと? 二、三匹はいると聞いていたが……」

「ええ、とてもじゃないけど、私にはどうしようもありませんでした。」


 裕は肩を竦めてみせるが、常識的には子どもにどうにかできるなら、町が壊滅したりはしないだろう。兵士たちは苦笑いを返すしかない。


「その情報は確かなんだろうな?」

「はい。入ってくる情報が少なすぎるので、わざわざ見に行ってきたんですよ。」


 胡乱うろんげな目を向けてくる兵士に裕は胸を張って答えるが、兵士たちからすれば子どもの言葉を無条件に信用することはできないだろう。

 彼らの表情から、疑っていることは明白だ。


「それはそうと、これからどうするのです? 領都や王都方面に行くなら、一緒に行っても良いですけど。」

「そろそろ俺たちも行くか?」

「だが、町を守る者がいなくなるわけにも……」


 住民が全員避難した中で、随分と立派な心掛けだ。だが、裕は気持ちでは何も守れないと首を横に振る。


「あの化物が来たら太刀打ちできませんよ。無駄に命を落とすだけです。」

「だが、それでも、いや、だからこそ、いち早く連絡に走れるように待機していたほうが……」

「馬でも残っているんですか? そんな鎧を着て走って逃げ切れる相手ではありませんよ。」

「だが、お前さんのような子どもが逃げれるなら、何とかなるんじゃないか?」


 なんとも諦めが悪い兵士たちだ。それでも尚、無人の町を守るために残ろうとするのは、現在置かれている状況が分かっていないのだろう。


 誰かが囮、あるいは敵の足止めをしている間に伝令に走る。

 当たり前といえばそうなのだが、五匹の竜を相手にそれは無理がありすぎる。

 対峙すれば、おそらく一瞬で殺される。

 馬に乗って魔法攻撃でも繰り返せばあるいは上手くいくのかも知れないが、近接武器しか持たない兵士では時間稼ぎすらままならないだろう。


「私が逃げたのは空ですよ。こんなふうに。」


 力を見せすぎるのは良くないとはいえ、逃げれば助かる兵士を見殺しにするほど裕は冷淡ではない。

 使命感に燃える、誇りある者であれば尚更だ。


 言葉だけでは信じられないならばと、裕は重力遮断ジャンプで手近な家の屋根の上に跳びあがる。

 周囲の家々は二階建て、屋根の高さは八メートルほどはある。常識的には、棒高跳びでもそんな高さは跳べはしない。


「バカな!」

「一体何をした⁉」


 驚愕する兵士たちの前に、裕はふわりと着地する。


「私の魔法は、早く走ったり高く跳べたりと、とても便利なのです。今の何倍も高く跳び上がって逃げたら諦めてくれましたけど、地面を走っている間はずっと追いかけられましたよ。」


 裕の説明に兵士たちは頭を抱える。

 常識はずれなジャンプをしてみせた子どもが逃げるのに苦労したとなれば、自分たちでは逃げきれないのは想像できたのだろう。


「仕方があるまい。とりあえずメジーン一つ南の町へ行こう。」


 痛恨の表情で北の空を睨み、兵士たちは頷きあう。


「行くなら、さっさと行きますよ。モタモタしている時間はありません。重力遮断四十パーセント!」

「な、何だ⁉」


 魔法の発動とともに、兵士たちがどよめく。便利な魔法と聞いていても、実際に重量の四割が消し飛んでしまえば、驚かない者などないだろう。


「これが私の魔法です。鎧を着ていても早く走れるでしょう。」


 裕は南に向かって走りだすと、兵士たちもついてくる。


「そっちじゃない、こっちからまわった方が近道だぞ。」


 町の道路は入り組み、碁盤の目の様にはなっていない。土地鑑のない裕が選んだ道では遠回りになってしまうようだ。


 町を出ると、畑の中を通る街道を走り、一路南へと向かう。四キロ程度ほど先の小川で畑は終わり、その向こうには森が広がっている。


「木の上を行きますよ! 重力遮断八十パーセント!」


 裕は叫んで跳び上がる。

 兵士たちも次々と真似て跳び上がり、そのジャンプの高さに驚きの声を上げる。


 見よう見まねで何とか木の枝から枝へと跳び移り、兵の一団はなんとか森の上を移動していく。


「済まないが、もうちょっと右に行ってくれないか? ここからでは街道の様子が見えない。進むのが遅れている者がいたら、助けになりたい。」


 隊長らしき兵士が、裕に進路変更の要求をする。この人たちは町を、民を守ることに、本当に命を懸けている。

 正真正銘の善意丸出しで言われると、裕も無碍にはできない。進路を大きく西に向ける。


「メジーンに向かっているかた、聞こえましたらお返事してくださーい!」


 一々探して回るのも面倒なので、裕は大声を上げて呼びかけてみる。

 だが、耳を澄ませてみても返事は無い。


 数十秒に一度、呼びかけながら走り、三度目の呼びかけで返事が返ってきた。


「あっちですね。」


 裕は指差して言うが、兵士たちは誰も聞こえなかったらしい。

 怪訝そうな表情で互いに顔を見合わせている。

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