第36話 廃墟の竜
「うおお! 寝過ごした!」
目が覚めるなり、裕は叫んで飛び起きた。窓を開けて確認すると、既に日が昇ってきている。
慌てて身支度を整えて一階へと下りていく。
「随分ゆっくりだね。みんな逃げる準備をしているよ。アンタも早く離れた方がいい。」
裕の姿を認めた宿のオヤジが声を掛けてくる。
「おはようございます。化物は今どこに?」
「モコリの町を荒らし回っているらしい。日の出前に正式に報告が来たっていうさ。」
どうやら、夜通し馬を飛ばして逃げてきた者たちがいるらしい。それによると、壊滅的被害、ではなく完全に壊滅ということだ。
「朝食食べるならできてるよ。早く食っちまってくれ。私もさっさと逃げさせてもらうからな。」
そう言うオヤジは持っていく家財を選んで木箱に詰めている。
「ありがとうございます。馬車はあるんですか?」
「私は知り合いに便乗させてもらうよ。今から探しても空きは無いと思うがね。」
「私は不要です。これからモコリに行ってみますので。」
裕の言葉にオヤジは思わず作業の手を止めて体を起こす。
「アンタ、正気か? みんな殺されちまってるんだよ?」
「化物の強さや数も確認しないで帰れませんよ。心配せずとも、私は大丈夫です。一人で王都からここまで二日で走ってきたんですよ?」
常識はずれの裕のスピードにオヤジは目を剥く。が、これでも遅い方だ。アサトクナならばその倍の速さで走れる。本当にただの偵察ならば、そうしていた方が早かったはずだ。
長話をしているような場合でもない。裕は話を早々に切り上げると食堂に向かい、皿に乗せられたサンドイッチを頬張る。
その間にも宿のオヤジや女将は忙しなく動き回り、衣類や金品、食料品を木箱に詰めて運び出していく。
「では、皆さんのご無事をお祈りしますね。」
裕は食事を終えると簡単に挨拶を済ませて町の広場へと向かってみる。普段なら屋台で賑わっているだろう広場には、ほとんど人がいない。
営業している屋台なんて一つもなかった。
できれば昼食を買っておきたかったのだが、みんなそれどころではないようだ。裕は諦めて北へと歩き出す。
モコリの町は、直線距離ではそう遠くない。山一つを越えた向こう側だ。街道は大きく迂回しているが、裕は真っ直ぐ山を登っていく。
山頂からでも、モコリの町が壊滅しているのが分かるほどだった。
人口二千弱の町はそう大きくはない。その街並みは瓦礫と化し、あちこちから火の手が上がっている。そしてそんな中で動いているものがある。
裕は意を決して山を駆け下りていった。
廃墟と化した町は煙と血の臭いで充満していた。
逃げ遅れたのか、戦おうとしていたのかは定かではない。千切れ、焼け焦げた死体がいくつも転がっている。
そして。建物の残骸の向こうでは化物が暴れている。
頭から尻尾の先まで二十メートルくらいはあるのではないだろうか、巨大な体躯はゴツゴツした黒灰色のウロコに覆われて、八本の短い足には無数の爪がはえている。
頭部には八つの金色の目が輝き、登頂からは三本の角が伸びている。
竜と言われればそう見えなくもないが、その異様な姿はまさしく化物だ。
そんな化物が、瓦礫の隙間に頭を突っ込んでは何やら食らっている。町の人たちの食料なのか、町の人たちそのものなのかは裕の位置からは確認ができない。
だが、不用意に近づくわけにもいかず、裕は大きめの瓦礫を拾って、町の東からまわって北へと向かう。
風上側に行けば臭いで気づかれるかもと思ったが、竜の動きに変化はない。裕は十分に距離を取ると、重力遮断百パーセントで一気に上空に飛び上がった。
百メートル、二百メートルとどんどんと高度を上げ、ついには雲の下辺あたりにまで到達する。
高度二千二百メートル。
今までにない高空から、裕は持ってきた瓦礫を投下する。
ゆっくりと慎重に狙いを定めて落とした瓦礫は途中で見えなくなる。
単純に裕の視力の限界だ。だが、瓦礫が地面に激突した音は裕のところまで届くほどだった。
いくら竜が巨大でも、二千メートルも離れていれば一発で当てらるものではない。裕としては、あわよくば竜に直撃してほしかったのだが、そう上手くはいかない。
五匹の竜は突然の爆音に慌てて周囲を警戒する。バタバタと走り回りながら攻撃してきたと思しき敵を探す。だが、いくら探しても攻撃の主は見つからない。
竜でなくとも、まさか二千メートル上空からの攻撃とは思いつきもしない。裕はそのままゆっくりと北風に流されながら高度を落としていく。
周囲に何もない空中での速度制御は大変だ。上下左右前後どの方向にどれだけのスピードで進んでいるのかを認識する術はない。
仮に、十秒かけて高度が二千二百メートルから二千百メートルになっても、分からないのだ。だがそれは五メートルの高さから普通に飛び降りたときのスピードだ。
それくらいなら何とか着地できなくもないが、無傷での着地は難しいだろう。
光の盾も風魔法も使えない裕には、落下速度を減じる手段は自転による遠心力加速しかない。つまり、かなり微々たるものなのだ。
高高度の空中浮遊には危険がつきまとう。通常は裕はあまり高く飛ぼうとはしないのはそのためだ。
上昇の二倍ほどの時間をかけて、裕が地上に戻ったのは、町から五キロ以上も離れた森の中だった。
投石攻撃に驚いて、竜が逃げてくれれば良かったのだが、そう上手くはいかないようだ。逃げ帰るのでなくても、五匹がバラバラになれば、一匹ずつ対処できる可能性がある。
裕一人で五匹まとめて相手にするなど、どう考えても不可能だ。
裕が再び廃墟に戻ったときは、竜は再び瓦礫を掘り返して何やら食べている。
気配を殺して、一番東側の竜にこそこそと近づいていく。
竜の方は、建物の残骸に隠れて進む裕に気付いていないようで、ひたすら瓦礫を掘っては食べを繰り返している。
その竜の巨大な体が突如浮き上がった。その直後、竜の頭から伸びるツノが怪しく光り、周囲に雷光を撒き散らす。
それに負けじと、裕も炎熱召喚を竜の眼前に放つ。
いや、今のは逃げるための目くらましだ。竜の攻撃に、他の竜も反応している。一斉に振り向き、近づいてきたのを裕が見落とすはずもない。
「はンぎょえああああああ!」
血相を変えて裕は脱兎のごとく逃げ出すが、五匹の竜の短い脚の動きは意外と早い。裕との距離はどんどん縮まっていく。
「太陽拳! 太陽拳! 太陽拳!!!」
近付いてくる足音に振り向きもせずに、陽光召喚を後ろに放り投げまくりながら裕は全力で畑を駆け抜けて行く。
もはや、畑を荒らさないように注意するとかそんなことを言っていられる状態じゃない。
しまいには畑に火を放ちすらする。
だが、必死に逃げながらも裕は方向を北へと変える。南側に逃げるほど間抜けではない。
「そうだ!
太陽拳、もとい、陽光召喚はやめて、念仏を唱えながら全力疾走する。それだけを見たらただのヤバイ子どもだ。
見た目には間抜けなシーンだが、竜の動きは途端に遅くなる。しかし、竜は追いかけるのを諦める様子はない。
このままでは埒が明かないと、裕は陽光召喚を放ち振り向くと、竜の背に向かってジャンプする。
「百パーセント重力遮断! アンド、南無阿弥陀仏!」
重力遮断をかけても爪で地面にしがみつくし、南無阿弥陀仏だけでは竜は成仏してくれない。
ならば、両方を同時でやるしかない。
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏ッ!」
声を張り上げて念仏を繰り返すと、竜は脱力し巨体がふわりと浮かび上がる。
だが、その直後、追いついてきた後ろの竜が四方を取り囲み、物凄い勢いで吼えかかる。
四匹は一定の距離を保ち、浮かび上がる竜に近づこうとしない。こいつらには裕の成仏魔法の効果範囲が認識できるのだろうか。
だが、そのままで終わることはない。竜は四匹揃って稲妻を撒き散らした。
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