第2章 平穏を目指して

第1話 一路、東へ

 領主より領外への追放の命令を受け、好野裕は東に向かっていた。

 一昼夜をかけて、野を越え山を越え進むこと、約八十キロメートル。


 普通に考えれば、六歳児が一日で移動できる距離ではないが、彼の重力遮断魔法がそれを可能にしている。


 重力遮断魔法は、その名の通り、重力を遮断するだけのもので推進力を持たないため、移動のためには地面や壁などを蹴ったり押したりする必要がある。だが、それでも普通に歩いたり走ったりするよりも、体力消費は圧倒的に少なくて済む。何より、重い荷物が全く苦にならないというメリットはとても大きい。

 平らなところでは、台車をキックボードのように使うととても楽なのと同じ理屈だ。


 地形に関係なく、時速十キロメートルで進むことができるというのは、素晴らしい能力であると言えよう。



 日が出る前から起き出した裕は、山頂に立ち東に広がる平地を見下す。よく晴れている東の空は明るく、日の出は間もなくだろうと思われるが、大地はまだ暗く、道や町などは全く視認できない。


 裕は手を擦り合わせながら日の出を待つ。

 夏の終わりとは言え、山頂での朝は気温もそう高くない。凍えて死んでしまう程ではないが、夏用の服では肌寒いだろう。



 だが、そうしている時間もそう長くはなかった。地平線から太陽が顔を出すと、遠くに町が霞んで見える。

 ぱっと見た感じでは追放された町の半分程度。それほど大きな町ではない。人口は千人も無いだろう。


 そして、目を手前に向けると、東に向かって真っすぐ山を下りていったあたりに小さな村というか、集落が見える。


 進路を確認した裕は、山を駈け下りて行く。

 途中でゴブリンの集団がいるが、構わず横を駆け抜けて行く。と、ゴブリンたちは裕を追いかけてきた。


 ゴブリンがギャイギャイと奇声を上げながら追いかけてくるが、裕の目の前には崖が迫る。普通ならば追い詰められて絶体絶命なのであろうが、裕には崖とか関係がない。


「重力遮断、九九パーセント!」


 裕は叫んで空中へと飛び出す。

 後ろを追いかけてきたゴブリンも崖から飛び出し、遥か下へと落ちていく。


「知能低すぎやしませんか?」


 振り向き笑いながら、裕は重力遮断を制御して下降していく。目指すは山の麓にある小さな村だ。無理して森に降りる必要も無いと判断した裕は、そのまま飛んでいくことにしたのだ。



 村から少し離れたところに着地し、村へと向かう。

 村は朝っぱらからが何やら騒がしい。


「何かあったのですか?」

「またオークが出たっちゅうだ! 子どもは家に入ってれ!」


 手近なところにいた村人に聞いてみると、数日前から出没しているオーク数匹がまた現れたのだと言う。


「私が退治しましょうか?」

「やめれ! 今はまだ人は襲われてねえんだ。アンタが殺されて食われちまったら大変だや。人の味を覚えられたらオレたちの手に負えんくなる。」


 彼が言うには、今のところは、男衆が集まって、鍬やら何やら振り回していればオークを追い返せるのだそうだ。


「ところでオメエ、どこから来た?」

「あっち。」


 今頃、裕の顔を見たことがない、と男が不審がるが、裕は何食わぬ顔で村の西にそびえる山を指す。

 いやいや、村人はそんなことを聞いているのではないだろう。


「方角はどうでも良いんだよ。何しに来たんだ?」

「旅の通りすがりです。井戸水でも分けてもらえればと思ったんですが。」


 すごくどうでもいい理由だった。


「しかし、オークですか。まあ、ちょっとだけ見てから退治するか考えますよ。」


 笑いながら言って、裕は近くの家の屋根の上に跳び上がると、そのまま屋根から屋根へと跳び移って騒ぎのする方へと向かう。


 騒ぎ声をたよりに村の端の家のまでくると、十数人の男たちが集まってきているのが見える。手にスコップや鍬を持ち、振り回し騒いでオークを追い返すつもりなのだろう。


 裕は屋根の上で立ち止まってオークを探す。

 村の北側に広がる野ッ原には放し飼いの山羊が数頭、何事も無いかのように草を食んでいる。

 その向こう、北北西約五、六百メートル先に三匹のオークらしき影がウロウロしている。


 三匹のオークは山羊を狙っているようで、徐々にと近づいてくる。

 裕は屋根を蹴り、そのオークの上空に向かって飛んでいく。


 裕の魔法の射程は百メートルもない。数百メートルも離れている相手に有効な遠距離攻撃手段は持っていないのだ。そのため、攻撃を仕掛けるには近づく必要があるのだが、バカ正直に真正面から向かう必要は無い。

 要は百メートル圏内に入りさえすれば良いのだ。それは上空でも何の問題もない。


「重力遮断、九九・〇五パーセント!」


 上空八十メートルから放った裕の魔法がオークを捕らえ、無重力地獄に陥れる。


「あーっはっはっはっは! オークなんてただの豚ですね!」


 高笑いを上げながら地上に降りてきた裕が山刀を手にオークへと迫る。

 三匹のオークはといえば、空中でジタバタともがいていた。オークたちはよほど慌てたのか、手にしていた棍棒をそこらに放り出してしまっている。

 なんと情けない。これではただの雑魚キャラ、やられ役ではないか。


 そんなオークに裕は背後から近付いて、刃を振り下ろす。死角からの攻撃がオークの左足の腱を切り裂き、絶叫を誘う。

 オークたちの宙に浮いた体は、どんなに手足をバタつかせても前にも後ろにも動けず、方向転換すらままならない。反撃をしようにも、敵に向き直ることすらできず、まるで駄々を捏ねている子供のように喚きながらジタバタと暴れるのみである。

 これでは戦いにもならない。


 裕は抵抗すらできないオークを相手に一方的な攻撃を加え、全てのオークの足が使いものにならなくなった後に重力遮断を解除する。そして、オークが落とした棍棒を拾い、「えいやー! えいやあああ!!」と景気よく掛け声をかけながら、地に倒れたオークの足に向けて叩きつけていく。


 農具を手に駆け寄って来た村人たちも呆然と見ているだけだ。


 数分後、足先から骨を砕かれたオーク三匹は、口から泡を吹いて動かなくなっていた。


「止めを刺すのはどこでやれば良いですか?」


 肩で息をしながら裕が後ろで見ている村人に問うが、聞こえなかったのか理解できなかったのか、村人たちは呆けたままだ。


「オークの血で汚して構わない場所はどこですか?」


 裕が改めて声を上げる。

 オークを殺すのにそんな事を気にするものなのだろうか。

 戸惑いながらも、男たちは家畜を〆るのにも使う作業場の方を指す。


 裕は指された方へとオークを押し、もう安全だと告げる。近くに群れの仲間がいるならば、悲鳴に釣られて出てくるか、逃げ去るかしているだろう。オークには隠れて反撃の機会を窺うような知能は無いはずである。


「ここで良いですか?」


 裕の問いかけに男たちが首肯すると、重力遮断魔法を解除する。音を立てて落ちたオークオークが完全に白目を剥いているのを見て、村の男たちは足に紐を結わえて逆さに釣り上げる。そして、首の下に大甕を置けば準備完了だ。


 首を掻っ捌いてやると、大量の血が噴き出てくる。

 まあ、普通に山羊や豚の屠殺・血抜きと同じ要領なのだから当たり前なのだが。


「この血ってどうするんですか?」

「草を燃やした灰と一緒に煮れば肥料になる。」


 実に農村らしい回答だった。そこらへんにぶち撒けたままにすれば狼などの肉食獣が寄ってくることもあるが、灰と煮てやれば大丈夫なのだそうだ。


「この肉って食べるんですか?」

「誰が食うか! 干し肉にしておけば、家畜のエサっちゅうことで売れるんだよ。皮は、まあ、靴だな。服にはしたくねえ。」


 そして、骨は焼いて砕いて、やはり畑に撒くらしい。

 化学肥料など存在しないのだから、農業は有機肥料で頑張るしかない。肥料として骨粉を使うのも当たり前の話だった。



「ところで」と裕が切り出す。

 端的に言うと、報酬を貰えないか、という話である。

 村の安全を守った上に、肥料や皮まで手に入ったのだ。何かあっても良いんじゃないかと裕は期待をする。


 だが、村長を名乗る人物の答えは裕の期待を裏切るものだった。


「オークの退治など頼んでなどいない。勝手にやった事に報酬などあるわけが無いだろう。」


 だが、それに反論する若者もいた。


「ケチ臭いことを言って村の悪印象を広めると、駆除をお願いしても誰も来てくれなくなる。礼くらいはするべきだろう。」



 裕は村長を無視して、アンノリオムと名乗った青年と話をすることにした。


「別に大金を毟り取ったりしませんよ。今日の晩御飯と寝る場所、それと銀貨何枚かでも頂ければ。」

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