第11話 旅立ちの季節

 ミキナリーノとミドナリフフが応接室で話をしているころ。

 章旗を掲げた十数名の兵士が神殿の前に現れた。彼らは領主の抱える正規軍である。


「ヨシノゥユーを引き渡して貰いたい。」


 隊長が告げると神官達は顔を見合わせる。いくら彼らが裕を疎ましく思っていたとしても、理由も示さずに「引き渡せ」と言われて応じることはできない。


 言われたからホイホイと応じていたのでは、彼らの立場が落ちるばかりだ。領主や貴族たちからの怪我や病気の治療要請も、ちゃんと謝礼を要求しているし、今まではそれは支払われてきている。


 理不尽なことでも命令すれば言うことを聞く。

 それを一度通してしまえば、その後、謝礼が支払われることはなくなるだろう。

 そのようなことは避けなければならない。



 そうは言っても、領主の兵が来ているのを無視することはできない。来客中であるとは知っていても、神官長への報告に走ることになる。

 急な報せを受けると、神官長も慌ててやってきた。


「一体何ごとですかな?」

「ヨシノゥユーがこちらにいるのは間違いないですな? 彼に他国の工作員スパイの嫌疑が掛かっている。」


 神官長の問いに、硬い表情を崩さずに隊長は答える。


「そんな莫迦な。あれはまだ幼い。あんな子供を工作員にして、何ができるのでしょう?」

「今すぐにヨシノゥユーを連れて来たまえ。」


 傍らにいた神官が反論するのを遮り、神官長が命令する。


――領主が何を考えているのかは分からないが、自分達が恨みを買わずに済ませられるならば都合が良い。


 そう考えた神官長は、内心を悟られぬよう顰めた表情を作る。


「あれが何か悪さをしているようには見えなかったが、領主様が疑われるのならば仕方あるまい。本人にやましいところが無いのであれば、堂々と取り調べを受ければよいのだ。」


 そして、神殿としてはおかしな人物を匿うつもりはないと言いながらも、協力する見返りを暗に要求する。

 神官長とは中々したたかな人物のようだ。



 程なく、神官が裕を伴って戻ってくる。


「貴様がヨシノゥユーか。領主の名の下に貴様の身柄を確保する。一緒に来てもらう。」


 隊長が一方的に宣言し、数人の兵士が裕を取り囲む。子ども相手に厳重なことだが、町での噂からすると、これでも足りないくらいだろう。


「お断りします。と言ったらどうしますか?」


 状況が分かっているのか分かっていないのか、裕は兵士達を見回して言う。

 兵士達が一斉に緊張した面持ちで身構える。隊長は無言のまま裕を睨みつけている。だが、口元は引き攣り、焦りの色がありありと見て取れる。


 一触即発の圧に呑まれて神官達が身動きすらできないでいると、ミキナリーノとミドナリフフがやって来た。


「一体何があったのですか?」


 怪訝な表情で兵士たちを見回しながらミドナリフフが問う。


「罪人を捕らえています。危険ですので下がってください。」


 隊長が怯えたような掠れた声で返す。そんなに裕が怖いなら、敵対しなければいいのにと思うのだが、彼も仕事なのだろう。


「ヨシノゥユーが何をしたって言うのですか?」


 そう問うミキナリーノに、神官長が一喝する。


「子どもには関係無いことだ。さっさと退がれ!」

「関係あります。私は昨日までその子の面倒をみていました。彼は罪人と言われるようなことなどしていません。」


 丁寧な言葉は崩さず、しかし口調を強めて言う。


「ヨシノゥユーには工作員の嫌疑が掛かっている。」


 隊長は先程の言葉を繰り返した。


「それはどういう事ですか? 彼は先日町を救ったのではなかったのかな? 我々の恩人を不用意に罪人呼ばわりしないで頂きたいのだが。」


 ミドナリフフの言葉に何か思う所があったのか、隊長は軽く頭を下げる。


「済まないが私も話を詳しくは聞いていない。申し開きは裁判の際にしてくれないだろうか。」


 隊長の言葉に納得はできないが、これ以上ここで言い争うメリットは無い。そもそも、隊長には裕を連れて行くという選択肢しかないのだろうから。


「では、私も同行しよう。」

「私も行きます。」


 そういうミキナリーノに、ミドナリフフはそっと言った。


「いや、ミキナリーノは組合に行って、組合長にこの事を伝えてくれ。味方は多いほうが良い。」


 ミドナリフフの言葉に、ミキナリーノは町へと駆けだす。


――やはりお転婆は治っていないな。


 走り行く娘の後姿を見て、父親は一瞬だけ目を細めて、隊長とヨシノゥユーに言う。


「では、行きましょうか。」


 町を一望できる小高い丘の中腹に領主邸は築かれている。裕を連れた一行は、そこに向かっていた。

 兵士達は裕を囲みつつも、少し距離を取っている。彼らも裕の実績は聞いている。裕の力を恐れないはずが無い。


「私が本当に暴れたら、どうするおつもりだったのですか?」


 裕は余計な事だと思いながら聞いてたが返事は無い。


「いえ、暴れませんよ。あなた達が大人しくしていれば。」


 それは自分達への脅しととらえ、兵士達は身を固くする。平然と余裕の笑みを浮かべている裕と比べると、どちらが連行されているのか分からない様相である。


「恐ろしいと思うなら、仲良くして味方にした方が良いと思うんですけどねえ。」


 誰にともなく言う裕の言葉に、ミドナリフフは笑って言った。


「君は商人に向いているな。力のある者とは可能な限り友好的な信頼関係を築いた方が良い。全く同感だよ。」

「敵を増やして良い事ってあるんですか? 私には分かりません。」

「私にも分からないな。敵は少ない方が良い。」


 裕とミドナリフフの雑談を、兵士達が恨みがましい目で見る。兵士とは別に戦闘狂なわけではないのだ。敵なんていない方が良い。命を張るのは彼ら自身なのだから。


 審議場に着いた裕は、中央に行けと言われたので、そこにある台に座る。未だかつてそこに座った者は無い。そんな事は知らない裕は、自由であった。

 隊長は何か言いかけたが、此処に連れて来るまでが彼の仕事であり、暴れだしたりもしない限り、その行動に口出しするものではない。

 兵士達が審議場を出て持ち場に戻ろうとすると、傍聴希望者の一団とすれ違う。各種組合の幹部がいることに驚きはしたが、特に何をするでもなく、そのまま通す。

 兵士達はヨシノゥユーの審議が非公開という話も聞いていないし、大勢の傍聴者がいるのも珍しくはない。武装してもない者を拒む理由など無いのだ。



 審議場の傍聴席は人で溢れていた。ミキナリーノからの報せを受けた商業組合から各方面に速やかに伝達され、極短時間で驚くほどの人が集まった。そんな中、裕は中央の台に座ったまま、周りの様子をみていた。

 裁判官が開始を告げると、場内が静まり返る。


「ヨシノゥユー、起立せよ。」


 裁判長が苦々しい顔で言う。かつてこの様な態度の罪人がいたであろうか。太々ふてぶてしいのか、子ども故に単に何も分かっていないのか。

 裕は、言われて立ち上がり、真っ直ぐに裁判官の顔を見る。


「ヨシノゥユーで間違い無いな?」


 裁判官の問いに、裕は肯定の返事を返す。


「お前は何所から来たのだ。」


 裁判官がさらに問う。裕は神殿の正式名称も住所も知らないことに今更気付いて言葉に迷う。


「えっと、神殿から来ましたが……」


 裕の返答に、傍聴席から爆笑が上がる。

 裕は話の流れ的に、この質問は取り違え防止のための一環としての住所確認であると認識したのだが、この国の裁判では被告の住所確認などのプロセスは無い。裁判官の意図としては裕の出身国・地域を問うているのだ。

……裕には全く伝わっていないが。


「お前は何故此方に来た?」


 裁判官は怒りの混じった声でさらに問う。しかし、やはり裕には意味が分からない。


「何故って、そこの兵士さんに来いと言われたから来たのですが。」

「どうやって来た?」

「普通に歩いてきましたよ。飛んだりはしていません。」


 噛み合わない問答が続く。傍聴席に笑いの嵐が吹き荒れている。


「貴様は私を莫迦にしているのか!」


 裁判官の怒鳴り声に場内は静まり返る。


「私は莫迦になどしていません。あなたが愚かなだけです。」


 もともと裕はこの決め台詞を、数か国語で言うことができる。今ではこの国の言葉もその一つに入っていた。

 得意満面の裕であるが、場内は凍り付いていた。



「ヨシノゥユーを某国の工作員と判断し、打首とする。何か申し開きはあるか?」


 沈黙を破った裁判長の発言に、傍聴席から一斉にブーイングが飛ぶ。裕はと言えば、言葉が半分も分からず、どうしたものかと考え込んでいる。


「静粛にせよ!」


 裁判官が机を叩きながら何度も叫び、やっとブーイングが収まる。



 腹立たしく思っていても、裁判長は、自分が、そしてこの町が裕の怒りを買うようなことは避けたかった。領主は打首にせよと言うが、それは現実的に無理がある。

 恐ろしい化物を倒したと言うこの子どもが本気でその怒りを撒き散らしたのなら、どんな被害がでるのか想像がつかない。


「ヨシノゥユーがこの町に来たその日にモンスターの襲撃があった。これは偶然なのか?」


 この嫌疑に関して、誰も肯定の根拠も否定の根拠も持っていない。

 原告側の主張は『モンスターを嗾け、町を襲った凶悪な者』であるが、その根拠は無い。

 被告側の主張は『モンスターと戦い、町を守った善良な者』であるが、やはりその根拠は無い。

 ならば、釣り合う程度の賞と罰の両方を与えてしまえば、なんとか上手く治まるのではないか。

 打首は論外だが、百叩きでは見合う賞が思いつかないし、何より絶対に領主が納得しない。


 裁判長が必死に脳みそをフル回転させて考えた結果、領外への追放と褒賞金の授与という結論に達した。

 端的に言えば、立退料を払うから出て行ってくれ、ということである。

 そこへ至るための幾つかの問答を経て、裁判長は判決を言い渡した。


 町を襲い脅かした懲罰として、領外への追放を。

 ただし、町を守り救った褒賞として金貨十四枚。

 金貨十四枚は、銀貨にすると一三七二枚、銅貨だと二六万と八九一二枚だ。一人暮らしの子どもなら、二年くらいは生活できる金額である。旅費、そして着いた先での生活基盤を整えるための資金としては十分である。差し引きゼロどころか、賞の方が上回っているかも知れない。


 裁判長は報奨金を革袋ごと裕に渡し、小声で告げる。


「済まないが、三日以内にこの町を出て行ってほしい。そうすれば誰も傷つかずに済む。」


 そして裁判長はドヤ顔で裁判終了を告げる。傍聴者たちは、一体何がどうなっているのか分からずに呆けた顔を見合わせているのだった。


 裁判が終わり、ミキナリーノが手招きをしているのが見えた裕は、裁判官たちに一礼してからそちらに向かう。そして、ミドナリフフに隊商と一緒にと誘われるが、裕はそれを断った。


「三日以内に出なければ、良くないことが起きるらしいです。」


 ミドナリフフはそれを言う裕の表情を見て、諦めた。脅され怯えているのであれば、引き下がるつもりは無かった。だが、裕はそんな様子は欠片も無く笑顔で自分の境遇を受け入れているのである。


「せめて送別会を開かせてくれ。」


 ミドナリフフの言葉に、裕は目を輝かせて肉を所望した。

 神殿の食事はとても質素なのだ。現代日本の食事に慣れた裕にはとても物足りなく寂しいものであった。もっとも、一般庶民の食事は同様に質素なのだが、裕はそんなことは知らない。


 この地域では肉を得るために家畜を飼育するということはされていない。多くの肉は狩猟で得たものなのだが、その主な狩場である森は骸骨兵の騒ぎで鳥獣がいなくなってしまっているために、肉の流通量は極端に少なくなっていた。

 そのことをミドナリフフに説明され、裕はがっくりと肩を落とした。



 裕の送別会は魚料理がメインに据えられていた。

 ハンター組合、農業組合、商業組合の各支部長が資金を拠出することとなったため、かなり豪勢な食事が振る舞われる。

 魚を香草で包んで焼いたもの、木の実を挟んで焼いたパイ、野菜と魚のマリネ、そういった文化的な料理と言えるものを目にして、裕は目を潤ませる。

 食事をしながら、ミドナリフフは気になっていたことを裕に訊いた。紙が不完全であることについてである。


「材料や道具。後何が足りないのだ? どのような工程が必要だ?」


 裕はこれまでにそんな質問を受けたことが無い。裕の作る紙は、この町で一般に知られている羊皮紙と比較して決して劣ってはいない。


「最高の紙を作る手順をお伝えするのは構わないですが、その方法だと作るのに九十八日掛かります。」


 驚いたミキナリーノが横から口を出す。


「そんなに? 今は四日で作っているじゃない。」


 裕は笑いながら答える。


「普通はそれで十分ですよ。」


 ただし、と裕は付け加える。板と簀を良いものに替えれば紙の品質は上がる、と。


 翌日、裕は旅に必要な物を買いに町に出る。背負い鞄やナイフや小型の鍋などアウトドア用品を揃えなければ、町を出たら次の町に着くまで食事すらできない。

 テントを背負うのは不可能だと諦めた。重力遮断を使える裕に重量は関係ないのだが、嵩張りすぎると運び辛いし、風に煽られるのは防ぎようが無い。

 諸々合わせると銀貨二十八枚にもなったが、褒賞の金貨十四枚からすれば大したことはない。まだ金貨十三枚に銀貨七十枚残っているのだ。


 神殿の部屋に戻った裕は、荷物の整理をする。神殿から支給されていた服やナイフを返却し、最初から履いていたサンダルを処分する。そして、自分用にと確保しておいた紙を出し筆を執る。七枚を使ってミキナリーノに異国の知識の補足と発展のさせ方を。他三人に一枚づつ知識に関して補足と注意事項を。


 すべきことを全て終えた裕は、三人に向けた手紙を持って子ども部屋に向かう。裕は明朝早くに町を出る予定であるため、子どもたちとの時間はこれが最後になる。

 夕食後、裕は製紙作業場に来ていた。現在の製紙方法を試してからちょうど三ヶ月。改めて見回すと中々に感慨深い。特に漉き枠と板はど根性の力作である。


「またこれを作るのか?」


 裕の背後から声が掛かる。


「たぶん、これとは違うものを作ると思います。」


 裕は正直に答える。

 ここにあるのは、高品質で大判の紙を作ることなど全く考えていない、いわゆる『子ども向け』の物だということ。

 次にやるときはもっと大掛かりな、大人を雇用することも視野に入れた事業になるだろうこと。

 神官は声を上げて笑う。六歳の子どもが大人を雇って事業を行うなど聞いたことがない。だが、不敵に笑うこの黒髪の子どもならばできてしまいそうだった。


 日の出前。

 東の空が白みかける頃、裕は目を覚ました。

 裕は荷物の見直しをして扉を出る。無人になった部屋に一礼し、扉を閉める。大礼拝堂に着くと、神官達が勢揃いしていた。


「おや、みなさん。おはようございます。」


 裕は、神官達に挨拶をすると、神殿の祀る主神の像に向かい、礼をする。軽く黙禱を済ませ、神官達に向かって礼をする。


「今までお世話になりました。」


 裕はこの国の言葉で言い、日本語で繰り返す。


 神殿を後にした裕は、街門に向かって歩く。東の空が眩しい。日の出はもう直ぐだ。夜中に雨が降ったのだろう、水溜りの跡が残っているが、空は良く晴れている。


「ヨシノゥユー!」


 朝っぱらから近所迷惑な大声が上がる。ミキナリーノである。裕は苦笑いしながら歩み寄る。


「本当に行っちゃうの?」


 裕は黙って首肯し、紙の束を取り出す。四十九枚の紙には細かい文字がびっしりと書かれていた。数学に物理学の初歩からはじまり、紙や材料加工の技術的なことが。


「お父さんと一緒に読んでください。」


 目を丸くするミキナリーノに、裕は笑いながら言った。


「これで、この町でやる事は全て終わりです。ミキナリーノ、今まで本当に色々とありがとうございます。」


 言って、裕は深々と頭を下げる。


「では、お元気で。」


 裕は再び歩き出す。

 もう夜は明けている。街門も開いているだろう。


 裕は歌を口ずさみながら歩く。

 重力遮断魔法で飛んでいくなんて無粋なことはしない。

 旅立ちとは、自分の足で行くものである。


 裕の冒険は、今始まった。

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