第10話 帰ってきた商人

 夏の暑さもピークが過ぎ、秋風が吹きはじめる頃に、ミキナリーノの両親が長い出張から帰ってきた。

 ミキナリーノからしてみれば十分に長いのだが、本当に長ければ一年近くも家を空けることがある彼らにとっては短めである。


 ヨシノゥユー、もとい、裕がこの町に来た日、つまり、襲撃のあった日には両親は既に長旅に出ており、使用人を失ったミキナリーノは弟のカトナリエスとともに神殿に一時的に世話になることにしたのだ。



「ミキナリーノ! カトナリエス! どこだ!」


 荒れ果てた邸内を見て、ミキナリーノの父ミドナリフフは顔面を蒼白にして叫ぶ。


「カヤロマ! トルグーヨ! 返事をしなさい!」


 叫んだところで返事が帰ってくるはずもないことは、邸内の様子を見れば分かるだろう。それでも人の親としては、叫ばずにはいられないのだろう。

 あちこち血に汚れ、床には埃が積もっているのだ。しばらく人が出入りしていないことは一目瞭然だ。


「旦那様、奥様、これを!」


 従者が見つけてきた木片には、ミキナリーノが書いたと思われる文字があった。


『神殿にいます』


「神殿に? 何があったの? あの子は無事なの!?」


 ミキナリーノの母サヤモリータは従者に詰問するが、この従者とて町にやっと帰ってきたばかり、状況など分かるはずもない。


「とにかく、神殿に行ってみましょう。ただならぬ様子ではありますが、書置きを残すことはできているのですから、おそらく無事なのでしょう。」


 ミドナリフフとサヤモリータは頷き、外へと向かう。


「お前たちは済まないが、家の中の掃除をしておいてくれ。場合によっては宿の手配も必要だ。手早く頼む。」


 ミドナリフフは従者たちに言い残して、サヤモリータとともに神殿へと向かった。




 実の親が無事に帰ってきた以上、神殿から出て行くのは当然のことだった。

 ミキナリーノはミドナリフフと共に神官達に深々と頭を下げると、弟のカトナリエスにもきちんと礼をするように言う。

 お姉ちゃんっぷりを発揮するミキナリーノであるが、神殿に来る前はそんなに『できのいいお姉ちゃん』ではなかった。寧ろ、礼儀と落ち着きが足りない、そんなどこにでもいるお転婆な女の子だった。


 ミドナリフフはそんな娘の変化に驚き、戸惑っていた。成長した、と単純に喜べない程に変わっていた。

 神殿で子どもたちの無事を確認し、喜び、安堵したミドナリフフは、当然、ミキナリーノとカトナリエスがそのままついて帰るものと思っていた。


 だが、ミキナリーノは迷いもせずそれを拒否したのだ。


「な、何故だ? 大変な時に側にいてやれなかった私たちを恨んでいるのか?」

「そうではありません、お父様。挨拶は後日でもできますが、お仕事の引継ぎはしなければなりません。今までお世話になっておきながら、知らん顔で出て行くわけにはいかないでしょう。」


 動揺し慌てふためくミドナリフフに対し、ミキナリーノの方が落ち着いた応対をしていた。結局、家の掃除もできていないこともあり、ミキナリーノとカトナリエスが神殿を出ていくのは翌日にということになった。



 カトナリエスはともかく、孤児たちのまとめ役であるミキナリーノの仕事は多岐にわたる。掃除、洗濯、畑仕事の管理に加え、孤児たちに字や計算を教えているのだ。子どもの働きっぷりとしては目を見張るものがある。

 その仕事を数人に振り分けて神殿の役目を終えると、翌日は朝食も摂らずに、神殿を出ていった。



 数ヶ月ぶりの家族水入らずの昼食で、ミドナリフフはミキナリーノとカトナリエスに頭を下げる。

 家を守れなかったことを。そして、長い間、その事を知りもせずに家を空けていたことを。

 ミキナリーノは父親の留守中にあったことを話した。

 襲撃の日、助けてもらったこと。二度目の襲撃のこと。歌を歌ってもらったこと。みんなで紙を作っていること。竹細工を作ったこと。明かりの魔法を教えてもらったこと。薬草摘みに行ったこと。


 何故かヨシノゥユーのことばかりだ。ミドナリフフが、冗談半分にヨシノゥユーとは将来結婚の約束をしているのかと訊くくらいに。


「お父さん何を言っているの? ヨシノゥユーはまだ六歳だよ。」


 ミキナリーノの返事にミドナリフフは目を丸くする。


「いやいや、お前こそ何を言っているんだ? 六歳の子が魔物と戦って勝てるわけがない。」

「町の人はみんな知ってるよ。」


 六歳児が狼やオーガと戦っていたなど、俄かに信じられるはずもない。

 だが、膨れて言うミキナリーノが嘘を言っているようには見えない。


——多少の誇張はあるにせよ、子どもが獣や魔物の退治に参加し、活躍していたのは事実なのだろう…


 そう思うと同時に、ミドナリフフには一つの疑問が生まれた。だが、それを娘に問うても答えは得られまい。

 早めに組合にでも話を聞いておいた方が良いと判断した。


「私がいない間に色々とあったようだし、組合の方からも詳しく話を聞いておいた方が良さそうだな。ちょっと行ってくるよ。」


 そう言って立ち上がるミドナリフフにミキナリーノが珍しいことを願い出た。


「私も一緒に行って良いですか?」


 大人の難しい話に興味も示さなかった娘が、真剣な顔をして言っているのだ。


「分かった。準備なさい。」


 ミドナリフフはそう言って出掛ける準備を始める。


 ミドナリフフは商業組合支部に着くと、支部長への面会を申し出た。

 予定よりも早い時間の来訪に驚きつつも、支部長のエミフィルテはミドナリフフを歓迎する。


「久しぶりだな、エミフィルテ。それで早速なんだが、町の状況を聞かせてくれないか? 色々大変だったと聞いたのだが。」

「ちょっとお父様、焦りすぎです。そんな早く話を進められたら私が挨拶できないじゃないですか。」


 挨拶も早々に、ミドナリフフが本題を切り出すが、すかさずミキナリーノが遮り、父親に文句を言う。そして一礼し挨拶をする。


「こんにちは、エミフィルテ様。」


 エミフィルテが挨拶を返して二人に席を勧めると、改めて本題に入った。


 はじまりは六月九日、次いで十五日にモンスターの襲撃があり、百九十六名以上の犠牲者が出たこと。

 さらにその際に、街門の扉が破壊され、先日ようやく修理が完了したこと。

 モンスターは、ハンター達とヨシノゥユーという子どもの活躍によって辛くも撃退できたこと。


「最初の襲撃で、トルグーヨやカヤロマが狼に殺されてしまったのです。」


 暗い表情でミキナリーノが付け加える。


「それで、どうしたのだ? お前たちはどうして助かったのだ?」

「ヨシノゥユーが狼を退治してくれたのです。」

「莫迦な。六歳の子どもなのだろう? 狼を退治などできるはずがない!」

「だって、わたし、それを見ていたんですよ?」


 信じ難い話にミドナリフフは目を剥く。

 だが、さらに信じ難い話が、エミフィルテから語られることになる。

 ヨシノゥユーは一人で何体ものオーガを倒したらしいのだ。


「莫迦な! あり得ん! いくら何でも脚色しすぎだ!」

「だが、これも何人もの目撃者がいるのだよ。」


 興奮するミドナリフフに、苦笑いしながらエミフィルテは首を横に振る。


「まあ、落ち着け。驚くのはまだ早い。」


 そして、エミフィルテは記録を確認しつつ、その後に起きたことを説明していった。大概がヨシノゥユーが絡んでいる。ヨシノゥユーの名前が出てこないのは、例年の夏祭りや街門修理に関してのことだけだった。


「それで、そのヨシノゥユーはどのように扱われているのだ? いや、神殿の世話になっていることは聞いている。その、評判とか、どう思われているのかなど……」


 声を落とし、ミドナリフフが訊く。それに対しエミフィルテは少し考え込み、「難しいな」と前置きをする。


「まず、我々商業組合の立場としては、彼を歓迎し、友好的な関係を築いていきたいと思っている。もっとも、敵を作りたい商人など居るはずも無かろうが。」


 エミフィルテはさらに言葉を続ける。


「だが、世の中には、大きな力を持つものを恐れ、嫌う者がいる。功績を上げる者を妬む者もいる。大きな声で誰とは言えぬがな。」


 ミキナリーノが眉を顰め、唇に指をあてながら小声で言う。


「小さな声で教えてください。」


 苦笑しながらもエミフィルテは手招きをして、ミドナリフフとミキナリーノが顔を寄せる。


「一番は領主様だ。噂が本当なら、領主の兵ではヨシノゥユーに勝てぬからな。」


 目を見開き、声を上げようとするミキナリーノを手で制してエミフィルテは続ける。


「次は神官長様だ。あの方はヨシノゥユーが魔の者ではないかと疑っている。」


 組合で話を聞くと、状況はかなり悪そうであった。

 ヨシノゥユーに直接的に助けられた者、家族や友人を救われた者、感謝している市民も多くいるがそれが全てではなく、市民の中にも気味悪がる者、恐れる者もいること。神殿の中も神官長をはじめとした排斥派の方が多いこと。

 そして、領主は完全に排斥派であり、いつどんな難癖をつけてくるか分かったものではないこと。

 ミドナリフフは一通りの情報を得ると、商業組合を後にした。一度、自宅に帰ると、すぐに領主邸へと挨拶に向かう。土産の品などは従者がすでに準備してある。


 いくら豪商と言われても、ミドナリフフは一介の商人である。領主への挨拶と言っても、直接に領主本人に会うわけではない。執事や秘書に挨拶の品を渡し、少々の話をして終わりである。


 早々に終わらせると、ミドナリフフはミキナリーノを伴って神殿に向かう。長旅から帰ってくるなり、大忙しであるが、それはいつものことでもある。


 応接室に通された二人ば神官長が来るのを待つ。

 ミドナリフフが神殿に行く理由はいくらでも作れる。食料をはじめ、生活に必要な物の多くを購入や寄付によって賄っている神殿は、周辺の町の情勢は大切な情報だ。

 さらに、ミキナリーノとカトナリエスが世話になっていた礼金を、と言えば神官たちも無碍にすることはないだろう。



 通された応接室は、ミキナリーノには見慣れた部屋だ。この辺りの掃除は彼女の担当だった。


「今は誰が担当しているんだろう。今度ちゃんと言っておかなきゃ。」


 細かい掃除の粗を見つけて、ミキナリーノはまるで小姑のようなことを呟く。そんな娘の様子に笑顔を見せていたミドナリフフだが、ノックの音が聞こえると、急に引き締まり、真顔を正面へ向ける。


 返事をして入ってきた神官長たちの手には、ヨシノゥユーが作った数々の品があった。


 これはミドナリフフの来訪の口実の最後の一つである。

 ミドナリフフは遥か遠い異国にまで行って貿易をしている。彼ならばヨシノゥユーの故国を知っているかもしれない。行ったことはなくても、聞いたことはあるかもしれない。ヨシノゥユーが作った品を見れば、どこの地方の物か分かるかもしれない。


 ミドナリフフは裕を神殿から、この町から出す方法を教えていた。

 これまでに聞いた話をまとめると、ヨシノゥユーはとても強く、正面から戦って勝つのは困難であることが予想される。

 だが、亡き者とするには、何も正面切って戦う必要はどこにもない。端的に言えば、食事に毒を混ぜ込めばそれで終わりだ。英雄や王が毒殺された話など幾らでもある。


 ヨシノゥユーが作った品が本当に知っている国の物であれば、そこに連れていく。それが一番分かりやすく、角が立たない。

 それがダメなら、引き取る方向で話をする。護衛でも何でも、隊商に同行して貰えばメリットは大きいはずで、話の筋は通るはずだ。


 ミドナリフフがミキナリーノから見せられた紙は、彼も見たことがない種類の物だったが、それだけで判断することはできない。

 単純な話だ。

 本来、使う材料がこの辺りでは手に入らない、ということは十分に考えられる。手近なもので代用した結果、本来とは異なる姿になってしまっていても何の不思議も無いのだ。


 ミドナリフフは、一つ一つ手に取って見定めていく。竹籠はこの辺りではあまり使用されないが、広く使われている地域もある。簾も見たことが有る。しかし、豆鉄砲や竹馬は見たことが無いものだった。


 しかも、使用方向が見当もつかない。


 どう使うのかは、ミキナリーノが教えてくれた。

 豆鉄砲は豆や小石を飛ばす玩具。誰が作った物が一番よく飛ぶのか競うのだと言う。

 そして、二本の棒に乗って器用に歩く娘を見た時は、驚きを超えて呆れてしまった。


「お転婆は治っていなかったか。」


 笑いながら言うと、ミキナリーノは真面目な顔で果物の収穫に便利なのだと言う。


 結局、見た事もないような物もいくつかあり、ヨシノゥユーの故郷は分からずじまいであった。


 ミドナリフフはヨシノゥユーの話の前に、個人的に興味があることを聞いてみる。


「紙はどうやって作っているのですか? 作っているところを見せて貰えないだろうか。」


 断られるかとも思ったが二つ返事で了承され、作業場に案内され、ミキナリーノが説明を始める。

 匿さなかった理由は簡単だった。必要な道具、材料、工程、その全てをミキナリーノが説明できるのだ。そもそも、すべての工程を子どもがやっているのだ。何も難しいことがない。


「やはり、あの紙は不完全なものである可能性が高いな。叶うならば、完全版の紙を見てみたいものだ。」


 ミキナリーノは自分達の紙が莫迦にされたような気がして不機嫌な顔をして言う。


「あの紙一枚でパンが四十個も買えるの!」


 その金額は商人への卸価格である。市価で買おうとするとその五割増しになる。そして、それを子どもだけで作ることができてしまうのだ。この方法が広まったら紙の価値が変わってしまう。

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