第9話 神を畏れぬ子ども
神官ズドニフィルは神殿の物資・財政状況を報告する。神官達定例の月末会議である。
いつも通りに、薬草や食糧、木材などの在庫状況について。そして収益について。いつもと違うのは、それらが一枚の紙に纏められていること。
それを聞く神官長は、何故か苦い顔をしている。
「何か問題があったでしょうか?」
ズドニフィルは神官長の表情を見て尋ねる。
彼の報告している内容は、それほど悪いものではない。
モンスター襲撃や、それに伴う孤児の増加、さらに交易経路の寸断の影響で一時期は物資が尽きかけたが、現在は回復してきている。紙の売却の利益もあり、資金にも不安は無いはずである。順風満帆とまでは行かないまでも、そう悪い状況ではない。
「問題は、それらの課題を解決したのが全てヨシノゥユーだということだ。」
ズドニフィルは、神官長が言っている事を理解できずにいると、別の神官が付け加える。
「怪物を倒し交易を復旧したのも、紙を作って利益を上げたのも、我々ではない。領主殿でもないどころか、この町の者ですらない他所者だ。」
「ヨシノゥユーとは何者なのだ? 一体、どこから何のためにやって来た?」
更に別の神官が語気を強める。
「紙を作ったのは、まあ良い。パン屋の子が見様見真似でパンを焼けるようになるのはそれほど不思議なことでもない。紙屋の子が紙を作れることもあるだろう。」
ここで言葉を切り、睨みつける視線に対して、木を伐採することは横に置いて、技術や知識の話だ、と念を押す。
「だが、彼の魔法は一体何だ? 見たこともない冷たい光を灯し、巨大な丸太を何本も宙に浮かせて運ぶ。あれはどれ程巨大な魔力があれば成せるのか? 紙屋というのは魔法に優れた者が就く職業なのか?」
これにはズドニフィルら、裕の存在をメリットとして捉える者たちにも返す言葉がない。
眉間に皺をを寄せ、神官長が言う。
「私はあの子どもが恐ろしい。あれは伝承にある魔の者ではないのか?」
答える者は誰もいない。
ひと時の沈黙を破り、一人の神官が低い声で言う。
「やはり、追い出しておくべきだったのだ。あの子どもを神殿に迎えるなどすべきではなかった……」
彼こそが最初に裕を町から出した張本人である。そして、彼はさらに言葉を続ける。
「骸骨を一掃したという浄化の魔法もその後話題にも出てこぬし、第一、あの子どもが神に祈っているのを見たことがある者はいるのか? 骸骨兵を浄化したというのも眉唾ものの話ではないか?」
神官は揃って難しい顔をする。実際、彼らは誰も裕の
「経緯はどうあれ、今は神殿にいるのです。現在折角築けている友好的な関係を壊すべきではないでしょう。強い力を持っているならば、尚更です。」
ズドニフィルは正論で返す。
「魔物を神殿に置くなど正気の沙汰ではない。いつ裏切るかも分からんのだぞ!」
話は完全に平行線である。神官長は大きく息を吐く。
「この件はまた後日話すとしよう。次の議題に移る。」
裕についての話を一旦打ち切って、神殿の運営についての話に戻した。
裕がこの世界に来て二ヶ月も過ぎた頃、季節は夏の盛りを迎える。
冷房は勿論、扇風機すら無い夏に裕はダウンしていた。
温度計もないので、裕には正確なところは分からないのだが、夏の日差しは厳しく、気温は摂氏三十度は軽く超えている。そんな中で木を煮込むのは苦行であった。
「プールは無いのですか。水浴びとかしないのですか。何で、みんなそんなに元気なのですか。」
裕の口からは愚痴しか出てこない。
「アイス食べたい。かき氷食べたい。冷やしラーメン食べたい。ビールが飲みたい! 冷凍庫はありませんかああ。」
贅沢に慣れた現代人は我儘なのである。
そして裕は、閃いたのだった。
「冷凍魔法ですよ! 何故今まで思いつかなかったのでしょう! ヒャドとかブリザドとかコールドとかあるじゃないですか!」
突如叫び声を上げて、周囲を驚かせる。
——
物理現象として冷却しようとした場合、古くから知られている方法は大きく二つ。
一つは断熱膨張。もう一つは気化熱。
シリンダー内で強制的に気体を膨張させれば温度は下がる。中学理科で習う現象だ。
水が気化して水蒸気になるときに周囲の熱を奪う。というのは小学生でも知っている現象のはずだ。
この二つを利用してやれば冷蔵庫やクーラーができあがる。
それを踏まえて!
冷却魔法とはいったい何だ? どのようなプロセスを経れば実現できるのか。
簡単に言えば原子の熱振動を小さくすればいい。
原子に作用する力といえば、原子を破壊する小宇宙が有名だが、それは今は関係ない。
とにかく、何を加えれば熱振動を抑えることができるのか?
結論。マイナスのエネルギーを加えれば良い。魔力SUGEEEEE!
で、マイナスのエネルギーって一体何なの?
……マイナス。負。闇?
闇の力?
冷却魔法の力は、所謂『闇の力』とか言われるものと何がどう違うのか。本当に闇の力とやらを使って物質の冷却ができるのだろうか。
——
裕はオーバーヒート気味の脳みそを頑張って回転させる。暑さのせいか、時々、明後日の方向に思考が飛ぶが、そこは気にしない。
——
そもそも魔法とは何だ?
陽光召喚はどうしてできた?
消費した魔力とやらがあの光になっているのだろうか?
ということで、合計一千ワット……
一千だと!? 一キロワットじゃねえか! つまり、八六六キロカロリー。
かなり激しい運動だろそれ。一時間ジョギングしてもそんなにならんはずだ。
とすると、明らかに使ったエネルギーより、光として放出しているエネルギー量の方が多い。エネルギー保存則はどこにいった?
どこからエネルギーが湧いて出てきた?
ならばあの魔法の正体は何だ?
結論。
どこからかエネルギーを転送している、と考えれば辻褄が合う。
どうやって空間を超えているのかは知らないが、魔力を使えば少ないエネルギーでそれができるのだろう。
ならば物質はどうだ? 地球文明が誇る天才、アインシュタイン博士によると、物質とはエネルギーの形態の一つらしい。ならばそれも転送可能なのではないか?
——
「出でよ、氷!」
裕は『かき氷』を思い浮かべて、氷を呼び出してみようとする。一瞬、氷山が頭に過ぎったが本当にそんなものが出て来たら死人が出る。
しかし、裕の不安を余所に、何も起きなかった。
「出でよ、冷たい空気!」
今度は冬景色を思い浮かべて、冷えた空気そのものを呼び出してみようとした。
魔法は、多分成功した。
ただし、ひんやりした風がふわっと。それだけである。
「万策尽きた……」
裕はがっくりと膝をつくのだった。
結局裕は、自作の扇子でパタパタと扇ぐしかなかった。
午前中は仕事に勤しむも、午後はゴロゴロしながら「暑い、暑い」と呻き、パタパタやっているだけだ。
そんな裕にミキナリーノは「だらしない!」とぷんぷん怒るのだが、そのたびに、午前中はちゃんと働いているんですよ、と同じ言い訳を繰り返す。
そんないつもの午後、裕は神官に呼び出された。
「町の外を邪悪なものがうろついている、と市民から報告されている。不浄なものを退治するのも神官の仕事だ。ヨシノゥユーもついてきなさい」
神官の仕事が自分に何の関係があるのかと思いつつも、面白そうではあるので、裕は退治への同行に快諾する。
日が暮れてから問題の地区に行くと、野次馬たちが遠巻きに見ている中で、何やら怪しい影が幾つも蠢いていた。
なんと、幽霊である!
「すげえ! 初めて見た!」
裕と一緒に来ている神官のケケネスタンは、悪霊退治を得意とするらしい。裕は、彼がどのように除霊するのかと興味津々の眼差しを向けていたのだが、何を思ったのかケケネスタンは裕に「お前が退治してみろ」などと無茶振りしてきた。
いや、無茶振りでもない。裕も
だが、裕は、神官の業を目の当たりのできるかと期待していたのだ。気を落としながらも、どうすれば良いのかを考える。
「夜に出てくるってことは、昼にしてしまえばどうにかなるんでしょうかね?」
裕は、完全に南無阿弥陀仏のことは忘れているようだ。
物は試しということで、裕は陽光召喚、すなわち『昼を呼ぶ魔法』を行使する。
いつものように呪を唱えると、強烈な陽光が周囲を照らす。
そして、幾つもの悲鳴が響き渡るのも、いつものことだ。
眩い光の中、邪悪と称された霊らしきものは空気中に溶けていく。意外と陽光召喚は霊に効くようだ。
裕は霊の気配が消えたことを確認すると、陽光に感謝しお帰り頂くようお願い申し上げる。
光は消え、あたりは何事もなかったかのように再び夜の闇が戻ってくる。だが何故だろうか。周囲の野次馬たちの悲鳴は消えない。そこら中に苦悶に満ちた声が残っている。
「おかしいですねえ。これはただの明かりの魔法だし人畜無害のはずなのですが。幽霊に攻撃されたようにも見えなかったですし、一体どうしたのですか?」
裕はすっとぼけた疑問を口にする。自分だって最初は悲鳴を上げて転げまわっていたのに、他人に対してこの言いぐさは酷いだろう。
「大
裕は何故自分が怒られているのか理解できていない。
まあ、当然だろう。幽霊を退治せよと言われたから、退治しただけなのだ。
しかも、やった事といえば、太陽光を呼び出して直射日光を浴びせただけ。他の人には特に害は無いはずである。
それを悪の所業のように言われるのは、裕としては甚だ心外なのである。
裕は、自分を快く思わない神官がいることは知っていた。一度は町から追い出されたのである。それに気付かないはずもない。
だから、少なくとも仕事に関しては真面目に一生懸命にやってきた。言葉も通じない怪しげな子どもである自分の面倒を見てくれているのだ。それに報いるのは当然である。
それでも、裕を敵視し、事あるごとに難癖をつける神官もいた。
このケケネスタンも、裕排斥派の神官の一人だ。
それにしても、自分がやれと言っておいて、方法が思っていたのとちょっと違うだけでギャーギャーと文句を言うのは上司として失格である。
守ってほしい手法や手順があるならば、最初に示すべきだ。
だが、裕は過去にそんな阿呆上司の下で働いていたこともあり、割とスルー能力は高い。少々の難癖は、笑って受け流す。
しかし、この神官は裕のそんな態度に憤慨していた。自分の考えている事が絶対に正しくて、そこから外れているものは間違っていて悪である。本気でそんな事を信じているタイプの人間だった。
神殿に戻ると、ケケネスタンは神官長に報告に向かった。
神をも恐れぬとんでもない魔法のことを。
「どうだった? ケケネスタン。」
「はい。ヨシノゥユーは昼にすることで幽霊を消し去りました。」
ケケネスタンの報告を受けるも、神官長には言っている意味が分からなかった。
「ヨシノゥユーは、昼にする魔法を使って悪霊を退治したのです。」
「其方の言っている意味が分からんと言っている。」
「陽の光を生み出し、あたりを照らす魔法だと本人は言っていました。」
実際に見ていたケケネスタンにもそれ以上説明することはできない。陽光召喚は彼らの常識を超えているのだ。
確かに低級の霊は昼間は出てこないのだが、魔法で夜を昼にして「幽霊はいなくなりました」なんて莫迦げた話など、神官達は誰も聞いたことも無いのだ。理解できるはずもないだろう。
「悪霊退治をするは、浄化の術を使うに決まっているだろう。それ以外にいったい何があると言うのか。」
「ですが、信じ難いことに、ヨシノゥユーは強力な光を照射して悪霊を滅したのです。」
「莫迦なことを……。そんなこと、できるはずがないだろう!」
「あの子どもはデタラメすぎるのです。私の理解を超えたことを平然と行う悪魔のような存在なのです……!」
しかも、裕はそのデタラメで勝ち誇っているのだ。それは彼ら原理主義派の神官達には到底許容できることではないようだった。
裕がこの町にやって来て三ヶ月ほども過ぎたころ。
今では、町の人々の間で、ヨシノゥユーの名前を知らない者は殆どいない。役に立たない兵に代わって最前線でモンスターと戦い、町を守り救った人物として、半ば英雄視されていた。
小さな体でオーガに立ち向かい、それを屠る。それを目撃した者も多くいるし、命を救われたと思っている町人も一人や二人ではない。
何より、この町で活動する多くのハンターたちが裕の功績を讃えているのだ。
しかし、裕の評判が上がるにつれ、逆に怖れ、厭わしく思う者たちもでてくる。
町でヨシノゥユーについて聞けば、色々な話が出てくる。
曰く、オーガを一人で瞬殺した。
曰く、数百の骸骨兵を一人で殲滅した。
曰く、不死の魔導士を一撃で粉砕した。
色々とあるが、市井の民というのは、噂話というものが大好きだ。
子どもがちょっと勇敢に戦ってみせただけなのが、色々脚色され、尾ひれ背びれ胸びれ腹びれ尻びれが付きまくって、事実とかけ離れた大活躍の話になっている。
そう断じてしまうには、目撃者の数が多すぎるのだ。
しまいには「絶対に敵に回したくない。あの子と戦っても勝てる気がしない」などというハンターすらいるのだ。
ハンターというのは己の強さに誇りを持っているものだ。そもそもとして、「自分は弱い」などと言う者に獣やモンスターの退治など任せられるはずが無い。
だが、噂が事実であるならば一大事である。
そんな一人で一軍の力を持つような者を倒せる兵力など、地方領主が持っているはずもない。王国騎士団や王宮魔導士団でもなければ太刀打ちなどできはしないだろう。
「何とかして手を打たねばならぬ。取り返しのつかないことになる前に。」
ヨシノゥユーをこのまま放置すれば、いずれ遠くない将来に自分を蹴落としに来る。領主はそう確信していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます