第8話 異世界での生活
数日後、森から現れた骸骨兵は完全に姿を消し、街道も復帰したことで、町は完全に活気を取り戻していた。
そして、裕は紙の生産を開始していた。品質は現代日本の紙と比べるとゴミみたいなものであるが、それでも誰もが紙であると認識し、紙としての機能を持っているものになっていた。
筆を作るのは簡単だ。自分の髪の毛を切って束ね、細く削り出した棒の先に括り付ける。大量に作って売りに出すのでなければそれで十分だ。
墨も然程の問題は無い。厨房の竃の煙突掃除をして煤を大量ゲットしてあった。あとはそれを水に溶けば墨液ができる。
裕の作った紙は、神官達の間でも話題となっていた。紙の原料は木であるが、それが問題なのだ。
「森は神の与えし恵み。大切にしなければならないものだ。それを紙にするために木を伐るなど、
神官長は語気荒く神官たちを
「燃料確保のためにも、木を植えて育てることも行われています。そちらから木材を回してもらえば良いのではないでしょうか」
「森は神により与えられたものだ。それを人が作るなどということが、
同じ神殿の中でも個々人によって教義の解釈に差があり、意見が異なっていたりするようである。
神官長を中心として、とにかく原生林を大切にしろと言う者たち。原理主義とでも言えば良いのだろうか。
彼らは、木を伐って紙に加工するなど、悪魔の所業だと力説する。
その一方で、木を植え、林を管理して育てて行くことで、効率よく木材を得ることができるという、いわゆる林業派の者たちがいる。
彼らは、畑で穀物や野菜を育てるように、人工林で木を育てて薪や木工品などの材料にすれば良いと考えており、紙づくりにも理解を示している。
もちろん、森が無くなってしまうほどの伐採などするつもりは無いが、孤児たちが食べていくための資金を得る程度であれば、と考えているようだ。
一ヶ月ほど前のモンスター襲来によって、面倒を見ている孤児が増え、神殿の財政状況が悪くなってきているのだ。何とかしないと、冬を越せずに死亡してしまう子どもたちが続出することになってしまう。
神殿も畑を持っているが、それで食い扶持の全てを賄えるわけではないし、今から植えて採れる野菜も限られている。食糧調達のためにも、収益源の確保は必要なことなのだ。
斯くして、裕は神官に呼び出された。一日にどれくらいの紙を生産できるのか。そしてそれは幾らで売れるのか。
神官の質問に対し、裕は答える。
「四日で十六枚。鍋があればもうちょっと増やせる。幾らで売れるかは分からない。」
これまでに作られた紙の数と日数から計算したものよりも少ない数を答える、これは工程に天日干しが含まれるため、雨天時にはストップしてしまうためである。
そして、通貨単位も分からない裕には、紙の相場など知るはずもなかった。
神官は紙を売って良いのかを念を押して確認する。
裕は少しだけ考えて頷いた。
午後、裕は神官に連れられて街に出た。紙の売却交渉と、鍋の購入が目的である。
他の町との交易を大きく展開している商会を訪れ、神官は主人との面会を求める。
応接室に通された二人は、軽く雑談の後、商談を開始する。
商談とは言っても、神官には商売の駆け引きなど経験がないし、裕はまだまだ言語力が足りていない。
「この紙を売りたい。幾らで買って頂けるでしょうか。」
神官の質問は単刀直入だ。もったいぶることも包み隠すこともない。
鞄から出された紙を受け取り、商人は穴が開きそうな勢いで紙を睨め回す。
持ってきた紙の大きさはB4サイズ程度。それを光に透かしたり、振ってみたり、目を近づけたり離したりと、じっくりと確認する。
「少しだけ破っていいかな? それと字を書いてみたい。」
商人にも、この紙は見た事がない種類のものらしく、価値を見定められずにいるようだった。
「これで。」
裕は、既に試し書きがされている二枚の紙を出した。一枚には大きく『好野 裕』、もう一枚には鶴らしき絵が描かれている。
商人はペンを取り出して紙の余白に走らせる。
そして、紙の一端を破り取ってみた。
「確かに紙ですな。」
しきりに頷きながら言う商人に裕は苦笑する。紙を作ったのだから、紙であって当然だろう。これが、いつの間にか絹の布になっていたら驚き桃の木山椒の木というものである。
裕や神官としては、問題はそれがどれほどの価値になるのかということだ。
「随分と薄いわりに、均質な厚さですね。品質は悪くはない。」
商人は感心したように言ったことで、裕と神官は安堵の息を吐く。
だが、商人としては、それで話は終わりではない。
「この紙には欠点、弱点と言えるものがある。そのうちの三つを挙げてみていただけますか?」
二人をジロリと見ながら商人は指を立てる。
神官は不機嫌そうに商人を睨むが、裕の方は平然としている。
「一、火に弱い。とても燃えやすい。二、水に弱い。濡れると、とても破れやすい。三、作れるの少しだけ」
殆ど単語を並べるだけなのに、それなりに伝わる言葉になっている。
だが、裕の説明は、羊皮紙のことを完全に無視したものだ。羊皮紙だって火にくべれば燃えるし、水に濡らしたら大変なことになる。そして、生産性があまり良くないのも同じである。
寧ろ、植物を漉いた紙は、羊皮紙よりも水への耐性は高いともいえる。濡れただけならば、乾かせば使えなくはないのだ。
商人は散々迷い、紙十四枚に銀貨五枚半の値をつけた。これは平均的な品質の羊皮紙と同じくらいの売価になることを見越したものだ。
なお、銅貨が百九十六枚で銀貨一枚である。パン二個を銅貨三枚で買っていたことを考えると、紙の高級さが分かる。
だが、神官の反応は違った。
「少し安いのではないか? 羊皮紙はもっと値が張るではないか。」
「そうおっしゃいましても、うちの取り分が無いと、商売にならんですよ。あの値段で売りたいなら、自分たちで店を構えて売れば良い。」
神官は厳しい表情で、もっと値を上げろと要求するが、商人は当たり前のことだと突っぱねる。
「ヨシノゥユーはそれで問題ないか?」
難しい顔をしながらも神官は裕に確認するが、そもそも裕は、紙の相場など知りもしない。良いも悪いも無いのだ。むしろ、売るほどの価値があることに胸を撫で下ろしている。
結局、神殿からの売却価格は商人が最初に提示した額に落ち着いた。
そこから計算すると、一ヶ月で銀貨三十八枚半。材料の木材購入費を考えても、子ども達の食費としては十分な稼ぎになる。裕によれば、道具があれば増産できるとのことであるし、鍋くらい買えば良いのだ。
神官にとっては、欲張って神殿の印象を悪くしてしまう方が問題だった。
今回は十四枚。今後も継続的に売りたいことを伝えると、商人は顔を綻ばせる。
特にトラブルも無く商談を終えた裕と神官は、金物屋で鍋を購入して帰路に着く。
「これで、一日に何枚の紙を作れるのだ?」
神官が問う。裕への質問は単刀直入、単純明快なものになる。そうでなければ伝わらないのだ。
「四日で三十二枚。」
裕の答えは、現状の二倍の見積である。神官は満足そうに大きく頷く。
「他の者にも、作り方を教えてやってくれるか?」
裕は快く承諾した。
彼としては、別に何も秘密にすることなどないし、手伝ってくれる人がいればそれだけ裕としても楽になる。
「自分の代わりがいない」のはとても大変なことであると、裕は知っているのだ。
神殿に着くと直ぐに、神官は子どもたちを集める。
「明日より、仕事の割り振りを変更する。」
真面目な顔で子どもたちに新しい役割を割り振っていく。
紙づくり以前に、人数が増えたこともあり、仕事の配分がアンバランスになっていたのを改善することも必要なのだ。
炊事・洗濯や掃除のみならず、畑仕事や薬草の加工など、意外と子供たちに任される仕事は多い。
古くからいるものから順に呼ばれて新しい仕事を言い渡されていく。最初はケンタヒルナだ。
「ケンタヒルナは今後、大聖堂の掃除をするように。」
「嫌だ! 掃除みたいな女の仕事なんて、絶対に嫌だ!」
大声を上げて激しく抗議するが、神官は「やかましい」と鉄拳で黙らせる。
ここの神官は意外と暴力的だ。神官とは神に平和を祈るものではないのだろうか。
そういえば、以前、オーガを相手に棒などを手に戦っていたこともあったし、ある程度の戦闘力は求められるものなのだろうか。さすがに剣術や槍術の達人ということはないだろうが、オーガを相手に怪我をした者もいないのだから、それなりの強さなのだろう。
ケンタヒルナが吹っ飛ぶほどぶん殴られていたのを見たからか、それ以降はスムーズに進んだ。
ミキナリーノの次に名を呼ばれて、裕は正式に薪割りを離れて、製紙チーム配属となった。同僚となるのは十歳の男子と女子が一人づつである。
薪割りは裕の代わりに十一歳の男子が追加となった。
全員の新しい役割が言い渡されると、子どもたちは解散となった。
とは言っても、もう夕食の時間が間近に迫っていたので、皆で食堂に向かったのだが。
翌朝から、裕の指導のもと、製紙チームが稼働を開始する。薪割りチームは先日から入っている二人に新人教育を任せることにしてある。彼らは裕の言うとおりに真面目に薪割りをしていたので大丈夫だろう。
そして、午後からは、裕は子どもたちと一緒にお勉強の時間である。ここで、裕は意外な障壁にぶちあたった。
ミキナリーノが紙に触れようとしないのである。
「子どもは紙に触れてはいけないのです!」
「それ一枚で、いったい幾らになると思っているのですか!」
彼女の父は、国境を超えるほど遠くまで商品を運ぶ遠路隊商の主であり、ミキナリーノは家にいた頃に両親から紙に触ることを固く禁じられていたというのだ。
確かに、紙一枚でパンが六十個以上買える値段なのだ。気安く触れられるものではないのだが、過剰に泣き叫ぶミキナリーノには裕も手こずることになった。
結局、ミキナリーノの意識を変えるには数日を要することになった。
自分より年下の子どもと、父や母の言いつけと、どちらか重いかなど明らかというものだ。
そもそも、ミキナリーノは神殿で世話になっているが、厳密には彼女は孤児ではない。両親は隊商を率いて町を離れており、死んではいないのだ。
ただ、世話役の使用人たちが全員死亡してしまったため、親が帰ってくるまで一時的に、という話を本人が直接している。
つまり、そう遠くない将来に家に帰る前提のミキナリーノは、価値観を変えるつもりがないのだ。
言葉では絶対に納得しようとしないミキナリーノも、紙づくりの体験を経てやっと紙に触れられるようになった。
「これは木製紙、ミキナリーノが触るなと言われた羊皮紙ではありません。」
店頭での販売価格は羊皮紙と変わらないので、裕の言い分は詭弁ともいえるが、自分たちで作れるということが大きかったのだろう。
これで勉強の効率もあがるだろうと思っていたある日、年少者に明かりの魔法を教えることになった。
夜、子どもが夜中にトイレに行くときに一々年長者が起こされるのが大変なのだと言う。ミキナリーノも、明かりの魔法は使えないことは無いがとても暗いのだという。自分はもう慣れているから大丈夫だが、子どもたちは怖がるくらい暗いのだと。
どんなものかと裕が見せてもらうと、昼間では全く認識できない程度の明るさでしかなかった。裕がこうするんだよと明かりを出すと、白日の下で煌々と照らす。
明かりの魔法は割と簡単である。
明るい発光源をイメージし、そこから光の一端を呼び出す。そのイメージを作るには、実物を見るのが一番早いのだが、残念ながらここには蛍光灯も白熱電灯も無い。
「たき火でもしましょうか。」
裕は言って、薪割り作業場に向かう。箒で木の破片やおが屑を掃き集め、竹筒に詰め込む。
「誰か火を点けられますか?」
裕が問いかけると、女の子が一人手を上げる。
「お願いします。」
裕が竹筒を差し出すと、女の子が何やら呪文を唱える。
燃え上がった炎を指し、裕は言う。
「これが明かりです。しっかり覚えてください。この光を持ってきます。」
裕は竹筒を立てて、炎に手を伸ばし、光を手元に持ってくる。その掌の上には光がある。その光を吹き消して裕は促す。
「光を、持ってくる。やってみてください。」
そしてさらに続ける。
「静かに、ゆっくり、光を、呼ぶ。」
何人かの子の手の中に明かりが生まれ、消える。
——日本語で言えば簡単なのに、適切な言葉が出てこない。
もどかしい思いをしながら裕は言葉をひねり出す。
「この明かりを見る。目を閉じる。光を。呼ぶ。」
何度も繰り返していると、できる子が増えた。もうちょっとである。
「目を開ける……明かりを見る……目を閉じる……光を……声に出して……呼ぶ。」
あと二人。
「呪文は要らないの?」
唐突にミキナリーノが問いかける。
彼女が魔法を使うときは、必ず呪文を唱えているのだ。
普通は呪文を唱えるのだと、言われて初めて裕は気付いた。しかし、何と言えば良いのか分からない。
「ミキナリーノの呪文は?」
裕が問い、ミキナリーノが唱える。
「炎の力。旧き友アセニフィアルテ。明かりを灯せ。」
——
なんだそれは。アセニフィアルテって誰じゃらほい。
『根源』や『彼方』って何て言うんじゃい?
——
裕は唸って考え込む。そして。
「輝き燃える炎の力。光よ此処へ、此処へ、此処へ。明かりを灯せ。」
裕の呪文とやらにミキナリーノが不満そうな顔をしている。
アセ何とかが無視されたのが気に入らないのだろうか。
しかし、これで全員が一瞬でも光を呼べた。あとは集中力とイメージ力の問題なので、繰り返し練習してもらうしかない。
裕はふと気になったことを訊いた。
「他の魔法は使えるの?」
ミキナリーノをはじめとした女の子勢が、洗濯の魔法を使えるという。
興味を持った裕は、翌日、それを実際に使っているところを見せてもらうことにする。
タライに水を張り、汚れた布を入れ、呪文を唱える。そして普通にゴシゴシと洗い、絞る。これは洗濯の魔法と言うより、洗剤の魔法と言った方が正しいのかも知れない。しかし、この魔法は、濯ぎが要らないのだという。その分だけ井戸から水を汲む回数も少なくて済むので、この魔法が使えるかどうかで洗濯の労力が大きく変わるのだ。
裕は、いつも自分の服は自分で洗濯している。夕食後に井戸で水を汲んで、当然、普通に石鹸を使って。
「こんな便利な魔法があるなら、なんでもっと早くに教えてくれないんですか!」
裕は洗濯魔法を試し、夜の闇に向かって愚痴を叫ぶのだった。
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