第3話 仏の子
「やべえ! 爆睡した!」
裕は叫びながら目を覚まし、飛び起きる。
とはいっても、実際に眠っていた時間は千五百秒ほどなのだが、時計も持っていない裕にはそんなことは分からないのだ。
裕は急いで外にでて、周囲の様子を確認する。
影の向きやサイズは寝る前とそう大きくは変わっていない。
「ん? そういえば、一日の長さって何時間……? まさか百時間とかそんなことはないよね……?」
一人恐ろしい想像をして青くなる。
が、考えても意味が無いことは考えない! と三秒で気持ちを切り替えると、戦場に向かう。
相変わらず怒声だか咆哮だかが聞こえてくるので、戦いはまだ続いているのだろう。
裕はとりあえず井戸に向かい、喉を潤す。太陽は天高く昇り、その日差しが強い。気温も先程よりも上がってきている。
現在は摂氏二十八度くらいだろうか。湿度が低いため風が吹くと心地よい天気と言えるのだが、町の状況からして、あまりのんびりと寛いでいるわけにもいかないだろう。
だが、裕は散歩でもするような足取りで怒号のする方へと向かって行った。
ハンターの手によって大通りにバリケードが築かれ、その手前にオーガやオークが群がって暴れている。
音をたよりに裕が目指しているのはこの場所、ここがこの町の最終防衛ラインである。
近辺には矢を受けて蹲っているオーク、地に伏して動かなくなっている獣たちがある。その周りをゴブリンたちがキーキー喚きながら走り回っている。
現在は、どちらの陣営からも矢が飛んでいる様子は無い。
その百メートル以上も離れたところで、裕は様子を窺っていた。
減っているとはいえ、相手はまだ三十以上が残っている。しかも、残っているのは大きく強い物が多い。今までのようにゴブリンや狼と一対一ならばともかく、囲まれてしまえば勝ち目など有るはずがない。
裕は思考を巡らせる。
――
矢が刺さって倒れている獣がいる……、が矢を射ている者がいない。
既に矢が尽きたのだろうか?
今もバリケードの隙間から矢を射っている、ことはまず無いだろう。バリケード前には敵が密集しているのだ。あれなら槍で突いた方が効率が良いだろう。
さっきの詰所には、矢はまだ大量に残っていたはず。それを向こうに渡してやるのが得策だろうか。
この辺りに人の死体が見当たらないということは、
ここらの建物の中を一々探し回ってなどいられないし、死んでいるなら探すだけ無駄。
ならば、バリケード内に居ることを期待して動いた方が良さそうか。
問題は、何を、どうするか。
矢を束で放り込んでやれば良いだろうか。他の重量級の武器を投げ込むのは危険だろう。やめておいた方が良いような気がする。
投げ込める場所は。あった。
バリケード手前の青屋根の三階建て。おそらく窓から投げれば届くだろう。
――
裕は急ぎ街門の横手にある詰所まで戻る。
スタコラと歩くこと約六百秒。裕は息を切らせながら、戸棚を開ける。
そこには束になっている矢と矢筒が並んでいた。
山刀を手に持ち、矢筒四つを抱えて詰所を出た裕は、再びバリケード方面へ向かう。
歩くこと約九百秒。目星をつけていた建物に忍び寄り、玄関の扉に手を伸ばす。
ゆっくりと引いてみると、幸い鍵は掛かっていなかった。鍵の確認せずに矢を取りに行ったのは失敗だったと反省しつつ、周囲を見回してモンスターに見つかっていないことを確認してから静かに扉を閉める。
扉を閉めると家の中は真っ暗だ。全ての窓は木製の扉で閉ざされており、ランプでも点けない限り、昼間でもかなりの暗さになってしまう。
裕は暗い家の中で手探りで階段を見つけると上階に上がっていく。
やっとのことで三階まで辿り着き、窓を開けてバリケードの様子を確認するも、内側の様子は見えなかった。
相変わらずバリケードのすぐ外でオークやオーガが騒いでいるということは、すぐ内側に人がいて何かしているのだと予測はされるが、それが何人くらいでどんなことをしているのかまでは分からない。
裕は矢筒をハンマー投げの要領でブン回し、バリケード内側へと放り投げる。放物線を描いて、矢筒がバリケード内に落ちていくのを確認して、二つ、三つと投げ込んでいく。
仕事を終えると一休みし、呼吸を整えてから一階に降りていく。建物の入り口から周囲の様子を確認すると、バリケードから離れたところにいるオークが一匹近づいてきていた。
裕が慌てて建物の中に隠れたその時、そのオークが悲鳴を上げた。
何事かと再び裕が外を覗くと、オークの背中から数本の矢が生えている。矢の供給を受けた弓士が戦列に復帰したようだ。
攻撃を受けたオークは怒りの形相で振り向き、敵を探す。背後を向けたその隙を逃さず、裕はオークに駆け寄り、膝裏の腱を狙って山刀の刃を打ちつける。
腱を切られて盛大な悲鳴を上げて倒れるオークに、裕は容赦なく襲い掛かる。迷いもせずに首へと止めの一撃を放ち、すぐさま次の敵に向かって投石攻撃をはじめた。
弓士が仕事をし、敵が全体的に混乱している今がチャンスなのである。
全力で投げた石が放物線を描き、ゴブリンの後頭部に直撃する。
「十六!」
石が命中した個体は倒れて動かない。裕に気付いて向かってくる三匹のゴブリンに向かって走り出す。調子に乗りすぎであることを自覚しつつ、裕はあえてそれを無視する。今ならば弓の援護も期待できる。その今、調子に乗らずして何時調子に乗ると言うのか!
裕は低く構えた山刀を左端のゴブリンに向かい振り上げるが、ゴブリンはその刃を受け流す。が、そもそも一撃目は相手の動きを誘導するためのもの。歪んだ笑みを受かべるゴブリンに向かってさらに踏み込んで袈裟懸けに切りつけ、その横を駆け抜ける。
悲鳴を上げて転がるゴブリンを無視して、二匹目へと突きを繰り出す。だが、やはり躱されてしまった。しかし、次の瞬間、裕は山刀から手を離してゴブリンの頭と腕を掴む。そしてそのまま大外刈りに持ち込んだ。
頭部を掴んでの大外刈りは、当然のように頭をそのまま体重を掛けて地面に叩きつける危険極まりないというか、相手を殺すための技である。当たり前だが柔道としては反則なので絶対に真似をしてはいけない。だが、裕が今しているのは殺し合いであり、柔道の試合ではない。
大外刈りで倒れ込んだ勢いそのままに転がって三匹目からの攻撃を躱し、急いで立ち上がると三匹目のゴブリンと対峙する。ゴブリントリオはもう残り一匹だけだ。
二呼吸の後、ゴブリンが動いた。裕の手には山刀は無い。先ほど放り投げたままになっている。その素手の子供に臆することは無いとでも思ったのであろうか。
ゴブリンが耳障りな奇声を上げて山刀を大きく振りかぶる。その丸分かりな攻撃軌道を見切って裕が動く。
裕がゴブリンの間合いに入る直前、ゴブリンの肩に矢が突き立った。
ゴブリンが悲鳴を上げて振り返っている隙に、裕は落ちている山刀を拾って突撃する。
走りながら大上段に構えた山刀を野球のバットスイングの要領で横薙ぎに振り抜く。裕の裂帛の気合いに誘われて上段防御の体勢に入っていたゴブリンは、防御も回避も間に合わずに腹を切り裂かれた。
うずくまり苦しむゴブリンを蹴り倒して頭を踏み抜き、先の意識を失っている二匹にも完全に止めを刺していく。
「十九!」
裕はさらに調子に乗ってゴブリンを釣り出しては倒していった。
弓士は、子どもがゴブリンと戦っている一部始終を見ていた。
隙をみて何度か援護射撃を試みるが、子どもとゴブリンの距離が近すぎて機会はそう多くない。
そのうち二射は子どもに当たってしまうのを覚悟の上で放っていた。
援護射撃に成功しなければ味方が殺されてしまうタイミングでは誤射を恐れずに放つ。この町ではそれなりに名を知られている弓士である彼は、迷わずに実行する。
迷うことに価値は無い。戦場であれば、それはなおのこと。弓士はそれをよく知っていた。
オークやオーガの気を引きつつ、子どもの援護を繰り返し、気付いた時には二十匹ほどいたゴブリンは全て子どもの刃の前に倒れていた。
既に、敵の数は最初の三分の一以下に減っている。
百戦錬磨のハンターから見れば、単体のゴブリンは取るに足らない強さしかない。
だが、オーガやオークと刃を交えている最中に背後からゴブリンに攻撃されれば痛手を受ける。
その心配がなくなったというのは、一つの転換点と言えるだろう。
敵の主力たるオーガはほぼ残っているが、それらも無傷ではない。味方の戦力は温存されているのに対し、敵戦力は確実に減っているのだ。
オークに矢を射かけ続けながら子どもの方を見ると、静かにひっそりと戦場を離れようとしていた。オークやオーガが子どもに気付いている様子は無い。弓士にはそれを怒るつもりも咎めるつもりもない。むしろ子どもが逃げやすいように、自分へと注意を向けるべく攻勢を強める。
声を掛けるわけにもいかず、逃げ去っていく子どもを見送ってから、弓士は矢倉を下りた。リーダーに現状の報告をし、今後の作戦を立てるために。
「狼、ゴブリンは全て始末した。残りは熊×二、オーク×九、オーガ×五。」
弓士の説明を聞いているのは、防衛戦力は中級ハンターが九人、下級ハンターが二十一人。
比較的魔物が少ないと言われているこの地域に、上級ハンターはいない。
戦力としては、兵士が武器を持っていれば十分に勝てるはずなのだが……
今、総攻撃を仕掛けて勝てないことは無いだろう。犠牲になるのは一人や二人ではないどころか、生き残るのが半数程度だろうが。
中級ハンターのリーダーは苦い顔をする。
どうやら、まだ決断はできないようだ。
だがバリケードのダメージも大きく、そう長く持ちこたえられそうにはない。
「バリケードが破られる前に、少しでも敵戦力を削ろう。」
リーダーが提示したのは『敵に援軍が無い』場合に有効な作戦だ。だが、反対する者は無く、バリケード越しに槍で地道に攻撃することに決まった。
一時間後。
バリケードは限界が近づいていた。
裕によって捕球された矢も、既にすべて射尽くしている。あとは覚悟を決めて総攻撃に出るだけ。そのタイミングを計っているその時だった。
上空から再び矢筒が降ってきて、不幸にもそれが兵士の一人の頭部に直撃した。声を荒らげる兵士の横にさらに二本の槍が降ってきて、兵士たちに動揺が走る。
騒ぐ兵士を奥に引っ込めて、リーダーが周囲に問う。
「先刻のもそうだが、これは一体?」
外にいる子どもからだと断じる弓士。五、六歳の子どもが一人、敵の戦力を削りつつ、こちらに矢を届けてくれているのだと。
周囲のハンター達は苦笑する。バリケードの向こうで頑張っている者がいるのは確かなのだろうが、それが幼い子ども一人でだなんてことはありえない。
だが、今はそんなことを言いあっていられるほど余裕があるわけではない。
ハンターチームが降ってきた二本の槍を兵士に手渡し、睨みつける。
「市民を守るのはアンタたちの仕事だろう!」
税を食んでいる兵士には前面に立って頑張ってほしいと思うのは当然のこと。
ハンターの作るバリケードは、最後の砦なのである。第一次防衛線である防壁・街門を放棄し、武器を捨てて逃げてきた兵士たちを快く思っているハンターなどこの場にはいない。
バリケードから突き出される槍の勢いが突如増してオーガを襲う。
手を刺されて猛り、棍棒を力いっぱい振り廻す。
さらに頭上からの怒声に顔を上げると、目の前に弓矢が突き出されていた。
目から深々と矢が突き刺さったオーガが倒れる。
その時、弓士は再び先ほどの子どもを目にした。何かを抱えてオーガの群れに突っ込んでくる。
「もう良いって! 無理するなああああああ!」
叫びながら弓士はオーガに向けて立て続けに射掛ける。
走り寄ってきた子どもは、抱えていた何かを放り投げると、踵を返して逃げて行く。
そして、オーガの姿は黒煙と炎に包まれた。
バリケードの外で燃え上がる炎を見てリーダーが決断を下す。
「全員! 出るぞ!」
これ以上の機会は二度とないだろう。
中級チームを先頭にハンター達がバリケードを飛び越えて、炎に包まれてパニックになっている敵に畳みかける。
バリケード前から少し離れた場所からオーガの咆哮があがる。
そこでは、一人の子どもがオーガに追われていた。
「目の前に集中しろ! あの子が一匹引き付けてくれているんだ、無駄にするな!」
振り返り、駆けつけようとするハンターに弓士が叫ぶ。子どもを気にして、より高い戦力を持つ者が傷を負ったのでは意味が無い。
裕は右に左に走り回ってオーガの攻撃を避けつつ、棍棒を握る手指に向けて反撃を試みる。
何度か空振りをしながらも、オーガの動きの癖を観察し、その精度を上げていっている。
横薙ぎに振るわれる棍棒の一撃を狙いすまして、思い切り踏み込んでオーガの手首に向けて全力で刃を叩き込む。
だが次の瞬間、裕はオーガが振り抜いた腕の直撃を受けて倒れ込む。
一方、裕の攻撃でオーガも棍棒を取り落としている。
予想外の反撃だったのか、オーガは怒りの咆哮を上げて裕を睨みつける。
オーガは慎重さを知らない。
裕に向かって一気に踏み込み、腕を大きく振りかぶると、その脇腹に矢が突き刺さる。弓士のナイスフォローである。
振り向き叫ぶオーガの声は次の瞬間、悲鳴に変わり、勢いよく倒れ込む。
裕がオーガの足指に山刀を突き立て、さらにオーガの後ろに回り込んでアキレス腱に向けて刃を叩き込んだのだ。回り込んだ勢いを利用しつつ渾身の力を込めたその一撃はオーガの腱を完全に断ち切っていた。
肩で息をしながら、裕はふらふらと戦場を後にする。もはや体力の限界のようである。
振り返りもせず曲がりくねった道を進み、そこで裕はありえないものを見た。
道いっぱいに広がっている骸骨兵。その数、約四十。
裕が呆然と立ち尽くしていると、骸骨兵は虚ろな眼窩を裕に向けて迫ってくる。
裕にはもう戦う力も逃げる力もない。一体くらいなら何とかなるのかも知れないが、四十という数には為す術が無い。
もはや打つ手なし。万策尽きた。万事休すという状況である。
裕は諦めることにした。
「この世界でも天国とやらに行けるのですかね? 極楽浄土に行くには南無阿弥陀仏でしたっけ……? なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
骸骨兵に動揺が走った。
「何で諦めたら、希望が見えるのですか?」
昔から念仏って幽霊に向かって唱えたりするし、アンデッドに効いたりするんだろうか? などとぼんやり考えている暇はない。
「
合掌し、気合いを込めて叫ぶ。しかし、成仏してくれない。
次に裕が思いついたのは一つしかない。というか、これ一つしか知らないのだ。
「
――
骸骨兵がゾロゾロ集まってお経を聞いている? あんたら何宗だよ?
そもそも般若心経って迷える魂に有効なのでしたっけ?
まあいいや。集中、集中。
――
「
目の前の哀れな者たちの救いを願い、経を続ける。そして。
「
骸骨兵の動きが完全に止まっている。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
裕は静かに念仏を唱える。
骸骨兵は力を失い崩れていく。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
何度も念仏を繰り返す。
不死者を極楽浄土に送り、裕の意識が薄れていく。
「じょーどしゅーばんざい。しんらんしょうにんばんざい。」
ワケの分からないことを言いながら裕は意識を失った。なお、浄土宗の開祖は法然である。親鸞聖人は浄土真宗だ。
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