第2話 死ぬ気でやればなんとかなるらしい
裕は防壁の上に身をかがめながら外を見回す。
意外なことに、獣や魔物どもは道なりやってきている。
何でだろう? と裕は首を傾げるが、そんなことは考えても無駄だと三秒で思考を切り替える。
さて、遠目に見た限りでは、オークやゴブリン、オーガ達は手に棍棒らしき武器を持っているが、弓などの飛び道具を持っているのはいなさそうである。
ならば防御は考えない。あいつらは近距離専門! と裕は堂々と立ち上がり、大きく深呼吸をして、矢を番える。
彼は高校時代、弓道部に所属して大会では優秀な成績を収め、と言ったエピソードは無い。高校時代は帰宅部だったし、弓なんてやったことがない。当然、狙いのつけ方も分からなければ、そもそも矢がどれだけ飛ぶのかも威力も分からない。
だが、とにかく今はやってみるしかないのだ。
「当たれーー!」
裕は叫んで矢を放つ。
だが、スキル『弓術』レベル3とか、そんな都合の良いモノも無い。私はそんなチート能力をホイホイと与えるほど安い神ではない。
これはゲームではないのだ! 真剣にやってもらわねば困る。
まあ、そんなわけで、初心者の裕の矢は、無情にも明後日の方向に飛んで行っただけだった。
だが、何度かの失敗からある程度は学んだようで、狙い通りに狼の群れに向かって矢を放てるようになってくる。素晴らしい学習能力だが、いくら学習能力が高くても、訓練もなしに動いている相手に矢を命中させるなど、できるはずがないのだ。
裕は開き直って、当たろうが、外れようがお構い無しで、次々と射かけていく。まぐれ当たりに期待をした、下手な鉄砲数撃ちゃ当たる作戦である。
持ってきた半分以上を撃っていると、運良く数本は当たったようで、時折、狼の悲鳴が上がる。
しかし、群れ全体の勢いは弱まっていないどころか、先頭を走る一番大きい狼は雄叫びを上げて加速してくる。
そして。
大狼が跳躍する。高さ四メートルはある防壁の上に立つ裕に向かって。
だが、裕は恐れも慄きもぜずに大狼を睨み弓を引く。
「飛んで火に入る夏の虫ィィ!」
叫んで至近距離から、大きく開かれた狼の口の中を狙って渾身の矢を放つ。
そのまま横に倒れ込みながら狼の腹を力一杯蹴り上げて、狼をそのままの勢いで防壁の内側に落とす。
悲鳴とも雄叫びともつかない鳴き声をあげる大狼のことは無視して、裕は立ち上がると直ぐ外に向かって弓を構える。
恐ろしい合理判断だ。
大狼の動きとして考えられる可能性は大きく三つある。
一つ目は、大狼は致命的なダメージを受けていて、もう戦うことはできない。
二つ目は、多少のダメージはあるものの、四メートルジャンプは不可能。
三つ目は、ほとんどダメージは無く、再度ジャンプして裕に襲いかかることができる。
一番目なら何の問題もないし、二番目でも、少々放っておいても直ちに大きな問題にはならない。当面の危険は排除できたと言えるだろう。
問題は三番目だ。この場合は、裕には事実上、打つ手が無いことになる。至近距離からカウンター気味に打ち込んだ矢が効かないならば、もはやどうすることもできない。
したがって、考えるだけ無駄、ということなのだ。
壁の外では、大狼に倣って後続の狼も次々とジャンプするが、防壁の上に届くことはなく壁に激突して落ちていく。
勝手にダメージを受けて、動きを止めている狼に向かって裕は直上から矢を放っていく。情けも容赦もないが、当然だろう。
裕の矢を受けて二匹が悲鳴を上げ、残りの狼も逃げるように遠ざかっていく。その狼を無視して、裕は熊に狙いを定める。
門に向かって体当たりをしているのは、豊かな灰色の毛並みを持つ、体長二メートルは軽く超えている巨大熊だ。
矢を三本ほど射ってみるが、この熊に通用しているようには見えない。裕は熊を狙うのは諦めて、その後ろのオークに向けて残り少ない矢を射かけていく。
「あ、やっぱりダメですね。」
矢を全て撃ち尽くし、裕は空になった矢筒と弓を捨てると、防壁の内側に降りて別の武器を探す。
とは言っても、剣では敵に届くはずもないし、斧は重すぎる。結局のところ弓か槍しかない。
裕は兵士が捨てていった槍を拾うと、低い唸り声に振り向く。道端に転がり苦しみもがいていたのは先ほどの大狼だった。どうやら、一番目の可能性だったようだ。
大狼にゆっくり近づき、裕は持っていた槍を突き刺す。
狼が動かなくなるまで何度も突き刺している裕の頭に、「狼 刃物でメッタ刺し」という新聞の見出しが過ぎる。
既に無力化されている狼に、今とどめを刺す必要は無い。放っておいても、数時間後には死ぬだろう。
そんなことは裕には分かっている。それでも裕には、今、止めを刺すべき理由があった。
簡単なことである。
槍が武器として最低限の機能を有するかの確認、そして、生き物を殺す経験をしておく、ということだ。
裕は今までハエや蚊、アリなどの小さな虫しか殺したことがなかった。目の前に牙や刃が迫っている時に、
たがら、ある程度安全な所でそれを乗り越えておく必要がある。そう考えた上でのことである。
裕は門扉を見て、まだ少し持ちこたえられそうだと判断し、槍を抱えて再々度防壁に登っていく。
防壁上から外を見ると、狼や熊から少し遅れていたオークやオーガが既に壁に取り付いて、棍棒や剣らしき武器で壁や門扉を殴りまくっている。少し離れたところに、狼が一匹倒れている。不運にも裕の矢が命中してしまった奴だ。
雄叫びを上げて物凄い勢いで棍棒を振り廻しているオーガの一団は怖いので避けて、裕はオークの頭上から槍で突く。
予想通り、まともに痛手を与えることはできず、嫌がらせ程度にしかならない。しかし、オークの意識を裕に向けるには十分だった。
裕は槍を繰り出しながら門扉から離れる方向に防壁の上を移動していく。その動きにつられ、数匹のオークが裕に向かって叫び、棍棒を振り回す。裕も何とかオークの目でも潰せればと必死に槍を突きだすが、子供の力などたかが知れたもの。細かく狙いを定めての攻撃など、そう上手くできるものではない。
結局、体力の無駄だと槍を戻して睨んでいると、オークが肩車をしはじめた。そうすれば攻撃が届くとでも思ったのだろうか。
「莫迦なの?」
そう。それは格好の的だった。
二匹の協力プレイで攻撃力二倍! になんてなるはずがない。安定感を失い、振り回す棍棒にも力が入っていないし、移動速度も遅くなっている。
高いところに届くようになっただけで、それ以外の要素は全部ガタ落ちで、どう考えてもデメリットの方が大きいのだが、オークの知能ではそんなことも分からないのだろうか。
肩車オークが近づいてくるのを待ち、裕は改めて槍を繰り出す。こちらも力なく、よろよろとした突きだが、狙い違わず上のオークの首を捉えた。
「ラッキー!」
裕は自分の戦果に満足して、そろそろ撤退しようかとも考える。一人で五匹も退治しているのだ。十分すぎる働きのはずだ。
身を隠す場所は無いかときょろきょろと見回していたその時、轟音が響き、門扉が破られた。
凄まじい地響きは、門扉が内側に倒れたときのもののようだ。防壁内に雪崩込んでくる敵を見ながら、裕はその戦力を確認する。
狼が十一、一頭どこいったのか、熊が何故か二に減っている。 オーク十六、オーガ七、ゴブリン二十以上。
これをどうするかと裕は作戦を考える。
――
ゴブリンあるいは狼だったら、一対一なら何とかならなくもないだろう。
しかし、複数を同時に相手にするのはどう考えても無理だ。勝てるはずがない。一匹ずつ釣り出して、自分に有利な場所・戦い方で相手をすればなんとでもなる。
武器はどうするか。槍や斧を取り扱うには腕力が足りていない。弓は矢が尽きた瞬間に役に立たなくなる以前に、まともに狙いもつけられないので却下。
手頃なサイズの剣や鉈、投石用の紐や棒を探すべきか。
兵士詰所に良い武器が有れば良いのだが……
――
ふと見ると、ゴブリンが四匹、防壁の梯子を上ってきている。
「お前たち、莫迦なのですか? いや、莫迦なのでしょうね。」
裕は通じないと知りつつも言葉を投げかける。
防壁の上まで登ってきたゴブリンは、奇声を上げながら山刀のような武器を振り回す。
それに対し、裕は冷静にゴブリンの間合いの外から槍で攻撃を仕掛ける。
裕とゴブリンでは、そもそも得物の間合いが違う。そして、横に回り込むだけの幅がない壁の上では、槍の長さを活かして、懐に入れさせなければ負けることはない。
複数の相手に取り囲まれたり不意打ちをされる心配も必要ない。これほど有利に戦える条件が整っていれば、そう簡単に負けはしない。ワザと攻撃を大きめに外して隙を作ってゴブリンを誘い込み、後ろに下がりながらのカウンターで致命傷を与える。
意外と危なげなくゴブリン四匹を倒した裕は、ゴブリンの武器を確保して、ゴブリンを防壁の外に落とす。
そして、大きく息を吸い込んでわざとに悲鳴を上げてみた。獣や蛮族というのは、悲鳴に群がるものだ。有利に戦える場所で撃破数を稼ごうと呼び寄せることを試みたのだ。
そして、やってきたのは思ったよりも少なく、ゴブリン×三、そしてオークが一匹だった。
「お
ゴブリン三匹を余裕綽々で倒して、防壁の上で裕はオークと対峙する。
とにかくオークの足元を狙って攻撃を繰り返す裕。その攻撃は貧弱でオークを倒すことなどできそうにないが、狭い壁の上で足元を狙われ、オークは間合いを詰めることができなくて苛立ちをみせる。
互いに攻めあぐねている状況を変えたのは裕だった。
突如、オークの横、何もない空中に向かって走り込んだのだ。
咄嗟の反応でオークは体の向きを変えて足を踏み出し、いや、踏み外した。
次の瞬間、オークは背中から地面に落ちていた。
一方の裕は、積み上げられた荷箱の上に着地している。
「ジャンピングスピアスティング!」
何やら謎の必殺技を叫んだ後、オークの胸の上に槍が深々と突き立てられていた。
周囲に敵がいないことを確認した裕は、武器回収のために防壁の上に向かう。
「私の分は十分戦ったような気はしますが…… 他の住民はどうなったのでしょう? さっきから悲鳴が聞こえるということは大丈夫ではなさそうですが……」
裕はゴブリンが持っていた山刀の素振りをしながら、町の様子を伺う。そしてふと、熊が一頭足りなかったことを思い出した。
「おーい、クマさーん、どこに行ったのですかー?」
問いかけるが返事は無い。そして、壊れた門扉の前で倒れている熊を発見した。
気を失っているだけならば、目覚めたら厄介だ。ということで転がっている槍を拾って止めを刺す。
――
勝手に倒れていた熊はともかく、狼とゴブリン、オークは戦果のはず。もう十三匹も倒したのですから、少々サボっても罰は当たらないでしょう。
なんか、怒声だか悲鳴が聞こえるような気がするけど、きっと気のせいだ。
――
裕はそう考えて一旦休憩を取ることにする。
「自分は一人で戦っているのに誰も助けてくれなかったのだから、助けに行ってやる義理も義務も無い。」
一人呟く。言っていることは確かに間違っていない。しかし裕は、自分が全く助けを求めてなどいなかったことには気付いていないようだ。
六歳児である裕は、物理的にはどう考えても弱者のはずなのだが、弱者の精神は持ち合わせていない。目が覚める前の裕は三十四歳。厨二病が抜けきっていないオッサンだった。
暫くの間、防壁の上に座ってやたらと晴れた空を見上げていたが、ふと立ち上がり周囲を見回す。どうやら喉の渇きと尿意を感じたようだ。
防壁を下りて手近な家に入り、トイレを探す。が見つからない。台所の水道も見当たらない。何軒か入ってみるが、やはりない。
「上下水道が無いのか…… くそぅ。いや、マヂで
古代から下水道という概念は存在していたらしいのだが、ヨーロッパでは近世までは道端に人糞が転がっているのが普通だったという。だから、ある程度以上の規模の町は悪臭に覆われていたとか……
だが、この町は汚物が堆積している様子も蔓延する悪臭もない。それは何らかのし尿処理が行われているということである。
裕は仕方なしに物陰で用を済ませ、井戸を探す。常識的に考えれば、共用の井戸は使いやすい場所にあるはずだ。
苦労することもなく井戸を見つけた裕は、埃や血に汚れた手足を洗い、喉を潤す。
そして休憩ができる場所を求めて近くの家に入り、動きを止めた。
血の臭い。そして、何者かが息を潜めている気配がそこにはあった。
――
逃げ遅れた人が隠れているなら問題ない。けど、敵が隠れているならば、殺す。
無理だったら逃げる!
――
裕は、山刀を構えて気配に向かう。廊下には明かりがなく、玄関からの光では奥まで見通せない。薄暗い廊下を進み、ゴソゴソと何者かが動き回る気配のある部屋に近づく。半ば空いた扉から中を覗き、裕は即座に扉を閉めた。
中にいたのは狼。獲物に気付いた狼は間を置かずに飛び掛かってきた。
だが、扉が閉まる方が早かった。物凄い衝突音がして、扉が震える。狼が扉に激突したのだろう。
一拍置いて、扉を開けると狼は再び突進してくる。
「面!」
裕は大上段に構えた山刀を、渾身の力を込めて振り下ろす。
狼は必殺の一撃を受けたものの、それでその突進が止まるわけでもなく、裕は壁と床に叩きつけられて呻く。
少女は弟と一緒に部屋の隅で縮こまっていた。家の中に入り込んで来た狼が女中に飛び掛かるのを見て、弟と一緒に近くの部屋に逃げ込んだのだった。両親は現在、隊商を率いて遠方まで交易に行っていて不在の折のこの事態である。
突如、激しい物音が家中に響き渡った。狼が吼え、激しい物音が続いている。
恐る恐る扉を開けて様子を見た少女の目に入ったのは、部屋から飛び出てきた巨大な狼。そして、その体当たりを食らって吹っ飛ぶ子どもの姿だった。
少女が動くこともできず、悲鳴を上げることすらできずに固まっていると、子どもが剣を手に狼に向かう。
少女は信じられないものを見て愕然とした。
狼が唸り声をあげ、子どもが吼える。剣と牙が、互いに相手の命を奪おうと何度も飛び交う。
不意に狼の目が少女の方を向いた。息を飲み、少女は身を竦める。
その一瞬の隙を突いて、子どもの剣が狼の腹を抉った。
悲鳴を上げて転げまわる狼の喉元に子どもが止めの一撃を放って、戦いの幕引きとなった。
大きく息を突いたのち、子どもは他の部屋の扉を開けて中を覗いていく。一通り部屋を覗いた後に、少女に手を振って家を出て行った。
裕は歩きながら考える。
――
逃げ遅れたのか、単にそういうものなのか、家の中に隠れている人間がいる。そして、それを探して襲おうとしている敵がいた。だけど、今の戦いの音に引かれて出てきた獣はいない。
怒号の中心点、おそらく主戦場は、ここからは結構離れている。
襲撃してきた敵の総数は六十から七十程度だったはず。そして自分が倒した敵の数は十四プラス一。
あれ? もしかして既に二割近く倒してるのでは? まあ、弱い奴ばかりだけど。
このくらいで満足して、あとは兵士たちに任せるか?
何にしろ、まず休憩だ。さっきから全然休めていない。
興奮レベルが高すぎて疲労度が分からない。けれど客観的に考えれば、相当に疲れているのは確かなはずだ。
さっきの狼でダメージも受けている。
肝心なところで動けなくなるのはマズい。どこかで休むべきだ。
――
裕は大きな看板の出ている扉をくぐる。中に明かりはなく、人の気配もしない。ついでに、獣の気配もない。
目を凝らしてみると、室内にはテーブルがいくつも並び、奥にはカウンターがある。
足を踏み入れて、ソファか何かないかと探していると階段を見つけた。
二階に上がってみると、廊下の左右に扉が並んでいる。
裕は、ノブに手を掛ける。鍵は掛かっていない。中に入ると、二段ベッドが並んでいた。
「失礼しまーす。」
裕はベッドの一つに横になると、やはりかなり疲労していたようで、急速に眠りに落ちて行った。
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