第3話 忘れたい夢

『忘れたい夢、ありませんか? 頭から離れない悪夢、ありませんか? その夢、私が引き取ります』


 その文言に、私はすがるように飛びついた。

 もう、忘れてしまいたかった。

 彼のことも、彼との未来を夢見た愚かな自分も、夢の中で繰り返し思い出す彼との日々も。


『柊木 美琴様

 ご注文、承りました。2日後、料金を頂きに参ります』


 メールの予告通り、その女性は着物を身に纏って私のもとへやってきた。


「柊木美琴様、でしょうか? ご注文有難うございます。私、夢をいただきに参りましたサイトの責任者、朱里と申します。朱色のしゅに里と書いてしゅり。さて、では、どんな夢を頂けばよろしいのでしょうか?」

「彼との、死んでしまった私の彼氏に関する夢を、全て全て私から消してください。私はもう、耐えられない……!」


 朱里がどこから現れたのかとか、どうやってここまで入ってきたのかとか、そんなことはどうでも良かった。

 私はただただ一刻でも早く、彼から解放されたかった。


「彼はいつまでも忘れないでと言ったけど、そんなの無理よ、耐えられるわけがない。でも、自力で忘れられるわけもないじゃない。だからお願い、朱里さん、私から、消して。全部全部!」


 一息でそう言い切ると、瞳から涙が溢れて止まらなくなる。

 外で気丈に張り詰めていた何かがプツンと切れたようだった。


「……ならば、今夜まで待ってください。貴女が見ている夢は、寝ている間にしか頂くことができません。そして、量が多ければその分だけ時間がかかります。なのでどうか、今夜貴女が深く眠りにつくまでお待ちください」


 朱里が綺麗に三つ指をついてそう頭を下げる。

 その仕草を見て、すうっと頭が冷える。


「そう、ね。ごめんなさい。取り乱してしまいました。……ねえ、朱里さん。よければ、時間がくるまで私とお話ししませんか?」

「承知いたしました」


 ここにきてからずっと悲しそうな顔をしていた朱里は、その時初めて花が綻ぶような笑顔を見せてくれた。


「夢を奪うって、どうするの?」

「このような、ビー玉に閉じ込めるのです」


 朱里は懐から黄色い、薄く発光しているようにも見えるビー玉を取り出してそう言った。


「これに閉じ込めれば、その夢の持ち主はその夢に関する全てを忘れます。思い出す方法は取り込むだけですね。例え壊したとしても、取り込まない限りは思い出すことができません」

「取り込むって……どうやって?」

「どうやってでもいいのです。丸飲みにしても、砕いて飲んでも、なんだって」


 朱里は掌の上で転がしていたビー玉を、大事に大事に再び懐にしまい直す。

 自分の夢もこんな風に扱ってもらえるなら悪くないな、と思った。


「今度は貴女の話も聞きたいです。貴女が奪って欲しい夢は、具体的にはどのようなものなんです?」

「……全てです」


 朱里がそう尋ねてきて、私は一瞬躊躇ったが、どうせ渡すのだし、と思ってぽつりぽつりと話し始めた。



 私と彼は、大学で出会ったんです。特に劇的なきっかけもなく、なんとなくお互いがお互いのことを好きだなあと思って付き合い始めました。

 大学を卒業してもそのまま付き合っていて、同棲もして、なんとなくそろそろ結婚するのかな、なんて思っていた頃、彼は私の元をさりました。

 ひどいですよね、飲酒運転していたトラックに轢かれたんですって。

 車を運転することが仕事なのに、飲酒運転するなんて。

 初めの頃、私はその運転手を恨みました。人一人殺したにしては軽すぎる刑に憤りを覚えたりもしました。

 でも、ある日思ってしまったんです。

『なんで彼は私を置いて行ったんだろう』って。

 そう思っちゃったらもうだめでした。

 大切に抱いていこうと思った彼との思い出が辛いものでしか無くなって、夢の中でいつまでも一緒にいよう、お互い忘れないでいようって笑う彼の顔を見るのが辛くて。

 こんな未来が来るとも知らずに彼からのプロポーズを待っていた自分があまりに愚かで。

 全部全部全部忘れてしまいたいんです。

 このままじゃきっと、私、壊れちゃう。



「……本当に、それで、後悔しないのですか?」


 私は、きっと笑顔を浮かべて、歪む視界の先にいるはずの朱里に返事をする。


「ええ、もちろんっ……!」


「承知、いたしました」





 酷く寝覚が良かった。

 今までもきちんと寝ていたはずだが、何か溜まっていた疲れが落ちたような気がする、そんな不思議な寝覚。

 グッと背を伸ばして、昨日は一日無為に過ごしてしまったから、今日はちゃんと休みを楽しまないと、なんて考えて、ふと思う。


「あれ? でもなんでこんなに休みを取ったんだろ、私……?」


 首をひねるが、よく思い出せない。

 でもまあ休みな分にはいっか、不思議なこともあるもんだなあ、なんて呟いて、私は虚しく一つの歯ブラシが立つ洗面所に向かった。

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