第4話

 

 翌日、恋春と談笑していると、背後から蓬莱が声をかけてきた。

 「ねぇ、昨日はありがとう。これ返すね」

 そう言って透明の袋に入った現金665円を手渡してくる。

 「おぉ……ありがと」

 今このタイミングで渡してくるのは正直やめて欲しかったなぁ。

 恋春の訝しむような視線が突き刺さる。


 「っていうか、俺のおごりじゃ無いの?」

 「いや、仕掛け教えたわけじゃ無いし。流石にそれは良心が許さないというか」

 「……そうか」

 変な所で真面目だな、この子。


 「…ねぇ、昨日何かあったの?」

 今まで横で何も言わずに見ていた恋春がついに口を開いた。

 思わず口ごもる。何もやましいことは無いのだが、あるがままを話すのは気が引ける。

 恋春の顔を振り返って見てみると、彼女は口元に柔らかな笑みさえ浮かべていたが、細められたその目の奥には猜疑と嫉妬の色が滲んでいた。


 「えっと…」

 「ああ、昨日偶然そこの駅で出会って、夕飯代を借りたの」


 俺の狼狽を見て何かを察したのか、すかさず蓬莱がそう答えた。

 

 「未玖、財布持ってくるの忘れちゃって…」

 「なーんだ、そうなんだぁ」

 

 人を疑うことを知らない恋春は簡単にそれを信じ、安堵の笑みを浮かべた。

 俺は心底蓬莱に感謝した。なんて空気を読む能力に長けた子だろうか。俺と恋春が付き合っていることなどは決して知らないはずなのに。


 礼を言う代わりに軽く微笑んで見せると、彼女は恋春に向けていた天真爛漫なそれとは全く異なる、うっすらと口端を持ち上げる怪しげな笑顔をこちらに向けた。

 


 「付き合ってるんでしょ?永原恋春ちゃんと」

 放課後、恋春はすぐに部活のミーティングへと向かい、取り残された俺に蓬莱が話しかけてきた。

 「ああ、せやで」

 自分のリュックに教科書を入れながらそう答える。


 「残念だな」

 「え?なんて?」


 蓬莱が視線を俺の顔から床へと滑らせ、暗い表情でボソリと何かを呟いた。

 「ごめん、聞こえなかった」

 顔の前で手を合わせると、彼女は今朝と同じようにうっすらと口端を持ち上げて笑い、

 「何でもないよ」

 と言った。


 「未玖、先生に第二職員室に呼ばれてるんだけど場所が分からないの。案内してほしいな」

 

 俺は二つ返事でOKした。丁度自分もそこに用事があったところだ。

 俺たちは連れ立って歩き、第二職員室へと向かった。


 第二職員室は教室と真逆の方向にあり、行くまでには5分程の時間を要する。

 生徒のほとんどが部活動で、すっかり人通りが少なくなった廊下を2人談笑しながら歩く。


 その途中で、学年主任の瀬田に出会った。

 「あ、瀬田先生。明日の授業の準備?」

 瀬田は軽く微笑んでうなずいた。

 明日の授業とは5、6限目の現代学習のことだ。うちの高校では毎年、現代社会の問題を通して道徳や倫理を学ぶといったことをしているのだ。


 「明日はSNSの誹謗中傷問題についてやんな?」

 「ああ、これ明日使う授業プリント」

 

 背伸びをしてひょいと蓬莱が瀬田の手元にあるプリントを覗き込んだ。


 「……にぃ」

 「ん?」


 俺もそのプリントを覗き込むと、昨年自殺した人気若手俳優の志賀翔利が写っていた。

 切れ長の垂れ目、筋の通った鷲鼻、薄い唇。完璧なイケメンだ。女子達に大人気を誇っただけはある。


 「新田さんに似てる…」

 「えっ?…目大丈夫?」


 彼女から出たとんでもない言葉に思わず本音が口をついて出てしまった。

 新田はクラスの暗い女子だ。体型も太めで愛想が無く、顔もあまり可愛くない。こんな美形とは似ても似つかないタイプだ。


 「……似てるよ。目とか」

 「似てないわあんなブス。お前眼科行ってこい」


 俺はケラケラ笑いながら軽く蓬莱の背中を叩いた。

 その後用件を済ました俺達は職員室を出たところで別れ、蓬莱は帰宅し俺は部活へ向かう。



 その間際、


 「気を付けて帰れよ」

 そう言って振った手をギュッと掴まれ、

 「ねぇ」

 と引き止められた。


 「……未玖って呼んで!」

 

 飼い主にすがる子犬のような潤んだ目で見つめられ、俺は思わず首を縦に振っていた。

 ヤバい、可愛い。

 俺には恋春がいるのに、恋春のことが好きなはずなのに、何故か体に電流が流れ、心拍数が急上昇するのが分かった。


 「…じゃあね、バイバイ」

 すっかり放心状態の俺に蓬莱、じゃなくて未玖は手を振り、長い廊下を走って行った。

 俺も手を振り返すと、踵を返して部室へと向かった。

 

 彼女がいたとしても他の異性にときめいてしまうことは稀にある。かと言ってその相手が好きなわけではない。条件反射のようなものである。先程のもそれだ。

 俺は恋春の彼氏なんだから、これ以上俺の中に未玖はいれない。入ってくるな。


 しかしそんな俺の意思を揺さぶるように未玖は俺へ話しかけてきた。    

 彼女は始業式の次の日にはクラスの輪に溶け込み、全ての人間と平等に話していたので、そのことを訝しむ人間は誰もいなかった。恋春ですらも、だ。

 表情が豊かで純真無垢な未玖は、皆から好かれていた。


 否、思い返すと未玖は恋春がいないタイミングを見計らって俺に近づいていた。

 早朝、放課後、移動教室中…。「この子絶対俺のこと好きだ」と思うまでにそう時間はかからなかった。

 

 恋人がいるからといって、誰かに好意を寄せられるのは決して不愉快ではない。むしろ好かれること自体は喜ばしいことだ。

 俺はもちろん未玖の思いに応えるつもりは無かったが、彼女の好意はありがたいものとして受け止めていた。



 が、月日が流れるにつれその意思は段々と脆弱なものになってきた。

 未玖が転校してきて3ヶ月、恋春と付き合って約半年が過ぎた頃、カップルなら誰しもが通る道、マンネリ期が訪れたのである。

 否、訪れたというより俺が一方的に感じていた、という表現の方が正しい。恋春は相変わらず俺にベタ惚れだし、遊びに行こうとも誘ってくれる。ただ、それを凄く面倒だと思う自分がいる。


 付き合った直後は浮かれていて見えていなかった相手の欠点が、熱が落ち着くにつれどんどん浮き彫りになっていく。そうなってくると一緒に遊んでいても楽しいと感じなくなってくる。嫌いになったわけではないのだが、何となく一緒にいるのが苦痛なのだ。


 退屈で仕方がない。刺激が欲しい。

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