第3話

 

 蓬莱がステージ裏に引っ込み、元の制服に着替えて再び出てきた時、俺は近づいて声をかけた。

 「凄いな、初めて見たわ。なんていうん?」

 彼女は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに冷静な声で、


 「蓬莱未玖」

 「……いや…そっちじゃなくて…」


 天然なのか?この子。


 数秒間の沈黙の後、


 「……あぁぁ!あれはね、『変面』っていう中国の伝統芸能なの」


 彼女はやっと俺の質問の意味を理解したようで、真っ赤になりながら教えてくれた。


 「雑技団に入ってる叔父さんから習ったんだ。今日は来れなくなった人の代理で未玖が出演したの」


 全く訛りの無い綺麗な標準語でそう話す蓬莱に、俺は非常に無粋な質問を投げかけた。


 「なあ、あれって仕組みどうなってんの?」

 「…………言うと思うかい?」


 リュックの中から清涼飲料水を取り出しながら苦笑いでそう答える。


 「言わないと思う」

 「うん、言わない」


 蓬莱は近くにあったベンチに腰を下ろすと、自分の隣をポンポンと叩いて「座りなよ」と言った。

 俺は言われた通りにそこへ腰を下ろした。


 「えっと…唐崎くんだよね。唐崎風磨くん」


 俺は驚いた。短いHRの間にクラス全員の自己紹介をする余裕なんて無かったはずだ。

 「なんで俺の名前覚えてるの?」

 そう尋ねると彼女は、

 「え?あぁ、まぁね…………」

 と言葉を濁した。

 最後の方に小声で何かを呟いていたようだったが聞き取れなかった。


 それから俺たちはしばらく取り止めの無い会話をした。部活のこと、クラスメイトのこと、趣味や好きなTV番組、最近観た映画のことなど…。

 蓬莱は前の学校では部活に入っていなかったらしく、今回も入るつもりは無いそうだ。

 また、文化祭では毎年変面を披露していたことも教えてくれた。

 「あのさ…」

 彼女はうっすらと口端を持ち上げると、俺の顔を覗き込んだ。


 「夕飯、おごってくれるなら変面の仕組み教えてあげてもいいよ」

 「マジで?」


 ふっと脳裏に恋春の顔がよぎったが、彼女への罪悪感よりも仕組みを知りたいという好奇心の方が大きかった。


 まあ、恋春だって男女グループで遊びに行ったりしてるしな。


 それとこれとは違うだろ、と頭の中の冷静な自分が叫んだが、俺は何も聞こえなかったフリをして、蓬莱と近くのファミレスへと向かった。



 ファミレスで彼女が頼んだものは奇しくも恋春と同じスパゲティだった。

 1度飲み込んだはずの罪悪感に再び襲われる。俺は蓬莱をあまり見ないようにしながら自分のオムライスを食べた。


 「唐くん」

 急に慣れない呼び方をされてむせ返りそうになる。

 「……か…唐くん…?」

 17年生きてきて初めて呼ばれたわ。

 「唐くん、ここついてるよ」

 蓬莱は自分の口端を人差し指でトントンと叩いた。

 「あ、あぁ…」

 俺はナフキンでそこを拭き、フッと上目で彼女を見上げた。


 近くで見ると、やはり蓬莱は素晴らしく整った顔をしていた。

 横幅のたっぷりとある大きな目に、鷲鼻気味の高い鼻。完璧な形の唇。こんなにも美しい人間がこの世にいるものかと密かに感動していると、

 「何?どうしたの?」

 と訝しげな表情で尋ねてきた。

 綺麗だなと見惚れてました、などと言えるわけもなく、

 「いや、食べ方綺麗だなぁと思って」

 誤魔化すために取ってつけた返事ではなく、これも実際に感じていたことだった。服やテーブルは愚か、口元にすら少しもソースが付いていない。

 

 フッと脳裏に口周りをミートソース塗れにした恋春がよぎった。

 恋春よりも口小さいのにな、などと考えてしまい、直後自責の念でいっぱいになった。


 会計を済ませた後、店の前で蓬莱は俺に向かって、

 「ありがとうございましたぁ」

 と深々と頭を下げた。

 「……さぁ、では変面の仕組みを教えてもらおうか」

 「あっ、覚えてたか」

 蓬莱はわざとらしく眉間にシワを寄せ、口をへの字に曲げた。

 「当たり前やろ。何のために夕飯おごったと思ってんねん」

 「くぅぅ」

 彼女は珍妙な呻き声を発すると、目元に手を置いて天を仰いだ。

 「……あれはね」

 そしてたっぷりと間を取ってから顔を正面に戻し、俺の目を真っ直ぐに見つめる。先程とは打って変わった、真剣な顔で。

 

 「…時間を止めて、その瞬間に仮面を付け替えてるの」


 そう言った直後、蓬莱はひらりと体を翻すと「じゃあね!ありがとう唐くん!」と手を振りながら逃げるように夜の街へと消えていった。


 「いやそんなことある…?」

 1人取り残された俺は呆然としばらくの間その場に立ち尽くしていた。

 結局、665円を無駄にしてしまった。

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