胸になじむはじめて
男木島の右側、名付けて「町外れエリア」は、途中の分かれ道から、浜の方まで一本道になっていた。反対側の左側に進むと、後で行く「町エリア」の方に続いているようだ。結構地図を覚えたりなんかは得意な方だけど、はじめて訪れる場所だから土地勘もないし、道が分かりやすいのは心配事がなくて助かる。
分かれ道を右に曲がると、左手側にはさっき港から見えていた山が見えた。港からはまだ少ししか歩いてきていないが、角度がさっきと違うだけで、山は私に違う表情を見せてくれるから不思議だ。こちら側から見た山は、なんとなくだが緑色が濃い感じがした。なんでだろう、日差しが強いとか、土の具合が違うとかがあるのかな。無知な私が今考えても仕方のないことだけど、自然と気になったことで頭を満たしながら歩くのが好きだった。
山の方から視線を戻すと、今度は右側が気になった。一本道の右側はいくつかの家が寄り合うようにして集合していた。田舎のお家ってお庭が広くて良いなぁ、なんて考えているとしばらくして遠くの方に畑があるのが見えた。
目を凝らしてみるけど、生まれつき悪い視力を、なんとか人並みにしてくれているコンタクトを通して見ても、何を作っているかまでは分からなかった。いくつか背の低い作物が育てられている中で、人の背より少し低いくらいの高さまで、緑色が伸びている畑はよく目を引いた。
ああいう形でなじみ深いのは、小学校の時なんかによく育てていたキュウリだ。朧気に、小さなキュウリしか育てられなかったあの夏を思い返しながら見てみると、やはり葉っぱの中から、ツタのような細長いシルエットが、跳ねた髪の毛みたいにひょろっと飛び出しているところもあるようにみえる。あのツタがベランダの低い方の物干し竿に巻き付いていたときは、その生命力に子どもながら驚いたものだ。
畑を見て、昔を懐かしみながら歩いていると向こうから、よくみる荷台のある白い軽トラックが近づいてきた。車一台は余裕に通れるくらいの幅はある道だったが、一本道は譲り合い、右側の少し空いたスペースへ身体を避けた。
そのまま直ぐ通り過ぎていくと思っていたが、トラックはだんだんとスピードを落として、私のちょうど横の辺りで止まった。
「えぇ?」
と思わず声が出た。車は少しバックしながら、サイドガラスがちょうど私の顔くらいのところまで下がってくる。恐る恐るガラスの奥を見てみると、助手席の向こう側に、白髪の少し歳のいった、強面のおじさんが乗っているのが見えた。それなりの年齢のようには見えるが、ハンドルを握る手が何かの格闘技の選手かと思うほど大きくて、岩みたいにゴツゴツしていた。それに腕や肩、背中が大きく発達していて、夏場の薄いシャツではその大きさを隠しきれていない。おじさんは身体を少しハンドルの方に傾けて、年端を一切感じさせない鋭い眼光で、こちらをじっ、とのぞき込んでいた。
ど、どどどどうしよう、もしかして私消されてしまうのか。気づいていなかっただけで、この島のルールを何か破ってしまって、それが理由で罰を受けさせられるのか。何が悪かったんだ何が悪かったんだ、と慌てふためいていたら、目の前のサイドガラスが無慈悲にもゆっくり下がっていき、おじさんがこちらに話しかけてきた。終わった、そう思っていると。
「お嬢ちゃんどっからきたん?」
とにっこり笑いながら聞いてきた。はっきりとしたよく通る声だったが、一声聞くと人が良いことがよく分かる柔らかな声色だった。
「え、っと、大阪からです」
少しどもったように、おじさんとは対照的に小さな声で言った。さっきまでは確かにびびっていたが、悪い人でないのは今の一声で分かっていた。こうやってどもってしまったのは、単に人見知りからくるものだった。そういう意味では私は年がら年中びびっているわけだ。
おじさんは、大阪か~、と頷きながら聞いてくれた。おじさんはそのまま、自分も昔大阪に住んでいてここに来たとか、地元の漁師さんであるとか色々教えてくれた。あの体つきは、漁師をしているのもあるけど、若い頃プロレスが大好きで憧れて鍛えまくったらしかった。小回りがきかなくて意外と面倒だと笑って話してくれた。私は楽しく話を聞きながら、道のど真ん中を占領し続けて大丈夫なものなのか、と内心冷や汗ものだった。なんとも田舎らしい、気持ちの良い自由さだ。
おじさんからはこの先は何もないよ、と教えてもらったが適当に散歩してるんですというと、そうか~、と関西のゆるゆるした発音で楽しそうに笑った。ついでに、いま浜の方で若い人たちがバーベキューをしていたから一応気をつけるように、と言い残しておじさんは去って行った。最初の印象とはびっくりするほど真逆の人だったな。
気を取り直して歩いていると、体育館の前を通った。近くに小学校があるようで、交通安全のポスターや、注意標識なんかが至る所にみられた。貼られたポスターの年度がちゃんと今年のものだったので、どうやら生徒が通ってはいるようだ。この島で過ごす幼少期はどんなものなんだろうと思いをはせた。
少し歩くとプールが見えた。これも小学校の施設だろうか、随分と懐かしくて塀から少しのぞき込む。学校の屋外プールの様式はさすがにどこも一緒のようだった。
薄い水色の水の桶に、多分長い間使われていないんだろう、貯められた水は苔が生え、落ち葉が沈殿して暗く濁った緑色をしていた。最近は使われていないんだろうか。とはいえ何年も放置されたままというほどは荒れてないように見える。今年はやってなかったのかな。なんだか懐かしかったので、誰もいないことを確認してから一枚、写真に撮った。
プールを抜けると、すぐに道を進んだ向こうで輝く海が見えた。もうすぐ浜に付くみたいだ。少しだけ歩くスピードが上がってしまう。どれだけ海が好きなんだ、と自分で失笑してしまった。
一本道から浜の付近に出ると、結構ひらけた見晴らしのいい場所だった。土地が整備されていて、何に使うかは分からない機材のようなものが散見されたので、もしかしたこのひらけた場所には何か、作業場とかそういった建物なんかが建っていたのかな。
海の方をみると、今もまだ使えそうな漁船、だろうか白い船が何艘か岸壁付近に停泊している。
やっぱり海沿いを歩いてみたくなって、船のある方に歩いて行くと、海沿いに何匹か猫が身体を寄せていたのが見えた。可愛くて触ってみたかったけど、近づくと凄く警戒したようにこちらを睨んできたので、申し訳なくなって反対側にとぼとぼ方向転換した。
昔からなんでか猫に嫌われる質で、祖母の家にいた老猫しか触らせてもらったことがない。あの子はどちらかというともう逃げるのがだるい、って感じだったのでノーカウントかな。
猫と反対方向に端の方まで歩いていくと、漁港の雰囲気は薄れてきて、また自然の色濃い小道のようなところに来た。
小道は山の側面に沿うようにして先の方まで続いている。寄せては返す波の音が山に跳ね返って、普通に波の音を聞くよりも厚みのある印象を覚えた。
地図で確認してみるとこの道は結構先の方まで続いているようだった。凄く行ってみたいけど、先の方まで行ってしまうと、反対側の「お楽しみエリア」を回る時間が少し心許なくなってしまう。仕方ないので少しだけ進んで写真を撮るだけで満足しておこう。
少し進むと、地を這うヘビが作った道のような細く長い、生きてるみたいにゆらっと曲がりくねった道が、先の方まで伸びていた。この先に何があるんだろうとものすごく気になる、冒険心をくすぐられる道だった。それを写真に閉じ込めようと何枚も写真に撮った。
写真を撮っていると少し先の方から何かが焼ける匂いがした。これは、トウモロコシ、だろうか、甘い匂いと醤油の香ばしく焦げる香りが食欲をそそった。
何だと思って少し先の方に進んでいくと、岩陰に隠れるようにして、若い男性達がバーベキューを楽しそうにわいわいやっていた。お酒も入っているようで、陽気に歌ったりしている人や、ゴミは分別して片すようにと注意する人、肉を早く焼くように急かしている人などが騒いでいた。
少し警戒したが、向こうもこっちに気づいて声を少し控えめにして楽しげに談笑していて、特に何かされることもなさそうだったので、こちらも気にしないことにした。
彼らがこれ以上私を気にして盛り下がるのも勿体なかろう、彼らが写らないように気をつけながらもう何枚か写真撮ったのち、その場を後にした。
おじさんは気をつけろと言ってくれたけど、実際見てみると悪い人ではなさそうだった。おじさんもそうだったけど、人は見た目やなんとなくの第一印象では判断できないものなんだな、と経験として胸に刻まれた。
なんとなくの印象や、実際に触れてもないのに避けてしまっていると、もしかしたらいろんなものを気づかないうちに失っているのかも知れないなと思った。こういうことに気づけたのは、おじさんやさっきの男性達のおかげだろう。人生どこに学びがあるかわからないものだ。
ぼーっと考え事をして歩いていたら、はじめの分かれ道まで帰ってきていた。これで「町外れエリア」は探索完了だ。振り返ってもう一度、今歩いてきた道を写真に撮る。さっき初めて通ったときより、なんだかなじみ深い場所みたいに写真が撮れて、もうここは知っている道なんだとうれしくなった。
くるりと前へ向き直って、今度は分かれ道の左側、「町エリア」の方へ歩いて行く。
また知らない道が続いたけど、不安より楽しみの方が何倍も大きくて、緩やかな坂を噛みしめるように一歩ずつ、ゆっくりと登っていった。
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