ゆっくりと、刻むいま

 男木島について船を下りると、船員さんだろうか、作業着を着たおじさんに「最終便にだけ気をつけてね」と声をかけられた。聞かれてみると不安になってきて、一応お盆シーズンということもあったので、時刻表に載っていた時間で大丈夫か確認しておいた。神戸のトラウマが体に染みついてしまっているらしい。時間に間違いはないらしく、一安心して島に上陸した。


 男木島の港に降りると、コンクリートで整備されている、ひらけた広場のような場所に出た。出てすぐに、広場の、水の張られたお堀のような場所の中央にぽつんと建つ、少し変わった形の白い建物が目を引いた。特に屋根が亀の甲羅のような形をしていて、無数の隙間が出来ているように見える。屋根というには雨も風も拒みませんといった、寛容だけど頼りにはならなさそうな不思議な構造をしていた。


「あぁ、なるほど」

 気になって近づいてみてようやく、何かしらの作品であることが分かった。隙間だらけのように見えていた屋根は、なにやら様々な文字・記号のようなものを重ねることで作られているらしかった。

 漢字やひらがな、ギリシャ文字やその他にも見たことのない複数の文字が重なって、太陽の光を小さな粒のようにして、地面に落としていた。それに下まで来てみると、結構陽の光が制限されて涼しく、かつ開放的で良い感じだった。


 また、その甲羅屋根の真下は、ちゃんとガラス屋根になっている船の待合所になっていた。これからしばらくは島散策となるため、中で軽く準備を済ませた。待合所には小さな売店のようなものがあり、カウンター近くにソフトクリームの文字が見えたので財布を取り出すも、どうやらお店は閉まっている様子だった。残念だ、ソフトクリームならいくらでも入るのに。


 外に出ると、何枚か待合所の写真を撮った。こうして、どういう造りのものか理解してから見てみると、また違った趣を感じる。おそらく様々な言語の文字がいくつも重なっているようだけど、その中でも漢字は一際目を引いた。「波」とか「風」とか「島」みたいな、この島の上に立っていると、ふと頭に思い浮かんでくるような文字が散りばめられていた。見ていれば見ているほど魅力に感じる、力のあるデザインだと思った。


 陽の下でじっと写真を撮っていると、汗が頬を伝っていく。顔をあげると、さっきまで涼しい空調に甘やかされていた私に、今は夏だぞ、と太陽が燦々と輝いて存在をアピールしてくる。

 このままじっとしているのは良くない、一時間もしないうちに茹でだこになってしまいそうな暑さだ。

 一息入れて立ち上がり、とりあえず気の向くままに歩き出した。下調べもせず島を散策する、なんて自由なんだろうと胸が躍った。


 港の端の方までいくと、港の外側を細長く、囲うように伸びている防波堤の方まで行けるようで、そこから良い写真が撮れそうだったのでそのままふらふら進んでいく。

 防波堤の水際をのぞき込んでみると、貝やら苔やらが壁面にくっついていた。もっと水面に目を凝らすと、小さな魚が泳いでいるのが見えた。動いている魚って、どうしてかいつまでも見ていられる。夢中でのぞき込んでいると、バランスを崩して海に落ちちゃいそうで少し怖かった。


 防波堤の先端の方まできて港の方をみると、無意識にカメラを構えてしまう。ここからは、港町の全景がよく見えた。

 人がまばらに歩くコンクリートの港を手前にして、奥には昔ながらの色合いの民家が、山の斜面に沿うようにしていくつも並んでおり、その家々を包みこむ様にして山があった。

 とても小規模な町なのに、人と自然が共にある、時間が穏やかに過ぎていくこの風景が、とても印象的に胸に残った。どこか「あたたかさ」の漂う、良い風景だと思った。

 この感情を写真にきちんと落とせるだろうか、そう思いながら何枚も写真に収めた。


 しばらく港付近の写真を撮ると、足早に港をあとにする。さっき防波堤から見た町の方に、早く行ってみたくてうずうずしていた。


 港をまっすぐ歩いて抜けた先には、両側を墓地に囲まれた細道があった。ちゃんと整備された道ではあったが、よそ者が通るには少し圧迫感のある場所だったので、一息で通り過ぎた。昔から墓地の周りは少し緊張してしまう、ビビりなのかな。

 墓地の道を過ぎると、道の端の方によって少し立ち止まってマップを確認する。歩きスマホ、ダメ絶対。

 なんとなく地図を見て判断するに、男木島の探索は大きく分けて三つのエリアに分類できるようだ。

 まず、堤防から見たときに真正面に見えていた、坂道の多そうな「町エリア」。次に、港から見て右側の「町外れエリア」、ここはさっき女木から船で来るときに、はじめに見えていた静かな浜のあるエリア。最後に反対側の、こちらも町外れではあるものの、さっき待合所で案内を見て当たりをつけていたものがある「お楽しみエリア」。さて、これらの三つをどう回るか。

 マップを見る限りこのまま道なりに進んでいくと、港から右側の「町外れエリア」につながっていくようだ。

 となればこのまま右側のエリアを回って、そこから一度引き返して、一直線に「町」、「お楽しみ」エリアと回ると効率が良さそうだ。


 そうと決まれば話は早い。予定が決まると、こうしてスマホを見ているのも勿体なく感じる。のんびり屋だと思っていたけど、せっかちな性格でもあるのかもしれない。

 たしかに、過ぎていく時間を意識してしまうと、少し寂しい気持ちになる。きっと誰しもそうだろう。

 でも、なればこそ、穏やかでゆっくりと時が流れるこの島で、それでも過ぎていく一秒を惜しみながら、この瞬間を目に、体に、心に刻もう。

 人の記憶は、悲しいことにとても儚い。どれだけ心が動いた出来事も、流れていく時間の中では、いつか薄れて思い出せなくなってしまうこともある。だとしたら、私はこの旅の記憶を、どのくらい覚えていられるものなのだろう。二十代の後半に、いろんなものに背を向けて、逃げ出すことから始まったこの旅も、時に流されて忘れてしまうのだろうか。

 正直、先のことなんて分からない。今の私たちには、明日のことだって確実にこうだなんて言えない。でも、今こうやって太陽の下で陽に焼かれながら、一秒を一瞬を、と胸に刻んでいく行為はきっと、それらに対するささやかな抵抗になるだろう。そう信じたい。


 じっとしていても始まらない。時間が勝手に進むなら、私も勝手気ままに旅路を進もう。時間が勝手に針を刻むなら、私も自由に、感じたままを心に刻もう。動く時計は止まらない、それなら時計が一を刻む間に、二つの思い出を胸に刻もう。

 町外れで再び響き始めた足音は、浮かれた様子で早くなったり、何かに気をとられて遅くなったり、自由勝手に不規則なリズムで、でもとても楽しそうに刻まれていく。

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