小さな丘と大きな山
高松の港からものの三十分もしないうちに、船は女木港に到着した。確かに地図で見てみるとそれほど離れているわけではなさそうだったし、時刻表で確認もしていたから二十分ほどで着くの自体は頭では分かっていた。どちらかというと、少し海を見ていただけだったのに、もう二十分も経っていたということに驚いた。ここまで時を忘れてしまうとは、船の旅、恐るべし。
どうやらそれなりの数の人が降りるようで、船内は少しざわついていた。さっきまで一緒に海を見ていた少年も、室内客席の出口に近い座席にいたおかあさんに「着いたで~」と声をかけていた。お母さんは体が重たい様子で、ゆっくりと席から立ち上がった。気になってそちらの方をみていると、おかあさんのお腹が丸く大きくなっているのが見てとれた。どうやら妊婦さんのようだ。
ある程度乗客が降りるのを待って、親子が客席から出てくる。どうやらおかあさんと男の子の二人で乗っていたようだ。おかあさんが大きなキャリーバッグを転がしていたので、下まで運んでもいいですかと声をかけた。お礼を言って微笑む顔がさっきの男の子によく似ていた。
この船の階段は、左右に手摺りこそ付いているものの、大人一人が通るのがやっとな狭さで、階段の幅も安心して降りられる広さとは言えないものだった。あかあさんが焦らないでいいよう、先に降りてもらって後ろにつき、ゆっくりでいいと声をかけた。
実際にキャリーバッグを持って階段を降りてみると、声をかけて良かったと思った。お腹で足下も見えなくて、船もゆらゆら揺れる中、お腹に気をつけてゆっくり降りながらバッグも下ろすなんて到底不可能だし、もしやったとしても神経をもの凄くすり減らすことになるだろう。
というかお腹も大きくないような私ですら、何度かバランスを崩しそうになった。防波堤に囲まれた港とはいえ、瀬戸内海の波は力強い。あまりにもふらふらしているのであかあさんから心配される始末だった。
当のおかあさんは、身体は重たそうだったが私より慣れた様子で、ゆっくりではあるがふらふらすることなく階段を降りていた。バッグも結構大きくて重たかったので、もしかしたら地元の人なのかも知れない。
無事降りきると、荷物を渡しお互いにぺこぺこして、おかあさんは先ゆく男の子に「待って~」と声をかけながら追いかけていった。気を遣わせないように、階段から降りてくる人がいないのを確認してそそくさと上階の客席に戻った。
上に戻ってみると、室内の方の客席はがらがらに空いていた。これなら中に入っても良さそうだ。
幸い一番前のコの字型の席が空いていたのでそこに腰を下ろした。船の進行方向がよく見通せる窓ガラスも独り占めできてしまった。人も少なくて、景色も良くて、空調も良好で、なんとも快適な座席だった。
なんだかんだうどん屋からずっと立ちっぱなしだったので、沈むように座席に体重を預けた。固めのクッションが心地良い。立ったまま風を受けて楽しむ船旅も良いが、室内でまったり楽しむ船旅も悪くないなと思った。
しばらく乗下船の待ち時間があって、アナウンスの後、船がゆっくりと動き出した。明日の楽しみに取っておきたかったので、女木島の景色からはあえて目をそらして、男木島の帰りのフェリーの出発時刻や、高松に帰った後のホテルの場所などの確認をした。
そうしていると、船が加速していくのを感じたので窓の外を見ると、船は港を出て、女木島を左側にして北に進んでいた。通り過ぎていく女木島を眺めていたら、すぐに今度は正面に別の島が見えてきた。地図で確認すると、どうやらあれが男木島のようだ。
男木島は右側に大きな山があって、地続きにぽこっと小さな丘があるどこか落ち着いた佇まいの島だった。大きな山と、それにくっつくように側にいる小さな丘とが、どことなくさっきの親子に似ていると思った。
鮮やかな、青から白藍、藍白、とグラデーションを見せる空と、遠くに見える入道雲、島の深緑、空よりも濃い色合いで広がる海。もうこの旅で何度撮ったとも知れない図を性懲りもなく何枚も写真に収めた。写真の容量なんて気にも留めず、胸を満たすこの一瞬一瞬の感動を残したくて、肉眼で景色を焼き付けてはカメラのシャッターを押すのを繰り返した。
夢中になって写真を撮っているうちに、船が左に大きく曲がり始めた。男木島と女木島の間を通って進む。小さな浜とぽつぽつと建物も見えていたけど、あそこが港ではないらしい。地図アプリで航路を見てみると、今まで見ていた方とは反対側に男木島の港はあるようだ。
客席は左右、正面に窓ガラスが張られているので間を通るときは、島同士距離は離れてはいるものの結構な迫力で、なんだかどきどきした。一応は動画も回したけど、これは肉眼でみた方が心に残ると思い、あっち見たりこっち見たりを繰り返した。
人がいたら変な目でみられそうなものだけど、今の客席には、端の方で寝ているおじさんや、スマホを見たりしている人が一人二人いるくらいなので、気にせずはしゃげてしまう。活気があるのも良いけど、こういう落ち着いた雰囲気も好きだ。
船が左に曲がるのって取舵だっけ、と気になって調べている少しの間に、もう港が見えるところまできていた。アナウンスでさっきまで寝ていたおじさんがむくりと起きる。各々が少しずつそわそわと降りる準備をする。
船が減速して、港がだんだん近づいてくる。この入港前のだんだんと近づいてくる港を前にしながら焦らされるように待つ時間が、実は結構好きだったりする。
船が停まると下船のアナウンスが流れる。この夏で初めて訪れる瀬戸内の島だ、わくわくが胸の中にとどめておけなくて、体を交互に右に左に揺らした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます