誘われて、さらわれて
チケットを購入すると、もう乗船可能時間であると教えてもらったので、案内された乗り場まで行くと、船の後ろに高松⇔女木⇔男木と書かれた船を見つけた。乗船の列に並んで、今から乗る船の外観を、列からはみ出さない範囲でいくつかの角度から写真を撮って暇を潰した。
この船の名前は「めおん2号」というらしい。船の側面に白い文字で刻まれていた。「めおん」という言葉の意味は調べてみてもよく分からなかったが、音の響きがとにかくいい。最後の「ん」がいい味を出しているのだろうか柔らかい印象を受ける。かわいらしい名前で乗る前から少し愛着が湧いてきた。それにこの「めおん2号」は船の上半分が赤、下半分は白というなんとなく懐かしさを感じさせる優しい色合いになっていてとても素敵だった。
かわいらしい船の外観や、港の様子など、夢中になって写真に収めているうちに、列は短くなっており、前の人が係の人にチケットを見せていた。風で飛ばされないよう、財布の取り出しやすいところに入れておいたチケットを出し、係の人に半券を切ってもらう。「は~い、どうぞ~」と気の抜けた案内に促されて前に進む、いざ乗船だ。
船から渡された緑色に塗装された金属板のようなものの上を渡り、船内へ入っていく。入ると中央には広い空間があり、その両端に上階への階段がある。客席にはこの階段から行くようだ。前の人に続いて、狭い階段を登る途中、さっきの一階の奥の方に軽トラックが見えた。どうやらこの船も車を載せて海を渡るらしい。かわいい顔をしているのに、どうやらかなりの力持ちらしい。これなら沈んだりすることなさそうで安心した。
階段を登ると船の後ろ側の部分の空間には、外付けの青色のベンチが中央に背中合わせで設置されていた。屋根が張られていて日陰になっているし、外だと強い海風に当たることになるだろうから、ここでも十分涼しく快適に過ごせるだろう。
また、二階の前半分は室内の客席になっており、柔らかそうな座席が設置され、空調もよく効いていて、何より一番前の方の座席は窓ガラスになっており、進行方向の景色がきれいに見えそうだった。
どちらも捨てがたい選択肢だったが、私はどちらの座席に座ることなく、外側の手摺りの部分に落ち着いた。自然の風景を間近で撮りたかったとか、海風を体で感じたかったとか、色々理由はあるにはあるけど、そんなにたいそうな話ではなく。単に全くと言っていいほど座る場所がなかったのだ。男木・女木島間の周遊が難しいだけで、まだお昼過ぎだ、島観光は盛んな時間帯だろう。きっと皆は周遊切符なんて買ってないんだよね。うーん、つらいなぁ。
しばらく自分の計画力のなさを内省していると、船が軽く揺れた。行きがけに乗ったフェリーは出発前にブブブと船全体が細かく揺れていたが、この船はあまり揺れないらしい。低いエンジンの音が少し大きくなってきた、どうやらもう出発のようだ。
船が緩やかに岸壁から離れていく。ゆっくり動いていると船全体が波にあわせてゆらゆらと揺れているのが分かる。港から距離が十分に離れてくると、船は少しずつ速度を上げていく。
銀色の手摺りから身を乗り出してみると、船底の波のあたる部分からザァ、と音を立てて白い波が出来ていく。その体勢のままもう一度港の方に目を向けると、白い波の道がさっきいたところからずうっとのびてきていた。しばらく目を離していただけなのに、もう港とは泳いで行くと息切れしそうな程の距離がひらいていた。頬をなでる風が次第に強くなっていく。船は心地よさそうに、ブブブと低く唸っていた。
正直言って、かなり舞い上がっていた。体を乗り出して船跡を眺めている私は、周りの人からはどう見えているだろう。近くにいた子ども達と、同じように目を輝かせている大人の女は変に思われるだろうか。でも例えそうであってもいい、そう思えた。
だって、こんなに早く動く船に乗って、携帯や荷物が飛ばされるんじゃないかってくらいの風を浴びて、浮かれないなんて私には出来そうもないから。楽しくて、思わず笑っちゃう様なときに大人しくなんてしてたら、もう次どんなときに笑えるのか分からないから。そんなのって馬鹿らしいから、それならもう自分の心より大人になるのなんてやめようとこの旅の初めに決めた。心のままに生きると決めたのだ。
ずっと、大人らしく、おとなしくあろう、と心に命じて生きてきた。そうやって生きてきたら、結局こんなところまで逃げてきてしまったのだ。なんとも間抜けな話だ。
こうして今思うと、きっと自分には合ってなかったんだと思う。若い頃、私は元々凄く自分勝手で、感情的な性格だった。怒っても悔しくてもすぐ泣くし、面白いと笑ってしまうのを隠せなかった。
だけど、大人と言われる年齢になって、歳を重ねるにつれ、周りに合わせてなのか、そんな元気がなくなったのか、これと決まった理由があるわけじゃないけど、笑うことも、泣けることも少なくなっていった。そうやっておとなしくなっていった。
大人になろうとする中で、きっと私は削っちゃいけないものまで落としてきてしまったんだと思う。それがきっと、私そのものだったんだと、今ならはっきり分かった。
正直私自身も驚いていることだけど、今の、手摺りから身を乗り出して鼻息荒く夏の写真を撮っている私は、間違いなく昔の私に近い私だった。この前までのただ大人らしさを貼り付けただけの私より、確実に私だった。
よく、夏は人を開放的にするものだといわれたりするけど、きっと私もよくいうその「開放的」とやらになっているんだと思う。貼り付けて、着飾って、私を覆い隠していたものは、踏ん張っていてもよろめいてしまう程強い夏の潮風に吹かれて、どこかへ飛ばされていってしまったのだろう。本当にそうなんだと信じられるほど、今の私の体は軽かった。大人の重荷を、夏は勢いよく攫っていってくれた。私はこの旅で、夏に救われたのだと、そう思った。
つまらない物思いに耽って写真を撮るのをやめていると、隣で小学生くらいだろうか、男の子が飛び跳ねて、すっかり遠くなってしまった港の方をもう一度見ようとして頑張っているのに気づいた。私の位置からはまだ少し見えたので、少し後ろに下がって場所を譲った。男の子はすかさず私の膝の前くらいに近づいて、手摺りの縦の棒を両手でつかんで過ぎていく島を眺めていた。
夢中になって夏を楽しんでいる彼の方が楽しそうだったので、私も彼に習って、遠く向こうの方まで流れていく港をただのんびりと見つめることにした。
港からはまっすぐとのびやかに、白い波が自由気ままに道を作っていた。
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