スマートときどきミステイク

 暑い夏にぴったりの冷やし梅うどんと、明らかに食べ過ぎだとわかっていてもなお、頼んでしまった炊き込みおにぎりで、はち切れんばかりに膨らんだお腹があまりにいたたまれなくて、腹ごなしがてら海沿い歩いていると、意外とすぐに港へ着いてしまった。

 私の乗る船の予定時間まで、まだ四十分ほどあるのに船着き場にはもういくつか船が停まっているようだった。

 あの中に私の乗る船があるのだろうか。

 わくわくしながら、近くで見てみようと港の水際の方まで行ってふちに沿って歩いてみることにした。


 しばらくぼんやり港にとまった船を眺めながら歩いていると、つま先に何か堅いものが触れる。何かなと思って視線を下にやったときにはもう、私の重心は前に倒れており、止まることかなわずその堅いものに思い切り脛をぶつけた。


「ンギッ」


 あまりの痛みに死にかけの虫みたいな声を出してしまった。近くを歩いて行く観光客達の視線も痛い。目の端に涙を浮かべながら、睨み付けるようにぶつかったものを確認する。


 そこにはオレンジの塗装が少し剥げた係船柱があった。港によくある片足乗せてかっこつけるアレだ。

 よく見てみると確かに堅そうだ。自分は鋼鉄で出来ているということを隠そうともしていない。この私渾身のローキックが決まったというのにあちら側は「蚊でも止まったか」といった具合に平然としてやがる。

 確かに岸壁際をぼんやりと歩いていた私が悪いかも知れないが、それにしてももう少し優しくしてくれたっていいじゃないか。なんでこんな三十も手前にして、遊び盛りの少女みたいに脛に傷を負わねばならんのだ。

 仕方なく今回のところは勘弁しといてやるが、次までに私がぶつかりそうになったら自動的にスライム状になる機能を……、いやそれはそれで嫌だな。


 よろよろ歩きながら、係船柱いくつか恨み言を心の中で唱えているうちに、チケット売り場のすぐ前まで来ていた。

 船がいくつか停まっていたことから予想していた通り、こぢんまりした建物の外には人がそれなりに並んでいた。

 皆どの船に乗るのだろうか。同じ船に乗る人もきっといるだろう。そう思うと、一人じゃないような気がして少し嬉しかった。

 実を言うと今日はここではチケットは買わない。なぜなら出来る女の私は、すでに瀬戸内周遊切符を購入しているからである。私はここに並んではいるものの、その実すでにチケットは私の手の中にあり、これを売り場で交換するだけでいいのだ。

 スマート、あまりにもスマートすぎる。さっき不注意で脛を強打したとは思えないほど、スマートだ。


「次の方~」


 と、そうこうしているうちに、受付のご婦人に呼ばれる。私は海風の中飛ぶカモメのように軽やかに、財布から出しておいた周遊チケットを窓口から出されているトレイの上に提示した。

「こちらのチケットを、窓口で見せるといいと言われたのですが」


 マダムは私のスマートさにあてられて恋に落ちてはしまわないだろうか。そう心配になってしまいそうなほど、決まっていた。知的な私の醸す色香に戸惑っているのか、彼女はしばらく沈黙したのち、ようやくこちらを向いた。


「あんたこれ、この時間から使うんやったら男木か女木かどっちかしか行けへんで? もしどうしても今日行きたいんやったら、明日どっちか行きの切符買ってもらうことになるよ」

「はい?」


 先ほどまでの余裕はどこへやら、素っ頓狂な声で聞き返してしまった。

 どうやら先ほどのご婦人に詳しく聞いてみると、この切符は高松から男木島または女木島の切符、男木から女木または、女木から男木間の切符、男木または女木から高松へ帰る切符、の一枚ずつになっているらしかった。

 つまり、元々早い時間からの利用を前提としてものであり、私のように昼過ぎから利用してしまうと、どちらかの島にいくと、もう一つの島に行く時間がなくなり、男木女木間で使える切符が紙くずと化し、どちらかの島から泣く泣く帰ってくることになるようだ。

 明らかに調べ不足だった。てっきり好きなだけ往復できるよ切符だと思い込んでいた。なんか神戸の受付で、行こうと思っていた島の切符が売られていので、思わず舞い上がって先走りして、勢いで買ってしまった私が完全に良くなかった。

 すっかりしぼんでしまった私に、ご婦人は優しい言葉をかけてくれながら、近くのコンビニで使えるスイーツ割引券をくれた。あたたかい優しさが胸に染みた。なんでおばちゃんって皆いい人なんだろう。この瞬間だけはおばちゃんが世界平和の鍵に見えた。

 悩んでいても後列に迷惑をかけてしまうので、仕方なく女木島は明日の予定変更にして、今日は男木島を散策して、早めに高松に帰って休むことにした。

 余談だが、男木から高松行きの最終便は一七時だった。確かにそれは今の時間からは無理だった。バスみたいに夜くらいまではあるだろうとか考えていた自分の見通しの甘さが憎い。

 計画を修正して、明日の分の女木高松間の切符を購入して、再度ぺこぺこお辞儀をしながらお礼を言って、受付を後にした。

 格好付かなくて、ぐだぐだな旅だけど、なんだか肩肘張らなくていいよ、と誰かに言われているような気がして、うまくいかないことも、存外悪いことばかりではないかなと思った。

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