船を下りて


 船を下りると、細い通路を通っていって、港の待合所のようなところにあったベンチに腰掛けで一息つく。

 どうやら皆考えることは同じなのか、周りでは荷物の整理をしたり、ベンチ近くの自販機でアイスを買って食べたりしている。本当のことを言うと、私も財布から二百十円を取り出すところまでいっていたが、私の理性がさすがに止めてくれた。


 少し休むと、時間も時間なので立ち上がって出口付近に向かう。この後は、高松駅付近でうどんを食べた後、島を巡ろうという計画だ。

 香川といったらやっぱりうどんは食べておかねばなるまい。楽しい船旅を終えても、まだ楽しいことが控えているなんて、なんて贅沢な夏なんだろう。あのよどんだ空気の充満した夏から飛び出してきてくれた私に感謝だ。

 出口にさしかかる時に、ちょうど館内アナウンスが流れる。お年寄りも多いからだろうか、音量も少し大きめだ。


「高松駅行きの無料送迎バスがまもなく到着いたします。お乗りのお客様は~」

 さっきまで座っていた人たちがぞろぞろとベンチから立ち上がり、私の後ろに列を作った。

 とはいえこうして一所に集まると、それほど人の数は多くないようだった。乗りあぶれては堪らない、と早めに並んだもののどうやら杞憂だったようだ。

 送迎バスに乗り込むと、後続の方々の大体が二人から何人かグループだったので、バス右手側の前の方の座席に座った。一人席というのは何故こうも落ち着くのか、しかもこちら側は海側のようだ。良い席をいただいてしまったな。

 鞄を膝の上で安定するように持ち直し、中から神戸で買った紅茶を出して三口ほど一気に飲んだ。浴びた潮風の残りがまだ口の中にいたのか、いつもより少し夏っぽい味がした。


 高松駅までの間、私の座っている海側の席からは、港近くに高い建物が少ないこともあって時々海が見えたりなんかした。

 港近くには、「採れたて海鮮丼!」とか「絶品たこ飯漁師の味!」など書いた登りがいくつか掛けられており、その近くには簡易テントで出来た屋台で、白いプラスチック容器の何かを渡しているおじさんがいたりした。そんなのぼりの横を通る度、何度生唾を飲んだか分からない。

 たこ飯は絶対に食べよう。ずいぶんと庶民的な食べ物が当面の第一目標になった。


 高松駅についてすぐ、駅近くのコインロッカーに五百円で大きい荷物を預けた。

 今日はこの後島に行ったのちに、こっちに帰ってきて高松のホテルに泊まるつもりなので、チェックインまで邪魔な荷物を預けておくことにした。

 荷物を預けると、早速うどん屋さんへ向かう。道中は常に何うどんを食べるかに頭を巡らせていた。やはり香川といったらうどんなのは間違いないとは思う。

 しかし、このうどんという食べ物、シンプルなようでいて意外と選択の難しい食べ物なのである。

 香川のうどんを一番楽しめるメニューとはなんだろう。うどんのコシを楽しむならやはり冷えてしっかりしまったざるうどんだろうか。あの冷たいつゆに通して生姜やネギと一緒に引き上げたうどんを一気に啜る。口の中に広がるあの爽やかな幸せ、うん、ざるうどん一択か。

 しかし,ここに来る道中、「香川の釜揚げうどん」というのぼりを見てしまった。あの堂々としたのぼりの配置の仕方、香川県は釜揚げうどんに強い自信があるに違いない。それに何より、私はあったかいうどんの方が最近は好みだったりするのである。いやもちろん、どちらも好きではあるんだけど、どっちも好きなんだとしたら、それだったらどうせだし私の好みのもの食べても良いんじゃない、という感情もあるにはある。

 さらにいうと、私は暖かいうどんの中でも、温かいおだしにすでに浸かったうどんが好きなのである。こればかりはちょっと私情が入っているのではと言われても仕方ないが、私は逆立ちしても関西人だ。おだしに浸かったうどんは、家族の次に大切な存在と言っても過言ではない。我々関西人はおだしの前には無力なのだ。となれば名物なんで無視してきつねうどんだろうか。

 そうやってもんもんと悩んでるうちに、お店の前に着く。お店は祖母の家を思い出させるような、古めかしい日本家屋だった。

 外にはよくある狸の置物と、その横にお店おすすめの品がいくつか書いてある看板が置いてあった。見ると、看板上部からさっきまで悩んでいたような定番メニューが書かれていた。やはり釜揚げか、と私の心が定番によりかけたとき、一番下に書いてあった季節限定メニューが一瞬で私の心を奪い去った。


 藍染めの暖簾を右手であげて、長い時間この店を守ってきたんだろう、水分を失ってかさついた引き戸を開けて、私は店に入っていった。

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