そこにあった夏
しばらく屋上バルコニーで景色を堪能していると、島を抜けて南側に少し大きな陸地が見えてきた。ぼんやりとだけ見えていた陸地は、瞬く間に大きくなっていく。
海の上では気づかなかったが、この船はずいぶんと早く動いているらしい。どうりで周りの景色が一瞬で変わっていってしまうわけだ。
近づくにつれて、港のクレーン車やコンテナの赤色が、はっきりを視認できるようになってくる。目を細めると私たちの船以外にもいくつか船が停まっているらしかった。
今日でもう二度も港を見てきたが、ぼーっと港を眺めてしまう。神戸や小豆島と違って、港に屋根の低い建物がいくつかまとまって建っていたり、謎の木材などが山積していたりと、同じ港のようでいてまた違う魅力があるように思えた。
港の低い建物近くにいくつか小さな船が置いてあるのが見える、造船所かなにかだろうか。言葉そのものは知っていたが、実際には見たことが無かったので、手摺りから身を少し乗り出し、船を整備してる人とかいないかな、と目を凝らしていたとき。
階下から何やらアナウンスのようなものが流れているのが聞こえた気がした。スマホを見ると十二時三十分、このフェリーとの旅が終わる時刻だ。ということは、やはりこの港が終着点、高松のようだ。
しかし、もう四時間経ったなんて。せいぜい二時間くらいしか経ってなかったような感覚だったけど、楽しい時間というのはどうにも忙しないやつのようだ。
寂しさに掻き立てられる様にして、さっきから何枚も撮っていた後ろに広がる海や、船が通って白く波立った道を写真に撮った。
屋上テラスから見下ろすと見える、ボイラーやガスタンクなどが置いてある船の隠れたスペース、テラスを降りていく階段や甲板を見下ろしていたバルコニーなども写真に残しておいた。
あっちこっちとカメラを向けては、同じような写真を何枚も何枚も、一秒を重ねるようにして写真に落とした。
それがなんだか世間の若い女の子達のようで、私には似合わないかなと少し笑った。
でも、今のこの瞬間を残したいと思う気持ちに嘘をつきたくなくて、また自分の見たものを細かに写真に撮った。
そうか、あの子達はずっと忘れたくないものがあるから、ああやって何枚も同じような写真を撮っているんだ。誰にどう思われるとかは関係ない、あの行為はその時あの子達が、一秒でも逃したくない、切り取って永遠にしてしまいたい、そんな輝く一瞬の中にいるあらわれなんだろう。
そして私もきっと、いまその中にいる。その中にいる私の時間が、どうか永遠に残るようにとカメラを向けて世界を切り取っている。
至上の喜びの中にいるとき、人は過ぎる一瞬を儚むこと。そして私は過ぎる幸せを、写真に切り取って永遠にしたいと思う人間であるということ。私はまた、そんな当たり前で小さな私に気づくことが出来た。
船を下りるまでの間ずっと、名残惜しむように船内の色々な写真を撮った。
船が揺れる音もとりたくて動画を回してみたり、三時間ほど旅を共にした茣蓙の置き場所など、他人が見ても恐らく理解できないようなものもデータに収めた。今を残しておきたいと思う気持ちが新鮮で、茣蓙なんかをとっている自分がおかしくて、今生きているんだと、強く、でも確かに実感した。
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