夏に入る道


 売店に向かうと、途中売店から少し離れた所にあるカウンターで、何人かの乗客達が立ち食いそばよろしく、暖かそうな湯気を立てるうどんを勢いよく啜っていた。

 なるほどうどんも悪くない。いつもとは違う非日常はどんな食べ物も美味しくしてくれる。特に食べ慣れているものなんかは異常に美味しく感じるものだ。プールで食べる具なしカレーが、どういうわけかハチャメチャに美味しいあれだ。せっかくの非日常、それを楽しむのも悪くない。


 売店につくと、注文カウンターの上部に張られているメニューを見る。右側から何種類かうどんが並んでいる。その他にもいくつか軽食のメニューが並んでおり、その中に一際目を引くものがあった。


「ジャンボたこ焼きか」

 君に決めた、きつねうどんにさよならバイバイ。関西人たるもの、たこ焼きを目の前にして食べないなど笑止千万。たこ焼きとは一にして全。食を探求するものは、往々にして人生最後の瞬間にたこ焼きを食べて死んでいくという。たこ焼きとは全ての味の始まりにして、絶対究極の終着点。たこ焼きとはただの食べ物にあらず、たこ焼きは汝の人生の答えと知れ。

 それほど関西人にとって、たこ焼きとは尊ぶべき存在なのである、知らないけど。

 


「はい、ジャンボたこ焼きね~」

 そう言って快活そうなご婦人から出来たてのたこ焼きを受け取る。出来たてと言っても電子レンジで温めただけだが、正直熱々であれば何でもいい。たこ焼きなんて、大体ソースとマヨネーズの味しかしないんだから。関西人の矜恃? 知らない子ですね。

 たこ焼きをもらった私は、そのままそこでぼんやりと待つ。実はたこ焼きの券を買うとき、たこ焼きのボタンの横にあって、ついもう一品買ってしまったものがある。



「ソフトクリームの方お待たせしました~」

 なんとも甘美な響きが私を呼ぶ。さっきの人と違って大学生くらいのお姉さんだった。奥側のカウンターからの受け渡しのようで、そちらまで向かうと、お姉さんが、なんとも形容しがたい、笑ったような、申し訳なさそうな、そんな絶妙な顔をしていた。



「あの、実はちょっと失敗しちゃって……、大丈夫ですか?」

 心配そうにこちらの顔を伺いながら訊ねてくる。どうやら失敗したのが後ろめたかったようだ。

「全然大丈夫ですよ、食べちゃえば同じですし!」

 無表情で言ってあんまり不安にさせても可哀想だと、少し笑いながらお姉さんに言った。大人が自分より若い女の子の失敗を笑って許せなくなったら終わりだ。それに私はこの旅に完璧を求めてきたわけじゃない、形の崩れたソフトクリームなんて私らしくて最高だ。

 私があんまり気にしてなさそうなので安心したのか、お姉さんはにこにことソフトクリームを手渡してくれた。ちなみに味はバニラだ。この時点で美味しいんだから形なんかはどうでも良いだろう。



「んんッ」

 手渡されたソフトクリームはなんとも前衛的な形をしていた。ソフトクリームは段々の構造にしなければいけないという慣例に対する挑戦だろうか、白いバニラの渦は、酔った八岐大蛇のようにコーンの上で不規則にとぐろを巻いていた。

 これはあれだろうか、築いたものを壊したくなくて、いつまでも変化を嫌う日本社会への若者からの痛烈なアンチテーゼかなにかだろうか。なるほど考えさせられるソフトクリームだ。

 おかしくて思わず笑ってしまうと、奥の方でさっきのご婦人も大笑いしていた。私たちが笑うのを見て、お姉さんも顔を真っ赤にしたまま、自分の失敗とこの変な状況を笑った。うん、最高すぎる。しばらく笑うと、お礼を言ってその場を後にした。


 上に戻ってさっきまでいた席に座る。窓際ソファー席ということで少し心配していたものの、席は空いたままだった。

 ソファー席に座ると小豆島の東側と空が見えた。なかなかに綺麗だったので、手を塞ぐたこ焼きを置いて何枚目とも分からない写真を撮る。空を画角に入れてふと、東側の白い雲に既視感を覚える。


「あぁ、なるほど」

 その決まった形などなく、風に流されるまま形をもくもくと変えていく夏の雲は、左手の溶けかけた前衛的なソフトクリームにそっくりだった。入道雲ソフト、意外と売れそうだな。

 ふたつの入道雲を並べて写真を撮っているうちに、こっちの入道雲は高さを失っていく。

 溶かしてしまってはもったいない、夏を一滴も取りこぼさないように、急いで食べた。

 冷たいアイスが脳を冷やす。少し頭が痛むが、昨日のように懐かしさに胸を痛めるようなことはなかった。

 私は、目の前の小豆島と夏の空と海が見せる光景に目を奪われて、他のことなど考えられなかった。

 日光に照らされる海面の光が、私の瞳に宿って輝いた。さっきから何度も見ているのに、一度雲を見てしまっただけで、また目が離せなくなってしまう。

 何度見ても飽きない夏の景色を、小豆島出港のアナウンスが船内に流れるまで、ガラス越しに、ただぼーっと見つめていた。

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