ただの大きな橋
船の揺れは沖に出てしばらくするともう気にならなくなった。沖に出たらもっと揺れるものだとばかり思っていたので、少し拍子抜けした。やはり大きな船だから小さな揺れはあんまり感じなかったりとかするのだろうか。まあ、揺れないことに越したことはない。船酔いするかどうか不安だったが、どうやら大丈夫な様で安心した。
窓から外を見ると、私のいる席の方から見えるのは、どうやら神戸などが見える中国地方側のようだった。神戸はもうずいぶんと小さくなってしまって、さっきまで見えていた観覧車やポートタワーは、視力の低い私では、なんとなくあそこあたりにある気がする程度にしか見えなくなってしまった。
少し寂しかったが、船はそんなことは意にも介さず、スピードを落とすことなく進んでいく。
すると外の景色は、そんな私の寂しさを紛らわしてくれるように、次々と新しい顔を見せた。
西に進むほど、大陸側の景色は緑の比率が多くなってくる。だんだんと昇り始めた朝日に照らされて、森の深い緑も、葉の奥に隠していたその青々とした姿をより露わにしはじめる。また、目の前に広がる海も、神戸から離れて行くにつれて、港でみたお世辞にも綺麗とはいえなかった海から、太古より海が持つ本来の青色を取り戻していった。
そうやって船が進むと、外の景色がたちまち変わっていくため、いくら写真を撮っても撮り足りなかった。
実は、私はこの旅行でいくつか決めていることがある。そうはいっても、別になにか難しいことを課してるわけではない。
例を挙げるとするなら、嫌なことは全部忘れて楽しむこと、とかそんな簡単なものだ。その中の一つとして、この旅行中写真を撮りまくるべし、というのがある。
この夏は、きっとこれからの人生で一番大切な思い出の一つになるだろうから、またいつでも思い出せるように、感情の動いたものは何でも、何枚でも撮ると決めていた。この夏の私の一瞬を切り取って残すことが、いつかの私の支えになるだろう、そう思って決めた。
外の景色がこれまた良い感じだったので一枚写真を撮る。濃い青色の海と遠くの山の緑、とてもよい取り合わせで、夏らしい良い写真だった。夏らしいというなら、あの空も入れて、夏の青でサンドした構図にしようと思い、画角を少しあげて空を入れ、再度試行錯誤する。私はカメラに詳しいわけではないので、もちろん技術なんてものはからきしにない。だから毎回、何度かのトライアンドエラーを繰り返し、なんとか納得のいく写真を撮る。
そうして、いくつか納得のいく写真が撮れると、今度は一応入れてある、写真を加工できるカメラアプリでも撮ってみることにした。
彩度や明度は自由自在なので,実際の風景よりも色の鮮やかで綺麗な写真をすぐさま撮る事が出来た。こうも簡単に色鮮やかな写真が撮れてしまうのか、と文明の利器に驚嘆するものの、それがどこか少し寂しいような気がした。私は意外と昔気質なのだろうか。
私は加工カメラを閉じ、スマホに初めから入っているただのカメラを開く。加工にこの現実の美しい風景が負けるなんてことがあってはならないだろう。
私はなんだか悔しくなってしまって、またカメラを外に向けてしばらくの間挑戦していたが、どうしてもさっきの加工写真のような鮮やかな色が出せず、今回の勝負は一旦私の負けということにしといてやった。
しばらくそうして写真に夢中になっていると、頭上のスピーカーから、館内アナウンスが流れ始めた。
「まもなく本船は、明石海峡大橋の真下を通過致します。明石海峡大橋は~~」
と、録音された女性の音声が明石海峡大橋の説明を始める。
明石海峡大橋ってそんなにアナウンスするほど凄いところだったのか。アナウンスの女性が言うには世界最長の吊り橋なんだとか。確かに言われてみれば、そんな話聞いたことがあったような気がするが、興味がないので忘れてしまっていた。私にとって明石海峡大橋はその程度のものでしかなかった。
しばらく進むと、アナウンスの通り明石海峡大橋が見え始めた。
うん、確かに大きい橋だ。下から見てみると、思いの外壮観ではあったものの、やはり心が大きく揺り動かされるということはなかった。でも一応写真を撮っておいた。まあまあ良い写真が撮れたので二枚くらいで満足する。
ただの橋だ、周りのお客さんもそんなものだろうと、少し離れたソファー席に座っていた若い女性の二人組の方をみる。
しかし、私の予想に反して、二人はもうびっくりするくらいはしゃいでいた。片方の女性は「すげー!」とか、「でけー!」とか言って窓の外を見ており、もう一人の方もキャッキャはしゃぎながら、ずっとパシャパシャ写真を撮っていた。
嘘だろ、これってそんなにはしゃがなきゃいけないほど凄い建造物なのか。あんまりにも楽しそうにはしゃぐので、自分が間違っているのかと不安になり、彼女たちを見習って、再度窓の外を見る。
そこには、おおよそ人が作ったとは思えない巨大な橋があった。橋を構成する一つ一つの鉄骨すら私の身体を優に超える大きさだった。遠くからみても大きかったが、近づいてみると、その雄大さに目を見張った。人の作り上げたその偉大なる建造物に、私はただ息を飲むしか無かった。……えーっと、ちょっとまってね。あとー、あとはね、んんん、そうだな、すごく、あれだな、おっきかった。うーん、しかしでかいなあ、大きくてかつ壮大だなあ。
駄目だ、どんなに頭をこねくり回しても、大きい以外の感想が出てこない。感心することと言えば、こんなものを作れる人間って凄いなあくらいなもので、それ以外は特にない。ごめんね明石海峡大橋、君の魅力を私は真に理解してやることが出来ないみたい。
隣をみると、さっきの女性達は、未だにはしゃいでいる。橋の下をくぐるときなんかは、それはもう楽しそうに騒いで、やばいやばいと言っていた。
そんな彼女たちをみて気づいた。私と彼女たちは、違うのだ。
私に限った話ではない。人は、一人一人それぞれの時間を歩んで、それぞれの価値観を得る。価値観が違うと、言動や物事の感じ方に違いが出る。
それこそ、行きの電車で私が空に見とれて窓の外を見ていたとき、前の座席に座っていた男性が、理解できない、といったような目で私を見てきたように。
何に心を動かされて、何に心が動かないのか。なにを言われたら嬉しくて、何を言われたら悲しいのか。外か中か、夏か冬か、夜か昼か、紅茶か珈琲か、何が好きで逆に何が嫌いか。そんなのは人それぞれ違う。
彼女達と私も、何を見て何に胸動かされるかは当たり前のように違っているのだ。
ただ、違うというのは何も悪いことではない。人間は違っていて当たり前で、むしろ違うからこそ、人は他人を求める。自分とは違う価値観を持つ人間は、自分の価値観だけでは知り得なかったことをいとも簡単に教えてくれたりするからだ。
人間のコミュニティというのは、そうやって違いを一つにまとめて強くなっていく。人間とはそういう生き物だと私は思う。
どうやらこの旅は、そんな当たり前のことを教えてくれる旅みたいだ。目に映る自然の飾らないシンプルな美しさが、私をそうさせるのだろうか。
思えばこの旅では、何かを考えていることが多いような気がする。思考に雑音や雑念が交ざらず、空や海をみて思い耽る。思えばそんな当たり前のようなこと、最近は出来てなかったな。
そうやってまた、明石海峡大橋をバックに海をみて考え込む。当たり前のことがこんなにも心地良い。
こんなこと、あのままあの狭い場所にいたまま、眠って過ごすだけではきっと、永遠に気づくことはなかっただろう。こんな当たり前のことなのに、知らない誰かのことじゃなく、一番近くにいる自分のことなのに。あそこにいたままなら、気づかなかったんだろうな。
さっきの女の子達は、まだ元気に騒ぎながら外を楽しそうに眺めている。彼女たちには大切なことの一部を教えてもらった。そんな彼女たちへの感謝の気持ちで、私も彼女たちが夢中になっている外の橋を楽しんでみようと、一緒に眺める。
うん、とはいえやっぱり、何度見てみても、私にとってはただの大きな橋だった。
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