出港



 港に着くと、昨日のフェリー乗り場の受付に向かう。三十分以上前に来て、結構早く着いたつもりだったが、中は結構混雑していた。入り口で希望のチケットを指定の紙に記入してから受付へ、と案内されたのでそれに従う。用紙を記入する机も埋まっている。仕方ないので少し待つ。

 それにしても凄い人の数だ、やっぱりお盆シーズンだから里帰りとか旅行とかだろうか。用紙を書きながら館内を走り回る子供を、お母さんが叱っている。大変だな、親というのは。お母さんが気を遣って焦らなくていいように、近くにあったパンフレットを手に取り、あたかも待ってる時間も楽しんでる人、といった具合にパンフレットを読む。急がなくて良いですよ、そなたは美しい。


「あの……、前空いてますよ?」

 後ろの大学生くらいの女の子が、私の肩をポンポンとたたいて教えてくれる。言われて前を見てみると、確かにさっきのお母さんはいつの間にかいなくなっていた。

しまった、ふりだけのつもりが普通に楽しくなって読み耽ってしまった。しかし良いパンフレットだったな、フェリーに乗ったらまたゆっくり読もう。

 後ろを待たせるのも悪いので、急いで用紙に記入する。とはいえ、住所、氏名、電話番号を記入して、購入するチケットに丸をするだけだった。予約が複数人の場合は、予約者全員の名前を記入せねばならないようでさっきの大家族ぶりだと大変だったろう。まあ、私は一人なので関係はない。ささっと記入を終わらせる。

 記入が終わると受付の列に並ぶ。どうやらそれほど手間のかかるものではないようで、回転率は結構早い。十分も経たないうちに受付までたどり着いた。実は内心ドキドキしていたが、良かった昨日のお姉さんではない。出航直前に憤死する事態はどうやら避けられたようだ。


 対応してくれたのはいかにも柔和そうなおじさんだった。予約している旨を伝えて、神戸高松間の往復チケットを購入する。それと一緒に、瀬戸内海のいくつかの島を回れる周遊切符とやらを買った。理由はなんかお得そうだから。元々落ち着いた場所に行きたくて、島を巡るつもりだったので好都合だった。券を買うと二階に案内された。二階に上る階段の左側が、全面外の様子が確認出来るガラスになっていて、駐車場を挟んだ向こう側に大きな船が見えた。私が乗るのあれかな。想像していたよりも大きかった。

 二階に昇るとすぐ、係の人に予約の確認をされて、船に乗るように促された。どうやらもう入船は始まっていたらしい。むしろ来るのが遅れたくらいなんだろうか、どうしよう入船したはいいものの、席とか埋まってたら。今更もう意味ないだろうけど、ちょっとだけ早歩きで進む。


 船までは凄く長いドラム缶みたいな連絡橋の中を通っていく。雨風にさらされるのだろう、所々さび付いていたり塗装が剥がれ落ちたりしていた。少し空いた隙間からは外の様子がのぞけて、赤や青の貨物が並んでいるのが見えた。うん、最高だなここ。

ドラム缶連絡橋が気に入ったので何枚か写真を撮った。向こうの方に歩いて行くと係員さんがチケットを確認しているのが見えた。私は財布からさっきのチケットの行きの分だけを取り出し渡す、お兄さんがチケットの半券をちぎり、船に通してくれた。いよいよフェリーに乗船だ。私の夢見た、最高に素敵な夏への第一歩を踏み入れた。

 



 船の中は煌びやかではありながらも、落ち着いた色合いの内装だった。控えめな赤色のカーペットの端の方が、所々めくれ上がったりしていてとても良かった。

船のなかに入ってすぐ、上階に続く階段に出迎えられた。二階に上がると、うどんや軽食、ソフトクリームなどが買える売店とお土産コーナーがあった。開店は出港してからのようだ。また後で覗いてみよう。

 その他にも自販機各種が揃えられたコーナーがあった。まあ今時さすがにあるよね、自販機くらい。

それ以上は考えないことにして散策を続ける。同階に女性専用客室というのがあったが、あいにく一人で座れそうな所は空いてなかったので他を探す。

 三階は客席中心のフロアになっているようだった。さっきの女性専用客席があった場所のちょうど上にあたるところにも、一般客用客席なるものがあったがここもやはり一人用の席の空きは見当たらなかった。

階段と踊場のエリアを挟んだ向かい側には、ずいぶんと広い空間があって、そこにはたくさん畳が敷かれており、座ったり寝転んだりしてくつろげるスペースになっていた。

ただ、ちらほら空いてはいるものの、結構な数の人がいて、しかも間仕切りなどは一切なく、どうにも落ち着けなさそうだったのでここも後にして他を探す。


 どこを見て回っても客室は混雑している様子だったので、仕方なく踊り場にあるソファーに落ち着くことにした。皆、客席の方に行くからか、踊り場のソファースペースには人がおらず、どうやら図らずも一人で落ち着いた時間が過ごすことが出来そうだ。

 船が貸し出している茣蓙ござがあるようなので、それを足下に敷き、そこに荷物を下ろして、ソファーに腰を下ろす。目の前には外の様子が見られる窓ガラスが張ってあり、眺めも悪いものじゃなさそうだ。以外と良い席を確保できたようで安心した。



 しばらくは、さっきのパンフレットを読んでみたり、外の港の様子を観察したりして暇を潰していた。そうこうしていると、さっきまで無音で乗客の声しかしなかった船内に、なんとも良い雰囲気の音楽と館内アナウンスが流れる。後ろに流れている曲はこの船の会社のオリジナル曲だろう、サビの最後に思い切り会社名が使われていた。

ただこれが、なかなかどうして良い曲だった。その次に流れた、アイドルグループだろうか、女の子達が歌っていた曲もこれまた良かったので、二曲とも調べてプレイリストに入れたりした。特にアイドルの曲の方が、ものすごくノスタルジーを刺激するような曲で、とても気に入ってしまった。私こういう曲も好きなんだ、と自分の新しい一面を発見した。


 館内アナウンスが終わってしばらくすると、船のエンジンが動き始めたんだろうか、低い音が船内に響き、船全体が小刻みに震え始める。

 どうやらいよいよ出港するらしい。船がだんだんと岸から離れていく。港のスタッフが軽く手を振って送ってくれているのか見えた。別に特定の誰かに向けて振っているわけではないんだろうけど、誰かに手を振って送り出してもらうのは大学生の頃以来だったので、少し照れくさいながらも嬉しかった。

実際には恥ずかしくて振れないので、心の中で小さく行ってきますと言った。いい年してそんな、とも思ったが、大人ぶった皮肉とは裏腹に、心は多幸感で満たされていた。



 港を離れて沖まで出ると、船の揺れが少しましになってきた。窓からは神戸の街が一望できて、観覧車と、赤色のポートタワーが見えた。陸にいたときには気づかなかったが、昨日泊まっていたホテルから、それほど距離がないようだった。せっかくだから行っておけば良かったかな。

 そんなこと今更言っても仕方ない。それに、この旅の帰りは夜遅くなるので寄ることは出来ないが、それなら今度神戸来たときの楽しみにとっておこう。


「今度、か」

 自分で言っていて、自分に小さな変化が現れ始めているのを感じた。停まっていた船は、今までいた場所を後にして、新しい場所へ進み始めている。

私の夏はもう始まっている。動き始めた船の中、そう強く実感していた。

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