皐月
大分新しい生活も地に足がついてきたであろうかというタイミングで、ゴールデンウィークに差し掛かる。年度初の連休ということもあって、カラオケに行ったり、ショッピングモールに行ったりとはしゃいでる人は多い。僕もその例には漏れず、この連休中に読む本を選ぶため書店が含まれたショッピングモールに来ていた。
ショッピングモールの入り口に到着して、そのまま四階の書店に行くためエスカレーターに向かう。人の波に揉まれながらも、今度はどんな本を読もうかと考える。図書委員として過ごした一年は僕を読書家にしたのかもしれない。
「あれ、来栖先輩?」
ふと、僕を呼ぶ声がする。
振り返ってみると、そこにいたのは天本だった。
「奇遇ですね、首輪でも買うんですか?」
いつもの調子で話しかけてくる。
当たり前だけど休日に会う天本は私服で、白のブラウスと濃い目の青のフレアスカートに身を包んだその姿は、本人の性格とはかけ離れて女性的だった。
何故かほんの少しだけ緊張してしまう。
「そんなわけないでしょ、連休中に読む本を買いに来たんだよ。天本は何しに?」
「私は、特に用事はないので今日は先輩に付き合ってあげますよ?」
まさかの提案だった。しかしずいぶん尊大な態度だが、別に誰も付き合ってくれとは言ってないし、本を買うのに人と一緒だと迷惑だ。それとなく断ろうとする。
「いや別に付いて来てくれなくても良いよ、天本にも予定あるだろうし、僕は本選ぶの時間かかるから」
「予定はないと言ったじゃないですか、何度言わせるんですか?それに私が飽きたら勝手に帰ります。最後まで付き合うなんて思いあがらないでください」
駄目だ、完全に乗り気でいる。僕ら二人でいる時の主導権は完全に天本が握っているので、こうなった以上僕は従うしかないんだろう。折角の休日なのに。
「遅い。早く行きますよ?」
僕が己の不運を呪っていると、天本が急かしてくる。
「はいはい」
渋々ながらもエスカレーターに乗った。彼女は僕の後ろから乗ったが、僕を追い抜いて僕の一段上に落ち着く。通り過ぎる瞬間、彼女の髪のフローラルミントの香りが鼻腔をくすぐる。そんなにキツくはないから香水ではなくやはりシャンプーのものだろう、何となく学校で会った時も天本はこんな香りがした気がする。
そのままエスカレーターで4階まで向かう。
その間エスカレーターに乗るたび、天本は必ず僕の一段上を位置取ってきた。
「ねえ、何で毎度毎度わざわざ僕の一段上に行くの?」
興味本位で尋ねてみる。
「こうすれば先輩のこと見下せるからですよ。あ、背の低い先輩にはこんなことするまでもありませんでしたね」
笑いながら彼女が答える。
「何だよそれ…」
事実、男子にしては低い方の僕の身長と女子にしては高い方の彼女の身長はほとんど同じだ。しかも今日に限って言えば、天本はどうやらハイヒールを履いているようだから完全に同じにも思える。
そのあとは書店に着いたが、やはり人の見ている前で本を選ぶのは恥ずかしい。
結局、丁寧に選定することはせず適当に二冊の本を買った。天本も何やら本を買っているようだった。
レジで会計を済ませてから僕らは書店から出る。
「ほら」
僕は彼女の本の入った袋を持とうと手を出す。彼女は少し微笑んで僕に袋を渡した。
「気が利きますね。犬の自覚、出てきましたか?」
「そんなわけないでしょ。女性が重いものを持ってるのを見ると、僕の中のどこかに流れる英国紳士の血が黙ってないんだ」
照れ隠しに適当にほざいた。
「たった二冊の本が重いだなんて…哀れな先輩」
この子を相手に照れたのが馬鹿馬鹿しくなった。
「そうだ、寄りたいところがあるので今度は来栖先輩が私に付き合ってくださいよ」
「まあいいけど」
正直もう帰れると思ってたからあんまり良くはなかったけど、まあ折角だし付き合うことにした。毒を食らわば皿までってやつだ。
そのまま天本に付いて歩く。
「ここです、ここ」
天本の寄りたいところはゲームセンターだった。さっきまでの静かな書店と打って変わって、とても騒々しい。
「ゲームセンターなんて来るんだね、何するの?」
彼女は対戦格闘ゲームらしい筐体を指差す。
「あれで対戦しましょう」
とは言われても僕はゲームセンターなんて来ないし、もちろんそのゲームもプレイしたことがない。
「早く向かいに座ってお金を入れてください、もしかしてやり方知らないんですか?」
「存じ上げないね」
「はぁ、愚鈍にも程があります」
試しにレバーやボタンをでたらめにいじってみる。
「こう?こうかな?」
しかしでたらめはでたらめ。画面の中で僕が操るキャラクターは間抜けな動きを披露するだけだった。
「ははっ!思った通りヘタクソですね。先輩は一体何ならできるんですか?」
天本はすこぶる機嫌が良い。
「そんなこと言われても…」
「ほーら、早く逃げないとズタズタにしちゃいますよ。あはは、あははは!」
この子、僕をなぶるためにわざわざゲームセンターに連れてきたのか。趣味悪すぎでしょ。
初めてこのゲームに触れる僕とそれなりに動かせる程度には慣れている天本とでは実力に雲泥の差があり、見るに耐えない程にボコボコにされる。
しかし……対戦回数を重ねると結果は変わった。彼女のキャラクターが放つ必殺技には相応の後隙が存在しており、ガードし切ってから反撃が可能であると気づく。また、ガードを多用する彼女の手癖も読めるようになり、ガードを貫通してダメージを与える投げ技も有効活用して、むしろ僕の圧勝になってきた。
「これも僕の勝ちで良いのかな?」
五連勝目、筐体から顔を出して天本の様子を見る。彼女は唇を固く結んでぷるぷると震えていた。
「たかだかゲームで威張り散らそうだなんて、浅ましすぎてもはや憐憫の情しか湧いてきません」
「それ、もしかして自責の念?」
「黙らないとその口を傘立てにしますよ」
僕がニヤニヤしながら煽ったら、冷たい声で言い放たれた。
「もういいです。お詫びにあのぬいぐるみを取ってください」
「何のお詫びだよ」
とはいえ何となく楽しくなってきた僕は、指定されたクレーンゲームもプレイすることにした。お金を入れて、クレーンが掴む場所の二つの座標をタイミングよく入力するだけの簡単なゲームだ。
「まだです、もっと奥で…あぁ!まだだと言ったじゃないですか、この駄犬が!」
「天本の想定してる位置は遠すぎるんだって。僕の考えが正しければ、きっとこれで上手く行く」
しかし、クレーンはぬいぐるみを弱々しく撫でただけで、それを持ち上げる素振りすら見せなかった。
「はぁ……呆れてものも言えません」
「待って!もう一回、次はうまく行くから」
そうして何度も何度もお金を入れ、クレーンを動かし続けた。
そしてついに
「これで……やった!やったよ!」
どうにかぬいぐるみを手に入れることができた。僕はようやく手に入れた白い犬のぬいぐるみを取って、彼女に渡す。
「ふふ、ありがとうございます」
ぬいぐるみを抱きしめてお礼をいう天本は、僕が今まで見たことがない天使のような笑顔を浮かべていた。
「どういたしまして、どこに飾るの?」
達成感と幸福感。満足した僕は、天使のような天本に尋ねた。
「捨てるに決まってるじゃないですか」
悪魔だった。
「え……じゃあなんで取らせたの?」
「ただの嫌がらせですよ」
何だそれは。僕の、僕の苦労は一体。
「そうだ、夕方になってきましたし、屋上の展望フロアで軽く食事でもしませんか?」
「やだよ、奢らされそうだもん」
「私の命令には、イエスかはいで答えてください」
「えぇ……」
結局、展望フロアで食事することになった。彼女はハンバーガーセットのようなものをトレーに乗せて持ってくる。僕は、クレーンゲームのせいで財布の中身が心許ないので特に何も買ってない。僕が危惧した、奢らされるといったようなことはなくて少し安心した。
「やっぱり綺麗な景色だね、すっごく遠くまで見渡せるよ」
さっきまでの落ち込みは何処へやら、食事こそないが、僕はあまり来ない展望フロアでらしくもなくかなり舞い上がっていた。
「高所からの景色がそんなに嬉しいですか?先輩はいつもよほど下等な位置で暮らしているんですね、微笑ましいです」
折角盛り上がってたところに水を差された。
その後食事を済ませてエレベーターに向かった。
「先輩はエレベーター使わずに階段から降りてくださいね」
「何でだよ、普通に乗せてよ」
「密室の中で長時間、先輩の下卑た目線に視姦されるなんて耐えられません」
あまりにもひどい言われようだ。この子は僕のことを性犯罪者か何かと勘違いしてるんじゃないか?
「じゃあエスカレーターで良いでしょ」
「来栖先輩?私からの命令にはイエスかはいでと言ったはずです」
「はぁ、しょうがないな」
まあ別に大したことじゃないから、階段で降りることにした。とはいえ、屋上からだとかなり長くて降りだけでも大分疲れた。
「遅いですよ、もっと急ぎなさい」
「はいはい」
階段から降りると、エレベーターで僕より先に一階に着いていた天本が不機嫌そうに待っていた。
「まったく…あれ?」
天本は自分のポケットを叩いて焦ったような様子を見せる。
「ん?どうかした?」
「私、財布を忘れてきちゃいました……」
しっかり者の天本にしては珍しい。
「どこに落としたかわかる?」
「わかりません……」
慌てた様子で天本が言う。
「私はサービスセンターに尋ねてくるので、先輩は展望フロアを見てくれませんか?」
「わかった」
「先輩、これ私の連絡先です。見つかったら教えてください。あと、ついでに先輩のも」
彼女はスマートフォンを差し出して画面を見せる。僕も自分のスマートフォンを出して連絡先を教えた。連絡先の交換、本当に今更だな。
気を取り直して、僕は急いでエレベーターに向かう。
「待ってください!」
天本が呼び止める。
「誰がエレベーターに乗っていいと言いましたか?」
え、こんな時にこの子は何言ってるんだ?
「天本と二人だったらまずいだけで、今回は大丈夫でしょ?」
「もしかしたら私以外の女の子が被害に遭うかもしれません。来栖先輩は金輪際エレベーター乗るの禁止です」
何だそれは……でも、ここで歯向かって言い争ってるうちに天本の財布が盗られたりしたら大変だ。ここはしょうがなく階段を駆け上がる。
一階から屋上まで階段で上るのはとてもキツかった。しかし急いで展望フロアに到着して、さっき天本が食事していたテーブルを探す。だが、どこにも天本の財布はなかった。どうしよう、別の場所に落としたか、もう盗られてしまったか。
すると、マナーモードのスマートフォンがポケットで震え始めた。見ると、天本からの電話だった。
「もしもし、ごめん展望フロアにはないみたい。サービスセンターにはあった?」
「すみませーん、よくよく見たらポケットに入ってましたー」
「な、何だそれは……」
僕は全身の力が抜けてその場にへたり込む。
「天本、もしかしてわざとじゃないよね?」
「どうでしょう?ふふっ」
これは多分わざとだろう。僕を階段ダッシュさせるためだけの一芝居だったに違いない。
「はぁ……まあでも、財布が無事でよかったよ」
「私の本とぬいぐるみ来栖先輩が持ってるんで、待ってますから急いで降りてください。階段で」
「わかったよ。しょうがないな」
自分でも何がしょうがないのか分かりかねたが、階段で降りる。
一階に着くと、嫌がらせが成功して満足げな天本が待っていた。
「ほら」
僕はぶっきらぼうにぬいぐるみと本を差し出す。しかし、天本はまるで取る気配がない。
「先輩が階段往復するの遅いせいで、こんなに暗くなっちゃいました」
「いや往復させたの天本だし、言うほど暗くもないでしょ」
時刻は午後七時前、暗いと言えば暗いかもしれないがそんなにでもない。
「こんな暗い夜道を、重い荷物持たせた女の子一人で歩かせる気ですか?このろくでなしが」
「まさか家まで送って行けと?」
「ご名答です」
もはやため息をつく気力もない。
「わかった、送るよ」
結局そのまま荷物を持って天本を家まで送り、僕も家に帰った。
疲れた。今日はとことん天本に振り回された一日だった。
まったく楽しくなかった。
でも、楽しくなくもなかった。
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