移動と朝ごはん

 ミラの意識が覚醒したのは本当に偶然だった。


 花見が運転する軽自動車の助手席に座った助手は、昼夜問わず運転し続ける師を尻目に深い眠りに就いていた。だが、妙に車内の温度が高いことに気づき目を覚ます。


 車はコンビニの駐車場に収まっており、近くに運転手の姿は見当たらない。となると店内に居るのだろうか。ミラは未だ若干寝ぼけた頭でそう考える。


「おしっこ……」


 花も恥じらう絶世の美少女であるミラも普通の人間である為、尿意を感じたらお花摘みをするべく動き出す。一昔前のトイレにアイドルとは違うのだ。


 車のドアを開けて地面に足を着ける。まだ空は薄暗く、日の出前特有の静けさがあった。しばらく嗅いだ記憶のない日本の夜の香りに少し鼓動が高なった。しかし、薄ぼんやりとした早朝ゆえに空気は少しひんやりとしており、余計に尿意を加速させる。


 コンビニの店内はどこも代わり映えのしない統一感ある印象だが、ここも変わりがないようだ。ミラは燻る尿意を我慢しながらトイレを探す。


「うわ……」


 トイレ前の雑誌コーナーに見知った顔を見つけてしまった。


「でへへ、えっちだぁ……」


 成人誌コーナーの前で堂々と立ち読みをする最低すぎる花見桜ヘンタイの背後を無言で通り過ぎ、ミラは御手洗いでお花を摘んだ。


「いつまでその破廉恥な本を読む気ですか、先生」


「おひゃあ⁉︎ もうっ、びっくりさせないでよ!」


 花見が驚いて上に投げた成人誌をミラがキャッチして棚に戻す。とても慣れた動きだった。


「まだまだ元気なら早く出発しますよ。道のりは長いんでしょう?」


「ミラは寝てたから疲労も少ないと思うけど、私はもう二日も寝ずに運転し続けてるんだよ……? もっと労ってくれてもバチは当たらないと思うんだけど」


「エッチな本を読んで全回復したんでしょ、とっとと行きましょう」


「クッ、事実だから否定できない……ッ!」


 呆れたミラが盛大に溜め息を吐き出した。本来の花見なら一週間以上寝ずとも活動出来るタフを通り越した化け物なのだが、彼女にとって日本とは家のような場所と無意識に設定している為、日頃の疲れを癒やす意味で身体が弱体化しているのだ。


 …………それでも二日間寝ずに運転し続け、その後は成人誌を読むだけでまた通常通りに活動出来る時点で常人とはかけ離れているが。


 二人は軽自動車に乗り込み、改めて目的地まで車を走らせる。もちろんミラは熟睡していた。だって可愛い14歳だもの。


 コンビニを出てから五時間ほど走行し、時刻は午前八時を迎えていた。そろそろ朝食でも食べるかと考えた花見は未だぐっすりのミラの肩を揺らす。


「ミラ、朝ごはんは何が食べたい?」


「んぅ……お肉が、食べたいでしゅ……」


「お肉かぁ……。じゃあ牛丼でいいかな」


 ベストタイミングで現れた牛丼チェーン店の駐車場に車を駐車して、改めてミラを起こす。


「ミラ、起きてー。朝ごはん食べるよー」


「ふぁい……今行きましゅ……」


 駄目だこりゃ、簡単には起きそうにねえや。諦めた花見はミラが着ている服の裾から手を突っ込んでブラの下に眠る蕾を抓った。


「いっっっっっっっったぁぁぁぁぁあああああ⁉︎」


「あっ、起きた」


「そりゃあ起きるに決まってるでしょ⁉︎ 馬鹿なんですか⁉︎」


 ミラが右胸を押さえながら声を荒げる。かなり痛かったようだ。


「朝ごはんだぞっ」


「もうちょっと起こし方ってものがあるでしょ⁉︎」


「起きない奴が悪いよね、うん」


「これで腫れちゃって右乳首だけ大きくなったらどう責任取ってくれるんですか⁉︎」


「じゃあ責任取って左乳首も大きくするね」


「泣きますよ! 次やられたら確実に泣きます!」


 ミラは胸元を庇う仕草とともに涙を浮かべながら嫌々と首を左右に振る。並みの大人であれば庇護欲を掻き立てられるだろうが、花見にそれは通用しない——が、嫌よ嫌よも好きのうちをミラに適用するのも吝かではないけれど、今の花見は腹が減っていた。助手とのイチャイチャよりも腹を満たすことを優先したい気分だったのだ。


「ほら、早く朝ごはん食べに行くよ」


 依然として警戒中のミラを連れて牛丼チェーン店に入る。店内は必要以上に冷房が効いていて肌寒かった。疎らに客が座っているが、皆一様に二人を凝視している。美少女なミラはもちろんのこと、実は花見も優れた容姿をしていた。


 肩までの艶やかな黒髪と切れ長の瞳。整った顔立ちにその怜悧な瞳を加えると正しくマリアージュであろう。そして男性の目を惹きつける大きな胸。スレンダーな身体に反して胸部だけが大きいことにより、一層胸を強調していて客達の視線を集める。それに対して花見は冷たく一瞥するだけなのだからより興奮させてしまうのだ。


 だが当の花見はと言うと……。


 ——クッソ腹減ったにゃあ。


 なんてことしか考えていない。客の方向を一瞥したのも壁に掛けられた新メニューの写真を見ただけである。


「……先生、また胸を見られてますよ」


「別にいいんでない? 減るもんじゃにゃーし」


「嫌な気持ちにならないんですか……?」


 壁側に花見桜が座り、対面に座ったミラがおもむろに顔を近づけてきて囁く。それに対して花見は不思議そうに首を傾げた。


「あのね、私だって大きなおっぱいが来たら凝視するし、あわよくば同性だからって油断させて揉みしだきたいもん。だから彼らの気持ちはよぉーく分かるよ?」


「うわぁ……」


 ミラはドン引きといった様子で声を漏らした。


 ……今日だけで師の駄目なところをいくつも再認識した彼女であった。


「すいませーん」


「はーい、今伺いまーす!」


 注文するメニューを決めた花見が店員を呼ぶ。現れた店員はすらっとした細身の美人で、無垢な笑顔が輝いていた。


「お姉さん、すっごくイイ笑顔だねぇ。何か楽しいことでもあったの?」


「いえいえ、アタシなんて特に何もなくても笑ってるっすよ! それだけが取り柄なんで!」


「へぇ、じゃあそんな笑顔が可愛いお姉さんに質問するけど、ここら辺に不思議な話とか怖い伝説とかないかな?」


「怖い伝説っすか? んー、特に聞いたことないっすね。でもなんでそんなことが知りたいんすか?」


「私が関西にある大学で民俗学の研究をしてる教授でさ、今日はネットで見つけた面白そうな情報を頼りにここまで来たわけなんよ。研究しがいのありそうな題材だったから現地の人も知ってるかなーって思って訊いてみたんだけど、噂話程度でいいから何かないかな?」


「うわ、すっご……」


 瞬間的によくそこまで嘘を並べられるなとミラは感心し、見習わなければと思いながらも普段とのギャップについ目を逸らしてしまう。その視線の先で花見の右手が店員の尻を変態的手つきで揉んでいることに気づいた。頭おかしいのか、コイツ何やってんだと敬意のけの字も見えぬような顔で花見バカの手を叩こうとするも店員の表情を見て思いとどまってしまう。


 ……どう見ても嫌がってる風には見えなかったのだ。


 ——どうして満更でもない顔なの⁉︎ おかしいと思ってるのはワタシだけ⁉︎ 常識改変でもされた⁉︎


 本気で頭を悩ませているミラを横目に花見はさっさと注文し、店員は後ろ髪を引かれるようにチラチラと花見を見ながら奥に引っ込んでしまった。




☆☆☆




「んで、どうしてワタシの牛丼にはチーズが無いのに先生の牛丼には山盛りなんですか……?」


「早く注文しないと店員さんに迷惑かと思ってね」


 そう言って花見が手を振ると二人が座る席を見ていた店員が振り返した。


 この数分で赤の他人とこれだけ仲を深められる師に脱帽するとともに自分もそうやって籠絡されたのかと若干の後悔の念が湧き出てくる。


「でもミラの牛丼にはセットで豚汁も付けてあげたじゃん。チーズよりそっちの方が好きでしょ?」


「それはっ、そう、ですけど……。何か納得がいきません。好みを把握されるのはちょっと嫌な気分です……」


「……捻くれてるねぇ。普通そこは好み把握してくれてるなら楽が出来そうだな、ラッキーくらいにしか思わないでしょ……」


「他人どうこうではなく先生に知られているのが嫌っていうか……」


「ひっでー! そんなこと言うなら日本出ても好きな銃渡してあげないかんねーっだ! 何なら護身用の拳銃すら渡してあげないから!」


「それは駄目でしょ! ワタシが無抵抗で殺されちゃいますよ!」


「……ゆーていつも私が護ってるから実戦では銃を使ったことがない素人童貞のくせにー」


 花見のボソッと呟いた言葉がミラの耳に届く。


「不愉快です! 言葉の意味は分かりませんが、それが極めて不愉快な称号だということは分かりますからね!」


 口角泡を飛ばさん勢いで怒り狂うミラの前で素知らぬ顔をしながら花見はチーズ牛丼を掻っ込む。


 ところでチーズ牛丼と聞くとチー牛という言葉が思い浮かび、記憶の彼方からあの男性の顔が引っ張り出される。いわゆるチー牛顔というやつだ。花見は最初にあれを見た時、腹を抱えて笑ってしまったが、ミラに見せるとどこが面白いのか理解出来なかったらしく、割と本気で頭を抱えていた。やはりアメリカ人のミラには理解出来ないセンスだったようだ。


「ほら、食べ終わったならとっとと行くぞぉ」


「あっ、ちょっと! 待ってくださいよ!」


 豚汁の残りを流し込んだミラがケプッとゲップしてしまい、それを目敏く見ていた花見はニヤリと気持ち悪い笑みを浮かべた。


「ニヤニヤしてないで早くお会計を済ませてください! 殴りますよ⁉︎」


「わーったから落ち着きなって。ミラってば日本に来てからちょっと怒りっぽくなってなーい?」


「ホームグラウンドだからってあなたが存分にふざけるからでしょ⁉︎」


 会計中の花見をぽかぽか殴ってみるが、ミラの柔な拳と非力な腕では満足な威力は出せない。そうこうしてるうちに会計を済ませ、店員に手を振って花見が店を出る。ミラはその後ろに追従する。


「早く行きましょう!」


「うぇー今から車乗るから勘弁してくんなましー」


 いち早く車に乗り込みシートベルトを締めて膝に手を置くミラの可愛さに花見はキュンキュンしながらも、努めて面倒そうな表情を取り繕う。今ニヤけたらまた怒られるであろうことを確信しているからだ。

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冒険家花見桜 綱渡きな粉 @tunawatasi_kinako

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