第12話 ずっと あなたを愛していた
三月十九日の昼過ぎ。
理子は眠るように息を引き取った。
「仕事も辞めて、ずっと理子の傍にいたい」
慎司はそのつもりだった。
しかし、
「慎ちゃんの気持ちは嬉しいわ。でもね、慎ちゃんはこれからの人よ。わたしのせいで慎ちゃんの人生を台無しにしたら、わたし死んでも死にきれないわ。お願いだから、慎ちゃんは慎ちゃんの仕事を
理子にそう言われては慎司は逆らえなかった。
理子の危篤の報を受けて、広島にいた慎司は早朝の新幹線で帰ってきた。
理子の最期を看取った事が、せめてもの救いだった。
泣き崩れる慎司の元に、妹・詩音が今し方実家に届いた一通の手紙を届けてくれた。
その、理子からの手紙は、慎司の手の中にあった。
誰もいない待合室の片隅で、慎司はその手紙を開封した。
『 愛する 慎ちゃんへ
あなたがこの手紙を目にする時、きっとわたしはこの世にはいないでしょう。
慎ちゃんのことだから、二六歳で死に行くわたしのことを、可哀そうだと心に病んで、きっと号泣してるでしょうね。((笑))
でもね、慎ちゃん、泣かないで。
わたしは幸せだったわ。
慎ちゃんと過ごせた二十年、わたしにとっては本当にかけがえのない日々だったのよ。
こんなに幸せな日々をくれた慎ちゃんには感謝しかないわ。
ありがとうね。
さて、何から話したらいいのかな?
いきなり核心に触れていいのかどうか、わたしは迷っています。
だけど慎ちゃんも、薄々そのことを感じているんじゃないのかしら?
ねえ慎ちゃん、あの日のこと覚えている?
二十年前の三月二十日のこと。
わたしの手を握りしめて、六歳の慎ちゃんはずっと泣いていたわよね。
わたしは心残りだった。
こんな可愛い男の子を残して旅立たなければならない、この身をどんだけ悔やんだことでしょう。
小学校に通う慎ちゃんを見ることも出来ない。
中校生になった慎ちゃんは、どんなクラブに入るんだろう。
高校生になって初めて恋する女の子がどんな娘なのか見たかった。
大学でキャンパスライフを楽しむ慎ちゃんの姿。
社会人になった慎ちゃんや、お嫁さんになる人にも会いたかった。
それらの思いがすべて打ち砕かれてしまう絶望の中で、わたしは嘆き悲しみながら眠ってしまったわ。
わたしは死んでしまった。
そのはずだった。
そう思ったら目が覚めて、棺の中から体を起こしていたわ。
そして祭壇の主になっていた自分に気が付いたわ。
生き返ったの? と思ったが違った。
自分の体が極端に小さくなっていたことにも気づいた。
そして祭壇の鏡に映るわたしが、西岡さやかでないことを思い知らされて、しばらくパニックになっちゃったけどね。(苦笑)
慎ちゃん、驚いた?
わたしは本当は春日理子じゃないの。
正確には、理子ちゃんの体を借りた西岡さやか。
やっぱり信じられない?
わたしだって、いまだに信じられないのよ。
だってどうしてそんなことになったのか、分からないんだもの。
だけどわたしはありがたいと思った。
きっと神様がわたしの願いを受け入れてくれたに違いない。
そう思った。
それに、誰かから教わったわけではないけど、西岡さやかと同じ命脈しか持たないことも自覚していたわ。
だから二十六歳までの命を、理子ちゃんには申し訳ないけど、わたしはこの子の人生を借りて、出来る限り慎ちゃんの成長を見届けよう思ったのよ。
でも、それだけじゃ申し訳ないから、春日のお父さんお母さん、そして沙織に対して、良き娘・姉であろうと頑張ったんだけど、どうだったのかな?
もう一度言うよ。
お母さんは、西岡さやかは、とても幸せだったわ。
だって、わたしは慎ちゃんと同じ場所、同じ時間を、ともに過ごす事が出来たんだもの。
自分の息子と同じ人生を歩めるなんて、他のどのお母さんも出来ないことなのよ。
慎ちゃんはとても優しかった。
その優しさが心にしみて嬉しかったわ。
だから、慎ちゃん泣かないで。
楽しかった。
嬉しかった。
幸せだった。
いつも慎ちゃんの傍に居られて、わたしは充実した人生を送ることが出来たわ。
欲を言えば、慎ちゃんの結婚を見届けたかったな。
でも気にしないでね。
それからね、慎ちゃんのプロポーズ、本当にうれしかった。
お母さんなのに、思わず頷いてしまいそうになっちゃった。((笑))
もしわたしの命が人並だったら、きっと慎ちゃんのお嫁さんになっていたでしょうね。
もちろん、西岡さやかのことは内緒にしてよ。((笑))
それから、慎ちゃん。
春日理子はどうしたの? って思っているんじゃないかしら。
そう、理子はわたしとともにいた。
姿を見たわけでも、声を聴いたわけでもない。
でもね、わたしは彼女の存在を感じていたわ。
彼女も慎ちゃんとともに生きることを望んでくれていたと思うわ。
そして理子も慎ちゃんのことが大好きだったのよ。
慎ちゃんが他の女の子と並んで歩いているのを見ると、わたしは手を叩いて喜んでいるのに、わたしの心の片隅で、妬いている理子ちゃんがいたんだもの。
それって、わたしの一人芝居かしら?
ううん、違うわ。
確かに理子はいた。
慎ちゃんのこと大好きな理子がいたわ。
お母さんと理子は二人三脚で、慎ちゃんのこと応援していたのよ。
それからね、慎ちゃん、美穂さんはとてもいい人よ。
彼女と幸せになってくれたら、お母さんは、理子は、もう思い残すことはないわ。
慎ちゃん、本当にありがとう。
誰よりも親孝行だったわ。
あなた程、母親を幸せにしてくれた息子は、きっといないわ。
だから 泣かないで、慎ちゃん。
わたしは ずっと あなたを愛していました。
さやかと理子より 』
「お母さん、理子……それ、約束できないよ…」
慎司の頬を涙がこぼれ落ちた。
肩を震わせている慎司の背後で靴音がした。
振り返った慎司の目に、美穂の姿が飛び込んできた。
「………!」
ウエディングホールで別れて以来の再会だった。
美穂は慎司の前に封筒を置いた。
「理子さんから手紙もらったわ。いえ、あなたのお母さんと言った方が正確かしら」
差出人は
美穂は慎司の向かいに座った。
「信じられないだろ?」
慎司が言うと、美穂は小さく首を横に振った。
「アニメや漫画のような話だけど、理子さんに関しては、そうでないと納得いかないことが多すぎるわ」
「同感だよ」
と慎司は頷いて見せた。
「おれもこの手紙を見て、納得したよ」
と美穂の前に、
美穂の目が「見て言い?」と聞いた。
慎司が頷くと美穂は手紙を手にした。
読み終えた美穂の目が潤んでいた。
美穂がその手紙をどう受け取ったかは分からない。
ただ、一言。
「ズルいわよ、この手紙」
そう言っただけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます