7【朝顔の春】

 山桜がふんわりと島中を包んでいる。畑では秋に種まきして冬を越したエンドウの収穫がはじまった。


「サワラはな、春霞はるかすみのようにほわんほわんして柔らかい魚じゃから、丁寧に取り扱わないといけんのじゃ。」

「魚さばくのは、やっぱり難しいもんだなあ。このエラの下から包丁を入れるのか?」

「そうじゃ。肛門に向かって腹を開くんじゃ。」

 サワラの名前の由来はほっそり長く腹が狭い「狭腹さわら」からと父さんから聞いたことがある。サバ科に属する魚なのでうろこがなくつるんとしている。

「あああ、武史は不器用じゃな!サワラが可哀そうじゃ。見てられん、貸してくれ!」

 松葉の包丁の手さばきは安心して見られる。腹から中骨に包丁を入れ始めてその後あっという間に、皮をぎ取り大皿に刺身を盛っていく。

「皮を付けている刺身にしない部分は、このトレーに切り分けるから、あとで塩を撒いてくれ。」

「なるほど、『ばらずし』にするのか!」

「おっ!?武史君鋭いねー。」

 サワラは岡山県では特に重宝されており、県の名産品として売り出されている。サワラの値段は岡山で決まると聞いたことがあるが本当なのだろうか?大豆島では「はるごと」といって春の良き日に刺身・ばらずし・おなます・焼き物などサワラづくしの料理で春を堪能する楽しい催しを行っていたことを聞き、松葉にお願いしてサワラを仕入れてもらっていた。

「あ!やっと見つけました。調理室にいたんですね。館長!急いで教室に移動してください!卒業式始まってしまいますよ!」

「え?もうそんな時間?渡さん携帯に連絡してもらってよかったのに。」

「あのですね…館長、携帯持っていきました?」

「あっ、あれ?ポケットに入っていない。事務室に置いてきたのかな…」

「館長しっかりしてください!」

「たはははは!渡さん悪いな!武史は昔からおっちょこちょいだからさ、許してやってくれ!武史、早く行ってやれ。サワラは仕上げとくから。」

「すまん、松葉頼んだ!」

 渡さんと駆け足で長い廊下を小走りで移動する。

「走ってる最中もうし訳ないんだけど、渡さん、来週末の讃岐さぬき東高校陸上部の宿泊希望者は何名になりましたかね?」

「顧問男女各1名、部員男子9名女子11名、マネージャー女子3名の合計25名です。」

「ええと、10名が男性で、15名は女性だよね。」

「その通りです。女性顧問はマネージャー3名と女子部員は3―1と3―2と4―1の部屋を使ってもらって、男性顧問が2―1、男性部員達は工作室を使ってもらいます。」

「さすが仕事きっちり!それなら問題なく宿泊できそうだね。」

「あと、講演のリクエストがあったようで…」

「夕食時のアスリートフードマイスターの講演の件ね。大丈夫、もう敦子さんには伝えて承諾もらったからさ。」

「有難うございます。それからその翌週の5名様の団体がシーカヤックを希望されてきました。」

「オッケーいいね!天気も良さそうだし。しかもその日は直接教えることができるよ。平日はなるべく島の外で営業しているけど、週末は島にいるからアウトドアや天体観測の希望があったら、すぐに僕の予定をブロックしてください。携帯で確認しますから。」

「…だから、携帯忘れないでくださいね。」

 渡さんが言いにくそうに指摘する。

「あっ、はい。誠に申し訳ございません…あと、『レンゲ派』の動向はどうなったかな?」

「レンゲさんは先週精錬所跡地の下見が終わったようでしたので、来週木曜日に島民に対して説明会を行い、その後、夕闇の中の海岸で公演宣伝用のポスター撮影を行いたいとおっしゃっておりました。」

「その後いよいよ本格的な講演準備か…俺達もサポート出来ることは協力しておきたいね。レンゲさんにお役立ちできることがないか引き続き聞いておいてよ。」

「承知致しました。あと、レンゲ派の食事宿泊と舞台作りの詳細が決まりましたらご報告します。」

「有難う!では、卒業式終わったらまた事務所に戻ります。」


 3階まで階段を駆け上がって、廊下に見える表札、6―1。俺が去年まで授業を受けていた旧教室。ここは改装しておらず当時のままだ。

 木枠の窓が全開に空いていて中から俺が丸見えになるので、ほふく前進でばれないようにする。半そで短パンスタイルなので肘と膝が擦り剝けそうな痛さがある。

 教室後部の入口に到着したのでそろっと忍び足で侵入して、教室後部に立っている卒業生の関係者に紛れ込む。黒板には黄色やオレンジの色とりどりの紙花で作られた花のボンボンがあちこちに飾られていた。教室の中央には机と椅子が一卓あるだけで、その机の前に灰色のジャケットスーツを着て未来ノートを持っている、小学6年生の宗助がいた。あれ、背高くなった?一年という歳月があっという間であることが身に染みる。

「僕の夢は、医者になることです!そして医者として大豆島のような無医島を巡回して島民の皆さん少しでも安心できる生活を送ってもらいたいです。」

 校舎の保健室を活用案件として、島に常駐してくれる医者も募集したのだが、一向に応募がないのが現状だ。その変わり現在は、無料巡回診療船の「瀬戸石丸」が週に2~3回入港し、問診から、胃レントゲンなどの検診が行われている。

 通われているお医者さんが高齢で後任の心配をされているが、宗助のような若い世代が島の医療のことを考えていてくれるのならば、将来的な人材不足の懸念が解消されるのかもしれない。

「草野君。立派な志を持たれて、島に帰ってきてくれて、私は嬉しいです。去年、草野君は大豆島で生活をしてきました。島で生活をすることは本土で生活することとは違い本当に大変な事だったと思います。その体験が草野君のこれからの未来に必ず役に立つことがあります。辛い時や挫けそうになったら、またいつでも帰って来てください。島にいる私達はいつでも草野君を応援しています。」

 元担任の教師として教卓に立っていたスミレが泣きそうなのを我慢しながら宗助に声をかけている。スミレは去年大豆島の廃校をもって教員を休職した。今はこの大豆島自然の家の『副館長兼NPO法人朝顔副代表』を担ってもらっている。中四国圏で廃校になろうとしている校舎の職員と校舎活用方法について意見交換を行ったり、教員ネットワークを活かして既存の少数生徒の学校での在り方を現職員と議論を行ったりと、スミレの経験と人脈を活かした活動を積極的に行っている。スミレの情熱と活動量が優秀すぎて『館長兼NPO法人朝顔代表』である俺の立場が危うい。

 ちなみに今日はスミレが発案した廃校活用イベント「島で行う卒業式」を実施している。先に本土で通っていた小学校で卒業式を終えた宗助だったが、草野家たっての希望で『大豆島でも卒業式を行いたい』というオファーを受け、宗助にとって二度目の小学校の卒業式を行っているのだ。

「草野君、私からの最後のメッセージです。大豆の石の如く屈強でたくましくあれ!瀬戸内の海の如く優しく全てを包み込め!」

 教室に温かい拍手が起こり、スミレと宗助がお互いにお辞儀をする。宗助のとっては5年生の時に通った校舎でありスミレはその時の宗助の元担任。

 石橋先生見てくれていますか?大事にかわいがっていたお孫さんとあなたの教え子のスミレが立派に成長した姿を。

ああ、年取ると涙腺るいせん緩んでホロっとくるなあ。

 

 セレモニーが終わった後、宗助がこちらに向かって一目散に走ってきた。

「師匠おぉぉぉ!!おおお久しぶりです!おおお会いしたかったです!!」

 飛んで抱きしめられたので、勢い余って俺は頭から後ろにぶっ倒れる。

「おわっ!!そっ、宗助!卒業おめでとう!」

 宗助を傍に降ろし、倒れたまま頭をでる。

「スピーチ格好良かったぞ!宗助ならきっと患者さんに寄り添える医者になれるよ!」

「有難うございます!やりたいことが見つかると、勉強をする目的がはっきりしました。本土に戻ってから、毎日14時間以上勉強をして、医学部に強い大阪のなん高校に受かりました!」

「うおっ!マジかよ!あの日本屈指の名門と言われる難高校に受かったの?宗助凄すぎる!よく頑張ったな!」

 興奮してピョンと立ち上がって、思わずまた宗助を抱き寄せる。

「朝顔さん、お久しぶりです。」

「お父上じゃないですか!お久しぶりです!宗助君の卒業と難高校の合格おめでとうございます!」

 相変わらず精悍な顔をされている。スーツ姿はいつ見ても凛々しい。

「有難うございます。宗助は大豆島に行く前も勉強はある程度出来る子でしたが、勉強をする目的を見出せず気持ちを保つことが難しかったようです。宗助は6年生になってから、本当に良く頑張って勉強をしていました。これも島で色々な経験ができ様々な出会いがあったからだと思います。」

「そうでしたか…島暮らしが良いきっかけになったと聞くと僕も嬉しいです。」

「あと、6年生になってから祖父の病院にも良く顔をだすようになりまして、病気を抱えている患者が身内にもいることが医者を志すきっかけとしては大きな要因だったみたいです。」

「石橋先生にも、見せたかったですね…今日の宗助の勇姿を。」

また、目頭が熱くなってしまう。

「師匠、居ますよ、おじいちゃん。」

「へっ?何処に??」

「ほら、窓際。」

 卒業式余韻残る教室ではまだまだ歓談が続いていた。ワイワイ騒ぐ人だかりを掻き分けていくと、車椅子に座ってグラウンドを朗らかな顔で眺めている老人がいた。

「先生!石橋先生!」

「…」

「朝顔です!朝顔武史です!」

 しばらく間があった後、俺の方に首を向けてボヤっとした目つきで俺の顔を見ていた。

「宗助君の未来ノートを読む姿いかがでしたか?かっこ良かったでしょ?」

 教室の端の棚に転がっていたペンと、棚の上に無造作に置かれていた画用紙を渡すと、先生の目つきがキリっと鋭くなった。あたかも長年使いこんできた自分のペンのようにキャップを弾き、獰猛どうもうな虎が獲物を狙うような激しさと、時が止まったかのような静寂さが織り交じった、仙人のような雰囲気を醸し出し筆を走らせた。

『宗助ガチリスペクト』

「祖父も孫もその言葉使い、一体どこで覚えたんですか?」

 どこまで本気なんだろうか?お茶目なおじいちゃんだ。でも宗助からいつも懐かれているのも分かる気がする。


 その場にスミレも駆けつけて談笑していると、

「館長!館長!!面談の時間です!村揚が待っています。」

 渡さんが息を切らし廊下から俺に向かって大声を上げていた。騒がしかった教室に一瞬静寂が訪れ、全員が渡さんの方に目を向ける。

「もうそんな時間?」

 あっ、そういえば携帯を持って行ってなかったからアラームが鳴らなかったのか…

「渡さん!渡さんは携帯今持ってる?」

「はい。私はいつも常備しております。」

「一個だけ頼みがあるんだけどいいかな?」

「はい。なんでしょうか?」

「その携帯で集合写真を撮ってもらってもいいかな?」

「は、はい。承知致しました。」

 直属の上司のを待たせているせいか、返事の歯切れ良くなかったが渋々写真を撮ってもらった。


「渡入ります!遅くなりまして誠に申し訳ございません!」

渡さんが謝罪しながら引き戸の扉を開けると、上下白いスーツの男が黒ソファーに足を組んでノートパソコンの打ち込みをしていた。

「おい!わざわざ島に来たのに、いつまで待たせるんだ!俺は企業コンサルで10社掛け持ちしてるって言っただろ?」

 こちらに目を寄越さず、嫌味を放ってくる。

「わるい、村ちゃん。でも、渡さんは全く悪くないんだ。俺がちょっと用あって遅くなった。」

「お前は相変わらずルーズな奴だ。いつも忠告してるだろうが。」

「『時は金なり』…だっけ?」

「そう、世界は『タイムイズマネー』だ。渡、今日は同席しなくていいから、席を外しておいてくれ。」

「承知致しました。」

 渡さんが席を閉めて出ていく。『校長室』の表札はそのままだが今は接客ルームとして使っている。石橋先生・牧田校長も含め、歴代の校長先生方の写真もそのままになっている。

「上下真っ白って相変わらず派手な恰好だなー。」

「半そで短パンの奴に言われたくないわ!まだ寒いだろその恰好。」

「まあ寒いけど、いいんだ。このスタイルは俺が俺である証明だから。」

「何だその偏屈へんくつなアイデンティティは…まあ、特定のイメージを顧客に植え付ける戦略であればその方向性は間違っていないな。」

「別に戦略とかじゃないけど…まあいいや。えーと今日は何だっけ?」

 PCの打ち込みを止め、こちらに厳しい目線を送る。

「緑御池市に提出する収支状況報告の前に、先月の収支の確認を俺とやるって言っただろ?」

「ああ、お金のことは渡さんに全部任せているから。渡さんもいた方が良かったんじゃないか。」

「あのな、渡をお前に貸したのは、収支を見てもらう為じゃないんだ。お前があまりにもスケジュール管理がずさんだからだ。」

 最近、この校舎の携わること以外にも、義務教育未了者特別受講制度についてのシンポジウムに参加したり、廃校活用について有識者として情報提供を行ったり、スポンサーとの契約を細部まで詰めたり、災害にあった被災地へのボランティア活動を行ったりと、スミレに負けず俺は俺なりに活発に活動をしている。

 しかし、自分で自分の首を絞めるようにスケジュールを組んでしまい、ある時ダブルブッキングの失態を犯してしまっていた。それを見兼ねた『緑御池市小・中・高等学校再生事業課課長兼岡山県経済観光課特任部長』と長ったらしい肩書を担った村揚こと村ちゃんから、俺のサポートとして渡さんを付けてもらうことになった。

「すまん。渡さんが素晴らしく有能過ぎて、色々頼りきってしまっていて。」

「そうだ、渡は確かに有能だ。そしてお前は星の知識しか取り柄がない男だ。」

「悪かったな、取り柄が星の知識だけで。」

「そのうえ、お前はドジでおっちょこちょいで頼りなく、忙しくなるとすぐにテンパる、キャパが小さい男だ。それでも何でお前を助けてくれる人間が多いか分かるか?」

「んん、何でなんだ?人に恵まれているからじゃないのか?」

「お前の愚直ぐっちょくな生き様が共感を得ているからだ。必死さが感染するんだ、周囲に。」

「はあ、そうなのか…俺はただ自分の気持ちに正直に生きているだけなんだけどなあ。」

「分からないのならそれはそれでいい。お前の山のようにある短所はとりあえず渡が補うから、お前は常に目の前にあることだけに没頭しろ。ただ少しでも虚勢を張るような態度に出たら俺はこの校舎を即潰すからな。いいな、お前のスタンスを変えるなよ!」

 より厳しい目つきで俺の目を覗いている。

「お、おう。分かった。前から思っていたけどさ、村ちゃんって、口は悪いけど実はいい奴なんだよな。」

「は?」

「渡さんが、村ちゃんのことをしたっているのが良く分かった気がするわ。」

「止めとけ。止めてくれ。」

 堂々としていた態度が崩れ、顔を赤くして両腕を慌てて交差する。

「何だよ、照れるなって!褒められ慣れてないのかよ!」

「うるせえ!照れてねーよ!その事はもういいから、さっさとみっちりやるぞ、打ち合わせを。」


 その後、1時間程、膝を向かい合わせ、現在の収支の振り返りと今後の経営方針についてしっかり話し合った。大豆島自然の家で行ったイベントの検証、今後のイベントの提案等も多岐に渡り濃密な時間だった。

「よしっ、これくらいフィックスしとけばいいだろう。にもかくにも8月のビックイベントが成功すれば、大豆島の魅力が全国にも知れ渡る可能性がある。準備に抜かりないだろうな?」

「ああ、レンゲさんと先発隊が島の出入りをして、島民とのコミュニケーションも上手くやってくれている。精錬所跡地に大きな野外ステージが夏までに完成する見込みも立ったよ。渡さんがレンゲさんと連携してくれているおかげさ。」

「そうか。じゃあ今日行った打ち合わせ内容を渡にもCCに入れてメールしとく。この内容だったら飯島も納得してくれるだろう。」

「村ちゃん。ずっと気になっていたんだけど、この校舎は震災に回す復興費用より価値があるものになっているのか?」

 村ちゃんが腕組みして、言葉選びを頭の中で考えているのが伝わる。

「それは簡単に比較できるものではない。ただ、ここを取り潰して復興費用に回すはずだった資金は、飯島が国から支援を取り付け充分補えている。だがな、お金が回ったからといって、被災者の傷は癒えるものではないし、風化してはならない。だからこれからもお金の支援と同時に人の支援を続けていく。お前も現地に行ったり、ここから発信出来ることを続けていってくれ。」

「そうだね…分かった有難う。」

 未曾有みぞうの災害のせいで被災地にはまだ痛たましい傷跡が多く残っている。支援の輪を広げる為にも俺が出来ることをこれからもやっていこう。

「じゃあ、グラウンドで花見が始まっているからそろそろ行くわ。」

「待て。」

「なんだ?花見一緒に行ってくれるのか?」

「いや、俺にはそんな暇はない。本土に急いで帰る。」

「じゃあ、他に打ち合わせしとかないといけないことでもあったか?」

「違う…頼みがあるんだ。」

 偉そうに座っていた村ちゃんが、姿勢を正してこっちに顔を近づけてくる。

「何だ、急にあらたまって気持ち悪いぞ…」

「朝ちゃん頼む!ギャラクシーゲットオーバーSを貸してくれ!頼む!」

「またそれか…だから言っただろ、あれはこの校舎の天地観測教室で使ってるって。」

「四の五の言わず、この文献を見てくれ。」

 クリアファイルに入っていた如何にも小難しそうな書類を手渡された。

「これ全部英語かよ。全く読めねえって。ん?でもこれ世界流星機構ニューブラッグバンの最新文献か?」

「さすがだ朝ちゃん。昨日パブリッシュされた最新の流星情報が掲載されている。」

「何て、書いてあるんだ?」

 俺も顔を近づけ、村ちゃんの言葉に期待をして固唾かたずを飲む。

「パーティーが始まるんだ。」

「パーティー?」

「三大流星群は分かるな?」

「もちろん、ふたご座・ベルセウス座・しぶんぎ座流星群だろ。」

「その三大流星群を遥かに凌駕りょうがする過去最大級のしし座流星群があると。」

「まさか、1833年『宇宙が火事だ!』と世界が驚嘆したと言われるあのしし座流星群を越えるのか?」

「流星数は1時間換算で…」

 村ちゃんが右手で人差し指・中指・小指を一斉に立ててこちらに示す。

「その指の立て方独特だな…まさか、3万?」

 村ちゃんが首を横に振り、目に力を入れて答える。

「30万だ。」

「うええええ!?さ、さんじゅうまん!?」

 俺は思わず文献を机に落としその場に立ち上がった。村ちゃんも興奮して一緒に立ち上がっている。

「ああ、間違いないようだ!」

「そりゃすげぇぇ!活動期間はいつなんだ?」

「16年後の11月頃と言われている。」

「むっちゃ先の話やんか!?俺達50歳だわ。」

「バカか!137億年前に誕生した宇宙と比べたら、あとちょっとの話やないか。」

「うむむ確かに…でも流星見るなら目視観察で十分だろ?何でギャラクシーゲットオーバーSが必要なんだ?」

「俺たちが中学生だった頃、時速約13万キロで移動する10個の流星を7時間撮影したら、全て同じ方角だっとというニュースを覚えてないか?」

「本来なら母天体の放射点があるはずなのに、NASAがダストレイルの軌道を計算しても母天体が分からなかったってやつか…村ちゃんもしかして?」

「ああ、俺は未知の彗星を解明したいんだ!」

「まじか!?ロマン爆発だなそれ!」

「俺はこの文献呼んで思い出したんだ。SSSに出場して、超高性能のギャラクシーゲットオーバーSで未知なる宇宙を解明したかったというあの時の熱い気持ちを!」

「うおおおおお!何か俺も燃えてきたぜ!村ちゃん!来月からなら使ってもいいぜ!」

「うおおおお!本当いいのか!?しかし、ギャラクシーゲットオーバーSがないと星空を解説しにくいだろ。それはどうするんだ?」

「来月にパキーラからオラボニッチ製の口径60cmの反射望遠鏡を提供いただけることになったんだ。それで十分解説できるから大丈夫なんだ。」

「それ3000万円するやつだぞ!パキーラと言えば、お前の古巣であり大豆島自然の家の最大手のスポンサーじゃないか?また追加支援いただけることになったのか?」

「今も人事部長の笠原さんが俺を気にしてくれているから。有難い話だよ、ほんと。」

「やるなお前!うおおおおお!なんか燃えてきたぞ!星達よ待ってろよ!宇宙の謎を俺が全部解明してやるからな!覚悟しとけよ!」

「村ちゃん!」「朝ちゃん!」

 ガラララララララ…

「あんた達うっさいわね!大の大人が何ワイワイキャッキャッしているのよ。扉隙間だらけなんだから廊下に声が駄々洩だだもれよ。」

 スミレが校長室の引き戸を開け仁王立ちしていた。

「星の話をしていると、つい興奮してしまって…」

「あと、いつからお互い『ちゃん』付けするようになったのよ!いくら同級生だからだって星一つでそんなに仲良くなれるものなのかね。」

「今村、これこそが、星が繋ぐ壮大なロマンなんだ。」

「はいはい。何言ってるかさっぱりわかんないから。あんた達意外に似た者同士なのね。何で星好きには変な奴が多いのか…もう花見終わってしまうわよ!宗助君達待っているから、早く来なさい!」

「わっ、もうこんな時間だったのか…村ちゃん、じゃあまたな。」

「ああ、渡にもよろしく伝えてくれ。」

 村ちゃんは軽やかにスキップしながら、校舎を去っていった。

 …あいつ、本当に星好きなんだなあ。

 


 ゴーン、ゴーンゴーン… 

 経年劣化したままのチャイムは、島民の体内時計みたいなもので、農業も漁業もチャイムが合図になって次の動きを取る。校舎改装中もチャイムだけは通常営業をしていた。

 大豆小学校の校舎は8ケ月の改装期間を得て大豆島自然の家として生まれ変わった。老朽化した部分を修繕。団体客が宿泊できるように教室の一部を宿泊施設に。図工室は大豆島の歴史を繋ぐための展示室に。瀬戸内海全体のデイサービスの施設も準備ができ先日民間業者と契約を終えたので夏頃には開始できる見込みだ。


「渡さんそろそろ定期船が来るからあがってもらって大丈夫だよ。」

「はい、あと5分したら校舎を出ます。」

 暗くなった外とは逆に事務室の明りは煌煌こうこうと光っている。元々は職員室だった部屋をそのまま使っているので、だだっ広い。現在スタッフ総数は7名で、渡さん以外みんな帰ったから、パソコンを打ち込む音しか聞こえず余計広く感じる。スタッフは特段決まった机を使っているわけではないので空いている机を好き勝手使っており、今は渡さんの斜め前に座っている。

「そういえば、飯島さんは元気にしてるの?」

「はい、相変わらず元気そうにされています。あと、来月の市長選で立候補するらしいです。」

「そうか…噂には聞いてたけどやっぱり立候補するんだね。人脈も凄いようだし当選は手堅いのかな?」

「勝算ありだと見込んだのだと思います。」

「まあ飯島さんの立場がより上に行ってくれると自分達の意見もより吸い上げてくれそうだから助かるなあ。」

「館長!」

 突然バンと机を叩いた音が聞こえ、気難しい顔をしてこちらを見ている。

「ど、どうした?急に立ち上がって…何か気に障ること言ったかな?」

「私、謝らないといけないことがあります!」

「えっ?何かやらかした?」

「実は…去年、朝顔さんが今村さんにセクハラしたという記事をリークしたのは、私なんです!大豆小学校を取り壊す為、世論をひっくり返す為にとった恥ずべき行為をしてしまいました!館長と副館長の名誉を傷つけてしまい誠に申し訳ございませんでした!」

 渡さんはこちらに向かって頭を下げた。全身が震えているようだ。

「ふふふ…何だその件か。」

「どうして笑っておられるのですか?」

「ああ、すまん、すまん。実はそのリークした話、村ちゃんからもう聞いているんだ。」

「ええ!?いつですか?」

 頭を上げ、目を大きくしてこちらを見ている。

「ええっと、確かNPO法人のコンサルを村ちゃんが担当するって決まった時だったかな。」

「しかし、あの場には私も居合わせていたはずです。」

「契約する直前に、俺と村ちゃんが席を一旦外したでしょ?その時に、『信頼関係を保つ契約をするのに隠し事は嫌だから』って、あいつが言い出して。」

「全く知りませんでした…」

「あと、『その件で渡が何か言ってきても、俺が全部指示したことだから渡とは何も関係ないことだから』ってさ。」

「村揚さんそんなことまで…」

「あいつ、態度は大きいし、やり方もむちゃくちゃだから誤解受けやすい性格だけど、ただひたすら仕事に向き合っていて、人一倍ビジネスに情熱があるだけなんだと気づいたのはその頃かな。渡さんも村ちゃんがどんな奴なのか分かっているんでしょ?」

「はい。嫌な悪口も面と向かって言われますが、私は村揚さんの事を信頼しているのだと思います。」

 さっきからもじもじした様子で答えている。

「さっきの打ち合わせの時も、渡さんのことを褒めていたよ。あいつは有能だって。」

「そうなんですか?恥ずかしい限りです。でもやっぱり、指示であったとしても私がマスコミにリークしたことは本当なんです。だからやっぱりうやむやにせず謝らせてください。よろしくお願いします!」

 義理固い子なんだなあ。俺もスミレも大豆島自然の家を留守にすることが多いが、この子だったら安心して校舎を任せられる。村ちゃんが市役所の事務所にめったに戻らないのは、渡さんが本拠地を守ってくれていたからなんだろうなと思う。

「分かったって。はい、渡さんの気持ちは受け取りました。」

「館長、からかっていますか?」

「違うって!真面目に聞いていますから。ああそうだ、そしたら明日スミレにも伝えといてよ。朝はこっちに出社するみたいだから。」

「スミレさん怒りますよね。」

「大丈夫だって!スミレも俺と一緒でもう水に流していることだから。」

「承知致しました!」

「じゃあ、もう5分経ったから。そろそろ閉めて行こうか。俺は今日松葉の店に久々行くことになっているからさ。」

 来夢来島の2階にはもう泊まっていない。校舎近くの島の空き家を借りることができたのでそちらに住まわせてもらっている。お客様が宿泊している時は校舎にある宿泊棟で当直するようになった。

「館長。さっき出来ました。」

 渡さんが封筒を差し出している。

「何これ?開けていい?」

「もちろんです。」

 封筒を開けると、今日教室で撮った集合写真が入ってあった。凛々しい宗助を真ん中に座って、未来ノートを両手で抱え持っている。右横に車いすに座って微笑んでいる石橋先生と、左横に座っても背が高い宗助の父上が座っていて、その回りを俺やスミレや宗助のご親族や去年の卒業生達が中腰で囲っている。

 中央には黒板に白や青やピンクのチョークで大きく太く言葉が書かれていた。


『学びの庭の桜木は 厳しき冬を乗り越えて

 春はかすみと夢を呼ぶ 志気はつらつの

 希望の花を咲かせんと供に手を取り進みゆく

 はばたけ!宗助!』

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