8【朝顔の夏 ふたたび】

 1900年初頭、大豆島の東側約10万平方メートルの広大な敷地にはレンガ造りの銅の精錬所せいれんしょがあった。高さ30mの煙突を6本備え、当時は空中に黒煙が広がっていた。その煤煙の影響で数十年間は草木も生えない島になっていたが、戦後「やしゃぶし」という煙害に強い木を植えて徐々に緑が戻ってきたと聞く。

 精錬所が閉鎖してから100年、煉瓦れんが造りの擁壁ようへきや煙突は雨と風に打たれ続け少しずつ姿を変えつつも当時の原型を維持している。昼はヨーロッパの古城のように見えて空と海のコントラストが美しく、絵画のようにも見えなくはない。

「うわー、今日も人がごった返しているなあ。」

「まさか、精錬所跡地に続くアプローチに屋台村ができるなんて…」

 関西仕込みの商人達の屋台には多国籍料理が多く、珍味モンゴールパンの食べ物には毎日行列ができていた。 農業・漁業に携わっている島民も屋台を出しており、赤飯、おでん、焼き鳥など安価でどれも美味しいと評判だ。

「ねえ、この広場、覚えている?昔三人で缶蹴りして遊んでいたんだよ。」

「たはははは!覚えているわ。武史がだいだい負けていたけどな。」

「そうだったか?全然覚えてないなあ。でも、スミレは負けたのが悔しくて、『もうしない』って癇癪かんしゃく起こしていたのは覚えているかな。」

「そうだったかしら?わたしは負けた記憶が全くないわ。そういえば松葉君は意外に足が遅くて、缶蹴り苦手だったんじゃない?」

「そうじゃったなかあ。わいは気持ちよく海まで缶を蹴飛ばした事は覚えてるけどなあ。」

 真夏日が続く8月、精錬所跡地はレンゲ派による新作野外喜劇「ミセス・チャップリン」が上演中である。喜劇王チャップリンがもし女性だったらという設定で一部史実に基づきユニーク且つ壮大なストーリーを雲も月も星も煙突も舞台の一部として毎日展開されている。どうしようもない雨と風の日は雨天中止だが、観客の安全を確保できるのであれば小雨決行だ。

 そして今日は最終公演日であたる。

「業務もあってなかなか抜け出せなかったけど、お姉さんから3人分のチケットを貰ったら、こりゃ行くしかないでしょ。」

「しかし、レンゲ姉さんの演出はホンマすごいわ…最終リハーサルを見たんじゃけど日没時間も計算してセリフの一部を毎日変えているんて。」

 松葉がモンゴールパンを口に入れながら、感心した表情になっている。

「こんな暑い中、昼は舞台作り、夜はお芝居の稽古で全く休んでないようだったわ。」

「お姉さんも凄いんだけど、劇団員全員パワフルで驚いたわ。自然の家で衣装班はミシンを使って舞台衣装を作っていたし、美術班は大道具と小道具の制作をしていたし、男子団員は精錬所跡地を平らにしてジャングルジムのような鉄骨を組み立てて高さ12メートルの舞台を作っていたし。」

 俺もさっき買ったシシケバブをホクホクと味わう。

「島民の方も『最初は何が始まるのか』と冷ややかな目をしていたけど、みんな礼儀正しいからすぐに打ち解けちゃって。夏野菜やお菓子をよく差し入れしてくれたみたいよ。」

 スミレはジャンバラヤを辛そうにして食べていた。

「レンゲ姉さんは昔から大豆島で野外劇場をやりたかったんか?」

「お姉ちゃんは喜劇作家になりたいとは言っていたけど、大豆島を舞台にしたいって話は聞いたことなかったわ。でも、去年あんたの卒業式前に大豆島へ帰ってきた時に、衝撃を受けたんだって。」

「衝撃?」

「喜劇作家になってから一度も島に戻ってきたことがない位忙しくしていたんだけど、島に久しぶり帰ってきたら、廃墟の持っている力や、機能性、歴史、島の資源、全てを利用した舞台のアイデアが湯水にように沸いてきたんだって。」

 レンゲお姉さんこと今村レンゲはスミレの3つ上のお姉さんである。昔、島に居た時、俺や松葉とスミレとお姉さんと一緒に遊んだりしていたので、もちろんよく覚えている。しかし、お姉さんが『レンゲ派』の劇団を立ち上げ自称「野外専門の喜劇演出家」になっていたとはつゆ知らず。

 

 開催場所はお姉さんが訪れて気に入った所、開催時間はお姉さんがその場所で好きな時間帯、劇の内容はその場の空気から貰うインスピレーションが基準だとか。もしかして精錬所跡地を見て機械文明を風刺したチャップリンの名作「モダン・タイムス」を想起させたのだろうか?

「あんたがさ、一昨年の秋にナレーションやった大豆島の大きな蕪は覚えてる?」

「あんな変わった劇、忘れる方が無理あるよ。リアル借金取りまで現れるし一生忘れないだろうな…ってまさか?」

 スミレの顔を見ると笑いを堪えているのが分かった。

「気づいた?」

「この会話の流れでその話がでるってことは…あの劇の作者名って?たしか英語だったような…ええと、何か聞いたことないような変な名前だったような…」

「ナウビレッジRよ。」

「ナウビレッジR…まさかナウビレッジって今村ってこと!?」

「やっと分かった?」

「Rはレンゲか!何だその謎解きゲームは。じゃあ、お姉さんが書いた演劇だったことを隠していたのか!?」

「だって恥ずかしいじゃない。あの劇の内容だったら私の姉が書いたなんてとても言いづらいわ。お姉ちゃんが大学生だった時『私の処女作を石橋先生に見てもらったら、即採用してくれた』って。」

「たははははは、ここでも石橋先生が関わってくるのか。レンゲ姉さんが5、6年生の時も石橋先生が担任じゃったもんな。」

「そうだったのか…人の繋がりって面白いなあ。そういえば、あの『プロポーズ大作戦』もお姉さんの提案だったもんね。」

 

 

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 時はさかのぼって、俺の卒業式5日前。宗助達と教室で帰宅前の掃除をしている最中だった。

「ぶえええーーくしょんんん!!!」

 ゴロロロロロ…大きな物音と揺れる校舎に思わずほうきを手から離した。

「び、びっくりした…宗助、何だ今の音は?」

「雷が近くに落ちたんですかね…校舎が揺れましたよね…」

 突然鳴り響いた騒音の正体を探っていると、廊下に灰色のハンチングを被った白毛ソバージュの女性が現れた。物凄い殺気立っており、飢えているライオンのようだ。

 その女性はキョロキョロと獲物を探していたが、俺を見つけるなり猛烈にこちらダッシュしてきた。

「あんた、私の大事な妹に手を出したんか!?おらっ!おらああ!答えんかい!」

 勢いのまま胸倉を掴まれた。

「なっ、えええ?何ですか急に!あなた誰なんですか?」

「あたいのこと覚えてないんかい!おらっ!」

「…もしかして、スミレのお姉さん?く、苦しいです。ギブです、ギブですって!」

「ああ!?妹はもっと苦しんどるんじゃ!お前も苦しめ!」

「スミレ先生大変です!師匠が誰かに襲われています!」

「お姉ちゃん!?何でここにいるの??」

「スミレ、たっ、助けて…」


お姉さんが激昂げきこうしていたのは「週春」に掲載された記事の事だった。その記事を見るなり妹のスミレを心配して一目散に島に帰ってきたそうだ。

「お姉さん、落ち着きましたか?」

「ほんとゴメンゴメン!この記事みたらカーって頭に血が上って、気持ちが先走っちゃって、思考停止してたわ。」

 宗助達には帰ってもらって、教室の椅子に座って3人で話している。

「お姉ちゃん、帰ってくるなら言ってくれたらよかったのに。はいこれマスク。」

「めんごめんご、ありがとさん。島に戻ってから花粉症がひどくてたまらないわ。」

「記事の事だって、まず電話ちょうだいよね。」

「キャハハハ!本当そうよね。じゃあ真実は朝顔が石橋先生の星の思い出について語っていたことを伝え始めたら、妹が口説かれていると勘違いして、恥ずかしくて思わず海に投げ飛ばしてしまったってことなのね。」

「お姉さんそうなんですよ!僕が100%被害者なんですよ、なあスミレ先生。」

「もういいでしょ!その件は。たっぷり謹慎きんしんして反省したわよ。」

「でも、あんた達、この校舎の取り壊しも阻止したいんでしょ?」

「この校舎が危機であることを知っていましたか。」

「スミレから逐一ちくいち聞いているのよ。ここはあたいの母校でもあるんだから、そりゃ気になるわよ。まあでも、このタイミングで週春の記事が出たのは大きなマイナス要因だわ。」

「確かになあ。お姉さん、実は僕の卒業式の日に、教育委員会と今後の校舎の行方について最終決断を出すことになっています。このままだと劣勢なので少しでも挽回しようと僕達も水面化で動いていることがありまして…せっかくなんで、この計画書を見てもらえませんか?」

【卒業式イベント計画書】

 ①大豆小学校関係者に大豆小学最後の卒業式に伴うイベント開催する旨のダイレクトメールを送る。岡山桃太郎新聞社等のメディア関係者にも連絡を入れておく。教育委員会は渡が朝から参加予定。

 ②参加者全員で『未来ノート』を掘り起こす。その後、体育室にて卒業式に移行。ノートを探してもらった参加者にも引き続き卒業式に列席してもらう。村揚は卒業式後に来島予定。

 ③卒業式が終わり次第、教育委員会との検討委員会に移行する前にゲリラ的にNPO法人朝顔を立ち上げ今後の校舎の方針を発表する。議論が一方的になっていることを正してから、教育委員会との協議を体育室で行うよう提案する。


 先手を打って、学校関係者とメディアを使って世論を味方につけて、劣勢をくつがえす作戦をたてた。

 お姉さんは眉間にしわを寄せて計画書を見入っている。

「まあ計画の意図はよく分かったわ。島民と学校関係者をイベントで集約する。味方を多くつけて、状況を打破したいってことね」

「はい、そうなんです。」

「ただ、さっきも言ったけど、この記事が出ちゃったのはマイナスだわ。この日のうちに教育委員会は必ず二人のことを問い正すわ。議論の場を変えてもあなた達が上手く弁明できなければ、この計画は台無しだわ。」

「まいったな…何でこのタイミングでこんな記事が…」

 普段強気のスミレも頭を抱えている。

「まあ、これは教育委員会が週春に情報を売ったものね。」

「ええ!?」

「お姉ちゃん何でそう思ったの?」

「思ったんじゃないの。感じたの。」

 お姉さんが謎の自信満々な顔をしている。

「それってお姉さんの勘ってことですか?」

「まあ…そうとも言うわ。とにかくこの記事でさらに窮地きゅうちに陥ったことは間違いないわ。」

「そうですよね…どうしよう。」

「あなた達に関わっている教育委員会のメンツは?」

お姉さんが足を組み替え、左手で器用にボールペンをくるくる回しだした。

「小・中・高等学校再生事業課の村揚課長と渡係長、それと緑御池市経済観光課の飯島課長の3人です。」

「何で、経済観光課が関係あるのよ?」

「先日、兼任で岡山県全地域統括部長になったみたいで直接のラインで村揚と渡の上長になったみたいなの。」

「ふーん、飯島とはコンタクトを取れているの?」

「いやっ、飯島って方は全く分からないなあ…」

「昔、教育委員会に長く在籍してたって、牧田校長から聞いたことあるわ。」

「スミレ、良く知っているなあ。さすが現役の教師。だから村揚と渡と同じラインになったのか。」

「飯島に関してはもうちょっとプロフィールを洗ってみなさい。意外にキーになるかもよ。」

 回していたボールペンの先を俺に向ける。

「お姉さん、頼もしい!名探偵ですね!」

「でへへへ、名探偵なんて照れるわ。」

 鋭い指摘をしていた人とは思えない程、表情をほころばせた。

「…お姉ちゃん、下手なお世辞に弱すぎる性格全く変わってないのね…」

 その後、飯島のことを牧田校長に確認すると、以前面識があったみたいで連絡をとってもらうことになった。

 

 

 この日から卒業式までの5日間、お姉さんはスミレの家に泊まり込み。学校の授業が終わったら、俺とスミレは来夢来島に集合。お姉さんには卒業式まで泊まり込みで台本を作り卒業式の『演出』を考えてもらうことになった。

「まだ未来ノートの事誰にも言ってないんでしょ?」

「卒業式までサプライズでとっておいた企画だったから。宗助や父上にすら伝えてないし…」

「お姉ちゃん、学校関係者をだますことにならないかな?」

「そうですよ、お姉さん。だって石橋先生からノーノーが未来ノートであることと、石碑の裏に埋めていることも聞き出せてるんですよ!」

「あんら達、何にも分かってないわね!心がピュア過ぎんのよ!松葉!モスコミュール!」

「たはははは!スミレ姉さん、酒癖悪いなあ!。」

「うるさい松葉!早く持ってこい!」

 まだ、飲み始めたばっかりなのにもうベロンベロンになっている。見かけによらずお酒弱いなあ。

「いいか、若造たち。これは学校関係者を巻き込んだ、大芝居なんら。芝居には真実なんていらないんら。ラストがハッピーだっらら、それでいいのよ。」

「ハッピー…ですか。」

「そう!朝顔!あるノートが学校に埋っていることだけを参加者に伝えて、そのノートを最初に渡に見つけてあげさせるのよ。」

「お姉ちゃん、でもそんな上手くいくのかなあ?渡さんが最初に掘り当てるとは限らないわ。」

「2時間位全員で掘った後よ。朝顔、あんらが渡を石碑で休憩させるように誘導しなさい!それまで、石碑の周りには誰も近づけさせないように『危険立ち入り禁止』とでもバリケードを作っておけばいいらよ!」

「はあ…でも渡を石碑に誘導しても、渡は石碑の所なんか掘り始めたりしますかね?『危険立ち入り禁止』とか書いてあったら尚更…」

「じゃあ、バリケードじゃなくて、あたいが石碑の所を誰も掘り出さないように見張っておくわ!そして桜を使って掘らせるわ!」

「桜を使う?」

 お姉さんの発言に、俺とスミレと松葉がキョトンとなった。

「松葉!」

「はいよ!」

「あんらが、桜を降らせなさい。」

「降らせるって、レンゲ姉さん、そりゃどうしたらいいじゃか?」

「渡とあたいが石碑の前で座って喋っているから、その時に石碑の裏から桜の花びらを撒きなさい。その花びらが渡のそばに落ちたら『桜が落ちたところを掘ってみたら』とあたいが言うから。」

「レンゲ姉さん、エモいなあ。」

「松葉、エモいって何だ?」

「なんじゃエモいって知らないのか?武史はヤングじゃないねえ。エモいはエモーショナルを形容詞化したもんじゃ。」

「その通りら!」

「お姉ちゃんちょっと待って!松葉君が降らす桜に渡さんが気づかなかったらどうするの?」

「そん時は、松葉、バーってかましてちょうだい。」

 レンゲ姉さんが両手でいっぱい撒くジェスチャーで表現した。

「レンゲ姉さん、桜の花びらをバーですか?」

 松葉もお姉さんに呼応こおうして両手を平泳ぎの手かきのように大量の桜の花びらを放るイメージトレーニングをしている。

「そう!桜の花びらあってのエモいシチューエーションだから、桜でノートの場所を気づかせる演出は絶対必要なんだわさ。」

「そしたら、合言葉みたいなのがあったらいいんじゃない?渡が舞っている桜に気づくかどうかは近くにいるお姉さんしか分からないから、もし気づいてなかったら何かキーワードを松葉に伝えるってのはどうですか?」

 お姉さんが、酔っているか考えているか分からない様子で下を向いて黙り込んだ。

「…そうら!『かぜ』にしよう!グラウンドでの会話の中で風という言葉は不自然なく使えるわ。桜の花は風で舞うもんらし。」

「レンゲ姉さん了解じゃ!『風』の言葉を聞いたら桜をバーっ撒きますわ!」

「お姉さんは教育委員会に顔がばれてないし、これで渡はいけるかもな…でも前日飲みすぎないでくださいね!」

「そうだよ!お姉ちゃん二日酔い激しいんだから!」

「わーってるって!だいじょーらって!そしたら、渡みたいな子はディステニーな体験に弱いからイチコロよ。」

「な、何ですかディステニーって?」

「運命を英語で言っただけでしょ、お姉ちゃん。」

「さすら、私のかわいい妹!ヨシヨシしてあげる!」

 スミレがお姉さんから首根っこつかまれ無理やり頭をでられている。

「レンゲ姉さん、じゃあ渡がノートを探し当てたら胴上げしましょうや!わっしょーい、わっしょーいって!」

 松葉の提案を聞いた途端お姉さんがスミレを手離した。真顔になってカウンター越しの松葉に顔をゆっくり近づける。

「松葉…、それ最高ら!」

「お姉ちゃん!」「お姉さん…」

「きゃはははは胴上げ最高じゃん!渡が未来ノート見つけてくれたら、胴上げしちゃおう!ハッピーハッピー!」

「お姉さん最高ですね!じゃあ、じゃあ、じゃあ、お姉さんかんぱーい!」

「かんぷあああーい!」

「かんぱーいじゃないですよ!渡はエモいシチュエーションで仕留めるんじゃなかったのか!?」

 お姉さんのぶっ飛んだ演出、果たして上手くいくのだろうか?

 


 残り2日。

 連日連夜の来夢来島の酒盛りに体がもたない。半分本気で半分冗談のような『演出』がお姉さん中心に企てられていて、成果が上がった事もでてきた。

「スミレ!飯島が何とかなりそうなのは本当なのか?」

「ええ、牧田校長が昨日、緑御池市に行って話を付けてきたって。」

「話を付けてきたって…そんな簡単になんとかなるものか?」

 昼休み、廊下ですれ違ったスミレからの一報に驚いた。

「お互い利害関係があったみたいで、そこが噛み合ったらしいの。」

「…何、利害関係って?」

「校長は校舎を守りたいという願望があり、飯島は緑御池市長選で勝ちたいという思惑があったみたい。」

「市長選?牧田校長の願望はそりゃ分かるよ。何でそれが飯島の選挙に結び付くの?」

「牧田校長は牧田組の組長の孫なの。」

「うええええ!?初めて聞いた話だぞ!」

「生徒にそんなこと言ったら余計震え上がっちゃうでしょ。ただでさえ校長の顔を見たら泣いている子もいた位なんだから。だから誰にも言わなかったのよ。」

「それで、あんな隠しきれない恐怖のオーラが出ているのか…」

「牧田組はもうとっくに解散して、今はカタギとして介護関係で社会貢献する真っ当な会社経営をやっているわ。でもね、昔ほど影響力はないけど、以前は中国地方に相当な影響力がとどろいていた位だから、今もそれなりに団結力がすごいのよ。」

「つまり、飯島はその元牧田組関連の会社から組織票を獲得したいってことなの?」

「そう、校舎の存続を約束に…飯島は明日島に入って、校長のエスコートで校舎の見学に来るわ。」

「政治の駆け引きって凄いなあ…渡の対策と真逆だね。これで校舎取り潰しが回避できたってこと?」

「あんたね、大ボスが残っているでしょ。」

「ああ、村揚か…でも飯島は村揚の上司になったんでしょ?」

「そうだけど、上司といったってなったばかりだし、飯島より村揚の方が危険人物には変わりないわ。渡と飯島を味方につけたのは外堀を埋めただけで、本丸の村揚も攻略しないことには状況が好転しないわ。」

「ああ、そういえば、村揚については緑御池市との廃校有りきのインセンティブ契約を突くんだよね。あれ、元岡山桃太郎新聞社で政治キャップだった宗助のお父さんにも動いてもらうことになったから。情報収集であちこちあたってくれるってさ」

「有難う。契約内容について村揚はもちろん飯島にも口を割らないと思うし、直接聞けるとしたら渡だと思うわ。」

「俺達と渡とで卒業式が始まるまで信頼関係ができるといいけどね。」

「卒業式後の検討委員会で協議をする時の重要なポイントになると思うから私も明日まで調査を続けるわ。」

「あとさ、村揚について一個分かったことがあったんだよ。」

「何?」

「なんか珍しい名前だなあって思っていたんだけど、自分の過去を振り返ったら分かったんだ。俺高校の出会っていたんだ、村揚と。」

「あんたが高校の時に?なんでよ?」

「SSSだよ。あのコンテストに村揚が出てたんだよ。あいつ準優勝だったんだ。あいつ凄く上手く喋っていたと思うし、あいつが優勝だと思っていたから、なんか少し申し訳なかったんだ、俺が優勝したってことが。」

「私の想像でも、村揚とあんたなら、村揚が間違いなく優勝すると思うわ。」

「でもさ、その日の俺、絶好調で練習の100倍上手く喋れて、星を司る女神アストライアー様が微笑んでくれたのだと今でも思ってるよ。」

「…それで?」

「いや、そんな冷たい目をするなって…俺がSSSに優勝したってことを村揚に伝えたら、村揚は俺の事を見直すんじゃないかな?」

「見直す?逆効果じゃない?『あの時負けたのは朝顔のせいだ!今度こそは負けない!』って、より校舎を壊すやる気に火を注ぐと思うわ。」

「そうかな…」

「まあ、来夢来島でお姉ちゃんに情報共有してよ。お姉ちゃん、酔っ払って奇想天外な事ばっかり思い付くけど、私達には思いつかない発想で今までも正面突破してきた人だから。お姉ちゃんなら、きっと上手く料理してくれるわ、そのNNNのことも。」

「なぞなぞなぞ違うわ!SSSね!」

 


 卒業式前日の夜。

 飯島が校舎の視察を終えたことを牧田校長から聞き、体育室に俺と松葉とお姉さんが集った。最終打ち合わせと俺のプレゼン練習の為に。スミレは卒業式準備が残っておりまだ職員室にいる。

「あーああー、本日は晴天なり。本日は晴天なり。テステス、テステス。チェック、チェック。チェック、ワントゥー。ワン…トゥー。ワン…トゥー。」

「お姉さんのマイクテスト。さすが舞台慣れしているから本格的だな…」

「武史。舞台の音作りは重要なんじゃ。ハウリングして『キーン』とか『ボーン』とか聞こえてきたら聴衆が不快じゃろ。」

「まあ、そりゃそうだな。」

「卒業式と武史のプレゼンの為にプロが音作りしてくれとるんじゃから感謝せな。」

 体育室は卒業式スタイルに模様替えした。準備をしたのは俺を含む在校生全員。300を越えるパイプ椅子を配置して、壁一面に紅白の横断幕が張った。その前方中央に俺と松葉が座っており、お姉さんによるマイクチェックを完了するのを待っていた。

「パーぺキだわ。」

 完璧とパーフェクトの造語をつぶやいて、お姉さんがステージから軽やかに飛び降りてきた。

「お姉さん有難うございます。って匂うな…もう何か飲みました?」

「今日はボトル事持ってきたわ。」

「ちょっとウイスキーボトルって、そのままストレートで飲むんですか!?」

「さすがにチェイサーも挟むわよ。ストレートが味と香りを一番楽しめるもんよ。」

「松葉!学校にお酒持ち込ますなよ!明日だぞ卒業式は!」

「たはははは!それは来夢来島で仕入れたものじゃないなあ…おそらくお姉さんの持ち込みじゃ。」

「キャハハハハ!あたいはお酒がないと演技指導できないの!」

「そんな、酔拳じゃないんだから…」

 お姉さんが更に口にお酒を含んだ。

「はいはいはい、じゃあ話がキレイにまとまったところで、1回通しでやっとこうか。松葉は村揚役ね。私がサイン出すからその時にマイクに入って。」

 松葉が中央にあるマイクスタンドの近くに移動する。俺も席を立ってステージのスクリーン前に移動する。

「妹は今いないけど、明日の本番は妹に飛び入りで参加するタイミングをアタイがキュー出すから。今日は私がスミレの役をするわ。いい?」

「お姉さん…やっぱりこれ必要なんですか?」

 ステージ下にいるお姉さんに台本を見せながら、その箇所に指をさす。その箇所には『朝顔がスミレにプロポーズをする』と書いている。

「あんたね、何今更怖気おじけづいてんのよ!あんだげ説明したでしょ!?」

「まあ、その、週刊誌に書かれた件をプロポーズだったってことにするんですよね。ピンチをチャンスにするには有効的だということは良く分かってるつもりなんですが…」

 お姉さんがまたボトルをくいっと飲む。

「あんたね。芝居に迷いが出たらお終いよ。」

「いや、だってそりゃ迷いますよ。300人位いて、しかもマスコミまでいて、俺晒さらし者じゃないですか…芝居とはいえ、そんな場でスミレにプロポーズするって相当緊張しますよ。」

 お姉さんが、すごい勢いでステージに上ってきた。ステージは1m位高さがあるが、ジャンプ一発で着地。

「うりゃ!」

「痛っ!!」

 右足の甲をグリっと踏まれた。

「このプロポーズが一番明日の山場なのよ!あんたが覚悟決めないと全部パーになるわよ!この校舎も!島も!妹も!」

「痛いですって、分かりましたよ!足除けて下さい!」

「たはははは!お姉さん流の気合入れじゃな。」

「もう、姉妹揃そろって足を出してくるなあ…」

「あんだって!?」

「何でもないです!くううううう!よし!姉さん、ウイスキー下さい!」

 姉さんから力強くボトルを渡され、ボトルをグビグビっと飲む。

「だあああああああ!こんな強い酒をストレートで飲んでるのか!胸が焼け裂けるわ!」

「たははははは!」「キャハハハハハ!」

「よしっ、決意した。断固たる決意を今した。さあやるぞ!最終リハーサルよろしくお願いします!」

 卒業式前夜、最後の大稽古が始まった。



 その後、何度も何度もお姉さんからダメ出しをくらい続け、リハ開始から早3時間経とうとしていた。

「あんらね!パッションがないのよ!その言い方。心こめれ、ヒック!心込めれ言え!」

「お姉さん、だっ、大丈夫ですか?」

「あんらがね、ヒック、ヒッ、ヒッツ…ヒッツ、ヒック!分かった?」

「いや、もう、何言ってるのか全然分かりませんよ!」

 お姉さんはボトルを何本もバックに忍ばせており、演出に熱が入るとお酒の量も増えていった。しかし、お酒が弱いお姉さんはパイプ椅子3つに体を預けグデングデンになっている。

「お姉ちゃん!どうして体育室でお酒飲んでるの!?」

 スミレが業務を終えてようやく体育室に入るや否や、椅子に横たわっているお姉さんの元に駆け寄る。

「おぉぉぉぉ、ヒック!かわいい、くぁいい妹よ…」

「お姉ちゃん、飲みすぎでしょ!明日が本番なのよ!」

「きゃ、きゃっ…きゃ…はは…」

「もうこれで終わりましょう。お姉ちゃん終わっていいでしょ?」

 顔面蒼白のお姉ちゃんの元に、俺も松葉も駆け寄る。

「らす…と…らすと、ヒック!プロポーズを…ヒック!スミレに…しなさ…ウッッ!ウウ!ウッ!ウオオオ…」

 お姉さんが顔を下に向けて口を手で覆いだした。松葉がその場でしゃがんでお姉さんを背中におぶった。

「ちょっとお姉さんを外の風にあてておくから。武史、一回、本番と思ってスミレの前でやるんじゃ。まだプロポーズの稽古を一回もやってないじゃろ?スミレ、稽古が終わったら、レンゲ姉さんを連れて帰ってくれ。」

「おっ、おう、分かった。スミレそれでいいか?」

「分かったわ。じゃあ、松葉君、お姉ちゃんを頼むね。」

「アイアイサー!お任せあれ!」

 明日の卒業式の会場が大惨事にならないように松葉がお姉さんを抱えて急ぎ足で退出する。


 しーん…

 嵐のようなお姉さんが松葉に外に運ばれた途端、体育室が急に広く思えてきた。お芝居とはいえ、本人を目の前にプロポーズをするのはさっき稽古とは訳が違う。急に胸の鼓動が激しくなった。ただ、満身創痍になったお姉さんのことも気になるのでこのまま躊躇ちゅうちょする訳にはいかない。

「スミレ、そしたら、台本87ページをやるから、準備してもらっていい?」

「ステージ前にハンドマイクを持って立っておけばいいのね。」

「そう!それでよろしく。」


 ■台本87ページ

『村揚から週春のセクハラ記事の追求を受ける妹と朝顔。

【村】セクハラ疑惑がある朝顔さんが中心になって行う校舎存続事業を島民や観光客が認めてくれると思っているのですか?

【妹】その記事は違うんです。私は朝顔さんからプロポーズされただけなんです!

 観客がざわつき、メディアが一斉に色めきだす。

 レンゲがメディアに扮して妹に取材を始める。

【レ】ええ、どうも。『緑御池市ママカリ新聞』の記者です。今村先生に質問なんですがということはプロポーズを断ったのに執拗に迫ってくる朝顔を海に投げ飛ばしたという解釈でよかったですか?

 戸惑いながらレンゲからマイクを受け取る妹。

【妹】どうもマイク有難うございます。それこの場で答えないといけないのですか?

【レ】是非、よろしくお願いします。

【妹】いえ、朝顔さんがしつこいとかそういう意味で投げ飛ばした訳ではなく、プロポーズを突然受けた恥ずかしさから、あまりに気が動転して投げ飛ばしてしまったのです。

【レ】ということは、プロポーズの答えは?

【妹】その場では、生徒と先生の関係でしたので答えることができなかったので保留にしていました。

【レ】じゃあ、今日晴れて卒業された朝顔さんにはまだプロポーズをするチャンスあるということですか?

【妹】いやー…それは彼の誠意次第ではないでしょうか。

 妹からここでしっかりプロポーズしてくれたら受け入れるのなあという空気感を出す。

【レ】朝顔さん、男ならここでもう一度プロポーズしてみたらどうですか!朝顔さん、ほら!

 朝顔にステージから降りてもらい、妹の前に移動させる。

【朝】自分の言葉で渾身のプロポーズをする ※セリフお任せ

【妹】自分の言葉で無常な断わり ※セリフお任せ』

 

 お姉さんから台本の内容を説明された時、この最後の箇所が一番困惑内容だった。プロポーズのセリフがないからだ。断わられると分かっているのに、どう気持ちを入れて伝えればいいのか?そう考えていると、やっぱり島のことで、すれ違っていたことが頭に過ぎった。

「…スミレ先生、いえ今村スミレさん。僕は大豆小学校に帰ってきて、ずっとあなたに冷たくされていましたが、それは島を想う気持ちがあなたと同じだと思っていた自分の勘違いが原因でした…僕は分かったのです。母校の教師にまでなられたスミレ先生の想いと僕の想いとでは積み重なった量に天と地の差があることを。でも…今は自信を持って言えることがあります!これから島を想う気持ちはあなたと…あなたと同じであることを。僕は、この島とあなたのこれからを支えていきたい!僕も一緒にこの島を守らせてくれませんか?」

 スミレの目を真っ直ぐ見て、伝えることができた。稽古という機会だったけど、気持ちを素直に言葉できたことが満足だ。

 張り詰めていた気分が緩み、お互い顔を見合ったまま笑いが止まらなくなった。

「はあ、可笑しい。お腹よじれそうで本当苦しいわ!」

「だよな、二人で何やってだろうな。」

「まあでも、いいわよ。結婚してあげても。」

「え?」

 多分、俺の笑顔は瞬時に真顔に戻った。

「大丈夫よ。私、教師も辞めるって今決めたから。」

「は?」

「あんたNPO法人を立ち上げるんでしょ。私も手伝わさせて。」

「ちょ、ちょっと、どういうこと!?えええ!?今驚きが追い付いてきたわ!」

「私こそ、大人げなくもうし訳なかったわ。あなたに冷たくあたっていたこと、あなたと私の積み重ねた想いが違うなんてみにくい言葉を投げてしまって、本当にあの日はどうかしてたわ。瀬戸内海に投げ落としてしまうし。」

「いや、もうそれは全く気にしてないけど…」

「本当ごめんなさいね。こんな私でよければよろしくお願いします!」

 スミレが頭を下げて、右手を前に差し出している。

俺もその右手を掴り返す。

「たはははは!たはははは!おめでとう!二人が結ばれるなんて、こりゃめでてーな!」

 後方から松葉の叫び声が聞こえて、全速力で駆け寄ってきたので、慌ててスミレの手を離すと、松葉が俺にジャンピングヒップアタックをしてきた。

「いってーな!めちゃくちゃ痛てーよ!松葉、盗み聞きしてたのか!?」

 松葉が倒れた俺を両手で引っ張り起こす。

「いや、聞いてたんじゃないって。外まで声が漏れてるから聞こえてきたんじゃって!」

 松葉が俺とスミレの肩を組んだ。

「ちょっと!松葉君!お姉ちゃんは大丈夫なの!?」

「だいじょうぶ!だいじょぶ!体育室の外壁に項垂うなだれてるから。」

「それ全然大丈夫じゃねーよ!」

「明日が本番だから早く行きましょう。お姉ちゃんには明日いっぱい働いてもらわないといけなんだから。」

 その後、松葉がお姉さんを背負って、俺達はステディの森の坂道を下って帰路についた。

 --------------------

 

「ごめんなさい、前通りますね。」

 20分程歩いたところで観客席に到着した。観客が座るスタンドは7段で作られており、俺達は3段目の中央部に3人並んで座らせてもらうことになった。

「お姉さんにはいい席を準備してもらったなあ。」

「武史、これ見てみろ。」

 俺の右横に座っている松葉から、チラシを預かる。

「なになに、『緑御池市飯島市長の挨拶』…ああ、この演劇は緑御池市経済観光課も共催だったもんなあ。」

「売上の一部は復興費用に充てるとも書いてあるぜ。」

「さすが飯島市長だなあ。相変わらず頼れるからこの人が上にいてくれたら安心だよ。」

「次は県知事を狙ってるらしいわ。」

「すごいなあ、見た目はそんなガツガツしていないけど情熱持ってるんだなあ。こないだの市長選に当選したのはやっぱり牧田校長の力が強かったの?」

「さあ、どうなんだろうね。票の動きまで私の知るところではないわ。」

「スミレ、そういえば牧田校長は今何やってるんだ?」

「こないだも言ったでしょ!?大豆小学校と合併した友ノ宮小学校の校長をやっているわ。しかも宗助君が通っていた小学校だって。あんた私の話を聞いてないの!?」

「ごめんごめん、俺が忘れてただけだから…」

「たはははは!すっかりスミレのかかあ天下じゃなあ。」

「そうなんだよ、全然頭が上がらないんだよ。」

「うるさいわね!松葉君に余計なこと言ったら、今月のお小遣いなしだからね!」

「ひいい!怖い怖い。」

 左横に座っているスミレが、俺の左肩を小突く。

「たはははは!夫婦漫才を見てるようで、可笑しいわ!しかし何で本番では『プロポーズが断わる』って設定されていたんじゃ?」

「松葉、それは簡単だよ。お姉さんが俺とスミレがくっついてほしくなかったからだよ。」

「たはははは!なるほど、確かに最初は大反対しとったもんなお姉さん。」

「お姉ちゃんは10年前に結婚したけど、自分があんな破天荒な生き方しているから、旦那さんに苦労をかけていることを自覚しているみたい。だから、私には安定した男性と結婚してほしかったって言ってたわ。」

「まあ…全く安定はしてないよな、この生活は。島での生活も大変だし、苦労かけっぱなしで…すいません。」

「そんなのあんたと一緒になるって決めてから、とっくに覚悟できてたわよ。それより私は心のままに生きることができているから、今はとっても楽しいわ。」

「うう、泣ける泣ける。」

 松葉がハンカチを差し出してきた。

「武史、何か俺も泣けてきた。」

「あんた達、なんで劇を見る前に泣いちゃうのよ…」

 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン…大豆島に響く、旧大豆小学校、現大豆島自然の家のチャイム。

 チャイムは今も引き続き島民の生活リズムの一部として島全体に鳴り響いている。錆びた鐘の機械音を合図に夕闇迫る精錬所跡地の舞台中心部が仄かにライトアップされた。

 お姉さん珠玉しゅぎょくの喜劇、千秋楽の幕が上がろうとした。

 

 

 ■■おわり■■

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