5【渡の春】

 緑御池みどりおいけ市役所は繁華街に隣接している。敷地内に小さな公園があるので、日差しが出ている昼時はベンチで弁当を食べているOLがチラホラと現れる。食事を取りながら談笑している姿が微笑ましい。

 一方、市役所内は来客でごった返している。年度末は異動の時期であり、1階にある市民窓口課には届出が集中しており対応に忙殺ぼうさつされているようだった。

 そして、私が今急いで向かっているのは4階教育委員会事務局の離れに設置されている部屋。物置だった4畳半の部屋に二人分のデスクだけ。不動産表記でいうと『納戸なんど』だった為、小さな窓が1つしかついてない。壁紙も張っておらずコンクリート打ちっぱなし、昼でも照明を付けていないと薄暗い。

「誠に申し訳ございません!到着遅くなりました。」

「4週間ずらせと?」

「はい…先程、先方から教育委員会に連絡があり、今年の卒業式を4週間ずらすことになったのでどうしても調整してほしいと…」

「教育委員会の判断は?」

「はい、卒業式は個々の学校の事情だから、受け入れるしかないと。」

「緑御池の教育委員会は随分と甘いジャッジをする。」

 村揚むらあげは椅子にふんぞり返って窓の外を覗いている。

 この部屋は緑御池市教育委員会に属している『緑御池市小・中・高等学校再生事業課』の事務所だ。在籍は私と上司の村揚の二人だけ。

 村揚が後ろ姿からでも苛立っていることが伝わる。

「担任が1ヵ月謹慎したことが影響したということで…」

「とっくに耳に入っている。朝顔を海に突き落としたのはあの今村スミレなんだろう?」

「いえ…」

「違うのか?」

「真相は、今村が朝顔を突き落としたのではなく、今村が朝顔を巴投ともえなげで投げ落としたそうです。」

 村揚が振り向き様に机を蹴飛ばした。私が分類したばかりの書類が床に散乱する。

「馬鹿か!落とされ方なんてどうでもいいわ!」

「誠に申し訳ございません!」

「だったら都合がいい話じゃないか!説明会の時に一番抵抗してきた今村だろ?あいつが生徒に暴力を振るった愚行の事実を突きつければ、世論が傾いてくる。」

「おっしゃるとおりだと思います。」

「あとは朝顔をどう世論操作するかだな。」

 朝顔の人気は岡山県だけに限らず瀬戸内圏でも絶大なものがある。あの校舎を取り壊せるプロセスを取れないのは、大豆小学校職員と島民関係者が朝顔の顔を立てて世論を味方に付けているからだ。

「朝顔が海に投げ落とされた理由は分かったか?」

「調査員を派遣したのですが、証言者が少なく事実を突き詰めることはできませんでした。」

 村揚が悪い顔をした。非常に嫌な予感がする。

「ウラはとらなくていい。『朝顔から今村にセクハラ行為があった』と今すぐ週春しゅうしゅんの記者にリークしろ。」

「しかしそれは!海に落とされた理由が掴めていないのに、そんなことしてよいのですか?」

「渡。」

「はい…」

「俺の判断が間違ったことがあったか?」

「いえ…口答えして…誠に申し訳ございませんでした。」

「それでいい。」

 威圧的な口ぶりに、背筋が凍る。

 

 村揚は経営学部の3年先輩にあたる。大学時代に起業し、地方創生をビジョンに、複数の地方自治体の為に剛腕ごうわんを振るってきた。香川県出身の私も、いつか地元の為に身を捧げたいと思い、村揚の「地方活性コンサルティングMプロジェクト」に参加した。Mプロジェクトは地方自治体活性化の推進力として、様々な課題を期日より前倒しで解決していった。その結果、村揚は時代と地方が最も求めている人材の一人として名をせていった。

 一方で、村揚のやり方に異議を唱える者も少なくはない。村揚は結果第一主義だ。目的の為には手段を選ばない。内部にも外部にも情なんてものはない。だから人望がなく社員が付いていかない。Mプロジェクトで参加した初期の10名のメンバーも残ったのは私だけ。途中で加入する人材も長くて3か月くらいのものだ。

 村揚と出会って早10年。

 なりふり構わず成果を求める村揚の姿勢を常に目の当たりにしているが、私のやりかったことはこういうことだったのだろうか?と疑問に思うことも少なくはない。

「渡ちゃん?右手に書類を持っているよね。でもスイッチを押しているのはコピー機のスイッチじゃないぜ。」

「あれ?」

「それはコーヒーメーカーのスイッチで液体が垂れ流しになっているじゃん。」

「熱い!誠に申し訳ございません…考え事していたら、眼鏡を机に置いてきてしまいました。飯島さんプリンター使いますよね?先にお使いください。」

「いや、さっきプリントアウトした書類を取りに来ただけだから。それより、渡ちゃん何か最近疲れているよね?また村揚君からいじめられてる?」

「いえ、そんなことは…ただ村揚さんは大豆小学校のことで機嫌が悪くなっています。」

「村揚君にしては事が上手く運んでいないようだしね。」

 私達の向かいの部屋にデスクがある経済観光部。再生事業課のオフィスにはプリンターもないので経済観光部のプリンターを共有させてもらっている。その経済観光部に14年配属しているベテランの飯島は以前教育委員会の部署にいたこともあり私の良き理解者である。村揚が何かと役所の組織に食って掛かる姿を見てきており、教育委員会と第三者の民間機関である私達の関係性を心配している。

「どの地域でも校舎がなくなると聞いたら反対意見が必ず出るものなのです。ただ今回の大豆小学校は島唯一の学校であった点、長い歴史があり建築物等に文化財として価値がある点、そして朝顔という変わった生徒さんのおかげで有名になってしまった点、それらの問題によって校舎解体への道筋がまだ付いていません。」

「朝顔って子、おもしろいじゃん。もともと大豆島出身だったんだろ?」

「そうみたいです。型破りな恰好と行動でキャラクターがたっています。今では大豆島を越えて、瀬戸内では知らない人がいない位有名人になってしまいました。」

「朝顔が島に来たのは去年の6月だっけ?」

「はい。でも廃校が決定する前でした。」

「君達に市が委託したのは一昨年だったよな?」

「はい、その時に廃校リストを教育委員会から預かり、後は大豆小学校だけとなっています。さらに、緑御池市で大雨の被害が去年ありました。」

「それが分岐点だったじゃん。それを逆手に取った村揚君の快進撃が始まってさ…」

「そうですね、復興に予算を回さなければならないから校舎を取り潰すといロジックを作り上げたのです。」

「まあ、老朽ろうきゅう化した校舎の維持費ってのもけっこうかかるからな…」

 現在、国内の小・中・高校を併せた公立校だけでも廃校数は毎年500を超えると言われている。そのうち7割は小学校の廃校だ。

 廃校になる主な理由は、

 ①一次産業の急激な衰退の為急速な人口減少を招く「過疎化」

 ②地域が商業の発展により住宅が郊外に移転し、地域の人口が減少する「都市化」

 ③総人口における高齢の割合が増えており相対的な児童数の減少につながる「高齢化」

 大豆小学校には①~③全てが該当する。

「なあ、経済観光課からの意見だけどさ、校舎をそのまま残して観光地なんかにできないのか?島は瀬戸内国際芸術祭に参加しているじゃん?そしたら資源活用できそうじゃないか。朝顔っていうシンボルもいるんだし。」

「朝顔はあくまで一時の流行はやりです。今後も朝顔をはやし立てて島が盛り上がり続けることは考えにくいので、計算に入れてはいけません。しかも、国内の廃校活用の95%以上は施設維持・運用費は公的資金でまかなわれています。緑御池市が被災者への人道に力を入れたいと言っているかたわら、大豆小学校が財源を確保できる手段がなければ校舎の存続厳しいと思います。」

 飯島がコーヒーメーカーにエスプレッソのカプセルをセットした。

「朝顔の卒業後はサラリーマンに戻るのか?」

「それがまだ、進路を決めかねていると情報を掴んでいます。ただその前に…根本的な話になりますが、村揚の辞書には『最初の計画から妥協する』という言葉は書いてありません。」

「言ってくれるなあ。ナポレオンの名言から引用したのか。村揚君は地方創生事業の革命家だからね。だけど、コンサルティングって計画の見直しを状況に応じて柔軟に行うものじゃないのかね?」

「いえ、村揚さんのコンサルは独特なんです。」

「独特とは?」

 飯島がエスプレッソを苦そうに飲んでいる。

「村揚さんは最初の計画の100%その通りの結果に収まるようにまとめ上げるのです。」

「それは凄いじゃん。でもどうしてそこまで最初の計画に拘るんだ?逆にその拘りで自分を締め付けてしまわないのか?」

「当初の計画通り事が進むと高額報酬を貰えるインセンティブを設定しているからです。」

「なるほど…最初の計画通りに遂行することで信頼を勝ち得る、しかも君達は期限より早くというスピードの部分にも拘りがあったよね。」

「はい、いただいた事業は必ず前倒しで完遂させます。」

「その評判が回り回って次のクライアントからも声がかかる。そしてビッグビジネスの案件が舞い込むということか…君達の企業努力には頭が下がるよ。」

 私達の現在のクライアントは緑御池市の教育委員会である。今回のビジネスでも当初の計画よりも1年早いペースで進んでいる。村揚の陣頭じんとう指揮で数々の小学校を廃校にして校舎を取り潰してきた。

 しかし今回は同時にいつでも足切りされるリスクも持ち合わせている。廃校を主導しているのは緑御池市ではなく、我々の民間コンサル会社だから。「市民VS緑御池市」ではなく「市民VS民間会社」の構図を作りだすことで、緑御池市への批判を抑えることができ、それでも批判が高まれば我々を切れば話が済むからだ。その分のリスクは村揚も承知済で、緑御池市と手を組む時に莫大ばくだいな報酬を約束させたと噂は市役所内でも流れている。もちろん、その契約内容の詳細は私の知るところではない…

 


 3月になったが、まだ冬の余韻が残る。暦の上では春になったとはいえ厚手のコートをクリーニングに出す勇気がない。

 事務所には私と村揚のデスクしかないので殺風景だが、たまに季節の花を買って私と村揚のデスクに置くようにしている。今日は白いスイセンを買ってきた。

 村揚は外勤が多くデスクのある市役所に顔を出すことはほとんどないが、一応村揚のデスクにも同じ花を添えるようにしている。その花に対して今まで何も言われたことはないが、気づいてくれていないだろうなと諦めた気持ちでいる。

 給湯室から小瓶に水を入れて戻ってくると、私のデスクにメモが置かれていた。

 『大豆小学校の牧田様に折り返しご連絡をお願いします。』

 牧田…顔の凄みが強いあの牧田校長か…もしかして、今村の件だろうか?すぐに代表番号に電話をかける。

「はい、大豆小学校です。」

「もしもし、私、緑御池市教育委員会小・中・高等学校再生事業課の渡と申します。牧田校長からお電話をいただいておりましたので、折り返しご連絡をさせていただきました。」

「はい、少々お待ちください…すいませんさっきまで居たのですが、ちょうど外出したみたいで…」

「そうでしたか、そしたら改めてご連絡をさせていただきます。」

「ご用件あれば伺いますが?」

「あの…もしかして今村スミレ先生ですか?」

「はい、私は今村です。なにか?」

 やはりそうか…聞いたことがある声だったので思わず名前を聞いてしまった。心の中であのリークした件が引っかかっているのだろうか。

「いえ、誠に申し訳ございません、ただお名前を確認しただけです。」

「そうですか。牧田が電話したのは、今月の卒業式が終わった後に再生事業課の方が学校に来られるのかどうか確認すると言っていましたから、その用件だと思います。」

「そうですね。3月22日の夕方にお伺いしまして、校舎について協議をさせていただきます。しかし、何でこんなに遅い時間に卒業式をされるのですか?」

「最後の学校行事で色々企画していますから…島民の方も朝色々と準備もありますし。」

 今村が聞かれた質問に怪訝けげんそうに喋っているのが伝わってくる。

「そうですか…」

「では、もういいですか?牧田から他の要件があるようだったら、再度ご連絡差し上げます。」

「あのっ!」

「はい?」

「やっぱり私、卒業式の朝から学校に伺わせてもらってもよいでしょうか?」

「どうしてですか!?以前お約束させていただいた通り、生徒に迷惑がかかりますので卒業式が終わるまでは学校行事の邪魔をするのだけは辞めていただきたいです!」

 今村の声が明らかに怒気どきを含んでいる。

 確かに今村の言う通り、廃校協議を進める中で、卒業式が終わるまでは在校生には迷惑をかけない誓約書を交わしていた。ただその一方で、卒業式が終われば、校舎の存続に関しては再生事業課が先導して議決していくとも誓約書に記載されている。すなわちその誓約書には、卒業式までは村揚も手を出さないが、卒業式が終われば再生事業課が主導権を握れることを意味していた。

 先日村揚が卒業式延長で声を荒げていたのは、主導権を握る時期が遅れたからだ。

「今村先生、違うんです。突飛な行動だとは理解しているつもりですし、皆さんの邪魔をする気持ちは全くありません!ただ…」

「ただ?」

「私は皆様が大事にされているものを目の前で感じてみたいだけなのです。」

「…」

「…やっぱり差し出がましいですね。私の立場でこのようなことを言ってしまうのは皆様を余計傷付けるだけで…誠に申し訳ございません。それでは予定通り卒業式の夕方に…」

「渡さん、来てください。」。

「え?しかし…」

「私は教師として大豆小学校最後の卒業式をより多くの人を見てもらいたいと思っています。こちらこそ、感情的になってすいませんでした。」

 先方が電話を切るのを待つ。

「ふーーーー。怖かった。」

 誰もいない部屋で心の声が漏れる。

 

 我々の部署が発足して間もなく大豆小学校の校舎の行末について島民代表、職員、我々再生事業課を含めた検討委員会を設置し間もなく検討会議が行われた。しかし実情は我々の一方的な提案で言いくるめており、世論の強い抵抗があったものも校舎の取り潰しは決定的な流れになっている。あとは卒業式後に行われる最後の検討委員会で廃校合意をいただくだけだ。

 つまり我々がやっていることは対話ではない。力ずくに破壊しようとしているだけだ。村揚にとっては廃校後の校舎取り潰しは既定路線であったので、それを論理付けて押し付けているだけなのだ。

 

 これで校舎の存続の有無を十分に議論したと言えるのだろうか?

 

 被災者の方々へ予算を速やかに確保し、労力を最注力することは何よりも重要あることは重々理解している。しかし、2回開催されただけの検討会議の間に今村が発言した言葉がずっと胸に引っかかっている。

 「復興が最優先ということは理解しますが、復興を盾に論点をすり替えていませんか?」

 廃校して維持費がかかる校舎を破壊して被災地への復興費に回すという争点はおかしくないか?被災者の方々の為だったら、島民が大事にしているものを奪っていいのか?そもそも被災者の支援と廃校の話を結びつけるのがおかしい話ではないか?

 今村の発言の意図を探ると同時に村揚のロジックにきょを探そうとしているが、被災地への支援が最も切実だということが善意にあらがえず、疑問点が出ても自分の考えていることに正しさがあるのか分からなくなる。

 だったら検討会議でもっと話し合うべきだったんだ。

 我々の押し付け的な政策ではなく、議論を重ねれば双方向にある程度納得いった結論を出せたのではないか?と今になって後悔する。

 

 私ができること…何だろう?今私にできることは何かないのか?

 

 過去の廃校リニューアルした実例をまとめた資料をあさってみる。

【教室を住戸として利用】…『既存建物の構造体の中に木造で間仕切り等をつくることにより、1教室を 1住戸に改修。』住戸は島民が66名しかいないから用途の意味合いとしては弱いのかな。むしろ宿泊先として活用した方がニーズあるかな?

【体験交流施設】…『教室空間を菓子づくりや工芸などの工房として、または様々な展示スペースとして活用する。』体験交流施設は廃校後の活用として多く使われている用途の1つだ。地場産業のものを取り込むことが多い。大豆島は確か鉱産物が多くとれたはず。これを何か活用できないか?

【地場産業の振興に貢献する】『学校を農産物加工工場にして、地場の農産物等を活用した新たな商品を開発する。』工場を入れるとしたら初期費用の出どころはどうするのか?スポンサーがないと難しいような提案だから難しいか?

 

 

 久々に事務所に帰ってきた村揚がオフィスに戻ってきた瞬間に、デスクに座っている私と目が合った。

「あれは何だ?」

 村揚が午後に戻ることを見込んで、午前中にメールにて原案を提出した。今村先生と電話してから三日三晩考え抜いて仕上げた大豆小学校の校舎活用案だ。

 私は椅子から立ち上がって校舎活用案を見せながら説明する。

「こちらの年間収支通りいけば、校舎を解体する費用もなく、緑御池市の財政を圧迫することもありません。」

「俺はそんなことを聞いているのではない!何故、お前が俺に口出ししているかと聞いているのだ。」

「お言葉でありますが、これは口出しではありません。コンサルティングです!大豆小学校廃校後の事業計画をどうしても見直しをしていただきたいのです!」

「何を言っている。誰かに横槍でも入れられたのか?」

「まだ、議論し尽せていないと思うんです!島民の活力になっている校舎を一方的に奪いたくないのです!」

 感情が高ぶり、熱を帯びて声を発してしまった。村揚に対してここまで自分の意見を述べたことは今までない。

 村揚は、ふうと息を吐き、冷静に話を始めだした。

「渡…お前は勘違いしている。」

「勘違いですか?」

「お前にとってのクライアントは誰だ?」

「緑御池市であり緑御池市教育委員会です。」

「お前の立場では、緑御池市と島民、どちらの力にならなければならない?」

「それは…緑御池市になると思います。」

「コンサルティングは相互理解ではない。戦略だ。お前がやりたいのはクライアントの為ではない。」

「…」

「ぶれるな!この件はもう軌道にのっている。俺の言う通り動けばいい。いいな。」

「…はい。」

「また外に出る。昨日指示した収支報告を16時までに送ってくれ。」

 村揚はきびすを返して事務所を急いで出て行った。

 何も言い返せず、頬に涙が伝う。

 立場?戦略?私は一体誰の為に働いているのか?

心の中で島民の顔が消えていく。



『本日の瀬戸内海は一日晴天、無風で、波も穏やかでしょう。今日は例年以上に暖かくなりますのでいつもより薄着の恰好でお出かけください。Have a nice day!See you again next week !You should eat breakfast!』

 大豆島行定期船の待合室。終わりの決め文句がやけに長いFMラジオが流れていた。『朝ごはんは食べたほうがいいぜ!』って…

大豆島に行くのは3度目。村揚とは卒業式終わりの夕方に現地で落ち合うことになっている。私は今村に伝えた通り朝から島に向かっている。村揚には14時11分の便に乗り込むと嘘の予定を伝えた。

 今年になって初めて船乗り場に来たが今回が一番同乗者が多い。20人程座れる待合室の席が空いていない。赤ちゃんを抱えている若いご夫婦や高齢者も多いようなので、私は席を譲って立って船が到着するのを待つことにした。近くに座っていた老夫婦から喋っている声が聞こえる。

「朝顔ちゃん卒業するって実感沸かないわ。」

「…いやー寂しいけど、ちゃんと見送ってあげなきゃね。」

「あれ忘れていないよね?」

「あああ、あれね。持ってきたよ。」

 何か青い色の物をトートバックからちらっと見せてお互いが確認していた。他の人も表情がにこやかに見え、何か大きなバッグに機械のような物を持っているように見える。

 何が行われるのか?今村が「色々イベントがある」というそれなのか?我々は卒業式以外の情報は掴めていない。


 ブー―――――、少しかすみかかる瀬戸内海から汽笛を鳴らしてきた定期船。

 船の柵に、今まで2往復の間では見たことない光景があった。青いのろしに「大豆小学校卒業式ツアー」と大きく書いてあり、その文字の横に朝顔を含む生徒達の笑顔の集合写真が載っている。朝顔の笑顔は弾け過ぎていて若干の気持ち悪さを感じる。笑顔というより変顔である。しかし卒業ツアーとは何も聞かされていなかった。ネット検索してみても何も情報がのっていない。非公開イベントなのか?ではこの乗客数は一体?

 船がいかりを下した時にに船への桟橋に列が出来ていた。流れにのって私も乗り込む。

 

「お姉さん降りますよ?もう島に着きましたよ。」

「あわわ、あれ?」

 隣のお婆さんから肩を叩かれ、現実世界に舞い戻った。ここ数日、業務を遅くまで行っていたせいか、心地良い船の揺れについ寝落ちしてしまった。

 船内の階段を上って外に出ると、「大豆島にようこそ!」と横文字で書かれた大きな垂れ幕が真っ先に目に入った。垂れ幕は大人が持っていて子供たちがその回りに並んでこっちに向かって手を振っている。

「せーの!」「おはようございます!大豆島にいらっしゃい!」

 出迎えてきてくれた全員で、声を合わせ挨拶している。そして少し歩くと、来夢来島と田村商店というお店の少し先に『大豆小学校はこちら』という案内板を持っているマウンテンゴリラみたいな大男と、かわいらしい赤ちゃんをおんぶ紐でだっこしている大柄の女性が腰低く来場者一人一人にチラシを配っていた。

「大豆島にいらっしゃいませ!チラシどうぞ!今日は卒業式終わった後に重大発表がありますので、是非こちらもご覧くださいね。」

「重大発表?何の発表ですか?」

「もしかして…記者の方?」

「いえ、緑御池市のものです。」

「たははははは!教育委員会の方じゃったか?よう早くから大豆島に来てくれました!大歓迎じゃ!」

 声のボリュームが一段と上がったのが分かった。歓迎されている?敵対視されているのではないのか?

「有難うございます。この森に囲まれている坂を上ったところが学校なんですが、せっかくなんで小学校の入口にある神社の中を少し見てくれませんか?」

 女性に促されて、木が囲む神社の屋敷まで一緒に歩いていった。最近建て替えしたような新しい木材が使われている。ここに入るのは初めてだ。神社に敷地に3歩入ったところ海神神社と書かれている案内板があり歴史について細かく記載されている。

「違うんです。それじゃなくて神社の隣の森の中を見てもらいたいのです。」

 女性にまた促されて、案内板の奥に目をやると、2mと3m、あとは5m位あるだろうか、3枚の板がそびえ立っていた。しかも角度が垂直ではない。手前に反っている。そして、その全ての板にボツボツと出っ張ったカラフルな人工岩が取り付けられている。

「この板を上ることができるのですか?」

「これはクライミングウォールと言います。そうですね、小さな子から大人まで楽しくできるように難易度別に設計しています。」

「えっ?失礼ですがあなたが作られたのですが?」

「はい、もともとフリークライミングの選手だったので。こういった自然の中で自然を活かしたボルタリング施設をいつか作りたいと思っていました。」

 確かに、ただ壁と足場の岩があるのではなくその中に自然の岩が突き出していて、そこが足場にもなっている。

「これでも、壁を上るのは外でやると危ないんじゃ…」

「そうですね、安全面の確保が最重要でしたので色々と工夫しています。例えば壁の足元まで移動してもらっていいですか?」

 岩壁の下まで移動すると、明らかに足の感触が異なり急に歩きづらくなる。

「ブヨブヨしてる!これ土じゃないですね!」

「はい、スーパーニューウレタンという最近開発された素材を使っています。見かけは土っぽく見えますが、クッション性が非常に高い素材を使って、落ちた時の衝撃を和らげます。あと、5m級の岩壁にはいただきからトップロープと呼ばれるロープをつるして安全を確保するようにしています。」

「頂上付近で手前に傾いている壁も工夫なんですか?」

「その通り!かぶり壁とも言いますが、頂上に行くほど慎重になってもらいたいので、難易度を更に上げて壁から警告してもらっているイメージです。」

「すごいですね、業者さんに依頼したのですか?」

「たはははは!これを作ったのは、ほとんどワイ達夫婦と武史とスミレじゃけどね。」

「朝顔さんに今村先生もですか!」

「そう、ここはワイと朝顔とスミレが昔秘密基地を作っとった場所なんじゃ。じゃから何か昔を思い出しながら楽しくDIYができたワイ。今、韻を踏んだの分かった?」

マウンテンゴリラがウホウホと笑っている。

「…いえ。」

「この子は海香っていうんですが、大きくなったら家族3人でもやりたい思いもあって。」

「キャッ、キャッ、キャ!」

「それはとても素敵な想いですね。」

 岩壁の奥にも森林を活かしたアスレチックの遊具が広がっており、丸太とネットを組み合わせた遊具やロープを掴みながら綱渡りできるアクティビティなんかもあった。

 とてもDIYと呼ぶレベルの仕上がりではない。これは立派な建築である。

「ここはスタディの森と言うんじゃ。自然と共存して学ぶことができるという先人の言葉からそう呼ばれるようになったそうじゃ。だからこんなシートも作ってみたんじゃ。」

 シートには各アクティビティの名前と5つチェック項目がある。アクティビティ事に指定された動きをとれたかどうかで運動年齢を自動算出できるものだった。

「ここの設備で子供たちが学ぶだけではなくて、ご家族で一緒に楽しんでほしいんです。」

 なるほど、色々工夫されているのだなと感心する。


 ご夫婦と海香ちゃんに見送られながら、樹木に囲まれている坂道を少し駆け足で掛け上る。スタディの森でのご夫婦の話が面白く、本筋を見失いそうになっていた。今日は大豆小学校の卒業式が終わった後に検討委員会で校舎取り壊しの合意をいただく日だった。

 さっきお話したマウンテンゴリラのご主人は朝顔の話を嬉しそうに話していた。教育委員会所属のこの私に。廃校の愚痴一つ言われることはなかった。面と向かって物申すことはさすがにためらいがあるのだろうか?

「うわあ!サクラだ!」

 森の坂道を登り切った時、思わず声が出た。50本程の桜が校舎を包み込むようにふんわりと柔らかく囲っている。樹木の一本一本が高くそびえており広くしだれている姿がとても美しい。

 春は出会いと別れの季節。シーンと桜を重ね合わせることで、その一瞬がより深く心に刻まれていくのだろうか。

 ピンポンパンポーン♪

『間もなく、さよなら大豆小学校卒業式フェスティバルを開始しますので、グラウンド前方のステージ前までお集まりください』

卒業式フェスティバル?今村が言っていたイベントの正体はこれだったのか。

グラウンドに人は老若男女200人位集まっていた。新聞社やローカルTV局の記者までいる。現在のこの島の人口は66人。とういうことは外部から島に来た人が大半を占めているということなのか?

 私も200人の集団に交じる。ステージ上には牧田校長が拡声器を持ってスタンバイしていた。

「みなさん、おはようございます!」

「えーーん、えーーーん!」

「あわわわわ、泣かないで、泣かないで!おじさん怖くないから大丈夫だよ~、だだの校長だからねー」

 今日の牧田校長は黒尽くしの礼服を着ている。その恰好からいつも以上に本格臭が出ており、子供たちが怯え怖がるのは無理もないと感じる。

「本日は、在校生プレゼンツ『さよなら大豆小学校卒業式フェスティバル』へお越しいただき有難うございます!」

 回りからから大きく拍手が起きたので、私もそのリズムに手を合わせる。

 そうだ、さっき森で話していたご夫婦からチラシを貰っていたが見ていなかった。チラシにはスケジュールが記載されていた。

『10時…牧田校長挨拶

 10時半…みんなで発掘調査!ノートを探せ

 15時…卒業式

 17時…重大発表』 

 重大発表という内容も記載されていた。30分後にはノートの発掘調査?

 校長の話が終わった後に一人の運動服を着ている男の子が登壇した。挨拶と学年と名前を言った後にポケットから紙を取り出しゆっくりと読み始めた。拡声器は牧田校長が生徒の口に近づけている。

「僕のおじいちゃんは以前大豆小学校の校長先生をやっていました。その時に学校のどこかに何かのノート埋めたと聞きました。ノートは大豆小学校の卒業生に関係がある物のようです。でもどこに埋めたかおじいちゃんも分かりません。おじいちゃんは今入院していて記憶も弱っています。でもノートを見つけてほしいとおじいちゃんは言っていました。僕も探しましたがまだ見つかりませんでした。でも、廃校前に絶対に見つけたいです!そこで皆さんにご協力いただくことになりました。見つかったらとても嬉しいし、おじいちゃんも喜びます。皆さんどうぞよろしくお願いします。」

 小学生5年生の切なる願いにまた拍手が起こる。

 『発掘調査』というのはこのことか…じゃあこの200人で何かのノートを掘り当てるということなのか?


 その後、採掘関連の資格を持っている専門家から指導があり200人規模による「卒業生に関係があるノート」の大探索が始まった。

 このイベントの告知が事前にあったのか、来られているほとんど人が自前のマスクと軍手と採掘道具を持ってきていた。シャベルで掘っている人がほとんどだったが、ある人はツルハシ、ある人は電動の穴掘り機で地面を掘り起こしているご老人がいた。船の待合室で会話していた老夫婦の青い持ち物は自前のドリルだったようで、激しい音を立てて固い地面を掘り削っている。

 私のような何も持ってきていない人は、学校から支給があった。私は島の畑で使っているであろう錆びたくわを借りて門扉の近くで掘ることにした



「暑い…腕が重い…」

 思わず弱音がこぼれる。

 二時間くらい経っただろうか。鍬で土を掘り続けるのはしんどい。グラウンドの穴掘りがこんなにキツイ作業だなんて。平日はデスクワークが多く休日は外に出ない私の運動不足を呪いたくなる。牧田校長もジャージに着替えて作業しているからスーツを着て穴を掘っているのは私くらいだ。

「今日は暑いんで、水分とってしっかり休憩して下さいね!あっちの石碑の所は昼から日陰になるんで、休む時はあちらで休んでください。」

 ペットボトルの水を配る半そで短パン姿の男性に声をかけられた。

「ありがとうございます。もしかして、朝顔さんですか?」

「そうです!初めまして!今日は来ていただいて有難うございます。スーツで作業されているってことは、もしかして地元の記者の方ですか?」

「いえ、私は教育委員会の渡といいます。」

「おお!びっくり!教育委員会の方にもお手伝いただいていたとは…嬉しいです!本当に有難うございます!」

 廃校に追い込んだ教育委員会の私が島のイベントを手伝ったら嫌に思わないのか?

「…朝顔さん、この度はご卒業おめでどうございます。」

「やっと卒業できました!有難うございます!」

 屈託のない笑顔でお礼を言われた。大人なのに、小学生みたいに見えるのが不思議だ。

「卒業後の進路は決まりましたか?」

「いやー、やっと決めたことがあって。すっごい悩みましたけど…。結局俺が何をしたいかというのを重視した感じですね。今はすっきりしてます!」

「それは一体…?」

「おーい、武史!余った水を持ってきてくれ。こっち残り8本足りないわ!」

「りょうかーい!すいません、ちょっと行かないといけないんで、またゆっくり話しましょう!」

 朝顔が走ってマウンテンゴリラのところに向かっていった。

 くっ、惜しい…進路を聞きそびれた。結局、朝顔がやりたいことは何だったのだろうか?

 

 始まった時の活気が薄れ参加者にも疲労がありありと見えている。その後もノートと言われる物は一向に見つかる気配がなく、門扉近くの石碑の前に座って休憩をとることにした。

 この石碑の周囲が石段の上がった所にあり、私はその石段に座りこんだ。ソメイヨシノのおかげで木陰ができており日なたに居る時と体感温度が全く異なる。この石碑を囲っている石段と石碑の間には大きな平らな石や凸凹している小石が積み込まれている。座っている石がヒンヤリしており体温を下げることができそうだ。

 少し離れて同じ石段に痩せている女性が座っていた。マスクをあごにずらしてタバコを吹かしながら頭を重そうに片手で抱えている。気分悪そうに見えるが体調悪いのだろうか?

「あのー、顔色悪そうですが…大丈夫ですか?」

 女性が携帯灰皿に吸い殻を入れると、マスクを口に直しゆっくりこちらに振り向いた。灰色のハンチングを被った白毛のソバージュヘアだったので、この島では異色に見える。

「ん?あたいのこと?ありがとありがと。昨日飲みすぎただけだから。」

 酒焼けしたようなハスキーボイスで平然を装ったが、目も充血していてやっぱり気分悪そうに見える。

「あんたこそスーツなんか着ちゃって、暑かったでしょ?」

「はい、島で採掘イベントがあるなんて知らなかったので、こんな格好で来て後悔してます。」

「きゃはははは!バカねえ。まあいい思い出にはなるわ。」

 水を飲みながらぼんやりと周囲を眺めていると突然桜の花びらがひらひらと数枚舞ってきた。花びらを目で追っていると私の右手を置いていた箇所に落ちてきた。

「満開の時に散りこぼれる桜の花を、『こぼれ桜』というのよ。あんた知ってた?」

「いえ、知りませんでした。」

「あたいはね、桜が好きでね。桜人さくらびとなのよ。」

「さくらびと?ですか?」

「桜人は桜を愛でている人のことよ。」

「でしたら、私もさくらびとです!花見大好きです!」

「あっそう!あたいは花見だったら、『花より団子』、いや『花より酒持ってこい』かな。」

 ソバージュの女性がマスク越しに嬉しそうに微笑んでいるのが分かる。

 確かに今日は記憶に残る日なのかもしれない。

 事務所の閉鎖的空間に居る時と比べると、体を動かし汗をかいて気持ちが晴れやかだ。近頃は気持ちが沈んでいたが島に来て心が軽くなった気がする。広がっているグラウンド、花盛りを迎えた桜、晴れ渡っている真っ青な空…

「へーっ、ふえっ、ふぇっ、ふぇっ…」

 突然ソバージュの女性が声にならないような奇声を上げはじめ、その場に立ち上がった。

「どうしま…」「ぶえええーーくしょんんん!!!」

 ソバージュの女性のクシャミがグラウンドに響き渡った。

 グラウンドを囲っている樹木から、一斉に鳥が飛び立っていった。グラウンドを掘っていた人達もクシャミのせいで手が止まりこっちに注目が集まった。私も立ち上がって、ソバージュの女性の傍に寄る。

「大丈夫ですか!?これティッシュです。使ってください。」

「あんた準備がいいのね。ありがとう。」

 ソバージュの女性がまた石段に座って、マスクを取って鼻をかみだす。私もその横に座り直す。

「やっぱり体調悪いんじゃ…熱があるのでは?」

「違うの。違うのよ。あたい花粉症なのよ。生まれてからひいたことないわ、風邪なんて。」

 ばっっふううっっっっつ!!!!!!!!!!


「……………………」

 上空から私の頭に何かがズシンと降ってきた。メガネもその弾みで下に落ちてしまい、今何が起きているかを全く把握ができない。

「ちょっと!ちょっと!あんた痛くなかった?」

 視界がぼんやりとしている私の左手にメガネを掴ませてもらった。メガネをかけると、地面に奇妙な光景が広がっていた。

「身体は大丈夫です…おそらく。一体何が起こったのですか?これ桜の花ですか?」

 私の座っている周りだけにピンクの桜絨毯さくらじゅうたんが広がっていた。私のスーツにも花びらが沢山付いている。頭の上に落ちてきた物は大量の桜の花びらのかたまりだったことを理解する。

「きゃはははは!顔に桜が乗っかっているわよ!」

 私は顔を下に向けて、こびりついていた桜の花びらを払い落す。

「…あんた、ツイてるわね!」

「え?ツイてる?」

「これよ、桜の…桜の花…島には桜の塊がボーンっていっぱい固まって振ってくることがごく稀にあるのよ!」

「そうなんですか?こんな一箇所に集中するなんておかしくないですか?」

「おかしい…確かに可笑しいわ!キャハハハ!」

 ソバージュの女性も一緒になって、頭に付いている花びらを払ってくれている。

「大豆島では、それを『桜まみれ』っていうのよ!」

「さくらまみれ?」

「…あんた凄いわー、運いいわー。私もまみれたかったわー。羨ましいわー。」

 ソバージュの女性が立ち上がって小躍りしている。

 どうしてこんなにテンションが高いのか?私の桜まみれの状態がそんなにもレアだったのか?

「あっ?せっかくだからそこ掘ってみたら?」

 ソバージュの女性がサンバを踊りながら桜絨毯の箇所を指さしていた。

「え?ここをですか?」


 まず大量の桜の花びらを払い、積みあがっていた平たい石を取り除いた。その後更に積み重なっている小石や大きい石を取り除いていった。20cmくらい取り除いた時、更に平たい灰色の石が現れた。いやこれはコンクリートか?

「これ以上掘ることはできないですね…」

 首にかけているタオルで額を拭きながらソバージュの女性が、掘った場所を覗き込んだ。

「そうね。それは基礎の一部ね。これ以上掘れないわね」

 確かに、石碑が倒れないように基礎のコンクリートは底が広がっている。基礎は平常時だけではなく暴風時や地震時の荷重かじゅうも計算して設計されているからだ。

「もう少し石碑の回りを掘ってみたら?この周辺は誰も掘っていないようだし、あたいも手伝うからさ。」

 ソバージュの女性に促された通りに石碑の周辺をくまなく掘ってみることにした。まずは石碑の右側に回って、同じように小石と大きい石を取り除く。そこも基礎のコンクリートが埋め込まれていた。さらに石碑の真後ろに回って、小石と大きい石を取り除く。

「あれ?」

 基礎が出てこない。コンクリートがあるはずの場所にも大小の石が積まれいる。私は取りつかれたように大小の石を取り除いていく。

 ソバージュの女性にも一緒になって掘ってくれている。

 ある程度石を除け払うと砂利がでてきた。砂利はソバージュの女性が持っていたスコップで掘り出す。1m程掘った後に、スコップの先が固い物に触れた。私は「また石か…」と思ったが、ソバージュの女性が驚いている。

「これやん!?これやん!?これやない!?」

 私は興奮している女性が言う「これやん」が何を指しているのかが分からなかった。もう一度、目を細めて覗くが「これやん」は石だ。

「これは石なのでは…」

石箱いしばこだわ!」

「石箱??」

「あたいはね、ここの卒業生なんよ。6年生の最上級生の時にこの島の花崗岩かこうがんを工具を使って加工する授業があったから覚えてるんよ。」

「この石を皆さんで作ったってことですか?」

「そうそうそう、卒業課題として石箱を作ったんよ。むちゃくちゃ大きくて時間かかるから放課後もずっとやっていたわ。」

「じゃあ、今見えている部分はその石箱の一部なんですか?」

「ザッツライト!箱の上に加工した箇所が見えたので間違いないわ。さあ掘り出すわよ!」

 興奮しているソバージュの女性とともに、私も石箱の周りの土や石を取り除く。私達が活気ある動きをしているせいか、マウンテンゴリラの大男を筆頭に屈強な男達が10名位集まってきた。

「よしっ、これで石箱を開けれるはずだわ!」

 泥だらけになったソバージュの女性の響く声は自然と周囲に伝わった。

「あの、この箱の中身の事は何か知っているんですか?」

「え?いやあ…それはアタイにも全く分からないわ。アタイ達が作った記憶があるのはその石箱だけだから。」

 石碑の裏は今、石段も取り除かれ、大人が10人位入りそうな大穴が開いている。

 最初は私とソバージュの女性だけで作業していたが、どんどん人が増え、今は参加者全員で穴の中と穴と外で分担作業を行っていた。私とソバージュの女性はずっと穴の中にいる。

 穴の中と穴の外の中間、梯子はしごに足をかけているマウンテンゴリラの大男が口を開く。

「じゃあ、せっかくじゃから最初にこの場所を掘り起こした方にこの箱の蓋を開けてもらいましょうか?最初に見つけた方は誰でしたかね?」

「松葉!黒縁メガネの彼女よ!」

 ソバージュの女性が弾む声で私を指す。大人数の視線を一斉に感じ恥ずかしい。

「たはははは!さっきスタディの森でお話したあなたでしたか?お名前は何ていうんじゃ?」

「渡といいます。」

「では、渡さんの音頭で石箱を開けてもらってもいいですか?重いんでオイ達も手伝いますから。みなさんいいですよね?」

 参加者から承認の拍手が巻き起こる。

「いや、私は適任でないかと…」

 ぼそっと耳元でソバージュの女性に呟く。

「何を言ってるの?あなたがこの場所を最初に掘り出し始めたのだから、当然じゃないの。」

 だけど、私はやっぱり島の貴重な物を探し当てる権利はなかったのではないか?私達は島民の方々が抱いている幾多の想いを踏みにじってきた。私は懺悔ざんげしなければならない事が沢山ある。今になって作業を手伝った事に後悔が襲ってきた。


 やはり私がここに居るのは場違いだ。

 

「違うんです!みなさん聞いてください!私は緑御池市教育委員会の者なんです!」

 私の精一杯の大声に回りがざわつきだした。

 やはりそうか…このフレーズを聞いたらそれは当然の反応だ。教育委員会が廃校の決断を下しことは周知の事実だから。

「この学校を廃校にしたのは心無い私達なんです!それなのに皆さんが大切にされている物を見つけることをお手伝いしてしまい、誠に申し訳ございませんでした!」

 穴の中で深々と頭を下げる。今までのまっていた罪悪感があふれるように口からでてしまった。『仕事をする上の鉄則。自分の否を認めてはならない、そして絶対に謝るな。』と村揚に口酸っぱく言われていたことをこの場で破ってしまった。

 でも、どうしても伝えたかった。どうしても謝りたかった。それが私の偽りない気持ち。

「渡さん、何を言っているのですか!私からもお願いします!」

 上から覗き込んでいる今村からの声だった。

「先生でも…」

「渡さん、私達が大切にしている物を一緒に探してくれてありがとうございました!そんなスーツがぐちゃぐちゃになっている人が、心無いなんて誰も思いませんよ!」

 周囲から笑いが漏れる。自分の着ている黒いスーツを見ると泥だらけで桜まみれになっており、見るも無残な姿になっていた。

「じゃあ、決まりだわ!頼むよ!」

 ソバージュの女性に石箱の蓋の前に押し出された。

「えええ!?本当に私で良いのですか??」

「もちろんです。お願いします!」

 今村からも念を押されると、周囲から再び拍手が起こった。

 手厚く恵み深い拍手の音色が胸に刺さる。

「あんたが感じている自責の念。あたいが全部ぬぐい取ってあげるわよ。」

 ソバージュの女性が私の目を見つめ、私の肩を強めに叩く。

「うっ、うっ、うわーーーん!!」

 せきを切ったかのようにその場にしゃがみ込み泣き崩れてしまった。

 私は良心の呵責かしゃくに耐えられず糾弾きゅうだんされたかったのだろうか?もし責められるのであれば私は重ねて謝ることができ、気持ちが少し救われたのかもしれない。

 でもその本心の期待に反して温かい言葉をかけられてしまった。

 皆さんの優しい振る舞いに私は心から感激してしまったのだ。

 

 私の気持ちが落ち着いた後、ようやく蓋を開けることになった。

「みなさんお待たせしました!今から蓋を上げさせていただきます!」

 さっきより通った声が出ているのが自分でも分かる。

「渡さん、宜しくお願いします!」

「行きます!せーの、よいしょーー!」

 大きな石蓋が空くと「わーー!」と歓声が上がった。石箱いっぱいに文字が掘られた薄い平らな長方形の石が何十枚も狭しと積まれている。この長方形の石で喜んでいるのか?探しているのはノートではなかったのか?

「でたー!」「懐かしい!」「これだったか!」

 きょとんとしているのは私だけで、箱を囲っている人たちは喜びを爆発している。隣で喜んでいるソバージュの女性に聞いてみる。

「あの、この石板みたいな石がノートなんですかね?」

「この石は未来の自分に充てた手紙なんよ。石箱を作る時と同じように工具で石に文字を彫り刻んだのよ。インクじゃないから何年、何十年経っても消えないでしょ?忘れてたわこれの存在を。」

「なるほど!じゃあこれはタイムカプセルということですか?」

「そうね、小学校では『未来ノート』って呼んでいたわ。卒業式でこれをみんなの前で読むのよ。あった!あたいのノートだわ!」

 ソバージュが一枚の未来ノートを拾い上げたので、私もそれを覗き込む。埋まっていたのにも関わらず保存状態が良い。確かに地面の下に埋まっていたのが紙だったら存状態に問題がでていたのかもしれない。

「本当に字が掘られているんですね!何て書かれたのですか?」

「ほら見てみ。」

 石を私に持たせてくれた。思ったより重くはない。長方形で大きさはB5サイズ位だろうか。

 その石には『チャップリンになる レンゲ』と掘られていた。

 

「チャップリンってあのチャップリンですか?」

「ははは、考えが昔と変わってないわ。」

「役者になりたかったのですか?」

 ソバージュの女性が照れている。

「そうね。チャップリンのような喜劇王になりたかったのよ。今もまあまあ頑張ってるわ!」

「たはははは!レンゲ姉さん、まあまあだなんて謙遜されて。大活躍中じゃから。渡さんが聞いたことある演劇も色々プロデュースしているはずじゃ。」

「そうなんですか!?」

 ソバージュの女性がマウンテンゴリラの男の足を軽く蹴る。

「松葉、至らないこと言わんでよい。私は『在本レンゲ』というの。今は野外専門の喜劇演出家をやっているわ。ホームページもあるから後で検索してみて。」

「有難うございます!検索してみます!でも何で紙じゃなくて石にメッセージを残したのですか?」

「多分、この石碑に掘られている言葉通りに生きてほしかったんじゃない?」

 未来ノートをソバージュの女性に戻し、大穴を梯子でよじ登った。

 まだノートが見つかった余韻で盛り上がっている人込みを分けて石碑の前に行く。畳1畳程の大きな石碑には『大豆の石の如く 屈強でたくましくあれ 瀬戸内の海の如く 優しく全てを包み込め』と横字二行で彫り込まれている。

 そういえば、大豆島は花崗岩からなる「石の島」と呼ばれ、400年前から砕石さいせき業が盛んに行われていたんだった。非常に良質な素材で日本各地に運ばれ大阪城や岡山城の石垣であったり、記念碑や鳥居にも使われていると聞いたことがある。

 私の傍に小学生とその父親が嬉しそうに寄ってきた。

「おば様、おじいちゃんが探していたノートを見つけてくれて有難うございました!」

 おっ、おば様だって!?私はまだ30よ!!

「こら宗助!こんな若いお姉さんに失礼なことを言うんじゃない。」

「父上、ごめんなさい。何て言ったらいい?年増?熟女?」

「…宗助、朝顔さんの所に行ってなさい。」

「はい!」

 息子さんがグラウンドの穴を俊敏に避けながら校舎に向かっていく。

「すいませんうちの息子は変わった呼び方をする癖があって…一体どこで覚えたのか…」

「いえ全く気にしていませんので大丈夫です。」

 大きなお父さんだ。少し日焼けして精悍せいかんな顔つきをされている。でも物腰柔らかく感じる。

「渡さんって、緑御池市教育委員会の方なんですね。もしかして再生事業課に配属されていますか?」

「よくご存知で。」

「私は行政書士をしている草野といいます。今は瀬戸内海を巡回しております。ただ元々は、岡山桃太郎新聞社にも政治部として取材をしておりました。」

「桃太郎新聞社ですか…」

「その名残もあって、少し聞いてもいいですか?」

 お父さんの目が少し鋭くなった。

「はい…答えられる範囲でしたら…」

「再生事業課は民間の企業だと把握していますが、緑御池市と金銭部分でどういう契約を結んでいるのでしょうか?」

 元政治部の質問が、私を現実に引き戻した。

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