3【朝顔の秋】

 ゴーンゴーン、ゴーン…

「はい、じゃあまた明日。明日は学芸会の練習をやりますから運動服も忘れないようにしてください。あと最近怪しい人がウロウロしているみたいなので一人で帰らないようにしてくださいねー。」

 ステディの森を通る帰りの坂道は、両横にクロマツの深い緑、前方下部は瀬戸内海の青、そして前方上部には茜空あかねぞらの赤、すべて揃うと綺麗なコントラストに見えるのがいつも不思議に思う。茜色の空には小さな雲片うんぺんが連なって浮かんでいる。夕方になると半そで短パンでは少し肌寒い季節だ。

 すっかりここでの小学生ライフに慣れてしまった。

 しかし、こんな浮世離れした生活をしてしまっているから、社会人に復帰してもやっていけるのか不安になる。小学課程を修了するのはまだ先ではあるが、来年卒業した後のことを考えない訳にはいかない…だって俺33歳だし。

 島を離れて就職活動をするのか?それとも島に住み続けるのか?島に来る時はこんな迷いが生じるとは思いもしなかった。

「そういえば宗助、ここの学芸会の劇って変わっているんだよな?」

「僕も初参加ですから。でも噂には聞いていたので楽しみです!でも師匠は内容を知っているんじゃないですか?」 

「いや、俺が居た時はピアニカで『トルコ行進曲』をいたような記憶はあるけど、演劇なんてのは経験したことなくて…いつのまに趣向が変わったんだろうなあ。」

「師匠が抜擢ばってきされた『ナレーション』楽しみです!」

「宗助の役は何だったっけ?」

「僕は『正義のヒーロー』の役って言われました。あっではまた、家でお待ちしております!」

「おお、またあとで!」

 プールの一件の後、何故か弟子をとることになった俺は、今夜宗助の家に招かれていた。宗助のお父さんがご飯を御馳走してくれるというのだ。宗助が言うには「父上は厳しい人だが、師匠のことが大好きです。だから是非会いしてご馳走したいと言っています」だとか…何か接待を受けるみたいで場違いな緊張をする。


「おっす!おかえり。武史今日はご飯いらないんだよな?」

「そうなんだ、今日はご馳走いただけるみたいでさ。」

「たはははは、言ってくれる!来夢来島らいむらいとうもいつもご馳走じゃろうが?」

 来夢来島での暮らしも、もう何年もいるような気分だ。夜はお客さんと一緒に食事と晩酌ばんしゃくをとっている。スミレは「あんたといると気分が悪くなる」らしく、俺が島に戻った日以来、来夢来島には来ていないようだが…

「松葉、芸術祭に向けての準備は順調か?」

「もちろんよ!このイベント期間は島が活気付く!」 

「また手伝えることがあったら行ってくれな。」

「おうよ!」

 松葉は瀬戸内国際芸術祭の外部実行委員の一人として、昼は準備、夜は来夢来島を切り盛りしている。芸術祭は2010年から香川県・岡山県の島や港を舞台にした現代アートの祭典で、3年に1度の開催されている。日本の近代化に付随して生じた負の遺産。芸術祭では短所を個性として活かし、島や海そのものの再生することを目的にしている。

 大豆島では、使われていない家屋をアレンジしたり、精錬所せいれんしょ跡地も建物そのものの特徴を活かして見違えるような現代アートとして生まれ変わった。

 現代アートと瀬戸内海の島々の化学反応の反響は予想以上に凄かった。過去の開催経験からこの期間は観光客がごった返すので、島唯一のバー兼食事処である来夢来島も朝から夜までフル稼働するつもりで準備を進めているようだ。だから松葉は家族総出で食料の調達に本土や島々を走り回っている。

 

 一度部屋に戻って、金粉が全体にまぶしている、とっておきの蝶ネクタイを身に着ける。

 さすがに半そで短パンはまずいか…今日は上下スーツを着ていこう。

 松葉は店が終わると奥さんの敦子さんと子供が住んでいる家に帰っているのだが、俺は相変わらずここの2階に住まわせてもらっている。お金がないから、助かるなあ…

 アイターンのような外部の人が小さな島で家を見つけるのは大変らしい。小さな島には不動産業者なんていないので、自分の足が大事になってくる。最重要なのは島民のツテと口コミだ。役所でも情報をとれるらしいが、いち早く情報を掴むには島民と仲良くなるのが一番のコツだと松葉のお母さんが言っていた。

 

 

「師匠いらっしゃいませ!さあどうぞ!」

「宗助着替えたのか?いいぞ宗助、シャレオツだぞ!」

「いえいえ、師匠にはかないませんから。」

「しかし宗助の家、ものすごいな…」

「そんなことありませんよ。師匠は本当に褒め上手ですね!心からガチリスペクトです!」

「宗助、そのモダンなヨイショをどこで覚えたんだ?」

 今まで社宅やアパート暮らしの俺には不釣り合いな書院造しょいんづくり。畳の部屋がいくつも連なっており、床框とこがまちの上には墨汁で書かれたような掛け軸と素人には鑑定が難しそうな骨董品が飾られてある。開口部から見える庭には、石や砂の表面で紋様もんようが描かれており、水も流れていないのに橋がかかっている。初めて見たこれが枯山水かれさんすいか…まさか大豆島で見ることができるなんて。格調高いお座敷と風光明媚ふうこうめいびな景色に「財閥か!」といちいち突っ込みたくなる。


 宗助に奥座敷の客間に通され、上の方へ着座する。

「師匠、ここで少しお待ちください。父上を呼んでまいります。」

 宗助が女将さんのような振る舞いをしてくれるのですっかり旅館に来た気分になってしまった。まさかと思うが一応確認の為、あとで温泉が湧いているのか聞いてみよう。

「師匠入ります。」

「朝顔さん。どうもお待たせいたしました。本日は我が家までお越しいただき誠に有難うございます。」

 財閥のような家に住まわれている方なのに、想像以上に丁重なご挨拶をしていただいた。シュッとした体形で、背丈が高い。185cmはあるのだろうか?鴨居に頭を打ってしまうので腰を屈めながらくぐり、手を差し出していただいた。

「いえ、こちらこそお招きしていただき有難うございます。」

 握られた手がごつくて堅い。手を握ると握り方や握る強さで何となくその人の人となりが分かる気がする。この方はきっと情熱がある方に違いない。

「私が宗助の父親です。いつも宗助から話を聞いていて、朝顔さんにずっとお会いしたいと思っていました。」

「いえ!こちらこそ本日お招きいただき有難うございます!」

 お辞儀を正した後思わず、お父さんの首元に目がいってしまった。

「宗助から『大事な日は蝶ネクタイを付けるって師匠から学んだ』と聞きましたので、私は今日生まれて初めて付けさせていただきました。」

「とてもお似合いでございます!」

「ふふふっ、有難うございます。さあどうぞお座り下さい。」

「しかし、ご立派なお家ですね!」

「昔、こちらの島で銅製造所をやっていた名残のようで、その時の社長さんが住んでいたようです。そこを、私の父の知り合いからたまたま借りることができただけですよ。」


 宗助の父親と向き合って、日本酒を注ぎ合う。うるし塗りの座卓の上に太刀魚の塩焼きや牡蠣かきのバター炒めや、隣の島で原木栽培しているという椎茸しいたけや松茸を調理した料理が並べられる。

 宗助は次々と食事を運んでくるが、「ごゆっくりと。」と言葉を残すだけで、部屋にはとどまらない。この父親にこの子ありだなと感じた。

 俺からは小学生ライフと以前の勤め先について、宗助のお父さんからは本土の岡山や瀬戸内海の島々を巡回している行政書士として仮のオフィスを構えていることなど談笑しながお互いの事を聞きあっていた。

「朝顔さん、さすがに温泉はないですよ。」

「いやこんな立派な造りだから、敷地のどこかに源泉がありそうだったので。」

「ふふふふ、また今度温泉でも入りにいきましょう。」

「はい是非!」

「そうだ朝顔さん。私の父つまり宗助の祖父の事についてお伝えしたいことがありまして…宗助から何か聞いておりましたか?」

「宗助君には神戸の大きな病院で入院していると伺っています。」

「そうなんです。しかし、今は大病をわずらってしまい、昔のことをほとんど忘れてしまっています。私のことも宗助のこともぼんやりとしか覚えていません。」 

「そうでしたか…」

「実は記憶がまだはっきりしている時、ある物を探してほしいと言われていました。」

「ある物…ですか?」

「はい。正確に申しますと、大病を患った後、父は筆談しかできなかったので大手術の直前に一度遺書のようなメモを私たちに書き残しました。それがこれです。」

 宗助のお父さんはファイルに保管していた四角い小さなメモ紙を取り出した。日本語の横文字で2行に分けて書かれている。しかし、達筆すぎて読み取るまで時間がかかった。

「これは『学校に埋まる、ノーノーをさがして』と書いているのでしょうか?」

「私もそうだと思います。」

「『ノーノー』とは一体?」

「私には全く心当たりがなく、当時の文献や卒業文集とか調べても分かりません。学校関係者や地方紙の記者の方にも聞き込みしても、全く手がかりがありませんでした。」

 ノーノー??野球経験がある俺にはその言葉には心当たりがある。それは「ノーヒットノーラン」の略…ただそれは相手チームからヒットを一本も打たれることなく試合に勝つ事象であって、物ではない。じゃあ、何だろうノーノーって?

「学校というのは大豆小学校のことでしょうか?以前は分校もあったと聞いていますが…」

「えー、ただ分校には物を埋めるようなグラウンドもなかったですし、父は大豆小学校本校の校長を一時期やっていましたから、おそらくこちらの小学校ではないかと。」

「なんと!宗助君のおじいさんは大豆小学校の校長をされていたのですか?」

「ええ、そこで以前も学校にいらっしゃった朝顔さんなら何かご存じではないかと思いまして…」

「うーん、残念ながら全くそんな話は聞いたことがありません。ただ当時の同級生も島にいますので、色々リサーチしてみますね。」

「そうですか!?それは本当に助かります!それと、本日会ったばかりなのに厚かましくて大変申し訳ないのですが、朝顔さんにもう一つお願いがありまして…」

「お願いですか?」



 久しぶりに島を離れる。都会の喧騒けんそうの中での生活には慣れていたはずなのに、島暮らしが長くなると人が密集する環境の方が居心地悪く感じるのが不思議でしょうがない。しかも駅から降りて改札口に向かうまでの強烈な人混みで少し酔ってしまった。

「そっ、宗助、大丈夫か?」

「僕は問題ありません!師匠がそばに付いていますから!」

 頼りにされるのは嬉しいのだが、宗助の方がよっぽど元気にしているように見える。行きがけの船も電車もずっと宗助からの質問攻めだった。「師匠の夢はなんですか?」とか「師匠の社会人時代はどんな感じでしたか?」とか「師匠はいつもバカなふりをしているは何でですか?」とか。師匠ってこんなにも大変な生き物なんだな…

 

「病院はあの大きな公園の裏手だったかな?」

「師匠、大丈夫です!何度も来たことがあるのでお任せくださいませ!」

 三宮大学付属病院、「患者さんの声に寄り添った治療を」という理念の元、患者さん毎のオーダーメイド医療と先進医療を組み合わせ、希少疾病しっぺいにも積極的に関与している関西圏を代表する総合病院である。また治験中核病院として国内だけではなく海外の治験にも参加しているので、国際的にも有名なドクターが沢山いるそうだ。

 この病棟の8階に宗助のおじいさんが入院している。

 -------------------

「最近宗助は私の父に会いたがらないが、父はきっと孫の顔を見たいはず。なので、是非、朝顔さんのお力をお借りしたい!朝顔さんとならきっと宗助も病院に行ってくれるはずですから。」

 --------------------

 そんな宗助のお父さんのお願いで、今日はここにやってきたのだ。

「おじいちゃん、入るよー。」

 宗助の掛け声の元、病室の扉を軽やかに開けたが、誰もいない…テーブルにプロが対局で使うような大きな碁盤があり、その上には詰将棋つめしょうぎの本が見開きハの字になって仰向けになっている。奥にあるベッドの掛布団はめくれ上がっていて抜け殻のようになっていた。

「あれ、草野さんいませんね?今日12時にお孫さんが病院に到着しますと草野さんに伝言していたのですが…」

 ナースステーションから付き添いしていただいていた病棟担当の看護師さんが焦っている。

「屋上行くときは連絡下さいっていつも言ってるのに…」

「屋上にいるのですか?」

「ええ、屋上は外には出れませんが、神戸の街を一望できる展望台にもなっていまして、草野さんはそこに行かれることが日課になってます。今から一緒に上がりましょう。」 


 急ぎ足で移動する看護師さんに置いて行かれないように付いていくと、とても病院とは思えない光景が広がっていた。中央部には定食だったりファーストフードやラーメンを売っているフードコートが設置されている。患者さんは個人のIDカードを見せないと買えないシステムになっており、食事療法が必要な患者さんは誘惑が多すぎてあまり近づきたくない場所だなと思う。

ガラス張りの大きな窓が全方位にあり、晴れている今日は瀬戸内海もよく見える。お見舞いにきた家族と患者さんが窓の手前に設置されたベンチに腰かけ微笑ましく話をしている。その家族の隣のベンチに窓際の手すりにしがみついて外を眺めている病衣をまとったご老人がいた。

「おじいちゃん!」

 宗助が遠くから声をかけても振り向かないので、フードコートに並んでいる家族をき分けてご老人に近づく。

「草野さん、お孫さんですよ!」

 宗助の後に付いた看護師さんがご老人の肩を持ち耳元に口を寄せ、大きめな声で呼び込んで、ようやくこちらを振り向いた。

 ご老人の表情には明るさがなく、視線がこちらに合っていない。あまり食べていないのだろうか?ほおがこけており英気えいきを全く感じない。

「では、これで、失礼します。」

「どうも有難うございました。」

 看護師さんが離れていく中、宗助がニコニコしながら太い黒ペンとイラストレーターが練習で作品を描くような厚紙のスケッチブックを取り出しおじいさんに手渡す。

「おじいちゃんは喋れないんで、おじいちゃんとはこれでおしゃべりします。おじいちゃん、こんにちは!今日は師匠と遊びに来たよ。」

 おじいさんはこちらを見て口を開けてポカーンとしている。

その後、宗助が俺と出会った時の話から俺の人間性がどんなに素晴らしい人なのかと過分に紹介してくれているのだが、おじいさんは宗助の話にうんともすんとも反応がない。両耳に補聴器を付けているようだが、宗助の言葉が入っているとはとても思えない。髪はほとんどなく、顔の所々に染みがあり、一重の細い目が開いているかどうかも疑わしい。

 おじいさんもしかして寝てます?孫が一生懸命喋ってますよ!聞いてあげておじいさん!と心の中でおじいちゃんに呼びかける。

 あれ?このとぼけた顔に似ている人をどこかで見かけていたような気がするが…気のせいかな。

「おじいちゃん、最近いっつもこんな感じなんです。」

さすがに宗助も困った顔になっていた。

「そうかあ、まあ仕方がないよ。」

 その時、おじいちゃんの一重の目がカッと見開き、急にペンが走りはじめた。明朝体で力強く一筆書きしたスケッチブックをこちらに向け文字を指す。

『そうすけ こんにちは』

「う、うん、こんにちは。」

今頃、冒頭の「こんにちは」が脳に届いたのか。そして、次のページをバサッと力強く開きスケッチブックにペンを書きなぐる。

『このひと だれ』

「おじいちゃん、だからね…」

「宗助有難う。大丈夫大丈夫。今度は俺がご挨拶するから。おじいさん初めまして!私は朝顔と言いまして、今大豆小学校に通っていて宗助君と同級生なんです。」

 おじいさんの耳元に向かって大声でしゃべりかけると、おじいさんは俺をじっくり凝視ぎょうしし始めた。おじいさんは首をゆっくりとうんうんと縦に何度か動かし、スケッチブックに端的たんてきに言葉を描く。

『うそつけ』

 なんだ、リアルタイムでコミュニケーションがとれるじゃないか!

「ま、まあ、なかなか信じてもらえませんよね、こんなおじさんの僕とお孫さんが同級生って言われても。」

 まともに会話をしていたら疲れそうなのでとっとと本題を切り込む事にした。

「おじいさん、小学校に埋まっているノーノーって何のことですか?」 

 質問をした後、今度は一重の目を更に薄めて俺の目をじっと見ている。観察しているような目でにらまれているので、おじいちゃんから目を逸らさずに宗助の肩を2回たたきヘルプを求める。

「おじいちゃんあのね、前探してほしい物があるって書いたことを覚えてない?」

 宗助が話し出すと、急に柔らかい表情になり、ゆっくりとスケッチブックに文字をしたためだした。

『みそしる のみたい』

「おじいちゃん食べたいものを聞いているんじゃないよ!昔、校長先生だった時に何かグラウンドに埋めたの?それをおじいちゃんの変わりに探したいから教えてくれる?」

『いもけんぴ たべたい』

 駄目だこりゃ…とんちんかんな解答に困り果てる。

「あの、おじいさん。もしかして私のこと見たことありますか?」

「えっ、師匠おじいちゃんのこと知っていたのですか?」

「いや何かどこかでお会いしたことがある気がして、おじいさん気のせいでしょうか?」

 俺が話かけると、また俺の顔を観察するような目で睨みつけしばらく時が止まる。そして今日一の目を見開き、ザザザッとスケッチブックに達筆をふるう。

『しらん』

「でしょうね!」と食い気味につっこむ。

 

 

 まだ17時半なのに、もう外は暗くなっている。朝は晴れていたが昼から夜にかけて雨が降ると予報されており、気温も例年より低くなるそうだ。

 あの後宗助と南京町で食べ歩きした後、そそくさと島に戻ってきた。宗助はさすがに疲れて来夢来島の2階で寝ている。

「いやー手がかりなしだったわ…手ごわいて手ごわい。」

「かなり、とぼけたおじいちゃんなんだな!たははははは!」

 カウンターを介して乾杯する。

 瀬戸内国際芸術祭が始まる直前、秋の会場として開催している大豆島は普段より定期船の出入りを増便しており観光客が増え始めている。それに伴い港にほぼ隣接している来夢来島はいつもより繁盛している。最近は俺も厨房に立って松葉の手伝い。さすがに居候の身、松葉と敦子さんにはに申し訳なく感じるから。

 しかし、今夜の天気予報はもともと雨となっていたので、この時間観光客で賑わう来夢来島もさすがにお客さんがいなかった。

「でもなあ、何かひっかかるんだよ。俺どっかで会ってないかってさ。」

「元校長って言ってたんじゃろ?でもずっと島にいるオイにもその草野校長って名前は聞いたことないぜ。」

「5年前から学校にいるスミレに聞いても知らないって言うんだよ。」

「その記憶もおじいちゃんの勘違いじゃないのか?」

「いや、それはないよ。だって校長だったって話はおじいさん本人に聞いた話じゃなくて、宗助の父上から聞いた話だから。」

 

「なんじゃ、その『父上』って?」

「宗助がいつもそう呼んでいるから俺にも感染うつってしまったんだよ。」

「たはははは!いいねーオイも海香うみかが喋れるようになったら父上って呼んでもらおうかな!」

 海香ちゃんは今年の春に生まれた松葉の長女。堀が深い松葉の顔に似ておらず、どちらかというと鼻元がシュッとしている敦子さん似だ。

 

 松葉とたわいもない話をしていると2時間経つのはあっという間の出来事に感じる。いつもはお互いのその日にあったことを盛大なオチを付けて笑わせあうのだが、松葉が芸術祭前で忙しいので今日は早めに晩酌ばんしゃくを切り上げた。



★★★大豆島の大きなかぶ★★★


『むかーしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました。

おじいさんとおばあさんは、毎日せっせと畑仕事に精を出しておりました。


 しかし、いつもの畑に異常気象による突然変異でかぶの一つがとんでもなく大きく急成長しました。その蕪を抜くには、おじいさんとおばあちゃんの力だけではひっこ抜くことができませんでした。

 

 そこでおばあちゃんは、息子嫁と一緒に住んでおり嫁姑問題が頻発していることにうんざり気味な小百合さんを呼んできました。


 蕪をひっぱるおじいさんの後ろにおばあさん、そして小百合さん。

「そぉれどっこいしょ、どっこいしょ!」

 蕪は全くビクともしません。

 

 そこで小百合さんは、へそくりを200万隠していたことが妻の小百合にばれてしまいこっぴどく怒られた大輔さんを呼んできました。

 

 蕪をひっぱるおじいさんの後ろにおばあさん、小百合さんと、そして大輔さん。

「そぉれどっこいしょ、どっこいしょ!」

 蕪は全くビクともしません。

 

 そこで大輔さんは、今日も50肩が炸裂して運転のハンドルが握れなかったことで、「やっぱり若い頃が良かったなあ」と哀愁漂あいしゅうただよう離婚歴4度のベテランタクシー運転手の洋一さんを呼んできました。

 

 蕪をひっぱるおじいさんの後ろにおばあさん、小百合さんと、大輔さんと、そして洋一さん。

「そぉれどっこいしょ、どっこいしょ!」

 蕪は全くビクともしません。

 

「だっ、だめだ、こりゃ…びくともせん。」

 みんなが諦めかけた時、

「おらーおらー!債務者のじじいとばばあはここにおるんか!こないだ貸した1000万円きっちり耳を揃えて返してもらうからな!」

 ※BGM「極道の妻達テーマ曲」

 

 なんと現れたのは貸金業の取り立て屋!

 おじいさんとおばあさんが老後の年金対策として都内の貸マンションの1室を購入する為、はずれ町の貸金業者からお金を借りていました。

 取り立て屋はサングラスをかけているのにも関わらず、メンチをきっておじいさんの胸ぐらを掴み始めました。この出来事に、加勢に来ていた小百合さんも大輔さんも洋一さんもびっくり!

 

 あわあわと取り立て屋の勢いに圧倒されていたその時、

「ちょっと待った!」

「なんや!今取り込んでんねん!誰やおまえら!?」

「銅レンジャー!」

「銀レンジャー!」

「金レンジャー!」

「3人揃って…シャキーン!大豆レンジャー!」

 ※BGM「ゴレンジャーのテーマ曲」

 

 修羅場の中、颯爽さっそうと現れたのは、大豆島の島民の暮らしと海の安全を守る大豆レンジャーだ。わおヒーローかっこいいぜ!

そして金レンジャーが一言。

「その大きな蕪の価値を知らないようだな。」

「何を言っている!?」

「その蕪を引き抜いて売れば軽く時価2000万以上だ!だからみんなで蕪を抜けば借金問題解決、解決、ああぁーー、かいけぇえええーーつぅううーー」

 金レンジャーが歌舞伎役者ばりに啖呵たんかを切り放つ。

「うっ、ウソを付け!この蕪は確かに巨大だがそんな高く売れる訳がない!」

「じゃあ、最新の農業白書を調べてみろ!今シーズンは蕪の大不作で、蕪の価格は普段の3000倍だ!」

「なにおー…たっ、確かにたまたまバックに入っていた今月の農業白書を見たら時価が3000倍になっている…この蕪が普段1万円位の価値があるのなら3000万円だと!くそっ、分かった。納得した。腑に落ちた。その代わり金利分とここまで来た労力での人件費と交通費・そして昼食代もいただいて帰るぞ!」

「ラジャー!」

 

 蕪をひっぱるおじいさんの後ろにおばあさん、そして小百合さんと大輔さんと洋一さん、そしてその後ろには4年前から島々のスーパーの屋上での「戦隊ショー」の営業が不況で貸衣裳台の補填をこの蕪を抜いたらギャラでちゃっかりいただけないかなぁとほのかに期待を寄せている金銀銅の大豆レンジャー。

そして、貸金業の取り立ての現場で14年、そろそろ管理職にでもなって毎日苦労かけた妻へのスイート10ダイアモンドと今度サッカーをやりたいと言い出した長男にスパイクを買ってあげたいなあと強面だが実は家族想いの幸太郎さん。

「そぉれどっこいしょ、どっこいしょ!どっこいしょ!どっこいしょ――――」

 それぞれの人生でそれぞれの生き様がある。しかしここは一枚岩。

 全員の力を結集した時のパワーはエベレストや大西洋にも負けない。

 

 そして遂に奇跡の時が訪れた。

 

「抜けたー!!!!」「やったー!」歓喜の輪ができ、全員で肩を組み「ホッ!ホッ!ホッ!」と小気味よい掛け声を上げながら蕪の回りを何周もクルクルと回りだす。

 

 そして5周回った後に全員が天に一指し指を突き合わし

「ウイアー ザ チャンピオン!」

 ※BGM 「QUEEN:We Are The Championsサビ出し」 

 

 人生というのは時に無常で思い通りいかないことも多々ありますが、励ましあいや助け合いで何とかなるのかもしれません。

 優しさに触れたかったら、ちょっと寄っておいで。ああ愛しの大豆島。

 

 めでたし、めでたし―――作者・ナウビレッジR』

 

 

「なんだこれは…」

 読み終わって口があんぐりとなった。いや、正確には読み始めから口があんぐりとなっていた。昼休みの職員室前の廊下で「これだから」とスミレから渡された台本。変わった演劇の内容が気になっていたので、スミレに事前に読ませてほしいと頼んであった。

「スミレ…なんなんだこのシュールな内容は…想像以上にへんてこりんな話だな。この劇は色んな意味で大丈夫なのか?」

「私が赴任した時には学年全員でこの劇をやるようになってて…もう十年以上も続いているみたいなのよ。」

「じゃあ大豆小学校の学芸会は毎年これをやっているのか?」

「ええそうよ。私が先生になった時はこの台本で、今ではこれ見たさに島外から学校に来ることが多いから、恒例の劇になってしまったの。瀬戸内の島々では大豆島名物なんて言われたりしてるわ。」

 さすがのスミレも摩訶不思議な台本の力に困惑しているようだ。

「そうなのか…毎年どれ位集まるの?」

「いつも100人以上は集まるわ。」

「そんなに!島の人口より多いじゃないか!?」

「今年は瀬戸内国際芸術祭の時期とも重なっているし、すっかり有名人になったあなたもいるから体育室が立ち見になるかもね。」

 夏にプールで地方紙に取材された後も、ローカルテレビで紹介されたり、義務教育未了者特別受講制度を母校で受けるよう推進する役所のインタビュー記事が小冊子に掲載されたりと、朝顔ムーブメントが起きていることは自覚している。

「生徒のみんなは毎年この演劇をやっているから、もう内容を覚えているわ。今年はあなたがこの劇で一番難しい『ナレーション』の担当だから。噛まないようちゃんと放課後も練習しなさいよ!」

 まじか…と頭を抱える。毎年使い回している台本だからか、汚れがひどい。書き込み厳禁のはずが、所々に付箋があったりカラーペンが引かれてある。

 その台本の裏には『作・ナウビレッジR』と記載がある。プロの演劇作家なのか…いや、この内容だったらアマチュアの作家なんだろう。

「『ナレーション』だったら、表舞台に出なくていいってこと?」 

「だから、あなた目当てに来る人もいるんだから、裏に引っ込ませる訳ないでしょ?舞台の端っこに机を出すからそこに座ってやって。スポットライトも当てるから目立つわよ。」

「そんなに俺を全面に出さなくてもいいだろ?他の生徒もいるしさ…俺じゃなくて子供を主役にしないと。」

「何言ってんの!?これは大豆小学校の名前を売るチャンスなのよ!それにこの劇だったら生徒は生徒で十分目立つわよ。これを機会に島への来訪者が増えたら嬉しいでしょ?」

「そりゃそうだけど…」

 ただでさえ変てこりんな劇なのに、学校の名前を売るって大役まで肩に乗っかってきた。島の為だったらといつもはやる気がでるが、この劇で上手くいくのか心配しかない。

「それに、あの話もあるから。頑張らないと。」

「あの話って?」

 スミレから聞いたあの話に、また口があんぐりとなった。

 

 今年度で大豆小学校が廃校になる…

 


「全く手がかりがないもんなあ。」

「ないですねー。」

 学芸会まであと1週間、かえで銀杏いちょうが朱く黄色く色づき始めた頃、宗助とグラウンドでスコップを持っていた。ノーノーを探す為に。

 学校が廃校になりこの校舎も取り壊しになるかもしれない…そんな噂は2・3日もかからず島中を駆け巡った。なんせ、島民のほとんどがこの学校の出身だからだ。

 現在の全校生徒は俺を含めて12名。5年生以下は宗助を入れて8名。来年・さらに再来年の入学者は0と聞いている。今の5年生以下の生徒は本土の学校に通うことになるのだろうか?

 取り壊しという言葉を聞いて、まず思いついたのはノーノーの事だ。取り壊した後は、余計探し当てられないのでは?という予感が走った。

 だから今日は俺も宗助の穴掘り作業を手伝っている。

「なあ宗助、父上はおじいさんが何年前に校長をやっていたって言ってた?」

「16年前だそうです。」

「16年前か…」

 俺達が17歳の時。俺は当然この島にはいなかった。松葉もスミレも本土の高校に通っていて、その高校の寮で過ごしていたので、長期の連休以外は島にはほとんど戻らなかったという。

「その時の写真とかもう残っていないの?校長をやっていた時の顔写真を見てみたいなあ。」

「僕も探したことがあるのですが、校長時代の写真は残ってなかったんです。」

「そっか…こないだ宗助のお父さんもそんなこと言ってたな…そうだ!あれ見てみるか?過去の卒業文集に、校長の挨拶文のところに写真と一緒に載っているじゃないか?そこにヒントがあったりして!」 

「師匠、見てみましょう!」 

 作業中のスコップを置いて、休みの日も不用心に開いている校舎に潜入する。校舎の中は以前通っていた頃と全く変わらない。33歳にしてまさかの小学生現役だけど、例えば島を離れている卒業生が帰郷しても当時をすぐに思い出せる事は素敵なことだと思う。

 どうして人は忘れていく生き物なんだろう。33年いっぱい大事なことがあったはず。あるテレビ番組で「後悔したくないって?勿体無い。後悔は素敵な思い出やんか。」と言っていたコメディアンがいた。楽しい事も辛い事も何気なかった事もだいたい全部、時間が経つと忘れてしまう。この2回目の小学生ライフのこともいつか忘れてしまうのだろうか。

 

 廊下から職員室の窓を顔半分覗いてみる。今日はさすがに誰もいないようだ。しかし、鍵がかかっている。

「そりゃそうか、職員室が空いてたら明日の理科のテスト問題が分かるもんなあ。」

「師匠、校長室はどうでしょうか?」

「校長室?」

「校長先生の写真が飾られていませんかね?」

「なるほど!宗助さすが!」

 職員室の隣に校長室がある。校長室は小学生の時も入った記憶はないが、島に戻った日に牧田校長への挨拶をここでさせていただいた。その時に歴代の校長の顔写真みたいのもを見たような気がするが…

「せーの!」

 宗助と年期の入った古びた木造の扉を思い切って開けてみる。

 ガララララ…

「開いた!」思わず宗助と声が揃った。

 中に入ってすぐに、天井付近の壁を眺める…

「ある、あるある!写真ある!しかも名前付で!」

 右端から前回の校長の写真が貼られており、それから順番に左へ目を移すと徐々に写真自体が古くなってくる。最近の写真以外はほとんど白黒だ。

「牧田校長の写真、やっぱり怖いです!」

「何で眉毛を剃って眉間にしわを寄せている写真を飾っているのだろうか…」

 牧田校長は島内の人の中で一番顔が怖いと有名だ。泣く子も黙る…いや鬼も逃げ出すような顔をしているので、初対面の時は震え上がった。

「ええと…あっ!ありました!おじいちゃんの写真!」

「おお、どこだどこだ??」

「右から6番目の写真です。」

「…あれ?宗助この人って…」

 病院でお会いした時、あの鋭い一重・あのとぼけ方、どこかで会った事あると思ったのだが、ようやくそのつっかえが取れた。


 石橋宋一郎そういちろう先生、紛れもなく俺の5・6年生の時の担任だ。


この写真の時は、まだ黒々しい髪がしっかりあり、顔も相当ふっくらしている。この面影と石橋先生という名前の響きが繋がるとさすがに小学生だった記憶でも蘇る。

「そ、宗助…なんで『草野』の名字じゃないんだ?」

「えっ?あれ?どうしてでしょうか?おじいちゃんの名前は草野宗一郎なんですが。」

 あとから宗助の父上に教えてもらった。石橋家の四男だった宗一郎先生は、大豆小学校にいた当時は石橋姓であった。しかし校長を辞められた後、当時女性の子供しかいなかった親戚の草野家の名前を途切れさせない為に養子になり、親子共々姓名を変えたそうだ

 


 俺の担任でもあったということは、当然スミレと松葉の担任だったことになる。

「スミレ、本当に知らなかったのかよ!?」

「知らないわよ!まさか石橋先生のお孫さんが草野君だったなんて…草野君は今年の5月に転校してきたからまだあんまりお父さんとも話をしたことがなくて…私草野君に失礼なことを言ってなかったかとても心配だわ。」

「たははははは、まあ姓が違うから分からないよな。父上様も早くそれを言ってくれたらよかったのに。はいよージントニックね。」

 久しぶりに来夢来島に3人で集まる。正しくは俺と松葉はカウンターを挟んで席の端に座るスミレを接客しているのだが。

 瀬戸内国際芸術祭が始まり、厨房は日々てんてこ舞いになっている。店内の7席が全て埋まり、店外にも臨時でベンチを設け、敦子さんも厨房でフル稼働だ。

「今、神戸で入院しているんでしょ?」

「ああ、すっかり痩せこけていてさ。でもちょっとだけ昔の面影を感じたけど。」

「あれだけ太ってたのになあ。」

「胃がんもあって胃を摘出したらしいよ。さらに喉頭がんも併発したらしくて喉を摘出したって。はいは~い、マティーニね。」

 こないだの病院帰りに担当看護婦さんに挨拶した際に喋れなくなった理由を聞いていた。

「声が野太くて、なんか変な話ばっかりしてた記憶があるなあ。『松葉ぁ!今日も髪型絶好調だなあ』って」

「それは松葉君の髪がつんつんに立っていたからでしょ?」

「たははははは!そうだったけ?」

「私も冗談ばっかり言われていた記憶があるわ。私はちょっと親父ギャグみたいのは苦手だったからしらけていたかど。でも今教壇に立っていると思うわ。いつも雰囲気を明るくするのがこんなに大変なんだと。」

「なんだ、スミレが弱音を吐くの初めて見た気がするな。」

「悪かったわね!これでも相当色々考えながら生徒を見ているのよ!特に草野君はなかなか心開かないから大変だったんだから。夏には33歳の小学生までやってきて、今年は苦労が絶えないわ。」

「それは、申し訳ないっす…。はーい!ワインクーラーね!」

「まあでもあなたのおかげで、草野君凄く明るくなってクラスメートにも積極的に話しかけるようになったから、まあ差引ゼロ…いやまだマイナス100点ってところね。松葉君、モスコミュール。」

 今日のスミレはいつになく機嫌よく見える。アルコールの力って偉大だな。

「はいよ!しかしあのじゃじゃ馬だったスミレもすっかり先生っぽくなったもんじゃ。」

「誰が先生ぽいのよ。失礼だわ!正真正銘の小学校の先生なのよ!」

 そうかスミレも毎日色々考えながら生徒と向かい合っているんだな。

 しかし、石橋先生の記憶はあるのだが、具体的なエピソードがほとんど思い出せない。

「武史が居なくなった時、石橋先生相当心配してなあ。」

「そうなのか?まあそうだよな。いきなり連絡もせず家族で失踪したんだから。ロングアイランド・アイスティー2つ追加で合ってました?」

「でもあなたがいなくなった日に、お父さんから学校に連絡があったみたいよ。島から離れるのでしばらく通えませんって。」

「そうなのか!初めて聞いたなあ、その話。大豆小学校にはちゃんと事情を伝えていたのか。」

「そりゃ、町工場も抜け殻・学校には息子も来ないとかじゃ、この島のサイズのコミュニティだったらすぐに大騒ぎになるからな。はいよーカシスオレンジね!」

「石橋先生のことだけど、芸術祭が落ち着いたら3人で逢いに行くか?」

「そうね、お見舞いにいかなくちゃ。久しぶりに顔を見てみたいわ。」

「それと例のノーノーってやつを、早く見つけてしまおうぜ。武史はなんか手がかり見つかったか?」

「俺が逆に質問したいわ。石橋先生と過ごした期間は二人より少ないんだから。逆に二人には何か思い当たることはないのか?6年生の時に何か言ってなかったか?」

「ないわよ、そんな思い当たることなんて。何なのノーノーって?初めて聞いた言葉だわ。本当にそんなのが大豆小学校に埋まっているの?」

「ノーノーって一体何のことだろうな。えっ!?ノンアルコールのヴァージン・ピニャ・コラーダ?ああ…すいません、外のお客さん。カクテルの注文ですね。少々お待ちを!」

 駄目だ、今日は忙しすぎてノーノーに頭が回らない…



「あー、あー、あー、われわれはー」 

「師匠おはようございます!いよいよですね!」

 朝早く、露店の準備で慌ただしいグラウンドを教室の窓越しに見ながら発声練習をしていた。

 今の学芸会は大豆島発としては一番大きなイベントになっているそうだ。さらに開催中の瀬戸内国際芸術祭りおよび朝顔ムーブメントの影響で、露店の数は過去最多になるらしい。俺が与えている影響で露店が増えていることを思うと少し身震いしてしまう。

「師匠風邪ひいていませんか?震えていますが寒いのですか?僕の上着を貸しましょうか?」

「宗助は優しいやっちゃの!」

 今日はナレーションとしてタキシードを着ることになった。普段の半そで短パンからすれば充分厚着なのに宗助の優しさが染みて余計に震えてしまう。小学校にはもちろん大人サイズのタキシードは置いてなかったので、本土の貸衣装屋から発送してもらったものだ。

 自主練習はしっかりした。放課後の時間を使って来夢来島のお店を手伝いに入る前、毎日1時間のリハーサルを何度もこなしたので準備は万端。しかし、この演劇内容を思い浮かべると更に寒気が全身を襲ってくる。

 

 

 会場の体育室は超満員。観客の熱気がこもっている。普段、少人数で体育をしている時の雰囲気とは全く異なる空間になっていて緊張感が増してきた。

 オープニングは俺を除く在校生によるリコーダーとアルトリコーダーのアンサンブル「威風堂々」。指揮はスミレ、伴奏はなんと宗助!ピアノを弾ける男子、モテるなこれは。宗助、今日の蝶ネクタイいかしてるぜ。

 

 その後、婦人会や消防団の出し物が続いて、いよいよメインの「大豆島の大きな蕪」が始まった。

 ブ――――――。ブザーが体育室に響く。照明も同時に落とされ、暗室カーテンを閉めて光を遮断。会場は一瞬で真っ暗になり、雑談が止み静寂せいじゃくな空気に包まれる。ブザーが鳴り終わると紺色の緞帳どんちょうがゆっくりとくれ上がっていき、舞台の端で机に座っている俺がライトアップされる。

「むかーしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがおりました――――」

 俺のナレーションに合わせて、それぞれの役の生徒達が舞台に現れ動きをとる。

 演者のセリフの部分以外は俺が喋りっぱなしなので喉がカラカラになる。でも噛むと更に俺が目立ってしまう滑稽こっけいな事態になるので、演者のセリフが入る間に机の下に置いてある水で喉を潤す。

「ははははは!」

 この劇のありえないシチュエーションに観客から笑いが起こっている。演技の失敗を笑われているのではなく、台本の力で笑わせている。毎年この劇をやっているからリピーターも多いはずなのに。台本を見た時は、夜も眠れなくなるくらい不安だったが上手くいっている。これはいける!と強い手応えを覚え、ナレーションにもより力が入る。

 

 そして劇は中盤を迎える。

 体育室の後方から扉が激しく開くと同時に「極道の妻達」が大音量で流れる。

 チャララーチャララー♪

 急に外の光が差し込み、明かりに目が慣れないので良く見えないが、サングラスをかけた虎柄のシャツを着た男が立っているのが分かる。

「おらーおらー!債務者の朝顔はここにおるんか!お前の親父の借金1000万円きっちり耳を揃えて返してもらうかいな!町工場の借金と長年積み上がった利息分や!」

 はっ?今何て言った?

「お前がここに今日おること、あらかじめ学芸会のポスターで知っとったけのー。もう逃げられんぜ!」

 観客が座ったまま後ろを振り返り、「なんだなんだ」とざわつきだす。演出を変えるなんて話は聞いてないぞ?

 人相の悪い顔をしている牧田校長には悪役がうってつけという理由で、唯一教職員としこの劇の演者を担っている。校長は「今日はドスを効かすからな!」と確かに気合が入っていたが、そもそも俺が座っている側の舞台袖そでから登場するシナリオだったはずだ。しかし、この体育室後方からの登場はインパクト抜群に思えた。さすが校長、隅に置けないなあ。

「ちょっと待った!」

仮面と戦隊コスチュームを全身にまとった宗助達が舞台袖から現れる。

「なんや、今取り込んどんねん!誰やおまえら!?」

「銅レンジャー!」

「銀レンジャー!」

「金レンジャー!」

「3人揃って大豆レンジャー!!」

ゴレンジャーのBGMに合わせてばっちりポーズを決め、観客からは「いいぞ、がんばれ!」と拍手喝采。俺はそのまま、ナレーションを続ける。

「なんと大豆島の島民と海の安全を守る大豆レンジャーが颯爽と表れました。そして…」

「やきゃましいわぁ!朝顔!人の話聞いちょるんか!?」

 取り立て屋が、観客の波をどけどけと掻き分け舞台に近づき登壇とうだんする。校長先生迫真の演技に体育室が凍りつく。しかし、宗助の演技力も負けていない。

「その大きな蕪の価値を知らないようだな。」

「何を言っている!?」

「その蕪を引き抜いて売れば軽く時価2000万以上だ!だからみんなで蕪を抜けば借金問題解決、解決、ああぁーー、かいけぇええーーつぅうううーー」

 宗助扮する金レンジャーが一端いっぱしの歌舞伎役者としか思えない啖呵を切り放つ。

「ふざけんな!今邪魔をするな!」

「じゃあ、最新の農業白書を調べてみろ!今シーズンは蕪の大不作で、蕪の価格は普段の3000倍だ!」

「お前らは引っ込んでろ!」

 おかしい…演者のセリフが噛み合っていない。戦隊ヒーロー達も腕を組んで首を傾げている。この後、全員で蕪を抜くシーンになかなか展開しないからだ。

「あさがお…くん…朝顔くん…」

「あれ?えっ?」

 俺の座っている椅子の下に、うつ伏せにいつくばった虎柄の服を着た男がいる。その男は俺の左足を力なく握りながらか細い声で名前を呼んでいる。

「腰を…腰を直前にやってしまったんだ…」

「こっ、校長!?」

「もっ、申し訳ないねぇ…私はぎっくり腰持ちでねぇ…」

「じゃあ、あの取り立て屋は誰なんですが!?代役でも依頼してたのですか!?」 

「いや、私は全く知らない…でも助かったねぇ。よかった、よかった。」

「よかったよかった、じゃないですよ!むしろピンチじゃないですか!?」

 こんなミラクルハプニングがあるのか!?やっと状況が読み込めた。あの借金取りは本物の取り立て屋じゃないか!確かに父の借金は膨らんでいたが、あれは父が亡くなった後、親族の協力もあり精算されたと聞いていたが。

 まさかこのタイミングで父の借金の取り立てにあう羽目になるとは…しかし俺のことで、学校、生徒達、そして島に迷惑をかける訳にはいかない。

 今日という日がどれだけ大事なのかを知っている。この演劇で取り壊さるかもしれない大豆小学校を救えるかもしれないのだ。

「いや、取り立て屋さん、少し待ってほしい。」

 机に据え置かれていたハンドマイクを掴み、立ち上がった。

「少し待つって何年待ったと思っちょるんや!まさかあの親父の息子がのこのこ帰ってきよるとはのお。最初は気付かんかったわ、貴様の事。ちょっと騒がれて、ヒーローぶって浮かれとるんやないんか?とにかく金を返してもらえん限りは、ワシがお前を追い回すからな!」

「だから、今すぐは無理だ。でも待ってくれ。俺の『株』を売ればお金を返せる。」

「さっきから蕪、蕪、蕪、蕪って!いい加減にしろ!」

 ついに俺の胸ぐらを掴み出す。しかし、ここで怯む訳にはいかない。大豆小学校の120年の文化を、先人が積み上げてきた歴史を、この一瞬で潰す訳にはいかないのだ。

「だから、俺のありったけの『持ち株』を売る!そしたら借金が返却できると言ってるでしょうが!あと俺の蝶ネクタイを汚い手で気安く触るなあぁぁぁぁ!」

 啖呵を切って、取り立て屋の腕を払いのける。もちろん持ち株なんて一株も持っていないので真っ赤な嘘である。でも、守りたいものがあるから、一言一言に熱が入りどんどん高揚していく。

 「やるなー」「いいぞ!やっちゃえ!」「よっ、朝顔屋!」観客席からも大きな掛け声がかかってくる。会場は異様な熱気だ。

 取り立て屋は想定外の逆ギレを始めた俺と後押しする観客の声援に圧倒されたのか、少し後ろにけ反ったようにみえた。

「ぜっ、絶対だぞ、その約束。お前らも聞いたよな?」

 取り立て屋が観客に同意を取ろうとするも、ブーブーとブーイングが嵐のように起きていた。そして、呆気に取られている演者の生徒達に「さあ抜くぞ!」と声をかけ俺を先頭に後ろにくっ付きだす。

 取り立て屋は「やってられない」と両手をあげ舞台のへりに足を投げ出し座り込んだ。

「そぉれどっこいしょ、どっこいしょ!どっこいしょ!どっこいしょ――――」

 マイクを持っているので蕪を片手でもちながら、ナレーションを再開する。

「それぞれの人生でそれぞれの生き方があるが、ここは一枚岩。全員の力を結集した時のパワーはエベレストや大西洋にも負けない。そして遂にその時が!」

 新聞紙を大量に丸め、その上から白いガムテープと緑のガムテープをぐるぐる巻きにして仕立て上げた大きな蕪を、いかにも重いものであるかのように見せかけ一気に引っこ抜いたふりを全身全霊でかます。

「抜けたー!!」「やったー!」

 生徒達と歓喜の輪を作り、全員で肩を組んだ。しかし、一方で取り立て屋が舞台の端っこに座り呆けてることに気付いた。

「おっ、おいやめろ!」

 さっき一枚岩になるっていったばかりなので、取り立て屋の両脇を後ろから無理やり抱えて、輪の中に放り込んだ。

「ホッ!ホッ!ホッ!」と小気味よい掛け声を上げながら蕪と取り立て屋の回りを稽古の時より高速でクルクルと回った。そして予定の倍にあたる10周回った後に取り立て屋以外の全員が天に一指し指を突き合わし、喉を枯らす位の大声で叫ぶ。

「ウイアーチャンピオン!!」

 謎の優勝宣言に観客は一斉にスタンディングオベーション。フレディ・マーキュリーの歌声も相まって体育室は今テンション最高潮のようだ。

「いいもの見たぞー」「チャンピオンとはお前らのことや!」「よっ、朝顔屋!」

クルクル回りすぎてまっすぐ立つことができない。しかし、最後まとめのナレーションがあるので、机に体をもたれかかって息が上がった状況でマイクを握り直す。

「はあはあ…人生というのは、はあはあ…時に無常で思い通りいかないことも多々ありますが、はあはあ…そこは、そこは励ましあいや、助け合いで何とか、何とかなるかもしれません。はあはあ…優しさに触れたかったら、少しだけでも寄ってください。ああ、愛しの大豆島!そして、みんなが愛する、みんなが愛している大豆小学校に!めでたし、めでたし!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る