2【宗助の夏】

今日から転校生がやってくる。でも僕には関係ない。いつも通り、退屈な授業を聞き流して、外のグラウンドを眺めているだけでいい。

 早く本土に帰りたい。父上は何を考えているのだろうか。僕が街の中心にある私立の中学校に行きたいって言ったからだろうか。

 

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「宗助、話がある。」

「うん。どうしたの?」

「昨日、こっちの仕事が一段落した。それで次の仕事先は瀬戸内海の島々を回らないといけないから、しばらく島に家を借りることにした。宗助にも一緒に来てほしい。島にはおじいちゃんの学校があるから、来月からその学校に通ってほしいんだ。」

「転校しなきゃいけないの?」

「まあ、一時の間だ。」

「どれくらいなの?」

「そうだな、お父さんの仕事と宗助次第かな…」

「僕次第?」

「宗助…島はすごいんだぞ!宗助が見たことがない世界が広がっているんだ。宗助には大人になる前に島の暮らしと自然について沢山学んでほしい。この経験が一生の財産になるから。いわゆる『島留学』ってやつだな。」

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 そんなことを言われて5月から転校してきたが、まだ島の良さが全く分からない。島には何もないのに何を学べばいいのだろうか?コンビニもないし、電波も悪いし、電車もないし、ただただ不便としか感じない。

 少なくとも父上は前よりも楽しそうに過ごしているようだが…

 もともと友達なんていなかったから寂しくはないけど、島の子供とは全く話が合わない。本土の学校と違って、クラスの人数は5人しかいないから付き合いは楽だ。でも、何で色々と話かけてくるんだ。「今度テングサを海に取りに行こうよ!」「スタディの森で缶蹴りをしよう!」放課後あれこれ誘われるが、関わりたくないからとにかくほっといてほしい。

 ゴーン、ゴーンゴーン…

「はーい、おはよう。今朝も全員揃そろっているね、ってアイツ来てないやんか!」

 教室に入ってきてすぐスミレ先生が右手首をクルクル回し始めた。このクルクルは先生がイライラしている時にでる癖だから、島で一番注意しなければならない。頼むからスミレ先生の機嫌を悪くするようなことはやめてほしい。スミレ先生を怒らせるのが一番めんどくさいからだ。怒ると雷みたいな大声音で同じ話をずっと繰り返すからから、一日が最低な気分になる。

 大人はどうしてみんなの前で説教したがるのだろう?僕が怒らせているわけではないのだから、違う場所で怒らせた奴だけ好きなだけ怒ればいい。真面目に見せている僕を巻き込まないでほしい。


 僕はスミレ先生と目が合うのが嫌で、またグラウンドを見ていた。

 …あれ誰だ?

 校舎に向かって大人がすごいスピードで走ってくる。昨日の奴、また来たのか!?

 

 

「わるい!遅くなった!」

「わるいじゃないわよ!あんた、敬語で話さないとしばき倒すわよ!」

「すっ、すいま…ごめんなさい…」 

「何で初日から遅刻してんのよ!って臭っ!あんた酒臭いわよ!いつまで飲んでたのよ!」

 異様な光景に教室がざわついている。スミレ先生の知り合いなのか?

「みなさん、静かにして!じゃあ昨日言ってた転校生を紹介します。朝顔武史…朝顔君です!」

 こいつが転校生なのか!?

 何で大人なんだ!?

 何でちょうネクタイに短パンなんだ??

スミレ先生からは転校生が来るとしか聞いていなかった。

「えっ?君付けなの?せめて朝顔さんで…」

「うるさい!あんたの呼び名なんてどうでもいいのよ!って汗臭っ!もうふざけんな!」

 スミレ先生が転校生のお尻を思いっきり蹴り上げてみんなが笑っている。

 こいつが転校生??ウソだろ??訳のわからない状況に頭が痛くなってきた。


 僕は5年生だ。でもこの島の教室は5年生と6年生が一緒。これを「複式学級」というらしい。そんな言葉は本土では聞いたことがなかった。昨日までは机が5つあって、前が3つ、後ろは2つだった。僕は成績優秀だから一番後ろの席の窓際だった。僕以外の生徒は物覚えが悪いから何度も同じことを習わないと覚えない。僕は本土の授業でも、塾でも同じ内容を聞いている。しかもすぐに記憶できるからこんなに遅く授業が進むのは退屈でうんざりだ。先生から「草野君は理解が早いから、みんなに教えてあげてね。それが大豆小学校のルールだから。」と言われたことがあるが全く教える気にならない。そもそもこいつらが教えてほしいという気があるのか分からないのに、教える気になれるはずがない。

 机の数が今日から6つになっていた。こいつのせいで定位置をとられて、僕は後ろの席の真ん中に座ることになった…外を眺めようにも、こいつの体で窓を隠してしまってよく見えない。

「おっす!よろしく!」

「くっさ!」

 なんでこんなに臭いのか。色んな臭さが混じっている。せめて口を開かないでほしい。こいつちゃんとお風呂に入っているのか?それともこれが「加齢臭」ってやつなのか。父上からはこんな臭いがしたことがない。

 しかも顔のあちこちに絆創膏ばんそうこうを貼っている。昨日血だらけで学校を走っていたもんな。こいつのせいで廊下の掃除が大変だった。

 あと、ずっとこっちを見てニヤニヤするのも止めてほしい。何もかも怪しすぎるだろ。

もう決めた、完全に無視してやろう。

「君もしかして、昨日下駄箱げたばこに居た子かな?」

「…」

「いやー、見事に転んじゃって恥ずかしいところを見られちゃったなあ」

「…」

「あっ、あのさあ、なんでスミレは…じゃなかった何でスミレ先生はイライラしてるの?」

 こいつウソだろ?こいつのせいでイライラしているに決まっているじゃないか。そんなこと11歳の僕でも分かる。大人って空気が読める生き物じゃなかったのか?鈍感過ぎるからまた小学生をやらされているのか?

「はい、じゃあ1時間目は算数ね!教科書を準備して。」

「スミレ先生!」

「…なによ?」

「俺、教科書なんて貰ってないよ~。」

「その机の横に引っかかっているでしょ手提てさげ袋が。その中に全教科の教科書があるから。草野君教えてあげてもらっていいかな?」

 げっ、僕ですか?隣に座っているださくて臭い転校生には関わりたくない。

 君、草野君って言うんだ。俺のことは武史って呼んでくれてもいいぜ!」

 絆創膏ばんそうこうだらけの笑顔が怖すぎる。相手にしたくないのだが、とりあえず手提げ袋の中から算数の教科書を探し出し、目を合わさず渡した。

「これ。」

「ありがと、ありがと!うん?今の教科書って昔と全然違う!なんかカラフルでシャレオツなデザインになったもんだなあ!」

「おいこらっ朝顔!いちいち思った事を口の外に出すなや!」

 あーあ、めんどくさい奴が来たなあ。

 

 

「どうだ、転校生君は?」

「いや、気持ち悪いおっさんだよ。僕は全く受け入れられない。」

 転校生が来てから1週間経った。

 僕は全く馴染めないが、転校生は楽しく過ごしているようにみえる。それがまたイライラする。

「ははは、そうか、島でももう噂になっているもんな。久々に帰ってきた小学生って。」

 父上はこの島の魚が好きだ。父上は仕事をしている時は顔が真剣で話掛けづらいが、家で魚を美味しそうに食べている時だけはとても機嫌がいい。だから食事の時だけ色んなことを聞いてくれる。父上に話を聞いてもらえるのは嬉しい。

「来週本土でのプール授業の時に、父さんが昔働いていた岡山桃太郎新聞の取材が入るそうだ。義務教育未了者特別受講制度を島の母校で受ける大人は全国的にも珍しいからな。」

「ふーん、そうなんだ…」

「取材来るって分かったら、おじいちゃんもさぞ喜ぶだろうなあ。」

「そうかなあ…」

 取材って、なんかまた騒がしくなりそうで嫌だ。

「しかし、よく取材なんて受けるもんだな。お父さんだったら恥ずかしくてお断りしてるけどな。」

「僕でも嫌だよ。きっと頭がおかしいんだよ。」

「こら、同級生に頭がおかしいとか言うんじゃない。」

 僕は父上を尊敬している。父上は困っている人を助ける仕事をしている。僕も将来父上のように人の助けになる仕事をしたい。だから島での暮らしは、その夢が遠のいているようでいい気がしない。

 「はい…ごめんないさい。でも絶対バカだと思う。だってあんなに大人なのに一番みんなと話しが合うんだ。教室で一番騒いでいるし。あんな大人がそんなことするなんて、僕には変な奴にしか見えないよ。」

 その前に同級生だと思ったことは一度もないのだけど…

「それは『大人の美学』かもしれんな。」

「オトナのビガク?」

「いいか宗助。大人になると色々な事が出来るようになって確かに立派になるんだ。それと同時に子供の頃の正直な気持ちを忘れて悪いプライドを持つようにもなるんだ。学歴とか役職とか年収とか家柄とか。特に日本の社会は競争文化だから、そんな環境で真面目に育つと人と差を付けたがってしまうんだ。みんな同じ人間だというというのは変わらないことなのに…」

「父上もそうなの?」

「残念だけど、お父さんも悪いプライドを全部無くすことができない。だからいつも意識をして行動を変えるようにしているんだ。いらない見栄を張らないようにね。」

「そうなんだ…」

「でもな、中にはそれを度外視した大人だって存在するんだぞ。バカのように振る舞うことで回りにいる人達を惹きつけ、さらには幸せにすることだってできる。もしかしたら彼はそういう生き様なのかもしれないな。だったらたいした男だよ、転校生君は。一度直に会ってみたいものだ。」

 難しい事を言われて、僕はパニックだ。父上はどうして転校生を褒めるのだろう?

 オトナのビガクって何なのだろう?

 僕が小学生だから分からないのか?いや、別にあいつのことを分かりたくはない。

「あと今週の土曜はおじいちゃんのところに行ってくる。宗助はどうする?」

「いや、僕はこないだ会ったからまだいいや。塾の宿題もあるし。」

 塾はインターネットでやっているのだが、最近はやる気がでない。どうせ今勉強してもテストで解けない問題はない。

「分かった。じゃあ留守番を頼むな。」

 おじいちゃんは3年前から神戸の病院に入院している。おじいちゃんのことは好きだけど、今のおじいちゃんに会っても少し悲しくなるのが辛いから、なかなか会いたいとは思わない。

 それより今、この島でやりたいことがある。おじいちゃんの為に。

 

 

 父上が神戸に行った土曜日、僕は合羽と長靴を履いて外に出た。明日台風が来るらしい。もしかしたら急に雨が降り出すかもしれない。

 朝早く起きた僕はいつものようにスタディの森の中にある海神神社の境内の下に潜って、ここに置いているバケツとスコップを取り出した。

「あれ?」

境内の隣にある広場に工事現場がある。こんな森の中に何かできるのか?島の中での工事現場は初めて見た気がする。

「おーい、そこに誰かいるのか?」

 後ろから急に声が聞こえてびっくりした。別に悪いことをしていないのだが、なんか気まずくて逃げ出してしまった。

「ちょっと待ってくれ!スタディの森の中は蛇がでるぞ。」

「ひいい!」

 蛇は世界一苦手な生き物だ。振り返ると、熊みたいな髭もじゃの男が笑っている。

「たははははは!今の子供はやっぱり蛇が苦手なんじゃな。」

 くっ、なんか悔しい。大人になるまでに苦手なものをなくしたい。

「でも、今から蛇よりもっと怖い台風が来るから海神神社は今から立ち入り禁止じゃ。建物が古いからあぶねーもんな。立ち入り禁止の札を貼るから…手伝うか?」

「いや、今から用があって。」

「そっか残念じゃなー。なんだスコップなんか持って、クワガタの昆虫でも見つけるのか?」

「いや、そうじゃないです。ちょっと急いでるんで。」

「いやーここ懐かしいなあ。昔、武史とスミレと三人でこのクロマツのてっぺんに大きい秘密基地作ったんじゃ。朝顔武史とスミレ先生のこと知っとるよな?」

 この熊みたいな大男は転校生とスミレ先生の知り合いの人なのか。

 しかし、とてつもなく大きな木だ。僕は高いところが苦手で木登りはできないから、木登りできる人はカッコいいと思う。そもそも運動音痴だから、運動ができる人が羨ましい。

「まあ、でもこうやって武史が帰ってくると、なんかこっちも小学生だった頃を思い出すもんじゃな。」

「あのー、転校生はどんな子だったのですか?」

「そうだなー、いつもださい身なりをしとった。なんか服のセンスがないんじゃ。いっつも同級生に笑われてたわ。」

 やっぱり昔から変な奴だったのか。

「自分の恰好に拘りがあるみたいじゃけ。ただ見た目は変わっていても、心は真っ直ぐでいい奴なんじゃ。正直者で前向きなところが取り柄なのよ。何が嬉しいってオイはそんな武史が当時のまんま帰ってきて嬉しいんじゃ。」

 僕にはバカにしか見えないが…

「さあ、さっさとバリケード作るか。雨降り始める前に早く家に戻るんじゃよー。恋はハリケーンだからな、いやハリケーンは竜巻だったか?たははははは!」

「…分かりました、ありがとうございます。」

「最近、島に虎みたいな男がうろついとる話を聞いてるから気を付けて帰れよ!」

 この島は熊や虎みたいな男が野に放たれているのか?


 少し急いで、坂を駆け上がる。ただでさえ坂がきついのに雨が降ると靴がドロドロになるから、この道はいつまで経っても苦手だ。

今日は少しだけ掘って帰ろう。



「はい、お昼は本土の小学校と合同でプール授業をしますから、今から大豆港に歩いて移動します。5・6年生はしっかり下級生の面倒をみなきゃ駄目ですからね!」

 今からプールか…水泳は特に嫌いだ。やりたい奴だけやればいいのに。今年最後のプールの授業といっても、やっぱり気分が乗らない。

「宗助、プールは好きか?」

「いや、あんまり…」

「俺はね、放課後いっつも浅瀬で泳いでいたんだー。大豆港の先から見える島がいくつもあるだろう?俺な小学生の頃、全部の島に泳いで渡ったんだぜ!すごいだろ?まあ、今も小学生なんだけどさ。」

 なんでこいつはいっつも一人で喋っているのだろうか?話かけないでくれという僕のオーラが伝わらないのか?最初は不気味がっていた他の生徒もあっという間に仲良くなり、今では転校生が中心になっている。まあ、回りのことはどうでもいいんだけど、僕はいつまでたっても好きになれない。そもそも、あいつは大人なんだから同じ小学生に見えるはずがない。仲良くなるという神経が良く分からない。

 

「冷たい!」「きゃーー」

「こら静かにしなさい!」

 プールに入る前のシャワーは苦手だ。体が慣れていないから、余計冷たく感じてしまう。でも叫んだらみっともないから、僕は我慢する。

「移動中にもお伝えしましたけど、今日は岡山桃太郎新聞の方が取材で来ています。みなさん騒いだら駄目ですよ!」

「はーい!」

「じゃあ準備運動始めます!」

カシャカシャ!カシャカシャ!さっきからカメラの音が気になってしょうがない。

「こらっ、ピースをしない!」

「そうだぞ、ピースしたらダメだぞ!」

「朝顔!あんたのことよ!」

「はははははは!」

 本土の生徒まで笑っている。いつものように転校生がみんなを笑わせているのが気分悪い。

「ちょっ、スミレ先生って…呼び捨ては止めてよ!格好よく取材されたいんだから。」

 取材って言っても、笑われ者になるだけじゃないのか?

なんで小学生に交じっていることを恥ずかしがらないのか?

「取材を快く引き受ける転校生はたいしたものだ」と父上が言っていた。僕がもしあいつだったら取材を受けるなんてとても考えられない。


「じゃあ、今からリレーの組み分けを発表します!」

 そうだ、今日はリレーをやるんだった…もう今からでも休んでしまいたい。お腹痛いとか言おうかな…

「30人を3チームに分けます。」

「スミレ先生待った!」

「なによ、口を挟まないで!」

「今日は全部で31人いるぜ?」

「朝顔君、あんたは確かに6年生だけど、チームに入れる訳ないでしょ?」

「おお、特別扱いありがとうございます!」

「…じゃあ、競泳テストの結果を参考に振り分けましたから、前のホワイトボードにチーム分けと順番を書いていますので見てください。」

 えっ…まさか…僕はスタートなのか?一番目立つじゃないか!

「3チームの皆さんは一人25m、朝顔君は一人で1000m泳いでもらいます。」

「おっしゃ、負けれないね!このスイムレースは。」

 何故か転校生の気合いが凄い。何度も何度もアキレス腱も伸ばしている。

 はああ…しかし憂鬱ゆううつだ…よりによってスタートなんて、ありえない。そもそも25mも泳げるだろうか?途中で足を付いてもいいというけど、下級生も見ているから25mは泳ぎ切りたい。

 転校生みたいに恰好悪い自分を見せたくない…

 僕は飛び込めないから、プールに入ったままスタートをきる。

「位置に付いて、よーい、ドン!」

 あれ?もう始まった?息継ぎのイメージトレーニングをしていたらスタートの合図を聞きそびれてしまった。急いで水に潜り、両足でプールの壁を蹴って水の中を進み始める。


 ぜえぜえ…ゴボゴボ…くっ、苦しい。

 スタートを遅れた焦りもあって、イメージ通りの息継ぎができない。くそっ、なかなか前に進まないし。耳に入る「ゴボゴボ」という音がいつまでたっても苦手だ。何で水中の25mはこんなにも遠く感じるのだろうか。陸だったらあっという間に辿り着く。僕が陸生まれの人間だからだろうか。いや待てよ。産まれる前は水中にいたはずだと父上から聞いたことがある。だったら僕は泳ぐことをどこかで忘れてしまったのだろうか?

 僕は父上から習い事を色々勧められた。英会話・プログラミング教室・バイオリンにピアノ、こういう習い事は楽しいし、みんなより覚えが早いから、誰よりも褒められて誰よりも早く出来ることが嬉しかった。

 でも、サッカー・体操教室・ダンス教室…全く付いていけない。周りから笑われるだけで全然楽しくなかった。笑われる事が嫌ですぐに辞めた。水泳も勧められたが、週1回でもこの「ゴボゴボ」の恐怖が嫌だったので、絶対にやらなかった。

 あっ、なんか色々考えていたら、少しだけ前に進んでいた。でもまだあの黒い半分の線が前に見える。

 まだ半分も行ってないのか!苦しすぎる、もう足付いちゃおうかな…

 あれ?隣のレーンから誰か戻ってきている…わっ!ウソだろ!?あれ転校生かよ?もう折り返して来てやがる!

 くそっ、もうやってやるよ!25mくらい泳ぎ切ってやる!

 

「草野君、今日良かったわね!」

「ぜえぜえ…ええ、ぜえぜえ…まあ…普通ですよ。こんなこと。」

「足を一回も付かないで25mちゃんと泳げたからよかったわ。」

 25m泳ぎきったのは初めての事だった。もしかしたら転校生のおかげで泳げたのかもしれない…

「ぜえぜえ…スミレ先生、転校生はまだ泳いでるんですか?」

「そうなのよ、自分から1000m泳ぎたいって言いだして。」

「転校生は泳ぐことが好きなのですか?」

「もともと市代表の遠泳の選手だったのよ。」

「へー…そうですか。」

「なのに、大会直前に島から居なくなってね。」

「例の取り立ての話ですか?」

「そうそう。お父さんの都合だったとはいえ、遠泳の大会に出れなかったのは心残りだったみたいで、今日はその時の自分を超えてやるって言って張り切っていたわ。本当バカな奴なのよねー。考えが昔とちっとも変わってない。」

「おかしい人ですね。」

「そうね、でもこれが俺なりの島への恩返しだって。急に居なくなって迷惑かけたから、俺なりにできることを何でもやるって宣言しちゃってさ。だから今日の取材で目立ったら、少しは島おこしできるかなだって。」

 だから転校生は今日の取材を引き受けたのか?

「がんばれ~!」「朝顔君がんばれー!」

 プールサイドからみんなが大声で応援している。他の3チームはとっくにゴールしているが、転校生一人25mプールを必死に泳いでいる。

 そして、今にもおぼれそうなくらい不細工な顔で息継ぎをしている。馬鹿げている。本当馬鹿げている。絶対に仲良くなれない。いや仲良くなりたくない。本当にバカなだけなのか?いやバカな振りをしているだけなのか?どっちだか知らないが、あいつがいると調子が狂う。

 島おこしだって?こんな何にもない島を盛り上げてどうするのだ。

 ああ、頭がおかしくなる。頭が痛い。

 風邪でもひいたのか?何かゾワっとする。体中鳥肌が立ってきた。

 あれ…嘘だろ?マジかよ?必死に泳いでいるあいつが何かかっこよく見えてきた。

 もしかして、これが『オトナのビガク』なのか?

「ぐぼぼぼぼぼぼぼぼ…」

「スミレ先生!朝顔君が大変です!」

「え!?何で足つってるのよ!?」

「師匠おぉぉぉ!!!!!」

 僕は気付いたらプールに飛び込んでいた。

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